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推しとトラウマ

 ルカちゃんの正体が黒川さんだと判明してから数日経った。

 ただ、だからといって特に何も変化はなく、

 

「奈菜ちゃん奈菜ちゃん。今日数学の小テストがあるみたいなんだけど、勉強した?」

「え、あ、はい。一応……」

「ちぇ~ 奈菜ちゃんも勉強してるのか~ 誰かノー勉仲間はいないかな~」


 教室に入ると、元気なポニーテールが黒川さんに抱きつき、黒川さんを困らせていた。


「あ、京介おはよう! 京介はノー勉だよね?」

「いや。俺、部活をしてない代わりに勉強はしてるから」

「えー つまんないの!」


 失礼な質問をしてくる茜を追い払うと、茜から解放された黒川さんはフードをかぶり、アルマジロモードに移行してしまった。


「俺はノー勉だぜ!」


 自分の机に荷物を置くと、俺の遥か頭上から元気な声が降って来た。こんな奴は一人しかいない。裕次郎だ。


「おー! 裕次郎、信じてたよ! お前は勉強してこないって!」

「俺も茜を信じてたぜ!」


 裕次郎と茜は、文字通りの馬鹿騒ぎを始めてしまう。黒川さんがフードの中から出てこなくなっちゃうし、できればここじゃない場所で騒いでほしい。


「ていうか、数学の小テストで赤点取ったら補修になるんじゃなかったか? もしそうなったら部活に出れないけど、二人はそれでいいの?」


 俺の言葉に、二人が固まる。こいつら、本物のバカなのかもしれない。


「京介。今からでも、赤点回避できるかな?」

「さあ。勉強すれば、いけるんじゃない?」

「京介く~ん。教えてくださ~い」


 バカ二人に縋りつかれてしまう。

 しかし、困ったな。教えたい気持ちはあるのだが、正直なところ俺は数学が苦手だ。

 実は俺も今回の範囲を完璧に理解している訳ではないのだ。


「ねえ、黒川さん。黒川さんって数学、得意?」


 仕方がない。失礼ながら藁にも縋る思いで、アルマジロ状態の黒川さんにそっと話しかける。

 すると、黒川さんがもぞりと動き、フードの端からこちらを覗いてきた。


「えっと…… 苦手じゃないと思うけど……」

「ほんと⁉ 奈菜ちゃん! 教えて!」

「茜ストップ。ちょっと落ち着いて」


 茜がせっかくフードから出てきた黒川さんに飛びつこうとしたので慌てて止める。こういう時は、黒川さんがフードから完全に出てくるまでそっとしておかなきゃダメなのだ。

 丸まっていた黒川さんが完全に顔を見せてから、俺はもう一度話しかける。


「黒川さん。数学、教えてくれないかな」

「え、わ、私で良ければ……」


 それから黒川さんはわたわたしながらも、馬鹿コンビと俺に数学を教えてくれたのだが、俺たちは良い意味で期待を裏切られた。

 藁にも縋る思いで黒川さんを頼ったのだが、黒川さんは藁なんかではなく、地面深くに根を張った大木のように頼もしかったのだ。

 黒川さんの教え方はとても分かりやすく、俺以上にポンコツな馬鹿コンビ二人が理解するまで、懇切丁寧に教えていた。


 まさか、黒川さん。人に勉強を教えるのが得意だったとは…… 正直意外過ぎる。


「奈菜ちゃんありがとう! 君は命の恩人だよ!」

「黒川さん、本当にありがとうな。今なら100点を取れる気がするぜ」

「あ、よ、よかった、です」


 茜に抱きつかれて、アルマジロになることもできずに引きつった顔になっている黒川さん。

 これでこの二人が赤点を取ろうものなら、黒川さんが責任を感じて落ち込んでしまうだろうから、せめてギリギリでもいいから合格して欲しいと心から願った。



 ◇  ◇  ◇



「朝の時間、数学教えてくれてありがとうね。おかげで一問しか間違えなかったよ」

「よかった。私のせいで尾形君たちの点数下がったらどうしようって思って、心配だったんだよ」

「まあ。俺はともかく、裕次郎達は点数下がりようないから大丈夫だよ。あの二人も赤点回避できて大喜びしてたし」


 昼休み。今日も今日とて、屋上に繋がる扉の前で黒川さんが作って来てくれた弁当を膝に乗せながら話をしていた。


「黒川さん、もしかして結構頭いいの?」

「そう、なのかな? 自分ではあんまり分からないけど」

「入学した後すぐにあった実力テストは、何位くらいだったの?」

「えっと……」


 黒川さんは制服の胸ポケットから生徒手帳を取りだし、そこに挟まれていた順位の書かれた紙を開く。


「え、学年六位って、すごいじゃん!」

「でも。多分この実力テスト、みんな勉強してないと思うし……」

「それでも、六位はなかなか取れないよ」

「そ、そうかな……」


