表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

第五話



【結編】


 愛してる。

 ずっと―――そう…きっと生まれた時から。

 なのにどうして―――どうして私の“想い”は、この世界に存在してはいけないの。

 どんなに恵まれた環境にあっても、どんなに優れた容姿や能力があったって、私が心の底から望むものは絶対に手に入らない――――こんな世界、いらない。表面だけ綺麗に取り繕って、取り巻きの中で無意味な笑顔を張り付けた私の心は、死んでいる。

 お願い誰か、こんな世界を壊して―――私をこの牢獄から出して。

 そうでなければ、きっと私は内側にあふれ続けるこの真っ黒な泥濘に飲み込まれ、自らの愛するもの全てを破壊してしまう。

 お願い、誰か――ー…。


 ーーーーー酷く寒い。

 

 体にまとわりつく湿気が、寒さを更に耐え難いものにしている。頬にいきなり落ちてきた雫が、私の意識を一気に現実に引き戻した。

 「―――ー……」

 辺りは暗い。でもどこかに光源が存在するのか、しばらく目を開けていると周囲の輪郭がうっすらと見え始めた。

 見上げれば遥か上空に夜空が見える。ここは洞窟なのだろうか、とにかくどこか地下深い場所に私は横たわっていた。

 私はゆっくりと上半身を起こしたーーー体がじめっと濡れている。辺りは水滴が落ちる音がまるでBGMかのように小さく鳴り響いている。

 (…どうしてこんなところにいるの私…倒れた?それとも夢…―――確かあの時…)


 “君を招待するよ。僕の創出した―――…君の魂をとらえる、ゲージプラネットへ”


 校舎を出て校門へと向かっていた途中だった。

 あまり温度を感じない男の声が頭の中にこだました瞬間に周囲が真っ暗になり、突然足元に現れた銀河に向かって私は猛スピードで落下し、途中で意識を失ったのだ。

 思い出したら急に胸が激しく打ち始めた。

 「…どこなの、ここ…何なの一体」

 今は夜、地下深くの洞窟?…とにかく体が冷えてしまっている。脱出は無理にしても、何とか暖をとらないと――…。

 すぐにでもパニックに陥りそうな気持を何とか鎮めながら、立ち上がった私は周囲を見渡した。

 大岩か何かだろうか、巨大な漆黒のシルエットが立ち塞がるように何個か屹立している。その合間にいくつかの小さな青白い光源が存在しているが、光源はあまりに小さすぎ洞窟全体はおろかごく限られた周囲の物しか照らしていない。

 (あの光の近くへ…)

 私は一番近くにある、左斜め前方数メートルほど先にある光源に向かい恐る恐る足を踏み出した。

 「…ッ!!」

 数歩歩いた途端に私の足は水たまりの深みにはまり、体勢を崩した私は大きな水音と共に横ざまに倒れ込んでしまった。

 「いっ…た…―」

 一気に体の熱が奪われ、濡れた制服や髪がずっしりと重くなる。

 「…っ…」

 水場から上がりたくて周囲を歩いてみたけれど、適当な石床が見つからない。私は諦めて、足で水中の地形を確かめながらゆっくりと光源へ向かって進んだ。

 (寒いっ…こんなことしてたら低体温症になりそう…)

 光源は中々近づいてくれない。濡れた全身は冷え、水に浸かった両足は痺れたような痛みで冷えていく。けれども最短距離で光に向かう事しか、不安に苛まれ余裕の無い今の私には出来ない。

 (間違いだった。もう少し粘って浸水していない床を探して、時間が掛かってもそこを伝っていけば…)

 でもあともう少しで光源に近づける。追い詰められた私は、倒れ込むのも厭わずに前進するスピードを上げた。

 「はぁっ…は―…」

 青白い光源が照らす範囲にやっと到達し、私の体を光がはっきりと浮かび上がらせた。

 「結…晶ーー…?」

 光源の正体は、高さ2、30センチほどの青白い光を放つ結晶体だった。

 (こんなの…地球にあるもの、なのーー…)

 私は震える手で結晶に触れてみた。結晶は予想に反し熱を帯びていずにひんやりと冷たく、途端に私の全身を打ち据えるような絶望感が襲った。

 「…っ…これじゃ、暖なんてとれない――…」

 私は震えの止まらない自身の体を強く抱きしめた。

 (…怖い。ここはどこなの…誰もいないの?)

 私は顔を上げた。

 「だ…れか―…」

 大きく反芻した自分の声に怯えながら、それでも私は更に大きな声を上げた。

 「誰かっ…誰かいないのっ…!!!」

 声が辺りに反響し遠くへと虚しく消えていく――――後に残ったのは、ただただ重苦しいだけの沈黙だった。

 「…嘘…でしょう…何なの、これじゃあ私――…」

 “死ぬ”

 視線を落とした先の石床は青白い光を反射させ、あちこち陥没し荒れ果てている。私の全身から緊張していた力が抜け、くずおれる様にして座り込んでしまった。

 「そう…か――…」

 俯いた私は力無く笑っていた。

 こんな誰もいない場所で、寒さにやられ私は一人寂しく死んで行くのか。


 「…兄さん…」


 意識するより先に言葉がこぼれ出た。

 私は全身を震わせながら小さく笑いだした。

 「兄さん…私、こんな汚くて暗い場所で一人で死ぬみたい―――…これって天罰なの…?兄さんの大切な人を、私が―ー…」


 頭の形が分かるほどに短い黒髪は細く、サラサラとしているーーー薄青色の穏やかで涼しげなアーモンドの二重の瞳に、すっきりとした柳眉。180センチ近い高い身長に均整の取れたスレンダーな体格。

 全てにおいてバランス感覚に優れていて、どこか浮世離れした蒼然とした雰囲気も、あっさりとした優しさも全てが愛おしいーーー私の4つ年上の兄“透也とうや”。


 私は深くうなだれ、背中を丸めてうずくまった。

 「兄さんごめんなさい…だって酷いじゃないっ……私の方が、あんな男なんかよりずっとずっとずっと…―――兄さんを愛しているのにっっっ!!!」

 体はこんなに冷え切っているのに流れる涙はこんなに熱いなんて、まるで皮肉が効いた悲喜劇のようだ。私のみっともない嗚咽が広大な洞窟に反響していく。

 私にはここがふさわしいという事なのだろうか。ここで死ぬまで、自分が一生愛されることは無いと絶望しながら死んで行くことが――…


 カランッ…


 「――ッ!!」

 聞こえた音に私は勢い良く顔を上げた。跳ねた心臓の音が邪魔に思えるほどに、息を殺して音がした方向を凝視する。

 「――――…」

 気のせいかーー…と思い掛けたその瞬間に遠くの光源を大きな影が横切り、私は全身を緊張で強張らせた。

 (何…動物…?)

