第三話
【真理編】
「あぎゃあ゛あ゛あ゛~~~っっ!!!うわ゛ぅ゛あ゛△※□◎×%?@◇#¥~~~~っっっ!!!」
自分でも何を叫んでいるのか分からないほど、思考が完全にストップしていた。
だって―――今あたしは下校途中いきなり宇宙空間に放り出され、銀河まで飛ばされ、挙句の果ては見たことも無い惑星に向かって落下中なのだ。
和晴や透子や紫苑が、皆バラバラに引き離されて落下していく―――もしかしてあたし達ってもう2度と会えないのかも…なんてことが一瞬頭をよぎった矢先、あたしの意識は遠のいて景色が完全にブラックアウトした。
突然あたしは、パッチリと目を覚ました。
一瞬ここは天国なんだと本気で思った。だって―――…
「…天空の城、いや“島”がいっぱい…」
見上げた青空には空と雲と―――島がいくつも、どういう原理か知らないけど宙に浮かびながら、バラバラな方向に向かってゆっくりと漂っていた。
「………―――――…」
あたし、生きてんだろうか。そう考えたあたしは、何となく自分の顔を思いきり叩いてみた。
「いったぁあ!!夢じゃないってこと!?あたし、まだ生きてるって…」
なんとも乾いた良い音が響いて、次に凄まじい痛みを感じたあたしは上体を起こすとまじまじと自分の両手を眺めた。
「え゛、ぇえ゛~~っ!?リアル?…リアルアブダクションんんっ!?宇宙人に攫われて、未知の惑星に今あたしはっ…―――…って、どぅおぉすりゃいいのよぉおお~~~~っっ!!!」
よぉ~っよぉおぅ~っと遠くの空に虚しくこだましていく叫び声を聞きながら、頭を抱えたあたしは途方に暮れた。
(どっ…どうしようっ皆いないしっ、とにかく人がいるところ―――…って、いたって言葉通じないっしょ!?何か…何かすっごく怖くなって来たあっ…!)
見渡す限りの視界の先には、木もまばらな岩山がどこまでもなだらかに広がる光景で、あたしは今現在その岩山の一つの山裾に近い辺りにいた。
立ち上がって眼下を望んでも、岩山の間に流れる川が地平線へと向かって流れるばかりで、人里なんておろか、人いるの気配すら全く感じられない荒野のど真ん中にあたしは立ち尽くしていた。
見れば見るほど全身の血の気が引いていくのを感じながら、しばらくあたしは呆然と立ち尽くした。
「いや…無理っしょ。ネットに頼って生きて来たモヤシ人間が、こんな場所から一体どうやって生きて帰還するっていうの…」
カクンッと不意に全身の力が抜けると、あたしは四つん這いになって地面を見つめた。
「おぉおおっ…待って待って待って、冷静にならなきゃっ…れれ、れいれっ…」
その時地面をサカサカと横切る、今まで見たことも無いフォルムの虫が視界に入り、途端にあたしは尻もちをついてそのままの姿勢で両足を動かしてザカザカと素早く地面を後ずさりした。
「ひっ…ひぃいいっ!!ムリムリムリムリぃいっっ!!!こんなの食って生き抜かなきゃなんてっ…―」
見たことも無い虫さんはこちらをん?と振り返り、すぐに興味を失くした様子で去って行った。あたしは両足をおっぴろげたまま、空に向かって大きくため息をついた。
目覚めてから数分―――すでに心が大きく挫けていた。
「…確か、陽が落ちるまでに、安全な寝床を確保するんだよね…――今日はもう、歩き回る気力なんて出ないし…とりあえず寝床――…あと火っ…て、点け方知らないし…」
あたしはヨロヨロと立ち上がると、太陽がどこにあるか確かめた。それで陽が出る間の行動時間が何となくわかるだろうし、今現在の時間も分かるかもしれない。
太陽は今、視界の左の方にあった。この太陽が上に上がるのか下がるのかは分からない、もう少し時間が経つのを待たないと。
「…あと、寝床になりそうな場所はぁ…」
辺りをよく見まわすと、あたしの立っている岩山は黄褐色の岩肌の断崖が上に向かってピラミッド状になって重なる地形になっていて、岩肌にはまばらな樹木が茂っていた。少し移動して下を見ると、下へ行けば行くほど生い茂る樹木は多くなり、谷合は樹木が密集していた。
「むむぅ~…下に行けば食べれるモンもありそうだけど…あたしがエサにされる危険性も出てくるよなぁ~…―――…あり?」
川沿いに沿って右から左へ景色を確認していた、その時。視界の端に、何かがキラリと光るのが目に入った。
「ん…?何かの、建物?人工物っぽくない?」
目を細めて見てみると、岩肌に半ば埋もれるようにして青緑色の建物の一部が見え隠れしている。
「はぇ~何でだろ。…何か、R.P.Gのクエスト発生イベみたい―――…やっぱ、行ってみるべき?」
いやいや行ってどうすんの。中にモンスターでもいたらどうすんの、丸腰ですよあたしゃあ。たいがいの初期装備アイテムである“木の棒”でも持ってけばいいわけ?
