推しと練習3
茜の一言で休憩に入った女子たちは、飲み物を買いに行ったりタオルを取りに行ったりと、それぞれ自由行動に入っていた。
そんななかで、水分補給をしていた黒川さんがきょろきょろし始めた。そして、俺とぱっちりと目が合う。
茜たちが飲み物を買いに行ってしまったから一人になってしまい、心細くなったのかな? なんて思っていると、黒川さんは水筒を持ってタオルを首にかけたまま、速足でこちらに近づいてきた。
「尾形君って、霧島さんと仲いいんだね……」
黒川さんは俺の隣に座るなり、不安そうにも不満そうにも見える表情でそう呟いた。
今日の黒川さんはバレーボールの邪魔にならないように前髪をヘアピンで留めている。そのおかげで、彼女の表情がいつもよりはっきりと見えてしまうのだ。
「奈菜ちゃん、安心して。私と尾形はクラス委員長の仕事の話をしていただけだよ」
霧島はそんな黒川さんの頭を撫でながら微笑みを浮かべている。その笑顔は完全に、ペットのネコを愛でるような締まりのない表情だった。いつもの委員長キャラをしている時の真面目な表情とは大違いだな。
それに、『クラス委員長の仕事の話をしていた』とか平気で嘘つくし……
「……そうなの? 尾形君」
「へ、あ、うん」
霧島に文句を言いつつも、結局俺も嘘をついてしまった。そりゃそうだ。『実は黒川さんのことを話してました』なんて本人には言いにくいよな。霧島、噓つき呼ばわりしてごめんなさい。
しかし、黒川さんは俺の目をじっと見つめてから、眉をふにゃりとハの字に曲げる。
「……尾形君、嘘ついてる…… 私に言えないこと話してたんだ……」
速攻バレた。黒川さんって意外と俺の表情を正確に読んでくるんだよな。
「そうだよね。私より霧島さんの方が可愛いし、面白いし、頼りになるし、優しいし……」
黒川さんは何を勘違いしたのか、早口で自虐しながら霧島を褒め始める。
「尾形...... 君はそうやっていつも女の子を弄んでるんだね」
そんな黒川さんの頭を撫でながら、霧島がジト目で俺を見てくる。この人、かつてはコミュ障だったとか言っていたけど、性格が悪いから友達がいなかっただけなんじゃないかな。
「弄んでない。いつもどころか、一回たりとも弄んだことない」
黒川さんの誤解を解くためにも霧島にこれ以上からかわれないためにも、俺ははっきりとそう言い切る。
「あれ? 尾形ってもしかして、彼女いたことないの?」
「まあ、そうだけど」
彼女いない歴=年齢ですいませんね。
「へ? 尾形君、彼女いたことないの?」
霧島にからかわれると身構えていると、それよりも先に黒川さんが目をキラキラさせながらそう尋ねてきた。
しかし......霧島ならともかく、どうして黒川さんがそんなに嬉しそうなんだよ。
そうしてしばらく嬉しそうにもじもじしていた黒川さんだったのだが、ふと何かに気が付いたようで、再び表情を曇らせた。
「あ、でも…… 『まだ』彼女がいないってだけの可能性も……」
黒川さんは俯きながら、何か言いたげに霧島にちらちらと視線を送っている。
そんな黒川さんを前にして、霧島は一度ニヤリと口角を上げてから立ち上がった。
「奈菜ちゃん、安心して! 私、自分より身長が高い人にしか興味ないからさ!」
告ってもないのに振られた。やっぱりこの世界は低身長男子に厳しいみたいだ。
霧島にそう言われた黒川さんは二、三回ほど目をぱちくりさせてから、俺の顔。と言うより頭頂部をじっと見つめてきた。
「尾形君。ちょっと立ってくれないかな」
そして、俺を立ち上がらせてから、霧島の隣に立たせる。
「黒川さん、どうしたの?」
「ちょっと、じっとしてて……」
黒川さんは俺の頭にポンと手を置き、その手を地面と平行にスライドさせるように動かした。
悔しいが俺よりも霧島のほうが背は高いので、黒川さんの手は霧島の頭にこつんと当たる。
「へへ、よかった」
俺が霧島よりもチビだと確認した黒川さんは、嬉しそうにふわりと笑う。
ヘアピンで前髪を留めているおかげで黒川さんの表情がいつもよりもよく見える。だから、弓なりにへにゃりと曲がった目元だったり、自然に上がった口角だったり、とにかく出会った頃よりもずいぶん明るくなった黒川さんの笑顔が俺の目に鮮明に焼き付いてしまった。
そんな黒川さんの笑顔に、思わずドキリとさせられる。
「そろそろ練習再開するぞ! 3on3やろうぜ!」
そんなタイミングで都合よく裕次郎に声をかけられる。多分、裕次郎が声をかけてくれなかったら、俺はしばらく黒川さんに見とれてしまっていたと思う。