 すぐさま猛獣に食い殺される自分を想像した私は震える足で立ち上がり、光源を前にしてじりじりと後ずさった。

 耳を澄ませば確かに、何かが移動するような微かな音があちこちで聞こえる。その音は徐々に大きくなり、私を中心とした包囲網を狭めている気がする。


 『グルルルルルッ…』


 突然聞こえた唸り声に、とっさに右側を振り向いた私は硬直した。

 光源を背にーーー見たことも無いほど大きな“異形”が二足で直立しこちらを睨んでいた。

 「…っ…」

 ドラゴンが後ろ足で立ったのならこんな感じだろうか―――でもフォルムは人型に近い。


 濃い黄金の金属装甲に隙無く覆われた全身は厳つく、体長は3メートル以上はありそうだ。

 頭部には捻じれた角が何対か生え、手足には鋭い爪―――人型に近い体型に反し長い尾が背後に在りそれはゆっくりと揺れていて、目の前の存在は彫像や機械などではない事をリアルに物語っている。

 そしてその瞳―――黒化した白目に鮮やかな異形の瞳は人間と違い二対で4つもあり、瞳の虹彩の色は二対それぞれで金と深紅だった。顔面も人に近いと言えばそうだけれど、剥き出しになった太い牙が猛獣を連想させてどうしても恐怖感を募らせる。


 異形は見開いた4つの瞳で私をひたと見据え、標的にされた獲物さながらに私はその瞳から目を逸らせないまま、体が竦んで動かなかった。

 不意に異形が動き、光源から遠ざかりその巨体が闇に溶け込むように消えた。

 「…はっ!!…っ…ーー」

 途端にまるで金縛りが解けた様に、全ての感覚が蘇り詰めていた息を吐いた。

 あんな大きな化け物に人間の私が敵うわけがない。私は震える両手を握りしめ、来るべき最期を想像し強く目をつぶった。

 重い足音が正面から近づいて来る―――水音がし、その中を異形は更に近づき――――その足音が目の前で止まった瞬間、私は堪え切れずに目を開けた。


 見上げる程に大きな巨体が、目の前に立ち塞がっていた。


 異形と間近で目が合うと全身から一気に力が抜け、私は力なく床にへたり込んでしまった。

 「…っ…」

 声が、一切出ない。こんなに強烈な恐怖は生まれて初めてで、とても耐えられるものじゃない。

 異形が両腕を広げて私に向かって屈みこんで来て、思わず体をガードして竦ませた。異形は私の左右の石床に両腕を突き、私に顔を近づける。

 「…っ…!!」 

 痛みを覚悟して強く目をつぶった私の耳に、スンスンという音が間近に聞こえ私は更に体を縮めた。何かを嗅ぐ音はしばらく続き、そのことに違和感を感じ始めたその時。


 『い、いいニオイ』

 

 「――ッ!?」

 突然聞こえた異音に、私は大きく目を見張った。

 『な、なんのニオイ?コケにに、にてる、けどけど…』

 恐る恐る顔を上げたその目の前に異形の顔があり、心臓が止まるほど驚いた。でもその時、もう一人の冷静な自分がそれをおくびにも出すことが危険だととっさに本能で知らせ、私は内心の動揺を隠し冷静なふりをして声を出した。

 「ーーー…あなた、喋れるの…?」

 『――ッ!!?』

 途端に異形は全身を跳ね上げるほど驚き、私から身を離した。

 『しゃ、しゃべった!!ルダリスしかしゃ、しゃべらないのなのに!!』

 「ッ!?きゃっ…!!」

 いきなり体が強い力で掴み上げられ、私の体は床を離れ異形の目の前に掲げられていた。

 「痛っ…!ちょ…」

 『ルダリスとちがう、のになんでえ!?』

 「…っ…!!ちょっーー…もう痛いから離してっ!!!」

 『―…ッ!!』

 あまりの痛みに堪え切れず叫ぶと驚いた異形は掴んでいた手を開き、落下した私は両膝を石床に打ち据えてしまい、直後襲ってきた痺れるようなその痛みに顔を歪めて耐えた。

 「~~…っ…!」

 『ルル、ルダリスのせいじゃな、ない…ルダリスはわるくなな、なっ…』

 異形は激しく動揺した様子で、オロオロと私の目の前で歩き回った。涙目の私はアワアワと動揺し続けている異形を見上げた。

 (知能がーー…幼児並み?“ルダリス”って…)

 私はそろそろと立ち上がり、今だにグルグルと歩き回っている異形に向かった。

 「ーー…ねぇ、あなたの名前…“ルダリス”っていうの?」

 ルダリスはビクリと体を竦めて止まると、しばらくして小さく頷いた。

 『ル、ルダリスはルダリス…ルダリスはひ、ひとり…』

 (言葉が、通じる――…)