「でも非…っ常ぉお~に気になりますなぁ。入り口があるわけでもないだろうしーー…見るだけ、ちょっと見るだけなら…」
キョロキョロと辺りを見回すと、下へ下っていけそうなルートがいくつか見つかった。あたしはその内で遺跡の近くに降りれそうなルートを選んで、岩肌を下り始めた。
「はぁっ…人がいないと、下からパンツ見られる心配ないから、楽でいいよねぇ~」
結構崩れやすい足場に足を取られそうになりつつ、少し急になった斜面を足を延ばして降りながら、あたしは益体も無い独り言を呟きつつ慎重に斜面を下った。
下り始めてしばらくたったところで、改めて太陽の位置を見るとどうやら上昇しているらしく、日照時間はまだありそうだと判断した。
でもその分気温が上昇して来て、斜面を歩き詰めのあたしは体力が無いせいもあってかうっすらと汗をかいた。
「あ゛~日ごろの運動不足が、たたってきますな~」
さっきからずっとどうしようもない独り言を言ってる気がするが、今は黙り込むのが嫌で、喋ることで何とか今の状況に対する恐怖を何とかごまかそうとしている自分がいる。
斜面は急になってきているが、下まで行けばその斜面がなだらかになって遺跡まで続いている。あたしは逸る気を押さえ、汗をかいてずれたメガネを押し上げて歩きを再開した。
それからまた数十分は経ったと思う頃―――あたしは山裾の一番下の辺りまで何とか無事にやってこれた。
さすがにこの辺りまで来ると背の低い木々が周囲に生えていて、花を咲かせているものもちらほらと見受けられる。
「ここからさらに下に下れば、川に出るんだ――…でもまずはっと」
あたしは降りてきた斜面をぐるりと左回りに歩き、その先の岩床になっている場所までやって来た。
「ぅ、わぁ―…」
岩山と同化するように、右斜め下から上へ向かって何かの建物の一部が突き出ていた。
流線型のフォルムの建物の材質は、レンガや石材ではなかった。タイルが積み重なったような、青緑色の金属素材が建物の表面を覆い、太陽光を浴びると金属の中の内容物がキラキラと雲母の様に輝いていた。
「えぇ~何か、遺跡とかの古さが全然無いなぁ…」
建物は尖塔が左斜めになって地上から突き出た形になっていて、一メートル以上上の方には大きな割れた窓が見えた。割れた窓ガラスの欠片がその下にいくつか転がっていて、あたしはその一つを手に取って眺めた。
眼鏡を押し上げながら観察すると、ガラスは何かのごく薄い機械の電子回路版を挟んで構成されているようだった。
「むぅ~…やはりSFやファンタジーの定石通り、古代文明は超科学技術を誇っていたって設定ですかね、こりゃ…」
あたしは上にぽっかりと開いた窓枠を見て、ゴクリと唾をのんだ。
「どうしよ…中に猛獣でも入り込んでたら…っていうか、セキュリティなんかが生きてたらどうすんのよ…」
――――でも行きたい。
このまま荒野でさまよって野垂れ死ぬより、誰かが作った人工物の中のほうがまだましかもしれない。
「う゛~…ね。もしかしたら何か役に立つものがあるかもだし――…でへへへ」
自分以外の誰かになぜか言い訳しつつあたしは長い助走を取ると走り出し、一気にジャンプして窓枠下の建物の縁に両手を掛けた。
「ぬぉおっ!?えっと足っ、足を~…」
どこかにあるはずの金属タイルのでっぱりに足を掛けようと、急いで右足をさまよわせたその時。
「足はここに掛けたほうがいいのでは?」
いきなり掛けられた声と共にあたしの右足が取られると、でっぱりにひょいっと足が勝手にかけられた。
「…っ…!!ぅわあっ、わわわわあっ!!」
あまりに突然の出来事に度肝を抜かれたあたしは思わず両手を離してしまい、そのまま落下した地面に思いきり尻を打ち付けてしまった。
「ぅあ゛っ…いぃっだぁあ゛~い゛いっ!!尻ぃっ、尻ぶつけたぁあ~…っ!!」
あたしは四つん這いになって尻をさすりながら、痛みに悶絶した。
「すまないーー…びっくりさせてしまったようですね」
あたしはそうだよっ!!っと心で激しくツッコみを入れつつ、涙目で後ろを振り返った。
「…え…?」
そしてそのまま呆気に取られてしまった。
あたしの背後に立っていたのは―――…まぎれもなく“人間”だった。
年齢は20代後半くらい。やせぎすに思える全身針金のような体格は、ひょろりと高い。
緩やかに波打つ暗い銀髪は、後ろで一つに縛られ背中の辺りまで伸びている。肌が少し病的なほどに青白く、こけた頬に全てが鋭角的な顔立ち――――その中で紫色の双眸が、細いメタルフレームの銀縁の眼鏡の奥からこちらを見つめている。
(…何だか、不治の病でも罹ってそうな…)
灰色のインバネスコートの下には白銀のシャツ。そのシャツの首元には、シャツより少し暗い色の変わった形のネクタイを付けている。
白いパンツに黒い細ベルトを着け、足元は暗灰色の長い革のブーツに、手には灰色の皮手袋――――とにかく全体がしつこいくらい灰色に統一されたワントーンコーデで、見ているだけで目がかすんでくるような奇妙ないでたちのその男性は、私と目が合うと薄くクマの浮いた暗い瞳でニッと目を細めた。
「…っ…人、間―…」
フラフラと立ち上がったあたしは、一気に男性の元へ駆け寄りその両腕を掴んだ。
「人間なんですよねっ!!ぁあっ、あなたはっ…」
「“ニンゲン”――…それが君達の惑星での、種族を表す言葉なのか」
「へ?あ、そうですけどーー…え?惑星?」
男性は無言であたしを見つめた。その瞳はまるで蛇のように光が無く冷たく、あたしは掴んだ両腕から手を離してじりじりと後ずさった。
「え、えぇっと…もしかして、もしかしなくっても―――…ここって、やっぱ異星人の、惑星…なんですかねぇ?」
(何か…信用しちゃいけないヤバイ系の匂いがする…なんか怖いよ、この人…!)
