推しと陽キャ
最近、ルカちゃんのコメント欄の悪ノリが酷い。
いや、コメント欄が悪いのか、黒川さん、もといルカちゃんが純粋すぎるのが悪いのか。
『そうなの? 陽キャって普通、相手の意見を肯定する時は、ウエーイって言うの? 私聞いたことないけど?』
【そうだよ】【陽キャなら一般常識】【ルカちゃんは陽キャだから当然知ってるでしょ?】
『と、当然知ってるよ! 陽キャと言えばウエーイだよね』
そして、ルカちゃんが面白い反応を見せるせいで、悪ノリが加速していき、コメント欄には事あるごとに、十中八九間違ってるであろう陽キャ像が書き込まれるようになったのだ。
きっと、彼らもコメント欄の人も悪意があるわけではない。それに、ルカちゃんリスナーたちも、ルカちゃんが本気で信じているとは全く思っていないだろう。
しかし、コメント欄の人たちは知らないのだ。
黒川さんがそういう冗談を全部信じてしまう、純粋無垢な人間だという事を。
◇ ◇ ◇
「京介、奈菜ちゃん、おはよ~!」
「おはよ、茜」
「あ、茜ちゃん、おはよう……」
次の日の朝。俺と黒川さんが話をしていると、元気にポニーテールをなびかせながら茜が教室に入ってきた。
「お! 今日はあいさつ返してくれた! いつもより元気があるのかな?」
「う、うえーい……」
俺たちの周りの空気が冷えた気がした。いつもはうるさい茜が目を丸くし、俺は頭を抱える。
ああ、これは……
多分、茜の『いつもより元気があるのかな』という質問に対して、肯定しようとしたのだろう。そう言えば、昨日のコメント欄にそんなようなことが書き込まれてあったような気がする。
「今日の奈菜ちゃん。随分ファンキーだね」
「あ、えっと。ごめん、なさい……」
黒川さんは顔を真っ赤にしてフードを両手でつかみ、深くフードをかぶって縮こまる。
その後、黒川さんがアルマジロ状態になり、しばらく出てこなくなってしまったのは想像に難くないだろう。
「こ、これは友達の話なんだけどね」
昼休み。屋上に繋がる階段で黒川さんと一緒にお昼ご飯を食べていると、黒川さんがもごもごとそんな事を言い出す。
「私の友達が陽キャになりたいみたいでね。それで、尾形君、陽キャだから教えて欲しいなって思ってて…… あ、友達の話だからね」
俺の今までの経験則から、その枕詞から始まる話が友達の話であったことはほとんど無いんだよな。
それに、こんなこと言うのも申し訳ないが、そもそも黒川さんに友達はほとんどいないと思うんだよな。
でも、そのことに突っ込むと黒川さんがアルマジロになってしまう事は容易に想像できる。
それに、この悩みを抱えているのは、白井ルカちゃんでもあるので、あながち友達の話というのも間違ってないのかもしれない。
「そうなんだね。でも、陽キャになるって、その子は具体的にどうなりたいのかな?」
「えっと…… とにかく。尾形君とか、鈴鹿さんとか、馬場君みたいな陽キャになりたいの」
うーん。俺のようになりたいと言われても、いまいちよく分からない。
黒川さんは俺の事を陽キャだと言ってくれるが、正直俺は、自分が陽キャだと思ったことは無い。今でもクラス長を務めてはいるし、中学の頃は部活のキャプテンを務めていたこともあったが、だから陽キャという訳でもないだろう。
俺は裕次郎や茜のように、友達百人というタイプでもないしな。
それなら裕次郎や茜を手本にすれば解決…… するはずもない。黒川さんが裕次郎や茜のようにクラスの中心でバカ騒ぎをしている様子も全く想像できないからだ。
「あ。もちろんタダでとは言わないよ。私にできることなら何でもするから。私にできることなんてたかが知れてるけど。それでも、例えば、お昼ご飯を一緒に食べる時には弁当を作って来たりとかなら……」
