推しとランニング
『もうすぐ学校で球技大会があるんだけどね、今はその練習で忙しいんだよね~ なんてったって、私陽キャだからさ! 休みの日も練習に誘われてるから、ちょっと配信ペースが落ちるかもしれないの。みんなごめんね!』
今日は土曜日。休日なので、昼間からニコニコ笑顔のルカちゃんの配信を見ていた。
今日ルカちゃんは、Mと書かれた赤い帽子をかぶっている某配管工たちがスポーツをするゲームを配信している。
球技大会の練習のつもりなのか、二対二のバレーボールで遊んでいるのだが、ルカちゃんが操作するキャラ以外は全てCPU。
つまりルカちゃんは、本来複数人で遊ぶはずのパーティーゲームをソロプレーしているのだ。
【嘘つかないでいいんだよ】【おじさんが一緒に練習してあげる】
パーティーゲームを一人で遊ぶルカちゃんがクラスの練習に誘われているだなんて、信じられないのだろう。コメント欄はルカちゃんを優しくフォローする言葉で溢れかえっていた。
『本当に誘われてるんだってば! 私のクラスには陰キャにも優しい陽キャがいて、その子たちが誘ってくれたの!』
ルカちゃんよ、それは失言だろ。
【ルカちゃんは陽キャじゃなかったっけ】【化けの皮が剥がれたな】【優しい世界】
『違っ! 私は陽キャ過ぎてクラスメイトが困るかもだから、クラスでは陰キャのふりをしてるだけなの!』
ルカちゃんの苦しい言い訳に思わず苦笑いをしてしまった。もう誰もルカちゃんのことを陽キャだと思っていないのに必死に言い訳を並べるルカちゃんを見ていると、なんだかほっこりするな。
推しからしか摂取できない栄養があると先輩オタクたちが言っていたが、なるほど。言い得て妙だなと思った。
ルカちゃんは早口で言い訳しながら、韓国料理の名前みたいな亀型の魔王を巧みに操作し、CPUキャラから上がったトスに合わせてジャンプし、スパイクを相手コートに叩き込む。
試合はルカちゃんチームの圧倒的優勢で進んでいた。
まあ、チームと言ってもルカちゃん以外は全員CPUなのだが。
そう言えば黒川さんって、運動できるのだろうか。
ふと気になってしまった俺は、ルカちゃんのコメント欄に【ルカちゃんって運動できるの?】と書き込んでみた。
コメントを送ってから、黒川さんに直接聞けばいいじゃん。と思い直したのだが、まあいいか。ルカちゃんと黒川さんは同一人物なので結果は変わらない。
『私、結構運動できるよ! この亀よりは上手かな』
ルカちゃんは自信満々に言うが、さっきそのキャラは五秒くらい滞空していたし、何やら腕に謎の力を溜めていた気がする。
黒川さんもあんなことができるのだろうか。だとしたら大活躍間違いなしだろう。
『はい勝ち~~! やっぱりCPUじゃ相手にならないね!』
気がついたら、ルカちゃんが大差をつけて勝利をしていた。
【GG】【おめでとう!】【今度は友達と遊べるといいね】
コメント欄も、概ねルカちゃんの勝利を祝う言葉で溢れている。
『それじゃあ今日の配信はここまで! 私は球技大会に向けてランニングをしてきます! なんてったって陽キャなので! それじゃあみんな、また配信でね!』
ルカちゃんは笑顔で挨拶をして、配信はエンディング画面になった。
はあ、今日の配信も面白かったな。
ルカちゃんの配信の余韻に浸りながら、ベッドに大の字に寝転がる。
「……俺もランニングしようかな」
ルカちゃんに触発された俺は、気が付いたら天井に向けてそう呟いていた。
よし、ランニングをしよう。そう決めた俺は、仰向けになったままベッドに両手をつき、マット運動の技である跳ね起きで立ち上がる。
久しぶりにやったが、意外と出来るものだな。そんな驚きと共に、中学時代にバスケ部で着ていた運動着に着替えた。
中学時代の服が着れるということは、あの頃から身長が伸びていないということだという現実から目を背けながら靴を履き、家の扉を開ける。
「あ」
「あ」
外に出た瞬間に、視界に見知った人が入り込んできた。黒川さんだ。
すごい偶然だな。と思ったが、ルカちゃんは配信が終わったらランニングに行くと言っていたし、ルカちゃん、もとい黒川さんの家はご近所さんなので、冷静に考えたら偶然でも何でもないな。
「尾形君。お出かけ?」
「あ~~ えっと……」
