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推しと球技大会前夜

 球技大会前日の午後11時40分。

 球技大会の前日は早く寝たほうがいいのに、俺は日付が変わるこんな時間まで、母親から最近もらったお下がりのタブレットにかじりついていた。


 理由は簡単。今日に限ってルカちゃんがいつまで経っても配信を止めないからだ。


 今日のルカちゃんの配信は五年くらい前に流行ったらしい、隻腕の忍者を操作する死にゲーだった。

 どうして次の日の球技大会に向けて早く寝なければならない今日に限ってそんなゲームをするんだよ。とツッコミが抑えられない。


『あ~~ また負けた! あとちょっとだったのに~~!』


 ルカちゃんはラスボスらしき老人とかれこれ一時間くらい戦っている。このゲームは周回すればするほど敵が強くなるシステムらしく、今ルカちゃんが戦っているボスは一番強い状態らしい。

 そのため、大体の攻撃が即死級のダメージを喰らう。一度のミスが致命傷になるのだ。


【惜しい~~!】【あとちょっとじゃん‼】【最後焦ったな】


 コメント欄曰く『惜しい』らしいが、ゲーム初心者の俺からすると敵の動きが早すぎて何が起きているか分からない。敵の攻撃が派手で格好いいな。という感想しか抱けなかった。


『次はいける! 次こそは絶対に勝つから!』


 ルカちゃんの口から今日何度目か分からない『次はいける』という言葉が飛び出した。最初はその言葉を信頼していたのだが、さすがにもう信用ならない。


 ルカちゃんの推しとしては配信を見続けたい気持ちはあるのだが、それ以上に黒川さんの睡眠不足の方が心配だ。


 まだ五月だというのに、明日の予想最高気温は25℃。決して涼しいとは言えない。

 そんな気温の中、寝不足で運動なんかしたら熱中症の危険がある。


 ただ、ルカちゃん、もとい黒川さんは明らかにハイになってしまっている。このまま放っておいたら、ラスボスを倒すまで止めないだろう。


 黒川さん(ルカちゃん)は無理だと思うまで諦めない。それは彼女のオタクである俺が一番、とまではいかないかもしれないけど知っている。

 しかし、今日は諦めてもらわなきゃ困る。いくら黒川さんがショートスリーパーだとしても、今日は睡眠時間を確保して欲しい。熱中症は怖いのだ。

 俺はスマホを取り出し、黒川さんのスマホに『早く寝てね』というメッセージを飛ばしてみた。


 それでも黒川さんは気づかない。黒川さん、ではなくルカちゃんは、母からもらったタブレットの画面の中で早口で何かしゃべっている。そりゃあ必死になって配信してるのだから当然と言えば当然か。