 感じた安堵感があまりに大きく、一瞬疲労感にも似たものを覚えた。一つため息を吐き改めて心を落ち着かせた私は、密かに呼吸を整えた。

 『ルダリス、ルダリスル…』

 「ルダリス」

 ブツブツと独り言を呟いていたルダリスは呼び掛けた私を見た。私はあえて意識してその4つの瞳を見据え、胸に手を当てて話した。

 「…私は“ユウ”。初めまして、ルダリス」

 ルダリスは無言のまま私を凝視し、私達の間に沈黙が生じた。

 『ーーー…ユ、ウ…?』

 ルダリスが反応したのを逃さず、私は勢い込んでうなずいた。

 「そうよ、ユウ。ねぇルダリス、ここはどこ?夜空があんなに遠く見えるから、地下ってことにな…」

 『ユウ――…ユウ、ユウっユウ…!!』

 「えちょっ…きゃあっ!!」

 いきなり興奮状態になったルダリスは再び私を両手で掴み上げ、自身の顔の高さに掲げた。

 『ユウはちいさい。ユウはフニャフニャしてる!ユウは、ユウはルダリスとはなししてる!!』

 ルダリスはまるで幼い幼児の様に目をキラキラさせ、はしゃいだ声でそう叫んだ。

 「…っ…!!」

 先程失敗したからか、一応痛みを感じるほどの力で掴まれてはいないけれど、扱いが雑で視界が揺れる。

 「ちょっ…落ち着いてルダリス、いきなり掴み上げないで!」

 『ル、ルダリスとはなせるの、いままでいなかった。ルダリスひとりだった!』

 「分かった。分かったから一旦降ろして、ルダリス」

 ルダリスは言う事を聞いて下ろしてくれ、私は胸を撫で下ろした。

 「ルダリス…あなたはここで一人なのね?」

 ルダリスは大きくうなずく。

 『ルダリスひとり。ほ、ほかはみんなしゃべらない』

 「ルダリス――…ここは何?洞窟っぽいけど…」

 私は辺りを見回しながら聞いた。周囲にそびえ立つ岩の柱のシルエットは所々直線的で、もしかしたらここは人工的な建造物の中かも知れないと思ったからだ。

 ルダリスは小さな声で唸ると大きく首を振った。

 『ル、ルダリスわからない。おきたらここにいた。ここひろい、たくさんのへやある。わからないものいっぱい』

 「…そう――…」

 私はもはや無視できない程にまで酷くなってきた寒さに耐えかね、両腕で体を抱えてさすった。ずぶ濡れの体は震えが止まらずに吐く息は白く、冷え切った足の感覚は消えつつある。

 私はルダリスを見上げた。

 「ルダリス、私寒いのーー…体がずぶ濡れで、凍えて死んでしまいそう。どこか暖かい場所に連れて行ってくれない?それか、火や焚き火があればいいんだけど…」

 ルダリスは首を傾げた。

 『さむい?ルダリスぜんぜんさむくない』

 目の前のでかい図体の怪物を相手に、私は思わず苛立ちを覚えた。

 「えぇ、あなたはそうでしょうね。でも私は寒いの!このままじゃ死んでしまうわ!」

 『ユウしぬ!?しんだらルダリスまたひとりっ、ひとりはしゃべれない』

 あぁも゛おっ、と中々進まない会話に業を煮やしながら、私は苦心して苛立ちを押さえて冷静に務めた。

 「そう、そうなったらつまらないでしょうルダリス。どこか暖かい場所は知らない?」

 『あったかいばしょ……ーーーー…あっ』

 何か思いついた様子のルダリスは背を向けて駆け出し、私を振り向いた。

 『こ、こっち、こっちにあった!』

 ルダリスは水音を上げて、暗闇の中をものともせず右奥へと四足歩行で駆けた。残された私は足元に広がる冷水を見下ろし怯んだ。

 (こんな冷たい水にまた浸かったら、今度こそ低体温症になってしまいそう…)

 『ユウ~?』

 ルダリスが私を呼んでいる。私は叫んだ。

 「ルダリス!!私をさっきみたいに持ち上げてその場所まで連れてってちょうだい!体が冷えて、これ以上水に浸かりたくないの!」

 ルダリスが戻って来た。

 『ででも、ユウさっきおこった。いたいって…』

 私は両腕をルダリスに向け差し伸べた。

 「じゃあ力を入れずに、優しく持ち上げて。痛かったら…怒らないでちゃんと言うから」

 ルダリスは少しの間逡巡していたが、片腕を伸ばすと私の胴体を掴んで持ち上げた。

 「う゛…もう少し力抜いて。…そう、そのくらいなら大丈夫」

 『ユウふ、フニャフニャする。ペチャンコにしないのむずかしい』

 実は私もそんな事になりはしないかと内心危惧していたが、ルダリスに安心させるようにわざと微笑んで見せた。

 「…大丈夫、上手よルダリス。あと、あまり大きく揺らさないでくれる?目が回って気持ち悪くなってしまうから」

 『う゛ぅ~むずかしい…』

 「お願い、ルダリス」

 『ル、ルダリスやってみる…』

 ルダリスは私の体を自身の胸に引き寄せもう一方の片腕を添えると、水の中をゆっくりと歩き出した。

 スピードが徐々に上がり、光源から遠ざかり代わりに暗闇が私を包む。ルダリスは水を跳ね上げながら凄まじい脚力で飛ぶ様に駆けていく。

 全身に当たる風が身を切るように冷たい。私は目を細めながら、微かな光源に照らし出され過ぎていく洞窟の各所を注視した。暗くて良くは見えないが、やはりここはただの自然な地下洞窟ではなく何らかの古い建造物の残骸らしい。 

 装飾が施された壁や柱が、ルダリスのスピードに合わせ現れては消えていく。

 「きゃっ…!?」

 ルダリスは突然ジャンプすると、目の前の巨大な瓦礫の山を登り出した。

 「…っ…!」

 体がガクガクと大きく揺れ、酔うのを恐れた私は強く目を瞑って何とかその衝撃に耐えた。ルダリスは左右にコースを変えながら、更に地下深くへ進んでいる。私は深くなるその闇の巨大さににわかに恐怖を感じた。

 ルダリスは目の前に現れた断崖絶壁の手前でスピードを緩め下をのぞき込むと、底の見えない暗闇に向け無造作に飛び降りた。

 「ちょっ!!ルダリ…」

 『だいじょぶ』

 風が耳元で唸るほど落下速度が速いーーーー落下の衝撃を想像した直後、衝撃が全身に走った。

 「…っ…!!」

 どうやらルダリスが着地と同時に衝撃をいなしてくれたらしく、私の体は大きく上下したが舌を噛むような羽目にはならなかった。

 私が安堵のため息を吐くと、ルダリスは再度駆け出した。


 それから数分程移動した後、ルダリスは走るのをやめ歩き出した。

 「え…」

 私は明るくなった視界に気付いて顔を上げた。顔に当たる空気も明らかに暖かくなり、湿度が増しているのを察知し私はルダリスを振り返った。

 「ルダリス、もしかして…」

 『あったかいとこ。あ、あったかいおゆがわいてる』

 「――…!」

 辺りは水蒸気に白く煙り出し、冷えた私の全身を暖かい空気が柔らかく包み込む。前方からの青白い光がますます輝度を増し、今まで隠されていた周囲の景色を浮かび上がらせた。