俺が考え込んでいると、黒川さんが早口でまくしたて始めた。
どうやら、俺の返事が遅いせいで、俺が嫌がっていると勘違いさせてしまったみたいだ。
「ああ。ごめんね、嫌な訳じゃなくて、黒川さんの力になれるか少し不安だっただけで」
俺がそう言うと、さっきまでわたわたと早口で喋っていた黒川さんが、きょとんとした表情を見せる。
「え、だって、尾形君。陽キャだよね?」
黒川さんのその陽キャに対する絶大な信頼は何なのだろうか。陽キャを神か何かと勘違いしている気もする。
いや、ルカちゃんの配信を聞く限り、多分本気でそう思っている。
「......分かった。やれる事なら、手伝うよ」
正直、黒川さんの力になれる自信はない。
それでも。黒川さん、もとい、ルカちゃん(多分)のお願いを断れるはずもない。
だって、俺は新参者とは言え、ルカちゃんのオタクだから。
推しのお願いを断れるオタクなど、存在しないのだ。って、先輩オタクに人たちが言ってた。
「ほんと? ありがとう」
黒川さんは安心したようにそう呟いてから、笑顔になる。
目尻がほんの少し下がり、口角がほんの少し上がるだけの、不器用だけど、かわいらしい笑顔だ。
やっぱり、黒川さんが茜のような満面の笑みを浮かべている姿は想像できないな。
それはそれとして、フードをかぶっていない黒川さんの笑顔に見慣れるまでには、まだ少し時間が掛かりそうだ。
「ところで、黒川さんは陽キャにどんなイメージを持ってるの?」
黒川さんの笑顔からこっそり目をそらし、弁当に入っていた冷凍唐揚げを箸でつまみながらそう尋ねる。
「あ、えっと。最近、知り合いから陽キャについて教えてもらってるんだけど……」
知り合いとは、俺と同じルカちゃんの視聴者の事だろう。
「それを参考にして、陽キャを目指すってこと?」
「はい。あ。う、うえーい……」
「…………やっぱり。これ、間違ってる、かな?」
「…………うん。間違ってると思う」
「あ、ちょっと待って! アルマジロにならないで!」
顔を真っ赤にしてフードを深くかぶろうとする黒川さんを慌てて止める。
「そ、その…… 知り合いが、陽キャは肯定する時には『うえーい』って言うって教えてくれたので……」
「そうなんだね。多分、その知り合いも勘違いしてるんだよ。黒川さんは悪くないよ」
「じ、じゃあ。他のも勘違いなのかな」
黒川さんは制服のポケットから、手帳を取り出して俺に見せてきた。その手帳の表紙には『陽キャ事典』と書かれている。
「これは?」
「その…… 知り合いから陽キャについて教えてもらった事をまとめたものなんだけど……」
「見てもいいかな」
その手帳をパラパラめくっていくと、陽キャの飲み物はスタバかタピオカミルクティーのみ。や、先生とはタメ口で話すなどの、ツッコミどころ満載の内容がびっしりと書き込まれていた。
しかも、その内容は全て、白井ルカちゃんのコメント欄で見たものだった。
「黒川さん。とりあえず、この手帳は俺が預かっておくね。それと、その知り合いの人たちの話は、あんまり信用しないほうが良いと思うな」
「そ、そうみたいだね……」
「もちろん、その人たちも悪い人たちじゃないと思うよ。ただ、勘違いしているだけで」
コメント欄の人たちは、全員もれなく自称陽キャ高校生VTyuber、白井ルカちゃんを愛している。だから、その人たちを悪く言うことは、俺にはできない。
それでも、これ以上白井ルカちゃんに変なことを吹き込まれては困る。
黒川さんが間違った陽キャ像を視聴者に刷り込まれる前に、早く彼女を陽キャデビューさせなければ、黒川さんが間違った方向に進んでしまうだろう。
俺がどうにかしないと。
結構本気でそう思った。