推しと心配
「それじゃあ、今から球技大会のチーム決めを始めます。もう一度確認しますが、春の球技大会の競技は、男子はサッカーとバスケ。女子はバレーボールとソフトボールです。なるべく全員が希望通りの競技に参加できるようにしたいですが、人数の関係もあるので、その時は移動をお願いするかもしれません」
教壇の前でそう説明してから、俺は黒板にチョークで競技名を書いてくれているもう一人のクラス長、霧島結花に目配せをする。
俺は字が汚いので、板書は霧島さんに任せて、代わりに進行役を引き受けたのだ。
霧島さんは競技名とそれぞれのチームの定員を黒板に書き終えてから、少しだけ頷いてオッケーの合図を返してくれた。
「それじゃあ、とりあえず自由にチームを作ってください」
俺の合図でクラスメイトが席を立って移動し始め、教室が一気に騒がしくなる。
黒川さんも自分の席から立ち上がり移動をし始めたが、その姿はまるで生まれたての小鹿のように......
いや、生まれたての小鹿の方がよっぽど頼もしく見えた。
「尾形君って、本当に黒川さんが心配なんだね」
黒川さんの姿を無意識に目で追っていると、霧島さんに話しかけられる。メガネこそかけていないが、長い黒髪を二つにまとめた、いわゆるおさげの髪型で、真面目そうな整った顔立ち。典型的な委員長キャラだ。
しかし悔しいことに、身長が俺より高い。霧島さんが板書係になったのは、彼女の方が黒板の高い位置に文字を書けるからという、少し屈辱的な理由もあったりする。
「いや、別にそんなに心配してないけど」
「幼稚園の運動会で自分の子どもを見守ってるお父さんみたいな顔してたよ」
俺、そんな顔してたのか。いや、それっていったいどんな顔なんだ?
「まあ。正直、ちょっと心配」
黒川さんが頑張ると言っていたので俺は見守るべきなのは分かっているのだけど、どうしても心配になってしまう。
霧島さんとそんな話をしている一方で、黒川さんは女子グループに話しかけようとしていた。しかし、黒川さんの努力も空しく、別の女子グループに押し流されてしまう。
「しょうがないなぁ。今日は私が黒川さん係を引き受けるね」
黒川さんを助けに行こうと無意識に一歩踏み出してしまったた俺を、霧島さんが引き止める。
「私のバレーボールチーム、あと一人足りなかったんだよね。黒川さんを借りてもいいかな」
「それは、俺じゃなくて黒川さんに聞いて。それと、俺は別に黒川さん係じゃないってば」
「それもそっか。じゃあ、後は任せて」
霧島さんは手をひらひらと振りながら、黒川さんのほうに歩いて行く。
霧島さんが仕事もできて優秀で信頼できる人だということは、一緒に学級委員長の仕事をしてきたので知っている。
球技大会は男女でチームが分かれているイベントだし、黒川さんと同性の霧島さんに任せておいたほうが良いだろう。
頑張れ、黒川さん。
霧島さんに声をかけられ、びっくりしてフードをかぶろうとする黒川さんに、俺は心の中でエールを送っておいた。
「やっぱり一番のライバルは五組だな。あそこはバスケ部が三人もいるから、本気で優勝を狙ってくるだろ」
「だろうね。このチームはバスケ部がいないから、巨人の裕次郎に頑張ってもらわないとな」
チーム決めが順調に終わったので、残りの時間はチームで作戦会議という名の自由時間となった。
俺のチームは五人。軽音部の裕次郎以外はバスケ部ではないが運動部なので、かなり頼もしい戦力になるだろう。
それに、裕次郎も小学校の頃バスケをやっていたので、このチームはかなり強いのではないかと思う。
「俺、バスケのシュートって苦手なんだよな~」
「大丈夫だよ。もしシュートを外しても、裕次郎がリバウンドを取ってくれるから」
俺は同じチームとなった裕次郎達の話に相槌を打ちながら、こっそり黒川さんの様子を見ていた。
黒川さんは無事、霧島さんと同じバレーボールのチームに入れたようだ。
霧島さんのフォローもあってか、なんとか会話に参加できているように見える。フードを両手でぎゅっと掴みながら、それでもかぶることはせずに、チームメイトと仲良くなろうと必死に頑張っている。
黒川さんが必死に頑張っている姿を見て、俺は、ああ。やっぱり黒川さんって、ルカちゃんなんだな。なんてことを考えてしまった。
頑張り屋さんなところが、そっくりだ。いや、そっくりというか同一人物なんだけど。
ルカちゃんだって、配信中に色々努力をしていることを知っている。例えばFPSゲームのエイム練習だったり、格闘ゲームのコンボ練習だったり、配信がスムーズにいくように裏で素材を集めていたり......