「――…君はどう思う?君の惑星には、こんな風に島が空に浮かんでいるのか?」
男性は薄い笑みを浮かべながら、あたしの質問に質問で返した。
「…っ…あたし、友達を探してるんです!!あたしみたいに、その…ここに連れてこられてっ…――何か、あなたは知ってるんですかっ!?」
男性は顎に手を当てて考えながら、あらぬほうを見て呟いた。
「…なるほど、他にもいるのか」
「え!?今なんて…」
そこでいきなり男性はこちらを振り向き、にっこりと笑っていった。
「すまない、何も知らないんだ」
「ぇえっ!?いやでもっ…」
「私は、古代文明の研究をしている者でね。…自分がなぜ“この姿”なのか分からなくて、それでその解明のカギは古代文明にあるのではと、昔から研究を続けている身なんだ」
「この姿…?何も、おかしな所なんて――ー…あ、髪とか目の色?」
男性は首を振った。
「ーー…いや、それよりももっと“根本的な”違いだ、…君もいずれ解るはず。さて――…自己紹介がまだでしたね、私は“シルヴァーン”という。…君は?」
何が何だか分からないことだらけで、しかもそれに対する答えはどうやら目の前の人物からは期待出来そうにない。あたしは溜まりに溜まった疑問やら不安やら腹立ちに、思わず両手でグシャグシャと自分の髪をかきむしった。
「…っだぁあ゛あ゛あ゛~~~っ!!もぉおお゛っ、何なのこの状況おっ!!何っであたしがこんな目に遭わなきゃなんないんだぁああ――――っ!!!」
ぬわぁああ――――っ!!!とひとしきり叫んで思い切り取り乱しているあたしを、シルヴァーンと名乗った男性は表情も変えずに見つめている。
「あの゛ぉっ…あたしは、中林真理っす!いきなりこの星に攫われて、行き倒れ途中のっ…異星人です!!」
あたしは半ばやけくその気分になって、そう自己紹介した。シルヴァーンは目を細めてしばらく沈黙すると、例の嘘くさい笑みを浮かべた。
「そうか―――…では君のことは“マリ”と呼べばいいかい?」
「え゛っ!?あ、はぁ――…」
取り乱しまくって醜態をさらしたのに、あまりにもあっさりと受け入れられて拍子抜けしたあたしに向かってシルヴァーンはうなずくと、そのままあたしの背後に視線を向けた。
「…良いものを発見しましたね。多分、まだ誰にも荒らされていない遺跡かもしれない」
あたしも一緒に振り返りながら、青緑色の建物を見上げた。
「…これってやっぱ、遺跡なんすか――…っていうかシルヴァーン…さん、はどうやってここへ?あたし、さっさとこんな場所から脱出したいんですけどっ…」
遺跡に近づき、金属タイルを調べていたシルヴァーンは背を向けたまま答えた。
「大丈夫、移動手段はちゃんとあります。それよりー―…ここ、調査しましょうよ」
シルヴァーンは振り返ると笑顔でそう言った。
「でぇえ!?あ、いや…あたしなんてそこいらのただのJKだし、そんな遺跡探査って柄じゃあ…」
「じゃあ私が先行しますね。マリ君は付いて来て下さい」
「ぇえ゛っ!?ちょ、ちょっと、あたし遠回しに行きたくないって――…ぁあっ!?」
シルヴァーンはあたしの言葉を完全に無視して態勢を少し屈めると一気に跳躍し、2メートル近くある高さをいとも簡単に飛び越え窓辺に軽やかに着地した。
シルヴァーンは振り返ると、あたしを見てにっこりと笑みを浮かべ片腕を差し出した。
「ほら、マリ君。私が手伝いますから」
「うぇええ~~…」
あたしが渋っている間にも、シルヴァーンは笑顔で手を差し出したまま待っている。とうとう根負けしたあたしは肩を落とし、助走を取って窓辺へ向かって駆け出すと一気にジャンプしてシルヴァーンの手を掴んだ。
体格はあんなに細っこいのにシルヴァーンの力は思いの他強くて、決して軽くはないあたしの体があっさりと窓辺の上へと引き上げられてしまった。
「……あ、りがとう、ございます…」
予想外な出来事に手を握ったまま思わず感謝したあたしを、背の高いシルヴァーンは不思議な表情で見下ろした。
(…あれ?何か――…普通の瞳じゃ、ない…?)