 黒川さんは照れくさそうにしながら生徒手帳をしまう。その姿を見守りながら俺は黒川さんの作ってくれたお弁当を開くと、色とりどりのおかずたちが目に入ってくる。

 とても美味しそうだが、残念ながら、昨日買ったほうれん草も入っていた。


「あ、ほうれん草はベーコンと一緒にソテーしてみたんだ。バターで炒めると、青臭さがマシになるから、食べやすいかなって」


 確かに、よく見るほうれん草のお浸しではなく、ベーコンと一緒に炒められているようだ。

 正直ほうれん草は苦手だが、黒川さんが作ってきたものを残すわけにはいかないので、意を決して口にする。


「ん! 美味しい!」


 お世辞ではなく、本当に美味しかった。苦手だったほうれん草を美味しいと思えたのは、初めての経験だ。


「ほんと? よかった」


 黒川さんはほっとしたように息を吐く。


「実は、お浸しにするか迷ったんだよね。お浸しには海苔を散らすと美味しくなるんだけど、お弁当に入れるとノリがべちょべちょになって残念な感じになっちゃうかなって思って、炒めることにしたの。炒めれば草の味もしなくなるし......」


 もごもごと早口な黒川さんの言葉に耳を傾けながら、ほうれん草のソテーをもう一口食べる。


 しかし黒川さん、最近よく喋るようになったな。

 いや、前までが喋れなさ過ぎだっただけなのか。

 そもそも、黒川さんは三十万人以上の登録者数を誇る人気VTyuber、白井ルカなんだから。彼女がお喋りなことは、ルカちゃんのオタクである俺が誰よりも…… とまではいかないが、知っている。


 そう考えると、黒川さんって普通に話すことができれば、裕次郎とか茜とかには届かなくても陽キャになれるんじゃないかな。


「ねえ、黒川さん」

「ん? 何、尾形君?」


 しっかりと両手を合わせて「いただきます」をしてからお弁当の箱を開けていた黒川さんに話しかける。


「黒川さんってさ。話をするのが苦手な訳じゃないんだよね?」

「え…… 苦手、だと思うけど」

「でも、俺とは普通に喋れてるじゃん」


 さすがに「ルカちゃんの時は話せてるよね」と言うことはできないので、他の切り口から話を進める。


 すると、黒川さんはきょとんと小さく口を開けながら、目をぱちくりさせた。


「……私、普通に喋れてる?」

「うん」


 いや、俺が黒川さん、というかルカちゃんの配信を毎日聞いているせいで違和感が無くなっただけかもしれないけど。それでも俺は普通だと思った。


「そっか…… 確かに、そうかも」


 黒川さんは驚いたような表情をしていたが、しばらくすると、納得したように、少しだけうなずいた。


「私、人と話すのが苦手…… というか、怖いの」

「……他の人と話すのが、怖いの?」


 人との会話に恐怖を感じたことのない俺には、よく分からない感覚だった。


「私、昔から『空気の読めない変な子』って言われてて。だから、周りに合わせようと頑張ってたんだけど、中学の時に怖い女子に目をつけられちゃって。それから、人と話したりするのが怖くなっちゃって、一時期学校にも行けなくなっちゃったんだ……」


 黒川さんは少し俯いて、膝の上のお弁当を見つめながら、小さな声でぽつぽつと話す。

 ……そうか。黒川さんは過去のトラウマのせいで、人と関わることが怖くなってしまったのか。


「あ、でも。尾形君となら、そんなに怖くないんだよ」


 思わず俯いてしまった俺の耳に、黒川さんの控えめな、それでもさっきよりもはっきりとした声が届く。


「尾形君は、私が怖いって思っている時は話しかけてこないし。私の頭が真っ白になっちゃって慌てていても、私が落ち着くまで待っててくれるし。だから、安心、かな」


 黒川さんはふわりとした、陽だまりのような笑顔を見せてくれる。


 「そっか」


 よかった。


 最近俺が『黒川さん係』と呼ばれるようになってしまったので、黒川さんに嫌がられていないか内心ひやひやしていた。

 でも、黒川さんの表情を見る限り、嫌がられてはなさそうだ。


 しかし、それはそれとしてどうしたものか。

 

 黒川さんの口ぶりだと、俺以外と話すことにはまだ苦手意識があるみたいだ。


 黒川さんの他人に対する恐怖心を何とかしないと、黒川さんが陽キャになることは無理だよな。

 いやまあ、そもそも黒川さんが陽キャになれるのか自体が怪しいのだけど......

 少なくとも、俺の力だけでは無理そうだな。



 仕方ない。俺の知る限り一番の陽キャに聞くか。

 黒川さんが作ってくれたお弁当をつまみながら、俺は自分の妹の顔を思い浮かべた。

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