黒川さんは元々ゲームがとても上手い。でもそれは、努力があってこその実力なんだな、となんだか妙に納得してしまった。
それと同時に、心配にもなる。黒川さんは努力ができる人間だ。いや、この場合できてしまうと言った方が適切かもしれない。
黒川さん、頑張りすぎてないかな。
俺が『友達をつくったほうがいい』とか言ったせいで、無理していないかな。
人と関わることが怖いと言っていた黒川さんが無理に人と関わらせてしまって、逆効果にはならないかな。
だめだ。どうしても心配になってしまう。
「期待してるからな、京介」
しまった。黒川さんに気を取られて、裕次郎達の話を聞いていなかった。
「おいおい。何ぼーっとしてるんだよ。俺たち二組が優勝するためには、お前の力が必要なんだから」
「あ、うん。できるだけ頑張るよ」
せめて、レイアップくらいはできるようになっておこう。クラスメイトに期待のまなざしを向けられた俺は、少しひきつった笑顔でそう答えるしかなかった。
◇ ◇ ◇
「黒川さん、お疲れさま」
帰りのHRの後、俺は黒川さんに話しかけた。
黒川さんの表情を見ると、少しの疲れが見える気がする。
「ありがとう。尾形君」
「霧島さん達とは仲良くなれた?」
「うん。練習の約束はできたし、グループラインにも入れてもらったよ」
黒川さんは俺にスマホの画面を見せながら、嬉しそうに話す。
「大丈夫、無理してない?」
「うん。みんな優しかったし、怖くなかったよ」
そう言いながらへにゃりと笑う黒川さん。
その柔らかい笑顔を見て、不覚にも安心感を覚えてしまった。
とりあえず、霧島さんがサポートをしてくれていたみたいだし、少なくとも黒川さんの昔のトラウマが掘り起こされたというようなことはなさそうでよかった。
「でも、あんまり上手に話せなかったし、私、やっぱりダメダメだね......」
苦笑いしながら俯いてしまった黒川さん。
「苦手なことなのに、頑張って挑戦していたのは偉いよ!」
俯く黒川さんにかけた声が、予想以上に大きくなってしまった。
だって、黒川さんには自分のことを卑下しないで欲しかったから。
俺にとって黒川さんは友達であり、一度配信を始めるとキラキラ輝いて見える推しなんだから、そんな風に言ってほしくなかった。
俺の声に驚いたのか、黒川さんはばさりとフードに隠れてしまう。
「あ、ごめん」
慌てて謝ると、黒川さんはフードの中で首を振ってから、ゆっくりと話し出した。どうやら俺の声にびっくりした訳ではないようだ。
「私からしたら、クラスの前であんなに堂々と話す尾形君のほうがよっぽど偉いと思うよ。今の私には、絶対にできないから……」
「そうかな。やってみたら、意外とできるかもよ」
だって、黒川さんは数千人の視聴者の前で配信をするVTyuberなのだから。
「む、むむ無理だよ。だって、クラスのみんなの視線を集めるんだよ。あのクラスには四十人いるんだから、八十個の目玉が一斉に自分を見てるって事でしょ。そんなの、想像しただけで手が震えてくるよ」
俺の隣で黒川さんはフードをかぶって震えている。
八十個の目玉に見られている、か。そう考えるとすごい怖いな。八十個の目玉に睨まれる様子を想像してしまい、思わず身震いしてしまった。
そんなことを言われたら、俺まで人前が怖くなってしまいそうだ。
「でも——」
黒川さんは、フードの端を両手でぎゅっと掴む。
「——いつかは、みんなの前で、話せるようになりたいな……」
黒川さんはいつも通り、フードをかぶっている。傍から見れば、情けない姿なのだろう。
そのはずなのに、不安げに、それでも真っ直ぐ前を向いて、いつかはみんなの前で話せるようになりたいと口にした黒川さんの姿が、俺には眩しく見えた。
人と話すことにトラウマがあるはずの黒川さんがそのトラウマを克服しようと努力をしている。
黒川さんの、こういう頑張り屋さんで応援したくなるところはルカちゃんに似てるよな。いや、似てるというか同一人物なんだけど、そういうことではなくて。
「黒川さんなら、いつかできるよ」
「へへ。そうかな」
嬉しそうに笑う黒川さん。
お世辞ではなく、頑張り屋さんの黒川さんなら、本当にそうなれるのではないかとも思ってしまった。
それと同時に、やっぱり無理はして欲しくないなと思ってしまったので、黒川さんが無理しすぎないように、できることはやろうと決意した。
例えば、そう、毎日顔色をチェックするとか。
いや、それはさすがにキモイかな......
でも、一応非公式ながら黒川さん係なんだし......
なんて、誰に聞かせるでもない言い訳を心の中で呟いた。