推しと交換
『ぶっ飛ばすぜベイベー!』
俺の推しのVTyuberがネットスラングを叫びながら疾走していた。ちなみに今までネット文化に触れてこなかった俺は元ネタを知らなか。
今日ルカちゃんは、某配管工のレーシングゲームで遊んでいる。彼女はゲームがかなり上手く、お得意のガトリングトークを繰り広げながら華麗なプレイを見せていた。
『私の前を走るなんて許せないよ。そんな君には赤い甲羅をプレゼントしてあげよう。はい、どーぞ!』
ただ、彼女のゲームの実力はかなりのものだが、一言で言うと人の心がない。割とえげつない行動を平気でする。
しかし、清濁併せて愛すのがオタクだと尊敬する先輩オタクの皆々様に教わった。
そのため、俺は彼女がどんな行動をしても肯定することにしているのだ。
『一位! やっぱり一位は気分が良いね。みんなが私に道を開けてくれる感じがクセになるよ』
【人の心とか無いんか】【えぐい】【無理矢理どかしてるだけじゃん】【友達いなさそう】
まあ、正直内心では、俺もコメント欄と同じ気持ちだ。
『だから、私友達いるし! ラインの友達、百人くらいいるもん。ほら!』
レースを終えたルカちゃんは、自分のスマホのスクショらしき画像を配信画面に貼り付けていた。
確かに、ラインの友達の数は96人いた。でも、友達の数を証明するためにラインのアカウントを出す時点で、なんだか怪しさを感じる。普通は友達とのエピソードを話すと思うんだけど。
しかも、それより気になったのは、彼女は一切グループに所属していないという事だ。
高校生なら、クラスのグループや仲いい友達同士のグループがあるはずなのに、それに所属していないという事は、つまりそういう事だ。
恐らく、彼女の友達のほとんどは公式アカウントだろう。なんだかそんな気がする。
【グループ0じゃん】【友達いなさそう】【俺でもクラスのライングループには入ってるで】
『クラスのライングループ? なにそれ? そんなの知らないけど?』
あ、これはガチのやつだ。彼女は本気で知らないんだ。コメント欄もそんな彼女を案じてか、途端に優しい言葉やスパチャで溢れかえる。
白井ルカ。自称陽キャ現役高校生VTyuber。もうそろそろ、陽キャを自称するのは諦めたほうが良いんじゃないかな。
俺も慰めのコメントをルカちゃんに送りながら、心の中でそう思った。
◇ ◇ ◇
次の日、学校に行くと、黒川さんが隣の席で本を読んでいた。
「おはよう、黒川さん」
俺は本を読んでいる黒川さんに迷わず挨拶をする。
ここ一週間黒川さんを観察しいていてわかったが、彼女はこの本を読んではいない。同じページを行ったり来たりしているし、ひどいときには本が上下逆さまだったりしているのだ。
なぜそんなことをしているのかはよく分からないが、まあ、何か俺には分からない深い理由があるのだろう。
「あ、お、おはよう……」
最近、黒川さんは俺としゃべるときは敬語が抜けた。
あいかわらず目は泳いでいるが、前はバタフライだったのが今はクロールくらいの泳ぎように落ち着いてきている。これなら、一学期中には平泳ぎくらいには落ち着くんじゃないかな。
いつもは挨拶をして終わりなのだが、今日の黒川さんは俺の方をちらちら見てくる。何か言いたいことでもあるのだろうか。
「お。京介、おはよう」
「京介! おっはよー!」
「裕次郎、茜、おはよ」
黒川さんに用事があるのか聞こうとしたタイミングで、他の友達に話しかけられた。
片方は同じ中学の巨人、馬場裕次郎。もう片方はいつも元気にポニーテールを揺らす鈴鹿茜だ。