 仕方ない、この手は使いたくなかったんだけど…… 俺は黒川さんとの通話ボタンに指をかける。


『ぬあ~~! タイミングミスった~~!』


 そして、ルカちゃんのゲーム画面に『死』という赤色の一文字が表示されたタイミングで、通話ボタンをタップした。


『うわ! びっくりした~ あ、ごめんねみんな。友達から電話がかかってきちゃった』


【イマジナリーフレンドさんからの電話だ】【そんな悲しいウソつかないでいいのに】


 ルカちゃんから出た『友達』というワードで色めき立つコメント欄。


『だからイマジナリーじゃないんだってば! 君たちは会ったことがないだけで、陰キャに優しい陽キャって実在するんだよ!』


 ルカちゃん、自分のことを陰キャだって認めちゃった。それより俺、 黒川さんに陰キャに優しい陽キャだと思われてたんだ。自分ではそんなつもりなかったんだけどな。

 ちらりとスマホを見ると、先ほど送ったメッセージに既読がついていた。どうやら連絡を見てくれたみたいだ。


『あ、え~~っと…… 実は明日。いや、もう今日か。今日に球技大会があるんだけどね。だから早く寝ろって、友達に言われちゃった』


【はよ寝ろ】【なにしてんの】【友達有能】


『あはは、どうしてまだ起きてるってバレたんだろう。ごめんねみんな! また明日リベンジするから!』


 ルカちゃんは笑顔で挨拶をして、無事に配信はエンディングを迎えた。


 これでよし。まあ、黒川さんが本当に寝てくれるのかどうかは分からないけど、とにかく俺に出来ることは終わりだ。


 もう特に用はないので電話を切ろうとすると、電話の呼び出し音が止まり『もしもし……』と控えめな声がスマホから聞こえてきた。

 しまった。メッセージに気づいてほしくて電話をかけただけだったのに、黒川さんが電話に出てしまったみたいだ。


「あ、ごめん、黒川さん」

『こんな時間にどうしたの? 尾形君』


 こんな時間まで配信をしていた黒川さんに言われたくない。

 しかしどうしよう。『ルカちゃんの配信を見てたから黒川さんが起きていることを知ってた』なんて言える訳ないもんな。


「えっと。なんか黒川さんが起きてる気がしてさ」


 我ながらひどい言い訳だ。なんだよ『起きてる気がした』って。どういう予感だよ。

 ダメだな。いつもは寝ている時間なので頭が回っていないみたいだ。


『そっか。まさか起きてることがバレるなんて思わなかったよ』


 しかし、黒川さんは特に疑う様子はない。


 それはそれとして、スマホを通して聞く黒川さんの声はまるでルカちゃんみたいで、なんだか推しと電話している不思議な気持ちになる。

 いや、黒川さんはルカちゃんなのだから推しと話しているというのは間違っていないのだけど。

 いやいや。一体なにを考えているんだ俺は。


 とにかく早く本題に入ろう。俺はさっきまでの思考をリセットするために頭を振って、それからベッドににぼふりと飛び込んだ。


「それで、黒川さんはどうしてこんな時間まで起きてたの?」

『えっと…… 実はゲームをしてて……』


 それは知ってる。なんなら遊んでいたゲームのタイトルも知っている。


「球技大会前になんでゲームなんかしてるのさ。早く寝ないとダメでしょ」

『……尾形君だって起きてるじゃん』


 思わず説教臭くそう言ってしまったが、黒川さんに完璧なカウンターを喰らってしまい、黙り込むしかなかった。


『実は…… 明日の球技大会のことを考えると、なんだか緊張しちゃって……』


 ああ。そういうことか。

 黒川さんの気持ちは分からないでもない。中学時代の俺のチームメイトにも、「試合の前日に緊張で寝られない」って言っていた奴がいた。さすがにそいつも学校の球技大会くらいでは緊張しないだろうけど。

 一応中学時代はバスケ部のキャプテンだったので、そういうチームメイトのために緊張をほぐす方法を色々調べたことがあった。

 まあ、いつも裕次郎とかのムードメーカーが一発ギャグで緊張をほぐしてくれていたので実践したことはないのだけど。

 とにかく、こういう時は緊張していることを口に出すと大体解決する。らしい。


「黒川さんは何が心配なの?」


 物は試しだ。話しているうちに黒川さんが眠くなってくれるかもしれないし、ベッドの上で仰向けになりながらそう尋ねてみる。


『………………もし、もしもだよ。私のせいで試合に負けちゃって、みんなに怒られたり、みんなから無視されたりしたらどうしようって思っちゃって……』


 しばらくの沈黙の後、スマホから黒川さんの心細そうな声が聞こえてきた。


「心配しないでも、大丈夫だよ」

『で、でも!』


 スマホから黒川さんのびっくりするくらい大きな声が聞こえてきて、思わず飛び起きてしまった。


『あ、ご、ごめんなさい……』

「ううん。俺こそ、軽々しく大丈夫とか言ってごめん」




『……ごめんね。クラスのみんなが優しいことは知ってるの。球技大会の練習会の時も、みんな私に優しくしてくれたから……』

「うん」


『……分かってるの。みんながそんなことしないって』

「うん」


 スマホから聞こえる黒川さんの声が、震えている。


『……それでも、怖いの……』

「うん」


 黒川さんは中学の頃の人間関係のトラブルが原因で、他人が怖くなってしまったと言っていた。

 学校に行けなくなってしまうほどのトラウマを、そう簡単に拭えるわけはないだろう。


『ううん。違うの……』


 しかし、黒川さんはそのことを怖がっているわけではないみたいだ。


『優しいクラスのみんなのことを信じられない自分が、一番嫌いなの……』


 黒川さんのすすり泣く声が、電話の向こうから聞こえてきた。

 