まさか『ルカちゃんに触発されてランニングに行こうと思って』なんて言えるはずもない。
「……ランニングに行こうと思って」
「そうなんだ。私も今ランニングに行こうと思ってたところ」
しかし、黒川さんは特に不審がる様子はなかった。
そりゃそうか。黒川さんは俺がルカちゃんの視聴者である事なんて知らないんだから、俺がルカちゃんの配信に触発されたなんて、考えもしないだろう。
「そっか。じゃあ、一緒に走る?」
一気に安心した俺は、黒川さんにそう提案する。すると「いいの?」と、嬉しそうな返事が返ってきたので、俺たちは少し離れた場所にある大きめの公園に向けて走り出した。
黒川さんは俺の少し前を軽快なペースで走っていく。
今の黒川さんは、俺が見慣れた制服からパーカーのフードが飛び出しているあの姿ではなく、ピンクと黒の半そでシャツに、黒のランニングタイツの上に黒のショートパンツを穿いているという、いかにもランナーといった服装だ。
そしてなにより、いつもは下ろしている髪の毛をポニーテールでまとめていたのだ。
いつもと違う黒川さんの姿になんだか少し意識してしまう。
気がついたら彼女のうなじに目が行ってしまってしまいそうになるのを慌てて抑えながら、俺もランニングに集中する。
しかし、黒川さん。思ったよりかなり速いペースで走るな。
俺は部活を辞めた後もたまにランニングをしていたので余裕を持ってついていけるが、まったく運動をしていなかったらついていけたか怪しい。
暇なときにランニングをしておいてよかったと心の中で思いながら、走るたびに左右に揺れる黒川さんのポニーテールを追いかけた。
しばらく走って、俺たちは目的地の公園にたどり着く。
天気も良く気持ちよかったので、公園にあるベンチに二人で座り、しばらく休憩することにした。
「黒川さんって、普段からランニングとかしてるの?」
「うん。中学の頃から走ってるの」
俺の隣で座る黒川さんに尋ねると、足をプラプラさせながらそう答えてくれる。やっぱり普段から走っているみたいだ。
正直意外だった。教室ではアルマジロだし、最近は減ったみたいだが、体育の授業では二人組が作れずに運動する前に逃げ出したりしていたので、黒川さんが運動している姿など、想像すらしていなかったからだ。
「中学生の頃、あんまり学校に行けてなかったんだけど、その時お姉ちゃんが『体に悪いからランニングでもしたら?』って言うから始めたんだ」
「あ、そうなんだ」
そういえば、黒川さんは過去に人間関係のトラウマで学校に行けていない時期があったと言っていたな。これはまずいことに触れてしまったかもしれない。
「でも、今は球技大会を楽しむために走ってるから、ちょっと楽しい……」
黒川さんはポニーテールをほんの少し揺らしながら、ふわりと笑う。
決して茜のような眩しい笑顔ではなかったけど、心の底から嬉しそうな笑顔だった。
「そっか、よかったよ」
「うん。明日の練習会も、緊張するけど楽しみ」
安心した。黒川さんは高校に入ってからまだ一度しか休んでいないし、もしかしたら過去のトラウマを乗り越えつつあるのかもしれないな。
なんて考えながらちらりと隣を見ると、黒川さんがこくこくと喉を鳴らしながら、スポーツドリンクを飲んでいた。
「あ、えっと、飲みたいの?」
俺の視線に気づいたのか、黒川さんがこちらを向いて自分が飲んでいたスポーツドリンクを差し出してくる。
いやいや、それはまずいだろ。俺も中学の頃はそれこそ裕次郎たちと回し飲みをしたことはあるが、さすがに異性とはしたことがない。
「いや、俺は大丈夫」
「……そっか」
しかし、彼女の申し出を断ると、黒川さんは露骨に落ち込んでしまった。
「違うから。嫌だったわけじゃなくて、俺がそれを飲んじゃったら、その……」
間接キスというワードを出す前に、黒川さんの顔が真っ赤になる。どうやら察してくれたようだ。
しかし黒川さんって、たまに突拍子もないことするよな……
「あの、えっと…… ごめん、ね」
両手で顔を覆う黒川さんだが、ポニーテールにしているせいで、真っ赤な耳がはっきりと見えてしまっている。
これはもう、どうしようもないな。
俺は、五月のまだ涼しい風がオーバーヒートした黒川さんを冷ましてくれるのを待つことしかできなかった。