第二話
【透子編】
無数の光線が彼方に向かって遠ざかっていく中、私は近くの和晴に向かって必死に腕を伸ばした。
「和晴…っ!!」
「透子っ!!」
私と和晴の手が触れそうになった瞬間―――いきなり目の前に見たこともない“惑星”が現れた。
とたんに強烈な力で、私達全員はその惑星に向かって落下し始め、つながれようとしていた私と和晴の手は一瞬で遠ざかってしまった。
「和晴っ真理、紫―…」
それぞれが全員バラバラになって引き離されながら、迫り来る惑星に向かって落下し続けるのを見たのを最後に、私は意識を失ってしまった。
息が―――近づいてくる。何か荒い――…
顔に濡れた冷たさを感じて薄目を開けると、そこには私を見下ろすこげ茶の長毛犬がいて、私と目が合うと犬は小首を傾げた。
遠くに羊の鳴き声が聞こえてくるのは分かったけど、私の意識は引きずり込まれるようにして、重い暗闇の中へと再度落ちていった―――ー。
「―――…ッ!」
次に目覚めた時には周りの風景はガラッと変わり、古びた低い天井の石造りの家の中に私はいた。
毛皮で出来た毛布の中に私は寝かされていて、部屋がランプの光で照らされていることが分かり、今が夜なのだと遅れて気が付いた。
私は片腕を上げ、自分の体にどこか異常はないか確かめてみた。
「…嘘、あんな所から落ちて無傷?ありえない―…」
『おぉ、目ぇ覚めたかね』
しわがれた老人の声がして、私は慌てて上半身を起こして相手を見―――そして絶句した。
「おっ…じいさん。に、人間ですか…?」
私に声を掛けたその人物は、大きな木のテーブルで多分夕食をとっていた。その人物の足元には、首を上げてこちらを見ている1匹の大きな犬がいて、それが意識を失う前に見たものの正体だと分かった。
食事を中断してこちらを見ているその人物は、全身白く長い毛におおわれ、草食動物の横長の瞳孔に長いあごひげ、頭頂部から生えた2本の螺旋を描く角―――…
その人物は、どこをどう見ても“ヤギ”にしか見えなかった。
『ん?人間?わしらは自分のことを“亜獣族”と呼んでおるが…お前さん、“自動人形”じゃないのう、一体何なんじゃ?』
ヤギの老人がスラスラと日本語を話し出したことに驚きつつ、私はベットから起き上がるとその端に座った。服は制服のままで、私の足元には持っていた自分のカバンが立てかけてあった。
「私――…信じられないかもしれませんけど、その―――…違う惑星から来たんです。多分」
ヤギじいさんはポカンとしたまま、しばらくフリーズしてしまった。するとうつむきながら体を震わせ、やがて大笑いし出した。
『だはははははっ!いやいや、何を言い出すかと思ったら。なら何でわしらは会話なぞしとるんじゃ?その姿も、きっとここら辺では見んがどこかの辺境の民なんじゃろ?』
いや~参った参ったと言って食事を再開したヤギじいさんに、あはは…と脱力した笑みを返すことしか出来なかった私はこれ以上の説明は無駄だと悟り、いっちょ目の前のじいさんの話に乗っかってみることにした。
「…あぁ~や、実はそうなんですよ。何だか分かんないけど、すっごく遠くからいきなり連れてこられて、しかも置き去りにされて…もうどうしたらいいのか分かんないまま、野垂れ死にしそうに…」
頭の中には膨大な数のはてなマークが飛び交っていて、半ばやけっぱちな精神状態だったけど、私は引きつった笑顔を顔に張り付けながら何とかそう説明した。
(とにかく今はこのヤギじいさんが頼り…!情報を引き出さないとっ…)
『そりゃ酷い奴もいたもんだ。ほれ、こっち来てお前さんも夕食を食べるといい。チーズのかかったシチューがあるぞ』
正直なところ、のんびり夕食をしてる場合じゃないとは思うけど――…まずは腹ごしらえをして、その間にヤギじいさんに色々教えてもらおうと考え、私は狭い木のテーブルを挟んでじいさんの対面のイスに座った。足元に寝そべっている犬がフンフンと私の足の匂いを嗅いできた。
ヤギじいさんは私の分の食事を運んでくれ、目の前で湯気を立てるチーズのかかったシチューを木のスプーンですくいひと口飲んでみた。