 俺はようやく、どうして黒川さんがこんな時間まで起きていたのかを理解した。

 黒川さんは、自分のミスを霧島たちに責められることを心配しているのではない。

 もしかしたら霧島たちが自分のミスを責めてくるかもしれない。そんな風に考えてしまっている自分のことが嫌いなんだ。


 でも、それを理解したところで、俺になにができるだろうか。


『霧島たちはそんなことしないよ』と言ったところでそれを証明する術はないし、それどころか、霧島たちを信じることができていない黒川さんのことを責めているようなものだ。

 

 かといって、『あれだけ上手い黒川さんならミスなんてしないよ』と言うのもプレッシャーを与えるだけだと思う。


 そんなことを眠くて回らない頭で必死に考えている間にも、スマホから黒川さんのすんすんとすすり泣くおとがかすかに聞こえてくる。

 

「じゃあさ、俺が黒川さんの試合を見に行くよ。絶対に応援しに行くし、俺は黒川さん」


 泣いている黒川さんのことを放っておけなくて、俺はそんなことを口走ってしまった。


 いやいや、なにを言っているんだ俺は。俺が黒川さんの応援に行ったところで、何の役にも立たないだろ。

 黒川さんも電話の向こうで困惑しているのか、声が聞こえなくなってしまった。


「ほら、俺って黒川さん係だから……」


 深夜なこともあって頭が回らないせいで、言い訳すらも上手くできない。


 もうこのまま電話を切って逃げてしまおうか。そんな最低なことを考えていると、電話の向こうからぐすりと鼻をすする音が聞こえてきた。


『ほ、ほんと?』


 そして、少しだけ声色を明るくして、そう尋ねてきた。


「え、うん」


 とりあえず、嫌がられてはいない、気がする。


『そっか、尾形君は黒川さん(わたし)係だもんね......』

 

 黒川さんのその、黒川さん係に対しての絶大な信頼はいったいなんなんだろうか。

 まあでも、それが安心材料になるなら今は利用させてもらおう。


「うん。だから安心して大丈夫だよ」


 なにが大丈夫なのかは全く分からないけど。


『......ねえ、尾形君] 

「なに?」


『どうして尾形君はそんなに優しくしてくれるの?』


......どうしてと聞かれると答えに困るな


「それは......」


 黒川さんが俺の推しのルカちゃんだから? いや、それも理由の一つではあるけど、黒川さんと知り合った時は黒川さんがルカちゃんだなんて知らなかった。


 危なっかしい黒川さんのことが放っておけなかったからというのが始まりではあるんだけど、今はそれも違うんだよな。



 黒川さんの笑顔が見たいから?


 眠くて回らない俺の頭が、そんな答えを導き出した。

 そんな訳ないだろ。と否定したいのに、なぜだか妙に納得してしまっている自分がいる。


 いやいやいやいや。これはあれだ。自分の推しの笑顔が見たいというのはオタクとして当然の考えだ。だから、なにもおかしくない。


 そんな言い訳を頭の中で並べても意味はない。黒川さんに『君の笑顔が見たいからだよ』なんて、言えるわけないじゃないか。


「とにかく、俺は黒川さんに優しくしてあげているなんて思ってないよ。俺が黒川さんと仲良くしたいからそうしているだけだし」



『......そっか』


 電話の向こうから黒川さんの少し気の抜けた返事が返ってきた。

 そして、布のこすれる音も聞こえてくる。多分、黒川さんが布団に入った音だ。

 

『私も、尾形君ともっと仲良くなりたい、よ......』

 

 もっと、仲良く?


『ありがとうね、尾形君......』


 それって、どういうこと? と尋ねる前に、黒川さんがそう呟いた。

 黒川さんの声が、なんだかふわふわしている気がする。

 それからしばらくすると、微かに黒川さんの吐息が聞こえてきた。

 

「......黒川さん?」


 寝ちゃったのかな? 

 結局黒川さんは何が言いたかったんだろう。


「おやすみ」


 小さな声でそう言って、電話を切る。


 そういえば、どうして電話なんてしていたんだっけ?


 その理由を思い出す前に、睡魔に負けて眠りについてしまった。

 

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