あたしを見下ろす眼鏡越しの紫の瞳の虹彩の中に、銀色の細かな電子部品の配線のような光がチカチカと瞬いている。
次の瞬間、あたしは男の人と手を握って間近に見つめ合っている事にはたと気付き、慌ててその手を離した。
「あっ、あはははあっ…!いやぁ~凄い力っすね!何かスポーツでもされてるんですかぁ」
「いえ何も。あぁ――…何だかわくわくしますねぇ、中で階段が下へ続いていますよ」
弾んだ声のシルヴァーンの傍らから建物の中をのぞき込むと、確かに傾いた螺旋階段が地中深くへと続いていた。シルヴァーンはそのままろくに安全も確かめず、ひょいっと螺旋階段へ降り立った。
「ほっ、本当に行くんすか!?閉じ込められたらどうするんですか!?」
シルヴァーンは振り返って笑顔を浮かべた。
「大丈夫、私が君を守ります。さ、行きましょう」
そう言ってシルヴァーンは、あたしを置いてさっさと階段を下り始めてしまった。
「ちょちょっ、待ってぇ~~~!」
大いに慌てたあたしは壁を伝って足から慎重に螺旋階段へ降り、急いでシルヴァーンの後を追った。
「何か、どんどん広くなってないっすか…」
螺旋階段を下りるにつれて太陽の光は力を失い、その代わりに湿気をはらんだ闇が空間を支配していった。
シルヴァーンが青白い光の球を2つ生み出し(全く分からない言語で何か言った途端に出来た)、それが2人の周囲の空中に浮かんで常に付いて来てくれるおかげで、あたし達は何とかここまで来れた。
「―ッ!!に゛ぎゃあああっ!!…なっ何すかこれぇ!?」
その時いきなり暗闇の中から半分壊れた石像がぬっと出現し、ビビったあたしは思わず情けない声を上げてしまった。
全長2メートルほどの青いラピスラズリに良く似た石で構成されたその石像は、改めて良く見てみるととても豪華で美しい女性の像だった。
青い体は所々壊れてしまっていたが髪が本物のように一本一本細かく彫刻され、長いその髪がうねりながら女性の優美な曲線を描いた全身を彩っている。金色のドレープが女性の体の各所を、まさに風がたなびくように覆っているのを見て、これがとても腕の立つ職人によって彫刻された代物であることは誰の目から見ても明らかだった。
「実に美しい石像ですね――…金藍石でこれほどの彫刻とは…」
シルヴァーンは心底感心したように、石像のあちこちを見渡しながら呟いた。
「うはぁ~化け物の彫刻だったらヤバかったっすよ…あぁ~せっかくのお顔に、ひびが入っちゃってますねぇ」
「それでも、古代文明の一級品の遺物に間違いはないですよ。―――…“陛下”に良い手土産が出来た」
「?あの、陛下って…?」
「じゃあ次、行ってみましょうか」
シルヴァーンは例の嘘くさい笑みを浮かべて言うと、さらに下へ続く階段を下り始めた。
「――――……」
(…やっぱこの人、怪しすぎる…っ)
いきなり現れたのもそうだけど、何か魂胆があるのが言動の端々にうかがえる。
(真理よ…気を引き締めてかかりんさい。こちとら一介のJK――…手籠めにされることだけはっ…!)
あたしは男の背中を疑い深く睨め付けると、再び階段を下り始めた。
螺旋階段を下りる間にも、いくつもの彫刻やレリーフがその途中に飾られていた。
「…あの、シルヴァーンさん。ここってやっぱり――…美術館、とかですか?」
「さぁそれは…もう少し詳しく調べてみないと分かりませんね。もしかすると、個人の邸宅なのかもしれませんし」
「はぁ、個人…。―…ッ!!シルヴァーンさんっ!あれって横道じゃないっすか!?」
螺旋階段の外側の壁に出入り口があり、その奥には廊下がまっすぐに続いている。
「先に光球で照らしてみましょう」
シルヴァーンが片手を暗がりに沈む廊下の奥へと差し伸べると、空中に浮いていた光球の一つが先導する様にスッと進み始め、奥の暗闇を照らし出した。
「うっ…わあ~…」
照らし出された光景を見て、あたしは思わず感嘆の声を上げてしまった。
まるでどこぞの王国の宮殿みたいだ。建物のどこをとっても豪華な装飾が施されていて、彫刻やレリーフがその間を縫うように設置されている。
(やっぱ異星人の宮殿なだけあって、地球の装飾とはまた全然違うなぁ)
「防犯システムも死んでいるようですね。部屋の入り口もいくつかありますよ、どこかに入ってみましょうか」
シルヴァーンは勝手知ったる風に、何の警戒も無く廊下を進んでいく。手近にあった扉の前に立つと、金属製の細長い四角のノブらしきものに手を触れ、それをぐっと押し込んだ。扉は音を立てて内側に簡単に開き、あたしはシルヴァーンの背後から部屋の中をのぞき込んだ。
光球が先に部屋の中に侵入し、部屋全体を照らし出した。
「…な、何すか、これ…」
あたしは目の前にそびえる、数メートル四方の紺色の四角い“石”を見上げて呆然と呟いた。
部屋のほぼ全てを占領するその石の他はこの部屋には何もない。部屋の天井や壁には他の場所と同様見事な装飾が施されているのに比べ、でっかい石には何の装飾も無く見事なまでにただ四角いだけの石で、その自然なままの姿はあまりに周囲から浮いていた。
呆気に取られ立ち尽くすあたしの傍らを過ぎ、シルヴァーンが石へと近づいて行く。
「マリ君…これは当たりですよ。この部屋は多分、この建物のコントロールルームです」
「コントロール?へ、この石で?」
「―――…システムがまだ生きているのか、試してみましょう」
そう宣言したシルヴァーンの体を中心にして、銀色の“光の輪”が空中に出現して回転を始めた。
「ん゛な゛っ…!!」
回転する銀色の輪の周囲に、いくつもの幾何学的な紋章が浮かび上がり輪と共に回転した。シルヴァーンはその状態のまま、左の手のひらで石に触れた。
「――――…」
あたしは固唾を飲みながら何が起きるのか見守った。
シルヴァーンの銀の紋章が激しく回転し、次々と前面へと移動しながら次の紋章とチェンジしていく。
あるものは前面に残り、あるものは背後に移動し―――前面に残った複数の紋章はさらに複雑に形を変えて絡み合い、一つの別の紋章へと変化しようとしていた。
「ゲセト・イム・フォロス…アエクデティカ・イオ―――…カドゥン…」
シルヴァーンは別人の様に真剣な表情で何か分からない言語を吐き続け、画面の紋章がそれに反応している。
(な、何か…魔法使いみたいっすね)
あたしは目前で行われている事の全てが理解出来ないまま、でもシルヴァーンの見せる真剣な表情に気圧され、ただ邪魔だけはしない様に見守り続けていた。
「フェギスト…――レッゲアシュトゥーム・ヨレンド…―――開きますよ、マキ君」
「えっ…はえ!?」
シルヴァーンの前面で織り上げられた銀の紋章が完全な円形と化し、紋章の輝度がさらに上がった―――その時。
ウォオオ――…ン!!