 前方右側から漏れる光源に照らし出された空間は、半円状の回廊だった。あらゆるところが古めいて壊れかけているが、全体が精緻な装飾で彩られている。

 見たことも無い生物に、羽や動物と一体化したような異形の人間―――花々が象られた見事な装飾文様がドーム状になった天井まで覆っている。

 「凄いーー…これってやっぱり、遺跡か何かかしら」

 それにしてもこの光源はどこから射してくるんだろう。今や回廊全体が青白い光で満ち、漂う蒸気の粒子までもその色で染め上げている。

 右側に扉の無い出入り口があり、光源はその先から光を照射している。ルダリスが入口へと入った。

 「わ…ぁあっ…」

 私は思わず感嘆の声を上げた。

 曲がった先にあったのは2、30メートルはありそうな広い空間だった。部屋全体を照らす強い光源は天井にあり、床に向かって成長した数メートルはある結晶群が青白い光を放っている。

 その直下の床に掘り下げられた数メートル四方の広い湯舟があり、湯気を立てた透明な湯が満タンになっている。部屋全体はどこもひびが入ったり崩れかかったりでボロボロだが、壊れかけたレリーフや装飾は見事で、それがかつては豪勢な空間であったことを物語っていた。

 ルダリスは湯船の縁で私を下ろした。

 『ル、ルダリスもここ、はいる。きもちいい』

 「…っ…ーー」

 救われた思いがした私は、辺りを見回すと湯船から離れた場所に走っていき、急いで濡れそぼって重くなった冷たい服を脱ぎ出した。服を脱いでいく度に冷気から体が解放されていくようだ。全て脱ぎ終えた私は、急いた気持ちで湯船に向かおうと振り返った。

 「ーーッ!!」

 すぐ間近にルダリスが立っていて私は驚いた。ルダリスは4つの異形の瞳で、凍り付いたように私を凝視している。

 (な、何…?そんなにこの体が珍しいの?)

 人外の異形であるルダリスは人間の私の体になど関心は無いだろうと、端から思い込んでいたからこうして裸になったのに。

 「何、ルダリス。私凍えそうだから早く温泉に入りたいの」

 『………わ、わからな、ないーー…ルル、ルダリスっ…なんか、へへん…』

 「…?私行くね」

 私はルダリスの傍らを通り過ぎ、湯気を立てる温泉にそろそろと足を入れた。

 湯の温度は少し高い―――でも今はこれくらいが冷え切った体にはありがたい。私はそのまま湯に全身を浸して首元まで使った。

 「…っ…」

 思わず口から大きなため息が漏れる。

 腕に湯を滑らすと透明だがとろみがあり、手足の末端からジンジンと血流が良くなり痺れるように温かさを感じる。冷え切った体が生き返った心地がして、筋肉がほぐれていくと共に温かな幸福感が身も心も満した。

 「はぁ…温泉って偉大…」

 先程までの深刻な死の絶望感が、今は遠い―――調子が良すぎじゃないかと自分にツッコミを入れた私は自嘲した。

 人心地が着いた私は改めて周囲を見渡してみた。

 (…やっぱりここは地球なんかじゃない…。どうして…―――あの時の男の声は一体…)


 “君を招待するよ。僕の創出した―――…君の魂を捕らえる、ゲージプラネットへ”


 「…ゲージプラネットって、…何なの?」

 あの声の男が私をここへ連れて来たんだろうかー――…なぜ?捕らえるって…。私が物思いにふけっていたその時、水音がして大きな影が差し私の思考は立ち切られた。

 「…ルダリス、どうしたの?」

 見上げた先にはルダリスが立ち、私を無言で見下ろしている。

 「ルー…」

 自分を凝視するその瞳がギラついていることに気付き、私は身を強張らせた。

 「ルっ…ルダリスも入るのね。気持ち良いって、さっき言って…」

 『ル、ルダリス…からだ、あついっ…―――ユウの、はだかみ、みたらっ…』

 ルダリスは熱に浮かされたように呟きながら、私の上に屈みこんで両腕を伸ばしてきた。身の危険を感じた私はとっさに後ずさった。

 「ルダリスやめてっ!!私に近づかないっ…ーーー…ッ!!?」

 ルダリスの全身が、溶けた金属の様に黄金に輝いている。自身の体の異変に気付いたルダリスは両腕を見下ろし、苦し気にうめき声を上げて体を折った。

 『う゛ぅ゛っ…がっ、ぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…っ!!!』

 「ルダリスっ!!?」

 頭を両腕で抱え込んだルダリスはよろめきながら後退し、苦痛に耐えかねた様にもがいて暴れ始めた。

 全身から放たれる強烈な黄金の光でルダリスは光の塊と化し、まともに直視出来ない。光から放射されるエネルギーの影響なのか、広い風呂場全体が地震に見舞われたように地響きを立て、温泉の表面が激しく波立っている。

 『ルっダリ、スはぁ゛っ…ぁ゛、あ゛あっ…~~~~~っっっ!!!』

 「…っ…!!」

 ルダリスの声にならない叫びが太陽の様に強烈な光を放射させ、顔を覆った私は目を瞑ってその強烈過ぎる光から目を守った。

 地響きが急速に治まっていく――――指の間から外をのぞくと強烈な光は消失して元の空間へと戻っている。私は恐る恐る両手を下ろした。


 どこからか水の流れる音がするくらいで、周囲はいたって静かだ。


 「………ルダリス…?」

 いつの間に発生したのか湯気が濃霧のように辺りに煙り、全てを霞ませてしまっているーーーーその霧の向こうに、シルエットが透けて見えた。

 「え―…?」

 それは明らかに厳つい異形の巨体じゃない。霧が晴れるようにして、シルエットが確かな形を結び始めた。

 緩やかにウェーブした、肩下まで長く伸びた濃い金髪。小麦色の肌にしなやかな筋肉に覆われた長い手足―――こちらに逞しい背中を向けていた“それ”が、ゆっくりと私の方を振り向いた。

 「人…間ー…?」

 私は瞬きすら忘れ目の前の存在に釘付けになった。


 目の前に現れたのは全身装甲に覆われた異形じゃなく――――どう見ても人間の“男性”だった。


 神々しいほど完璧に整った目鼻立ち。その瞳は二対で4つあり、私と同じ位置に金の瞳があり、その上の額には深紅の双眸があって私をまっすぐに見据え、その二対の双眸の異常な迫力に絡めとられた私は慄然とした。

 耳は人間より尖っていて、全身に微かに光るメタリックな紺青色の、タトゥーのような奇妙な装飾文様がある。たくましい胸板に見事に分かれた腹筋、そしてその下には――…


 「――ッ!!」

 その下に確かにあった男性の証を見て、私は慌てて目を逸らした。最前までルダリスだったはずの男は、不思議そうに自らの両腕を見つめていた。

 (どう、しよう―――…何、何でいきなり人の姿になんてなるの!?…ルダリス、だよね…やっぱり私から呼び掛けてあげないと…)