二人ともクラスの中心人物で、俺は二人の苗字から一文字取って、密かに馬鹿コンビと呼んでいる。ちなみに二人とも、そこまで勉強ができる方ではない。
俺は高校に入ってVTyuberオタクになったが、クラス長を押し付けられたことや、中学時代からにぎやかな裕次郎が仲良くしてくれたこともあり、中学の頃と変わらずクラスでは目立つグループと仲良くしている。
俺の席は廊下側の一番後ろの席。出入り口の近くではあるがそこそ広いスペースがあるので、裕次郎たちはいつも俺の席に来てくれるのだ。
「てか昨日の数学の課題ヤバくなかった?」
「ヤバかった。一問も解けなかったから、寝てる間に小人が課題を終わらせてくれることを期待して寝た」
茜の問いかけに裕次郎が胸を張っている。そんな絵本の『こびとの靴屋』みたいなことが起きる訳ないだろうに。
二人の会話を聞きながら黒川さんの方を盗み見ると、黒川さんはフードをかぶって机に突っ伏し、アルマジロ状態に移行していた。
俺と一対一の会話ならある程度できるようになったが、今回のように俺が他の人と話し出すと、途端に殻に籠ってしまう。まあ、裕次郎は身長が大きいし、高校生とは思えない若干強面なので、多分裕次郎のせいだろう。
「お、先生が来ちまった。じゃあ、席戻るわ」
担任の先生が教室に入って来たので、裕次郎と茜が自分の席に戻っていく。
結局黒川さんの用事は聞けなかった。
◇ ◇ ◇
おかしい。黒川さんは普段、休み時間には本を読んでいるふりをしているか、アルマジロになっているのに、今日はフードをかぶりながらも、ちらちらと俺の方を伺ってくる。
なんだか口ももにもに動いているし、多分話したいことがあるのかな?
俺は授業が終わってすぐ、裕次郎たちがまだ俺の席に来ていないタイミングで黒川さんに話しかけた。
「黒川さん。どうしたの?」
「あ、えっと……」
黒川さんはフードを両手でぎゅっと握りながら。それでもこの前のようにフリーズはせずに言葉を続けた。
「ラ、ライン……」
「ライン?」
「ライン、教えてほしい、です」
震える手でスマホを差し出してくる黒川さん。ライン交換って、そんなに緊張する行為だったっけ? なんだかこっちまで緊張してくる。
「あ、うん。もちろんいいよ。はい、QRコード」
「え、あ、コ、コード?」
どうやら黒川さんはラインアプリでQRコードを読み込む方法が分からないらしい。まあ、正直そんな気はしていた。
「えっと。スマホ、借りてもいい?」
俺が操作したほうが早そうなので、黒川さんのスマホを貸してもらうことにする。
黒川さんから手渡されたスマホを操作し、アプリのQRリーダーを起動させようとしていた俺は、何とはなしに黒川さんのラインの友達の数を見てしまった。
友達96人。グループ0。
このラインの画面、どこかで見たことある気がする。もっと具体的に言うと、昨日のルカちゃんの配信で見たことがある気がする。
これは…… 偶然、なのだろうか。俺は悪いと思いながら、それでも好奇心に抗えず、黒川さんのラインの友達を確認していく。
彼女のラインの友達はほとんどが公式アカウントだった。ゲームの公式。大手飲食店の公式。近所のカフェやラーメン屋の公式アカウントを手当たり次第に友達に追加しているようだ。しかし、よくもまあ96個も公式ラインを集めたものだな。
俺の中の白井ルカ像と黒川さんが重なる感覚。
......まさか。俺の推し、白井ルカの正体は俺の隣の席の黒川さんだというのか?