石から異音が響き出すと同時にその中心部に青い光が灯り、段々と輝度を増しーーーやがて石全体が青い光で満たされた。
すると四角い石の壁面が半透明に変化し、石の中から良く分からない礎石の様なものが見え始め、透明化は更に進みーーーー完全な“モニタールーム”が石の中から姿を見せた。
「…っ…な、な゛んっじゃこりゃぁあっ!?」
あたしはアホみたいに大口を開けて叫びながら、目前の奇術としか言えない現象に圧倒された。
「パスワードは解除したので後は自由に出来ますよ。さあ、行きましょう」
「へ?行くって…」
シルヴァーンは先に歩き出し、石の部屋へ近づいた。
「え、ちょ…」
壁にぶつかるよっ、と言おうとしたあたしの言葉はシルヴァーンがそのままスルリと石の壁を通過し、石の中へと入ってしまったことで途中で消えてしまった。
「――…マリ君、君も早く」
シルヴァーンが目を細めて薄く笑いながらあたしを一旦振り返り、すぐに部屋の中央にあるデスクらしきものの方へ再び歩き出した。
あたしはおそるおそる腕を伸ばして、確かにさっきまであったはずの石の壁に触ろうとした。だけどあたしの腕はわずかな感触を感じただけで石の壁を難なく通過してしまい、たまげたあたしは思わずサッと腕を引っ込めた。
「っす、スゲぇ~何この技術、超便利ぃ~っ!」
勢いづいたあたしは今度は大きく一歩踏み込んで、体ごと壁を突破してみた。体全体に何かごく薄く柔らかな物に触れた感触が走っただけで、あたしの体は何の障害も無いまま石の部屋の中に侵入した。
あたしが後ろを振り返ると、うっすらと青く色付いたほぼ透明な壁面を通して石の外側が透けて見え、あたしの口から感嘆の声が漏れた。
「リェメルド・モォルン・シェイナァク…――」
シルヴァーンは部屋の中心にある、半弧型の紺色の石で出来たデスク(多分だけど)の前で、またしても理解不能な言語を使って何か作業していた。
部屋は十メートル四方ほど、中心に半弧型の例のデスクがある。デスクから少し離れて外国のお墓の様な形の、デスクと同じ素材のいくつかの石碑がデスクを取り囲んでいた。部屋の中は、光射す海中の様に淡く青い光が満ちていて、暗すぎて何も見えないといったことは無かった。
シルヴァーンが言葉を途切れさせると、デスクの机上にまたもや銀の紋章が浮かび、それは静かに回転しながら宙に止まった。
シルヴァーンはそれを確認すると、自身の左手をその紋章に触れさせた。
ウィ…ィイイイ――…ンン!!
「ふぉお…!?」
触れた途端に半弧形のデスクから、幾筋もの水色の光線がデスクの表面を伝って全体を覆い始め、光線はそのまま床を伝って四方を取り囲む石碑に向かって広がり出した。
同時にデスクの上空に半透明の四角いモニター画面がいくつも浮かび、デスクの表面にも様々なボタンやPCのキーボードのようなものが浮かび上がった。
低い機械の駆動音が満ちた部屋は、先程までの時間が経ったまま死んでいた空間とは思えない程一変していた。
「システムに侵入出来ました―――…なるほど」
シルヴァーンはどこか上の空な様子でそう呟くと、そのままキーボードを両手で使って操作しながら猛スピードで何かを調査し始めた。
あたしはそろそろと移動して、シルヴァーンの後ろから上空に浮かんだホログラム画面をのぞいた。
(…あ、これ監視映像?いくつか壊れてるけど――…)
それにその下のモニター画面は館内の異常個所を示しているらしく、用紙が重なる様に画面が重なっていた。
空に浮かぶ大小様々なモニターを、あたしは口を半開きにしてしばらく眺めていたけれどーーーその内飽きてきてしまった。シルヴァーンの方を見ると、あたしの存在など忘れた様にモニターを操作する事に集中し、様々な表示を興味深そうに眺めている。そのあまりに熱心な様子に声を掛けることがためらわれて、あたしは手持無沙汰のまま周囲を見回しながらぶらぶらと歩き始めた。
(凄いなぁ~…ほんとに高度な文明って感じ。あの彫像の姿、あれどう見ても人間に近かったよねぇ…。何でこんな遺跡みたいになってるんだろ、こんなすごい技術力があったのに…)
そう考えていたあたしはふと足を止めた。目の前には、半弧型のデスクを取り囲んで小さな石碑がある。あたしはしゃがんでそれをじっくりと眺めてみた。
太い水色の光線がデスクからこの石碑まで走っている。そこから川の支流の様に、太さも様々な細かな光線が石碑の表面を覆い、水色の光線が毛細血管を流れる血液の様にゆるやかな水色の流れを作っていた。
(見れば見るほど――…わけわからん。でも、綺麗だな…)
あたしはその輝きに魅入られた様に、半ば無意識に左手で石碑に触れた。
「…え…?」
その途端に、あたしの左手首に明るい黄色の光の紋章がいきなり浮かび上がり輝き始めた。
ドッックゥンンン…ッッッ!!!