 動揺し混乱した頭で考えていると、こちらに向かってくる水音がしハッとなった私は顔を上げた。

 「………」

 男は間近に立って私を見下ろし、お互い無言で見つめ合った。なぜか上の深紅の双眸は今はうっすらとしか開いていないーーー私が口を開きかけたその時。

 「ユウ」

 低く透った男の声が私を呼んだ。

 「…あ…―――ル…ダリス?」

 ルダリスは微かに目を見開くと、大きな水音を立ていきなり私の上に覆いかぶさるように接近し、驚いて後ずさった私の体の両側に腕を突いたルダリスは、興奮したように口を開いた。

 「…ルダリスユウと同じ!フニャフニャで小さくなった、何で!?でも――…」

 ルダリスは言いながら私の体を見つめ、不思議そうに小首を傾げた。

 「…ルダリスとユウ違う。ルダリスこんなの付いてない」

 ルダリスは無邪気に言って私の胸に触れた。

 「ちょっ…やだっ!!!」

 私は胸を庇って身をよじった。

 「そ、そんなの当たり前でしょう!!私は女で、あなたは男なんだからっ!!女性の体に同意も無く触れるのは犯罪なのっ!!っていうか、離れてルダリスっ!!」

 「ハンザイ?何それ」

 そこからか…っ!

 「…っ…とにかく!これ以上ジロジロ私の体見たり、触ろうとするなら、私はルダリスの事大嫌いになるから!!…大嫌いになって、絶対に許さないからっ!!」

 私はルダリスをきつく睨みながら、厳しい口調で言い切った。

 「ルっ…ルダリスユウいないとやだ。ずっと一人だったから…ずっと――…」

 明らかに動揺したルダリスは両腕を引っ込めて横を向き、まるで叱られた犬のように背中を丸めうつむいた。私は安堵して張り詰めていた緊張の糸を解いた。隣で意気消沈しているルダリスに目をやり、私は声を掛けた。

 「……ありがとう、ルダリス。私の言う事をちゃんと聞いてくれて。ねぇ――…温泉、気持ちいいね」

 ルダリスはとっさに顔をこちらに向けようとし、ハッとなって急いで前に向き直った。

 「うん、気持ちいい。ーーー…ユウ、ルダリス嫌いにならない?」

 「う~ん…それは…これからのルダリスの行動次第、かな」

 「え゛えぇ~っ――…ルダリス何でユウと同じフニャフニャになって、ユウと違うのか知りたいっ!ユウは“女”でルダリスは“男”!?どうして2つは違う?」

 ルダリスは腕で水面をバシャバシャと叩きながら、駄々をこねるように言った。

 「もぉルダリスやめて、お湯がこっちまで跳ねてくるからっ…!」

 私はルダリスから体を遠ざけながらたしなめた。ルダリスは不思議そうに再び自分の腕や体を調べ始めた。

 「ルダリスもう元の体に戻れない?フニャフニャなまま?…何か寒いユウ、ルダリス皮むけたみたいに寒いっ」

 「…確かに――ー…このままずっとここに浸かってるわけにはいかないわね。服は濡れて冷たいままだし…」

 「ユウ見て!これ、こんなのさっきまでなかった。これ何?」

 「何ルダリ…え、何この光――…」

 湯船の内壁―――水面との境界線あたりに、丸い鉱石が埋め込まれている。さっきまで光ってなどいなかったのに、今は淡い緑色の光を宿している。

 ルダリスが近づき、光っている鉱石に触れた。


 ウィイン…ッ


 「…ッ!?」

 すると鉱石は微かな異音を上げて更に光度を増し、同時に知らない言語で書かれたいくつものウィンドウが空中に浮かび上がった。

 「わ…っ!な、何これ」

 驚いたルダリスがウィンドウに触れると、その手の動きに合わせウィンドウが次々と回転し位置を変えていく。

 「ユウこれ面白い、触れないのに動かせる!」

 「これってメニュー画面なの…?でも言語が…」


 『ナ、にか御…うで、ショ…か』


 「――ッ!!」

 「声っ…!」

 いきなり女性の電子音性が途切れ途切れに響き、私とルダリスは驚いた。

 「ユウ誰かいる!誰ぇ!?」

 『ワ…クシはアシス、トA・ア…“ウィルカ”…ござ、マス――…』

 (…アシストA・Iって言った?システムが壊れてて、音声が良く聞こえない…)

 「ウィルカ!?ウィルカどこぉ?」

 ルダリスは鉱石の辺りをキョロキョロと辺りを見回し、挙句に湯船の向こうに身を乗り出して声の所在を探した。

 『ワタ…は音、せ…ノみで…マす。ご容赦、だサイ』

 「ユウ、ルダリスと二人じゃなかった。ウィルカもいた」

 「う、うんそうだね――…ウィルカ、あなたは私達をサポートしてくれるの?」

 『…はい。その、めのワタク、シで…ござイ、す。なんな…お申、つけヲ』

 意識を集中させないと、途切れがちな音声を理解出来ない。でも彼女が自分で言った通りA・Iでこの建物にいる人間をアシストする存在だとすれば、この状況を変えることが出来るかもしれない。

 私はルダリスに向き直り、説明を試みた。

 「ルダリス。ウィルカはその――…この広い場所を色々と管理する存在なんだと思う。…分かる?」

 眉根を寄せたルダリスは、う゛ぅ~んと首をひねって考え込んだ。

 「……掃除とか、する人…?」

 「そう!そんな感じ。だから彼女に色々頼めば、今の私達の困った状況を何とかしてくれると思う」

 ルダリスは我が意を得たりと言った感じで表情を明るくすると、中空に向かって声を上げた。

 「ルダリス着るもの欲しい、寒いから!っあ、あとユウのも!」

 (大丈夫かな―――…こんなに壊れ切った場所で長い間放置されてきたA・Iが、命令を実行できるのかしら…)

 私は固唾をのんでウィルカの反応を待った。

 『…了、いしまシ、た』

 (了解って言った…!)