「あ、悪い。今行く!」
俺が呼び出されると、霧島さんも「じゃあ、私たちも練習に戻ろっか」と、黒川さんを連れて女子の方に戻っていく。
黒川さんもすっかり機嫌を直したようで、霧島さんに手を引かれながら俺に「練習、がんばろうね」と言ってくれた。
俺は黒川さんの言葉に頷いてから裕次郎たちの方に駆け足で向かいながら、今からは真面目に練習しようと心の決めた。
あれから俺たちは、時間いっぱいまでしっかり練習した。
「この感じなら、優勝も狙えるかもしれないな」
裕次郎が自信満々に言う。でも、俺もそう思ってしまうくらいには、チームメイトが上手かった。
俺も久しぶりにバスケができて楽しかったし、球技大会が楽しみになってきたな。
◇ ◇ ◇
帰り道。俺と黒川さんは最寄り駅が同じなので、当然一緒に帰ることになる。
「尾形君、バスケ上手なんだね。びっくりしちゃった」
球技大会の練習会という陽キャっぽいことができたおかげか、黒川さんはいつもよりもテンションが高い。
「尾形君。右に行くと思ったら、左に行くんだもん。魔法みたいだったよ。あれって、視線で騙してるの?」
俺の隣で黒川さんは、ぽんぽんとドリブルをつく仕草をしながらそう尋ねてきたので、内心とても驚いた。
すごいな黒川さん。普通ならドリブルのテクニックとか、そういう派手で分かりやすい所に目が行くと思うんだけど、どうやら黒川さんは相当鋭い観察眼を持っているようだ。
これが黒川さんが何でもすぐに上達してしまう秘訣なのかもしれないな。
「あの、尾形君。今日はごめんね……」
「え、なにが?」
「休憩中、私、ちょっと不機嫌になっちゃったから……」
ああ。そのことか。というかあの時の黒川さん、やっぱり不機嫌だったんだ。
「別に俺は全然気にしてないよ」
顔の前で手を振りながらそう返すと、黒川さんは安心したようにため息を一つつく。それから一度俯いて、ぽつりとつぶやいた。
「あのね、私、尾形君と霧島さんが、その…… 付き合ってるかもしれないって思ったら、なんだかもやもやしちゃって……」
「霧島と付き合うことは、残念ながら絶対にないよ」
仕事仲間としては信頼できるのだけど、霧島のからかってくるところと、俺の心を読んでくるところが、どうしても苦手だった。
それに今日、振られたばかりだし。
「そうみたいだね……」
黒川さんはくすくす笑いながら俺の頭頂部を見ている…… 気がする。
いや、黒川さんは霧島とは違って優しい子だ。俺の身長をバカになんてしてこないだろう。
......そういえば、黒川さんには彼氏がいたことはあるのだろうか。俺はふとそんなことが気になってしまった。
いやいや。黒川さんに限って彼氏がいたことなど、あるはずないだろう。
……さすがにそれは失礼すぎたな。
それでも、黒川さんが男子と話している所なんてほとんど見たことないし、最近マシになったけど、それでも学校では授業以外ではアルマジロ状態で生活している時間の方が長いし、少なくとも高校ではそういう相手はいなささそうだ。
ただ、黒川さんは話してみたら面白いし、優しいし、よく見たら美人さんだし、それにネットの世界ではつい最近登録者40万人を突破した人気Vtyuberの白井ルカちゃんだし、万が一という可能性も否定できない。
気になりだしたら、なんだろう。確かに黒川さんの言う通り、もやもやするな。
「ねえ、黒川さんって彼氏がいたことあるの?」
しばらく迷ってから、結局我慢することができずにそう尋ねてしまった。
すると、黒川さんは目をぱちくりさせてから、顔を真っ赤にしてしまう。
「い、いたことないよ! そもそも男の子と話すの苦手だし…….」
両の手を顔の前でバタバタさせながら、黒川さんが必死に否定する。
「そうだよね、変なこと聞いてごめん」
何であんなことを聞いてしまったんだと今更後悔する。
いや違う。これはあれだ。ルカちゃんのオタクとして推しに彼氏がいるかどうかが気になってしまっただけだ。まさか自分にこんな厄介オタクな面があったなんて......
「ううん...... 全然大丈夫......」
黒川さんがそう言ってくれたので、この話はここでやめにしようと思った。なんだかこれ以上この件に触れると、よくない気がするから。
それから俺と黒川さんは、明日には忘れているような他愛もない会話をして家に帰に向かった。
さっき胸に湧き出てきていたもやもやは、すっかり消えていた。