心臓の鼓動が大きく一つ打った。
その瞬間ーーー自分の意志とは全く無関係に、見たことも無い映像があたしの脳裏に走馬灯のように流れ出した。
良く晴れた青い海の様な色の、流線的な装飾模様が城の外壁全体を彩っている。
一体どうやって建築したのか分らないほど程、優美な曲線で構成された巨大な城郭が、今あたしの目の前にそびえ立って陽の光を浴びて光っている。
まさに本当の海中の様に、外壁が光を内包して揺らめいていた。
見たことのない動物や、人間に近い体をした半透明の白い鉱石の彫像が城の外壁のあちこちに象られーーーその城の周囲には、辺りを取り囲むとてつもなく大きな木々や自然そのものといった感じの幾筋もの苔むした小川が流れ、美しい花を付けた植物が狂った様に咲き乱れている。
花や木々の間を小鳥や蝶や昆虫が活発に行き交い、その様子はまさに“天上の楽園”としか言いようのないものだった。
と突然、私の傍らを何かが後ろに向かって通り過ぎる気配がして振り向くと、辺りの景色がなぜか一変していた。
どこまでも深い透明度を誇るエメラルド色の湖の中に、白亜の建物がいくつも経っている。
湖には様々な種類の水草が深い森の様に生い茂り、大小さまざまな魚がその中を光を反射しながら優美に泳ぎ回っていた。
湖の水の中まで建物は存在し、水中や湖水の上の建物の中で“人間”達が宴を開いている。
“人間”―――そう、あれは確かに人間としか、形容出来ない。
白い翼の生えたほっそりとした体格の人間が、水中をその翼を使って飛び回っている。その頭部は白に黒い斑点模様の“豹”で、背中から臀部にかけて同じ模様の毛皮が生え、長い尾が水中にたなびいている。
白豹人間は時々両手で水をかきながら、魚同様に水中を何の抵抗も無く泳ぎ回り息継ぎさえしていなかった。
湖上では巨大な睡蓮がいくつも花を咲かせ、その大きな花の中で世にも美しい女達が笑いながら歓談している。
その姿はまさに“花の妖精”そのもので、長い髪は色とりどりの薄く光りに透けた花びらで出来ていて、光を宿した豪華なドレスにしか見えないそれも、良く見れば彼女達から伸びた花びらだった。
人々は皆一様に笑いさざめきながら水中や湖上―――そして空中で、様々な姿をした人間があちこちで優雅な時間を過ごしている。
(…何、なんなの、この人達――…)
あたしはその光景に見入っている内に何だか目がチカチカして来て、悪酔いでもしたように気持ち悪さを覚え始めた。
「こんなの…あるわけない…こんなの―ー…」
あたしが気分の悪さに耐え切れなくなって顔を覆った瞬間、突然ブレーカーが落ちた様に景色が消失し、無機質な“闇”があたしを包み込んだ。
「へぇーー…途絶したネットワークを辿って、ここまで来るなんて…あの子に授けたはずの“力”が、残りの者にまで波及してしまったらしいな」
掛けられた声にハッとなって振り向いたあたしから少し離れた闇の中に、一人の若い男が立っていた。
白金のクシャクシャにうねった鳥の巣のような肩までの髪に、目が隠れた白い肌―――ラフでゆったりとした白シャツとパンツをはき、なぜか足は裸足というその男はあたしの姿を見てため息交じりに笑った。
「これは大いに計算外だな――…彼女一人に与えたはずの優位性が、これでは薄まってしまう」
「……あ」
あたしはしばらくの間フリーズし、やっとのことで出したその声は情けなくひっくり返っていた。
「―…ぁあ゛っ」
男は首を傾げた。
「…あっ…あなた、誰ですか…?」
男は意味深な笑みを浮かべると答えた。
「僕は――…君達の友達の、更に古い友達だよ。アトリ…あぁ違う、今は確か――…“カズハ”だっけ?」
あたしは男の口から出た単語に、大きく目を見開いた。
「かっ―…和晴っ!?なん゛っ…生きてるんですか、和晴!!!」
「う~ん、ちょっと厳しい状況かもしれないな――…でも」
「ととっ、というか!!ここ一体どこなんです!?絶対地球じゃないでしょ!いきなりこんなとこ――…あの時聞こえた声っ!!あれ、もしかしてあんたでしょう!!?」
あたしは両腕をめちゃくちゃに振りながら、勢い込んで詰め寄った。
「ん~…それに関しては、確かに僕にも非があるような何というか…」
男はあたしに向かって両手をヒラヒラと振りながら、脱力した笑みを浮かべて言う。
「ちょっとぉおっっ!!!今すぐ地球へ帰してよっ!!こっちは笑いごとなんかじゃないっつーの!!見たいアニメやマンガどうすんの!!これから先一生マンガもアニメも無い世界なんて…考えたくも無いんだけどっ!!!」
言っててあれ?あたしの心配ってそんな大したことない事なん?と、頭の中で自分で自分にツッコんた。男はワシワシと後頭部を掻いて、う~んと難しい声を出した。
「…もし君がいれば、アトリも僕の話を聞いてくれるかな…――よし、いいだろう。ここから君を連れ出してあげる。…まぁ地球ではないけど」
男はそう言うと、あたしに向かって左手を差し伸べた。
「ぇえ゛え゛っ!?…いやっ、地球って言ってんじゃん!!ていうか和晴はどうすんのよ!?」
あたしは男の手から後ずさりながら答えた。
「まーまー悪いようにはしないから」
男はヘラヘラしながら軽い調子でそう言った。
(思い切り信用出来ないっ!!というか…何かこいつが諸悪の根源っぽいじゃんか!!)