 その時、どこかから低い駆動音が微かに響き出した。

 音に気付いたルダリスがキョロキョロと辺りを見回し、一点で視線を止めた。

 「ユウあれ!あそこ光ってる」

 ルダリスが指さす方向を振り返った。

 「え…!?」

 湯船がある場所から数メートルほど離れた所に、かつて用をなしていたと思われる石の彫刻で象られた衝立があった。今では見る影もなく崩れ落ちたその向こうに、いくつもの棚が並んだ空間が広がっていた。

 (脱衣所…だったのかな)

 その隅に一メートルほどの高さの円柱型の“台座”があり、光はそこから放たれている。そして台座の上に綺麗にたたまれた衣服が二つに分けて積み重ねられたいた。

 『衣、服ノ用意…ん了しマした』

 「服きたー!」

 「…転送、されてきたの…?」

 私はその光景を目の当たりにし、思わず背筋が寒くなった。

 (でも――…考えてみれば、私をこの星へ連れ去るほどの科学力はあるのだから…当たり前のことかもしれない。…でもそんな文明が、今どうしてこんな有様になっているの…?)

 私を誘拐した男の存在といい、ルダリスの姿といいこの廃墟といいーーー私達の文明とはっまた区違い、科学技術レベルは圧倒的にこちらの方が発達している。

 その事実が私に重くのしかかって来た。こんな訳の分からないところで、一体どうやって生き抜けばいいんだろう。不意に温かな湯だけが自分を癒してくれる存在であるかのような気がして、心細くなった私はうつむいて顎先まで深く体を沈めた。

 そんな私の様子に気付かず、ルダリスは立ち上がると私を振り返って言った。

 「ユウ服きた。早く着替えよう」

 「…ルダリスが先に行って。私は後で良いわ」

 「わかった」

 ルダリスは勢いよく湯から上がると、脱衣所の方へ向かった。

 「はぁ…無邪気で良いわね、本当に」

 これからどうするべきか。食事に寝る場所に、トイレもーーー考えるだけで目の前が暗澹となる様な絶望感が襲ってくる。

 家族の姿が蘇る―――あまり家庭に関心の無い裕福な両親、それに私にとって唯一のーーーどこか冷たく、けれど優しかった兄。

 「…会いたい…」

 呟いた私の声は震えているーーー例え無事再会出来たとしても、兄が私を許す望みは薄いというのに。

 「………」

 口を湯につけ、ブクブクと泡を立てながらぼんやりと揺れる水面を見つめた。

 全てが虚しい…ーーー結局私にはーー…どこにも居場所なんてない。

 物思いを断ち切るように靴音がし、ルダリスの声が降って来た。

 「ユウ、ルダリス終わった。上がる?」

 ルダリスは、青海色の細かな装飾文様が織り込まれた厚手のセーターに暗灰色のハイネック、黒のパンツにひざ丈の黒の革靴を履いている。

 「ウィルカ色々教えてくれた、ルダリスもう寒くない」

 180を超えた長身の体に洋服は全て馴染み、こうしてみると(瞳が4つなのはともかく)まるで海外の一流モデルか俳優のようなきらびやかなオーラを纏っている。

 本当に、綺麗な顔立ちだ。


 彫りが深く、男性的でありながら優美さを兼ね備えている。金色の双眸は瞳孔が人間のものと違い、猫や爬虫類のようなアーモンド形をしている。虹彩に雲母の様な微かに光る細線が入っていて、ルダリスが私とは違う種族であることを物語っていた。

 額にある深紅の瞳は普段は半眼で、金色の瞳と違いどこか禍々しい力を秘めている様で、長く見つめることに耐え切れずに私は目を逸らした。


 まるで純真無垢な幼子のようなルダリス―――ー本当に彼はそのままの存在なのだろうか。

 「……ルダリスには、家族はいないの?」

 私が意識するより先に、その言葉はこぼれ落ちていた。

 「カゾク?えぇっと…」

 ルダリスは何かを思い出すように宙を見上げた。

 「あなたを産んだ人――…父親や母親、兄弟姉妹…分からない?」

 「産んだ?――――…ルダリス…独り。そばには誰もいなかった」

 私は目を伏せ揺れる水面を見つめた。

 「じゃあ――…寂しくないの?ずっと一人で…」

 (何言ってるの、私…ルダリスになんて言わせたいの?)

 「うぅ…よく分からない――ー…あ、でもユウが来てから何か楽しい!今までやったことない事したり、起こったり面白いっ!」

 思わず顔を上げてルダリスを見上げると、無邪気な笑顔を浮かべてルダリスは私を見つめている。私の口元が緩み、小さな笑みがもれた。

 「…そう。私も―――…一人じゃなくて良かった。ルダリスがいてくれて…とても助かったわ」

 ルダリスの表情が一気に明るくなったのを見て、意気消沈していた私の心は少し和らいだ。

 「ルダリス、私上がるから向こうを向いていて。私が着替えるまで、こっちを見ないでね」

 「う…わ、わかった!」

 ルダリスは生真面目にうなずき、私に背を向けた。


 台座に置かれた衣服はルダリスとほぼ同じデザインの、白色を中心とした衣服だった。脱衣所は暖房が聞いているのか空気が暖かく、床も同様に暖かかった。

 「…ウィルカ、そこにいる?」

 私は宙に向かって呼んでみた。

 『は…御用で、ショ、か』

 私はホッとして答えた。

 「髪が濡れたままで――…困ってるんだけど」

 私の髪は背中まであり、ずぶぬれで重たくなった髪は湯から上がってどんどん冷えて来ていた。

 『それ、ハ――…こちラへ…どウ、ぞ』

 ウィルカの声が聞こえた直後壊れた床に光が灯り、それは途切れ途切れになりながら台座の対角線上にある壁際の一角へと続いた。

 そこには直径一メートルくらいの二重円が彫りこまれた床があり、私が近づくと二重円は薄緑色の光を帯びた。

 「ここに入れってこと?」

 『は、イ』

 私は円の中に入った―――すると。

 「わっ…」

 円形部分に光の紋章が現れ、それが宙に浮くと上昇し始めた。私のお腹の辺りで止まった紋章が少し変化した途端、全身に沿うように暖かな“風”を感じ、その温風は私の長い髪をフワリと巻き上がらせた。

 風は全身を濡らしていた水分を素早く乾かせ、なびいた髪もどういう原理か分からないけどドライヤーなんかよりずっと早く乾いていく。不思議なのはそれだけ乾燥しているのに、私自身は全く乾燥感や喉の渇きを覚えないことだった。