「尾形君……?」
なかなかスマホを返さない俺を不審に思ったのか、黒川さんが首をかしげている。
「ああ、ごめん。はい、どうぞ」
スマホを黒川さんに手渡そうとすると、俺の視界に元気なポニーテールが飛び込んでくる。
「京介。黒川さんと何してるの?」
茜がポニーテールをぴょんぴょん跳ねさせながらこちらにやって来た。後ろには裕次郎もいる。
「黒川さんとライン交換してたんだ」
「え~! いいな! ねえねえ、私も黒川さんとライン交換しだいんだけど、いい?」
茜はしゃがみこんで黒川さんの顔を覗き込む。
そんな事をされて、黒川さんが平静を保っていられるはずはない。黒川さんは目にも止まらずスピードでフードをかぶり、アルマジロになる。
「茜、怖がらせたらダメだって。臆病な猫と接するように、ゆっくりと距離を縮めないと」
さすがに小学生に接するようにとは説明できず、少しマイルドな表現で説明する。
「黒川さん。茜がライン交換して欲しいみたいなんだけど、いいかな?」
いつも通り、怖がらせないように黒川さんに声をかける。
黒川さんはフードを少しだけ上げ、その隙間からこちらを覗きながら控えめに頷く。
その様子を見て、裕次郎と茜が「「お~~!」」感嘆の声を上げた。
「京介、凄いね! 黒川さんの扱い完璧じゃん。黒川さん係に任命するよ!」
「黒川さん係か、お前、面倒見がいいし、なんだか京介に似合うかもな。じゃあ京介、俺も黒川さんとライン交換してもいいか?」
いやいや、黒川さん係ってなんだよ。
なんてツッコミを入れても、馬鹿コンビには通じないよな。
多分こいつらは深く考えて発言をしていない。明日になったら、どころか三歩歩いたら忘れてるだろうから、俺は華麗にスルーをすることに決めた。
「.......黒川さん、裕次郎とも交換してもいいかな?」
黒川さんはもう一度こくりと頷いたので、俺は彼女のスマホを操作して、茜と裕次郎のアカウントを追加した。
「はい、グループにも招待しておいたから、後で入っておいて」
「あ、ありがとう……」
スマホを手渡すと、黒川さんはそれを大事そうに受け取り、胸の前でぎゅっと握る。
「へへ、初めてライン交換できた……」
そして、フードの下でふわりと笑った。
いつも笑顔でいればいいのに。そう思ってしまったほど、かわいらしい笑顔だった。
「ちょっと。黒川さん、むっちゃかわいいじゃん! てか声初めて聞いた! 名前、奈菜だっけ? 奈菜ちゃんって呼んでもいい?」
茜はキャーキャー騒ぎながら黒川さんに抱きつく。急に距離を詰めちゃダメだって、さっき言ったばっかりなのに……
しかし、茜に抱きつかれてしまった黒川さんはアルマジロになることもできず、茜の胸に押しつぶされている。
「茜、黒川さんが窒息死しそうだから離れてあげて」
「ちぇー まあ、黒川さん係がそういうなら仕方ないか……」
「だから、そんな係に就任した覚えはない」
茜としょうもない言い合いをしていると、しばらく放心状態だった黒川さんが再起動し、目にもとまらぬ早業でフードをかぶり、アルマジロ化した。
「え、奈菜ちゃんごめんね! そんなに嫌だったとは——」
「い、嫌じゃないです!」
茜の声を、黒川さんの声が遮った。黒川さんのはっきりとした声、初めて聞いたかも。
「あ、えっと…… 嫌、じゃなくて。ただ、びっくりしちゃっただけで。その……」
「ほんと? じゃあもう一回やってもいいって事?」
「え、あ、はい」
黒川さん。嫌の事は嫌だと言わなきゃダメだろ。
案の定、再び茜に締め付けられている黒川さんを見て、俺と裕次郎は苦笑いをした。
◇ ◇ ◇
『今日は良いことがあったのでモンハン』
今日の配信は、なんだか前にも見たことがあるようなタイトルだ。
ちなみに、ルカちゃんに会った今日のいいこととは、友達露ライン交換したこと。友達にハグされたこと。の二つだそうだ。
そして、その証拠写真として、友達の数が96人から99人に、そしてグループが0から1に増えたラインのスクショが貼られていた。
今日黒川さんが追加した友達は俺、裕次郎、そして茜の三人。
96+3=99
そして、クラスのグループにも参加したため、グループ数は0から1となっているはずだ。
それだけでなく。今日、黒川さんは茜にハグをされていた。
本当にそんな偶然、あるのだろうか?
『へへ、私、ちゃんと陽キャだったでしょ』
楽しそうに今日学校であった出来事の話をするルカちゃん。かわいいし、とっても嬉しそうだ。
まるで、今日の、黒川さんみたいに。
俺は、胸の中でどんどん膨らむ疑念を押しとどめながら、一人でやる難易度ではない、高難度クエストに一人で挑むルカちゃんを応援し続けた。