あたしは首をブンブンと振り、男の有難くもない提案を全力で拒否した。
「い゛っぃいい゛嫌だっっ!!!し、知らない人に付いてっちゃダメって、小林家の家訓に書いてあるからあっ!!」
「あぁうん、君の意志はどうでも良いんだ。それ以上逃げないで」
男が左手の人差し指であたしを指さした途端、あたしを中心にして円柱状の白い光の紋章が現れ、海苔巻きの具を包む海苔同然に全身を取り囲んだ。
「―…っ…!!」
瞬間あたしの体は時が止まったように一気に硬直し、その状態のまま一ミリたりとも体を動かせなくなってしまった。
「う゛っ…ぎぎ…っ!」
両腕を防御姿勢で上げたまま動けなくなってしまったあたしは、全身に力を入れて体を動かそうとするけれど、体はピクリとも動かない。
光の紋章は柄を移動させながら形を変え、まるで棺桶のような四角柱となった。
「…うん。このまま君には眠ってもらおうか、暴れられても困るし」
(ちっっきしょぉおっ!!!ふざっけんなこの鳥の巣野郎ぉおっ!!あんたみたいなの全っ然和晴のタイプじゃないから!!和晴はもっと日焼けした、爽やかアスリート系の男がっ…)
頭がズシンッと重くなるのを感じると、まぶたを開けてられない程の眠気が襲い掛かって来た。あたしは何とか抵抗しようと思いまぶたを開けようとするけど、どんどん視界は狭まっていく。
「ふっ―…ぐぬぅう゛っ…!!」
「粘るね。まぁ、無駄な抵抗ではあ…」
「“エルディオン”」
暗闇に響いた硬質な男の声に、エルディオンと呼び掛けられた男がハッとしてあたしの右斜め後ろに素早く視線をやった。
「…へぇ。君――ー…“生き残って”いたのか」
エルディオンは面白そうに呟いた。だけどその声にはさっきまであたしを相手にしていた時のヘラヘラした余裕はなく、どこか声には緊張が孕んでいる。
暗闇の中から現れた人物が、歩きながらあたしの右隣に来てピタリと止まった。あたしは目を動かしてその存在を確かめると、思わず目を見開いた。
(…っ!?シっ、シルヴァ…)
「――ーとっくの昔に死んだと思っていたよ。“ティクト・レナシェーグ”(ナンバー・504)。何せ君は――…まともに話すことすら出来なかった“失敗作”だったからね」
「―――――…」
冷ややかな笑みを含んだエルディオンの挑発にも、シルヴァーンは無言のまま。
(レ、レナシェーグ?失敗作って…この二人、もしかして知り合いなの…!?)
こちらもさっきまでの嘘臭い態度が嘘のように、一切笑みの無い怖いほど真剣な表情でエルディオンを見据えたまま、シルヴァーンは口を開かない。
いつまでも言葉を発しないシルヴァーンに、エルディオンは小首を傾げた。
「…あれ?さっき僕の名前を呼んだと思ったのけど――…もしかして幻聴だったかな?やっぱり君はあの時のまま…」
「お前は何がしたい」
エルディオンは笑顔のまま動きを止めた。
「世界を歪め、全てを自分の思うがままにしてーー…それでこれ以上、何を望む」
(なな、な、何っ…!?一体全体、何の話ししてんの!?)
話のスケールがいきなりでかくなりすぎて、二人の会話に全く付いていけない。何やら二人で込み合った会話を続けそうだからその隙に何とか体の自由を取り戻せないかと、全身に力を込めてみるけどやっぱり全然動かない。
「う゛っぎふぃ゛い゛~~…!!」
(いつまでこんな状態でい続けんだよぉお~~っ!!)
二人のシリアスな会話と引き換えあまりに間抜けな今の自分の状態に、あたしを無視して会話を続ける目の前の二人に対してムカっ腹が立ってきた。
エルディオンの表情から笑みがゆっくりと消えていく。うつむいたエルディオンの気配が冷たいものへと変化するのを見て、それまで腹を立てていたあたしの全身に冷や水を掛けたような寒気が走った。
「…世界を欲しいまま、だって?“世界”…―――実にどうでも良いものだ。そんなもの、命を懸ける価値もない」
「天命人のお前が、それを言うのか」
「君は、そうか――…その“人柱”にもなれなかった自分を哀れんでいるのか。…でも残念、テイドラシステムなど――…多数者によって少数を犠牲にするという下らないエゴイズムを、さも崇高な自己犠牲の目的にすり替えた至上最悪の愚策に過ぎない。――…でも僕がそんなことを言ってしまったら、君の存在価値すらゴミだという事になってしまうな」
最後に酷薄な笑みを浮かべながら、エルディオンは言い終えた。
「――――…やっとだ」
自分を馬鹿にしたエルディオンを無視するかのように一言ポツリと呟いたシルヴァーンを、エルディオンは眉をひそめ不信の眼差しで見返した。
「…何がだ」
うつむいたシルヴァーンがゆっくりと顔を上げた。その顔にはまるで獲物を前にした肉食獣さながらの、凄みのある笑みが浮かんでいた。
「貴様がーーー…私の目の前にようやく現れたという意味だ、エルディオン。…“アドゥラス・システム”の中枢たる貴様に、ようやくアクセスすることがな!!」
「――ッ!!!」
エルディオンが叫んだシルヴァーンから距離を取ろうとしたその瞬間、闇一色だった当たりの景色が変貌した。
あたしを中心に周囲に大小様々な光るホログラムのモニターが出現し、それぞれのモニターの中で解読不可能な小さな文字列が表示され、それが新しい文字列を次々と書き込みながら高速で上へとスクロールされていく。
「システムにっ…」
エルディオンは周囲に浮かぶモニターを見回し、切羽詰まった声を上げた。
「私のワームは優秀だ。貴様が300年もの間独占したシステム…――奪わせてもらおう」
「…っ…ーー偶発的な事態に、とっさに用意したそのスペックで何が出来る…どうやら、アトリの事に目がくらんで時間をかけ過ぎたらしい」
あたしを捕らえていた四角い光の棺桶型のホログラムにノイズが走り、それを機に両手足の先が少しずつ自由を取り戻し始めた。
「…っ!?うっ…ぎぎぃい゛っ…!」
あたしが全身の力を込めて拘束に抗うと、ノイズはますます激しくなって体の自由度が増していった。シルヴァーンが不意に手を伸ばしてあたしの右腕を取った途端、一気に全身の拘束が解除された。
「…っ…シルヴァ―…」
「――去れ。二度とアクセス出来るなど思うな」
シルヴァーンを振り返ろうとしたその時、エルディオンの冷厳な声があたしの耳に届いたーーー刹那空間全体に電子回路に良く似た青い強烈な光が、空に走る稲妻と化してあたし達に迫って来た。
「―…ッ!!」
強烈な閃光に射抜かれると同時に、音にならない衝撃波があたしの全身を襲い体が木の葉のように吹っ飛んだ。
「ぅあああああっっ!!!」
どこへとも分からない空間に投げ出されそうになったあたしの右腕を、シルヴァーンの手がガッチリと掴んでいた。
い゛ったぁあっっ…!!!