 私は一分も経たないうちに、完璧に乾いてしまった髪を手に取ってみて感心しきりになった。髪の毛はサラサラ音も無く手から零れていき、軋んだり湿ってもいない。

 「…凄い…あんなに濡れていたのに…」

 光の紋章が降下して二重円に着地すると同時に、紋章は消えた。私は淡く光を放つ二重円を見、服の置かれた台座を振り返った。

 (さっきまで命の危険を感じて、暗くなってたけど――…)

 「…これなら、何とかなるかも…」

 未来に希望の光が見えた途端、私の中にこの廃墟に関することをもっと知りたいという好奇心が芽生えた。

 「…でも今は、早く服を着る事よね」

 私は置かれた服の元へ向かった。


 台座にはきちんと折りたたまれた衣服が重ねられていて、私はそれを下着から着ていった。

 白の上下の下着は柔らかで肌触りがいい。インナーの白いニットのハイネックに、裏起毛がしっかりした紺のパンツ。細かな起毛で裏打ちされた厚手素材の紺の靴下を履き、銀色の糸で民族調な装飾文様が編み込まれた厚手のセーターを羽織って、最後にこれも裏起毛のある白い革のひざ下丈のブーツを履くと全身がポカポカと温まり始めた。

 「…ウィルカ。私の濡れた衣服を、後で乾かすことは出来る?」

 『そチら、台座に…イて頂け、バ――…ワタクシ、ほうデ乾ソ、うさせて…きマす』

 私は服のあった台座を見下ろした。

 「ここに置けばいいのねー―…よろしくね、ウィルカ」

 私は献身的にサポートしてくれるこのA・Iに、段々と親近感を覚えるようになっていた。

 『おオ、せの、マ…まに』

 私が脱衣所を出ると、ルダリスの姿が大浴場から消えていた。

 「えっ――…ちょっと、ルダリスっ!?」

 私の声は広い浴場に反芻した。

 「ルダ…」


 「ユ~ウぅ~~っっ!!!」


 「ッ!!」

 明るいルダリスの声が浴場の外―――どこか離れた場所から聞こえてきた。私は浴場の出入り口に行き、左右に広がる廊下をのぞき込んだ。

 「…え…?」

 廊下は、ルダリスに抱えられて来た時とは様相を一変させていた。

 ルダリスに抱えられて来た時はただの廃墟だったのに、構造そのものは変わっていないけれど光源が無かった室内に、今は薄黄緑色の光が射している。

 光源は天井の金を象たすりガラスに似た照明だけでなく、所所壊れた壁に彫られた装飾文様の合間にある精巧な植物群にも、同じように黄緑色の優しい光が灯っていた。

 左右に広がる廊下は、十分な光で満たされている。

 「…ルダリス!どこ!!?」

 私は大声で呼んだ。

 「こっち~~っ!!」

 聞こえたルダリスの声は右側―――私達が来た左側とは反対の奥から聞こえた。私は一瞬迷い、声の方へ歩き出した。

 左右にいくつか扉がある。

 完全に閉じたもの、開きかけのもの、壊れた扉の隙間から部屋の一部がのぞくもの―――使用していないためか部屋の中は暗く、中はどうなっているのか分からない。通路の先が十字路になっていて左右を確認すると、左側の突き当りの部屋の入り口前でルダリスが私を見つけ手を振った。

 「ユウ~っ、こっちに何かある!ウィルカが“テンソウシツ”だって~」

 「てんそう…って、転送ってこと…?」

 ルダリスと合流し、大きく穴の開いた扉の隙間から私達は中へと入った。

 薄青緑色の照明が部屋の天井にいくつか残っていて、部屋の中はなんとか見通せる。その中に――…

  「ユウ、宙に浮いてるっ!」

 ルダリスは、二十数メートル四方はある部屋の中心に向かって走り出した。

 「ルダリス、ガレキとかあるから足元には気を付けて!」

 「わかった~」

 足元に大量に落ちているガレキに苦慮しながら私も後に続いた。部屋の中央には、何よりも目立つものが鎮座していた。


 高さ3メートル程のホログラムの球体が、宙に浮いた状態で緩やかに回転していたーーーそれはどう見てもホログラムの“地球儀”だった。


 所々破損しているが、青い海と緑の陸地が球体全体に広がっている。自分が知っている地球のものとは全く違う形状の地形に、私は見入ってしまった。

 「…ウィルカ。これは――…私達が今いる、この惑星なの?」

 ここでも応答してくれるのか不安に感じながら、私は聞いてみた。

 『は、イ――…これ…はワク、星“レシアス”の、完ゼンなデジタ、る天球ギ…ニなり、ス』

 ルダリスは興味津々といった態で、無邪気に天球儀をつついている。

 「―――…このオレンジの点は何?」

 陸地や海上の至る所に、オレンジの点が散らばっていた。

 『コレ…中核てキな、テン送ポインとになり、マス。さらに細かクセッ…定するには、アドゥラネっとワークに、て設定カ…能でス』

 「転送ポイントって…テレポートとか、ゲートジャンプって事!?」

 『ハい…ソの通りデス。部屋のオクの、転送台デ…移動可…ウです』

 私は視線を天球儀の奥へ向けた。

 部屋の奥にある三段ほどの階段を上った先の床に、階段の付いた高さ数十センチ程で、直径が数メートル四方の台円形の装置らしきものがあった。

 「…ウィルカ、私達もあそこから外部に転送可能なのね」

 『そうデは、あるのですが…アドゥ、ラネットワークは現ザイ大部分がト、絶し…コントロール不可ノウデ、す』

 一縷の望みを抱いて聞いてみたが、どうやら物事はそう簡単に上手くいかないらしい。

 「そう――…残念ね」

 「ユウ、何が残念?」

 何も分かっていない様子のルダリスに、私は幼児に対するように噛み砕いて説明した。

 「えっとね…私達が今いる星が、この回ってるものなの。そしてこの部屋の奥の――…ほら、ここより高くなってる場所に、丸い何かの装置があるでしょ?」

 ルダリスは、私の指さした先にある装置に目をやりうなずいた。

 「うん、ある」

 「あの装置の上に乗ると…この星のどこかに、私達は移動することが出来るみたい」

 ルダリスの目が大きく開かれた。

 「えーっ!!ここじゃないとこ行けるの?…ルダリス行きたい!ユウ一緒に行こう!」

 ルダリスは私の手を取って引っ張ろうとしたが、抵抗して私は言った。

 「待ってルダリス、あの装置は壊れて使えないんだって。外へ行くには、他の方法を考えないと駄目みたい」

 ルダリスは両頬をぶぅっと膨らませた。

 「む゛ぅう~つまんないっ。…じゃあもっとこの場所探検しよう、ユウ!」

 ルダリスは取った私の手をブンブンと大きく振った。

 (はぁ…本当に無邪気な子供ね。悲観的にならないのは良いけど――…正直頼りがいはあって欲しい所だわ)

 私はルダリスに苦く笑った。

 「うん…そうだねルダリス。―――ウィルカ、ここはかなり深い地下にあるみたいだけど…ここから地上へ出られる場所はある?」

 『モウし、ケありません。私の機能は現ザい…この“ファルシェーザ城”にゲ、ん定…されてオリます。城のキ能を維持する…トが限界のようでス』

 「えっ――…ファルシェーザ城…?ここって城なの!?」

 「お城~お?」

 「ハ、い。こ…こは“アドゥラシオン霊皇国れいおうこく”ーーーマイラ州ニ、そん在スる城で…」

 「ボロッちぃ~っ!」

 辺りをキョロキョロ見回しながら、ルダリスは笑って言った。

 「えぇっと――…ウィルカ、この天球儀でいうとどこになるの?」

 すると天球儀が自動的に回転して止まり、私達の目の前にある大陸の一点に新たな光が灯った。

 「中核地点と重なってる――…ルダリス、今私達はここにいるんだって」

 「ふ~ん」

 あまりピンとこない風にルダリスが相槌を打った。

 『しカし…これがイま現在の、現在チて、んカドうかは…イマの私デは判別不可能、で…ス』

 「え…どういう事?」

 『私が活動ヲ、テイ止せざるを得ナイ程…の大災害ガかつて、起コリま、した』

 私は天井を見上げた。

 「…だからこんなに壊れているの?」

 『ソれにより、地盤沈下したシロは…今ゲン在…形にナッタもの…ト思われマ、す』

 (一体何があったんだろう――…大地震?でも、現在地点が判明出来なくなる程のものって…)

 異星人の私が、この星の来し方など分かるはずもない。深いため息を吐いた私は、混乱しそうになった頭の中をリセットして一旦この話題を脇に置くことにした。

 (今は――…どうやって生き延びるか。ここから出て、ちゃんとした文明が存在する場所に生きて辿り着けるかどうか、よね…)

 誰かを頼りにしたいとこだけれどはっきり言ってルダリスは幼すぎるし、あまつさえ記憶喪失と来ている。必然的に私が何とかするしかないだろう。

 (結局人は―――生きるか死ぬかの状況に追い込まれたら、何とかして生き延びようとしか考えない存在なんだな…)

 現金なのか、逞しいのか―――もう二度と、愛する人に会えないかもしれないのに。

 「…ウィルカ、この建物の見取り図は無いの?破壊される前のもの」

 ウィルカはしばらく沈黙した。

 『ごザ…ます。表示イたし、マス…か?』

 「お願い」

 天球儀のホログラムが消え、代わりに建物を天井から見た様な平面的な展開図が表示された。

 『現ザイ地は、コデ、す』

 その一角に赤い点が灯る。

 「何これぇ?」

 ルダリスが、興味津々にホログラムをあちこちから眺めた。

 「ルダリス…これが今私達がいる建物の地図みたい。この赤い点が、今私達がいる場所を示してるの」

 「部屋いっぱあい!いちにーさん、しー…」

 (本当に…なんて広大なの)

 今いるこの部屋だって、一般的な住居と比べればかなり広い―――でもこの展開図を見ると、この部屋より大きいものも小さいものも含めてあと30部屋以上も部屋があることになる。

 建物の構造は全体を俯瞰してみると、中央が曲線的に膨らんだ横に長い長方形の形をしていて、それを中心に同じ形をした中央のものより少し小さい建物が、左右それぞれ斜め上を向いて併設されている。

 その左右の建物も含めれば、部屋数は百近いものになる。

 私たち二人は中央棟の左寄りの奥の一室に今現在いる。中央棟を横一直線に割った形で大きな通路があり、その通路を中心にして上下左右に細かな通路が走っていた。

 「…ウィルカ、私今居るここは何階?建物全体は何階建てなの?」

 『オ二人、いルフロアは…に、二階となり――…タ、て物は地下二階…地ジョウ、かいが五階、になってオリま』

 「凄いわね、本当に大きなお城なんだ――…」

 この規模のフロアが、少なくともあと六層はあるという事になる。

 「おっきー!ユウ、ルダリス全部行ってみたい」

 ルダリスは今すぐにも飛び出して行きそうにして言う。

 「ルダリス待って。私は――…安全に過ごせる場所を確保したい。まずは寒さに晒されないで眠れる場所に、食べ物…それにここから出ていくつもりなら、そのための道具や衣類、携帯食なんかもーー…」

 私は強く爪を噛んで、考えるだに増していく不安や混乱を必死に抑え込もうとした。

 (先を考えようとすればするほど、考えがまとまらなくなる…あぁもうやだっーー…今ここにいるだけで精一杯で、先の事なんて考えたくもないのにっ!!)

 こみ上げる不安と、現状に感じる理不尽さに対する怒りで視界が暗く歪み始めたその時、ルダリスが心配げな表情で私の顔をのぞき込んで私の背中を擦って来た。

 「ユウ、気持ち悪い?ルダリスなでてあげる」

 力加減がいまいち分からないのか、ルダリスが擦る度に反動で私の体が動いてしまう。私を見つめるその瞳はまるで母親を心配する幼子の様に、純粋な心で満ちていた。

 「…ルダリス」

 厚いセーター越しにも、背中に触れるルダリスの手がなぜか温かく感じる。

 (…確かにルダリスは子供みたいで、頼りにはならないかもしれないけど―――…少なくとも、今私は独りぼっちじゃない)

 私は深く息を吐くと、波立つ気持ちを落ち着かせ冷静になろうとした。

 「…ありがとう、ルダリス。気持ち悪いんじゃなくて――…先の事を考えて、少し落ち込んでたの」

 小さく笑った私の顔を、ルダリスは頭を傾げ更にのぞき込んだ。金色の瞳に間近に見つめられ、私はその不思議な輝きを放つ双眸に見入った。

 「…ルダリス、ユウ守る。ユウの安心な場所ルダリスさがす」

 例え子供じみたたわ言だとしてもーーーその拙い言葉は、不安に苛まれていた私の心にシンプルに響いた

 「うん…一緒に探そう、ルダリス」

 「さがすー!」

 表情が和らいだ私に安心したのか、ルダリスははしゃいだ声を上げた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