強く掴まれたその腕を凄く痛いと感じた瞬間―――あたしはバチッ!!と大きく目を開けた。
「―…あぁ、大丈夫ですかマリ君」
シルヴァーンが膝をついた態勢であたしの顔をのぞき込んで来て、自分が床に大の字になって寝転んでいることが分かった。
辺りは海中のような青い光で満ちていて、意識を失う前のままだった。と突然、頭の中にさっきまでのあれやこれやが走馬灯のようによみがえったあたしは、がばりと勢い良く上体を起こし傍らのシルヴァーンに詰め寄った。
「な゛っ…今の、何なんすかあっ!?あのエル何とかって奴、和晴をっ…――っていうか、やっぱりあなた何者なんですかっ!!」
まったく整理されていないあたしの喚きを聞いても、シルヴァーンは表情を変えない。あたし達の間には無言の間が続いた。
シルヴァーンの事実を全く言おうとしない、その人をバカにしたような態度にあたしはカッとなり、勢い良く立ち上がるとシルヴァーンから離れて睨むように見下ろした。
「今度も何も言わないつもり?…――そうやって人を侮って…一々煙に巻くのっ、いい加減にしてよっっ!!!」
シルヴァーンはあたしと視線を合わそうとしない。
「…っ…!!あたしはねぇ、友達を助けたいのっ!!この世界がとか、テイドラとかっ、良く分かんないことなんかどぅおお~~っっでも良いっっ!!!そんなのあんた達の事情でしょ!?あたしの預かり知らないとこで、勝手にいくらでもやってよっっ!!」
シルヴァーンはそれでもこっちを見ないので、そのツラに張り手でも喰らわせてやろうかとあたしが思った瞬間。
「ーー…だが、どうやって自分の星に帰る」
シルヴァーンがいきなり口を開いた。
「ぬあ゛っ…――…っ…それはっ…あ、あんたならどうにか出来るって言ってんのっ!?」
「…今は無理だ」
「じゃあ、あたし達にどうしろって…―」
「だが手掛かりは手に入れた」
あたしの言葉を遮ったシルヴァーンはそう言うとゆっくりと立ち上がり、あたしを表情の無い顔で見下ろした。
部屋中に満ちる揺らめく青い光に照らし出され、シルヴァーンの痩せた鋭角なその顔は何だか死神じみて青白い。紫色の瞳には光が無く、その不気味な迫力に気圧されたあたしは後ずさった。
「て…手掛かり…?」
あたしは何だか嫌な予感を感じながら、おずおずと聞いた。するとそれを待っていたように、シルヴァーンの顔に薄い笑みが宿った。
「そう…―――かつて我等“セフィラ”が築いた文明の礎であった、中枢ネットワークシステム“アドゥラス”の一部をようやく奴から奪い取った。それを私が独自に復元、構築したシステムに組み込めば―――…もしかすれば、君の友人達を救えるかもしれない」
「へっ…へぇえ~っ、そそれってもちろん無償でぇ、し、しかも善意でやってくれるんですよねえっ!?」
私が必死こいて言ったそのたわごとを、見事なまでに完全に無視したシルヴァーンの目は一切笑っていない。
…ヤバい。完全に相手の術中にはまってる感じがする…あたしには今、相手に示せるろくなカードが何もなく逆に相手はたくさんの手札を持っているような、実にひっ迫した状況に陥っている。
窮地に陥ったネズミ状態のあたしに、白蛇然としたシルヴァーンが冷たく笑いながら詰め寄って来た。
「だが君が縋る手は今…正直な所私以外無いのではないかね、マリ君。私は――…君達の存在にはさして興味を持ってはいない。私は――…」
あたしはシルヴァーンの圧に押されてじりじりと後ずさりながら、とうとう壁際に追い詰められたネズミのような気持ちで、どこかに解決の糸口はないものかと必死に無い頭をフル回転させた。
(マズいマズいマズいよぉおっ…!!何でこんなことになんの!?今まで地味に平凡に目立たず、日陰の道を健全にまっすぐ安全に歩いて来た、このっ…このあたしがぁあ~っ…!!)
じりじりと詰め寄ってくるシルヴァーンから、逃げるように後ずさっていたあたしの背中にガツンっ!と硬い壁が当たった。巨大な影と化したシルヴァーンが、アワアワと顔面蒼白になるあたしを間近から見下ろす。
「…私はただ――――“本当の自分”を、手に入れたいだけだ」
シルヴァーンは光の無い目で言いニィッと、それこそ音がするような感じで目を細めて笑った。
「だからマリ君――…私の研究調査に、ぜひとも協力してくれないかね?」
その時あたしの頭の中で“はい終了ぉ~!”と言わんばかりの鈴の音がチーーーンッ!!と大音量で響き渡った様な気がした。