「んっ…濃厚ぉ~。おじいさんこれおいしいね!」
『ほっほっ、そうじゃろう。この年に作ったチーズは出来が良かったからのぉ』
私の腹は途端に空腹を感じて、熱々のシチューを貪るように食べ始めた。
『お前さんをこんなへんぴなとこではなく、山を下りた村にでも届けてやりたいが、今はちょうど夏の放牧シーズンで山を下りれんのだ。あと数週間はわしも犬達も山籠もりじゃなぁ』
「…っ…はぁ、そうですかぁ。――…村への道は、私でも行けますか?」
『むぅ~かなり歩くし、例え下りてもあんた、村に知り合いがいるわけでもないだろう』
「…えぇ多分――…あぁ~こりゃ参ったなあ!」
うんざりした気分に襲われて私は叫んだ。
『…どうだ?山を下りるまでわしの仕事を手伝ってくれるっていうなら、寝床も食事も用意するぞ。それに――…あんたにちょいと、手伝って欲しいこともあるしの』
私は素朴な見た目のずっしり重いパンをちぎり、勧められたバター(香草が練り込まれた)を金属のヘラで塗りながらしばらくの間考え、やがて観念して答えた。
「…それしか、今私に取れる手段は無いですね。…分かりました、やらせてくださいおじいさん。私、本当に何にも分からないんで、色々教えてくれればありがたいです」
『おぉ~良かった良かった。年々色々な作業が辛くなり始めてのぉ。お前さん名前は?わしは羊飼いのフェムじゃ』
フェムじいさんは目を細めて私を見た。
わざわざ倒れてた私を助けて、嫌な顔一つせず食事を与えてくれるとは―――このじいさんとても良い人か、それともかなりのワルなのか…。私は内心警戒しながら、それでも表面上は笑顔で取り繕うと答えた。
「私の名前はトウコ。しばらくよろしくね、フェムじいさん」
床に横になっていた犬が首を上げ、尻尾を揺らしてこちらを見上げた。
【紫苑編】
(和晴ちゃん、皆――…)
見たこともない惑星に、引き寄せられるように墜落していく光景を最後に意識を失った紫苑の体は、落下していきながら光の球体に包まれた。
太陽の光を浴びた昼から夜へ向かって降下した光の球は、宙に浮かんだ大陸の一つへ接近し、その東南にある大きな湖へ向かって更に落下していき―――ー湖面に衝突した。
激しい水柱を上げた湖面を滑るように走った光の球は、やがてゆっくりと水中へと没し、中の紫苑に一切のダメージを負わせないまま、ゆらゆらと水中を漂いながら湖底へ沈んでいった。
湖底を漂っていた光球に、船のエンジン音と共に横に大きく広がった網が湖底を擦りながら近づき、逃げ惑う魚と共に光球は網にからめとられた。
やがて一隻の漁船によって、網が地上へと引き上げられ始めた。
快晴の空のもと、湖には他にも漁船が互いに距離を置いて同じように漁を行っている。鳥の群れが辺りを飛んで騒々しく鳴きかわす中、船上で作業している船員達は一丸となって網を水中から引き揚げていた。
その慣れた様子で働く漁師達は、和晴達のような姿をした者は一人としていなかった。
皆一様に“異形”としか思えない姿形をしていて、様々な肌の色に体の各所には角や鎧の様な装甲など人間では見ない器官が備わっていたりと、人間とも動物とも言えないそんな異形の姿をした彼等が普段生活しているように黙々と働く様は、かえって異様な光景とも思えた。
漁師達が掛け声をかけて網を引き上げていくと、かかった魚が次々と上がってきた。更に網を引き揚げたその時、網の中にあったものに全員が気付いた。
『…何だあ、あれ――…光っとるぞ』
『まさか、魔物じゃないだろうな…』
怪訝に思いつつ手を止めずに引き上げていくと、淡く光る”光球”が次第にはっきりと見えてきた。
『おいっ、あれ…何だ!?』
『中に何かおるぞ…!』
様々な種類の淡水魚と共に引き上げられた光球は、漁師達の手によって船床へと投げ出された。光球は適度な柔らかさをもって床を転がり、やがてゆっくりと止まった。
漁師の一人が恐る恐るといった態で、中をのぞき込んだ。
光球の中には、転がされてもなぜか一切影響を受けずに、光に包まれた胎児のように体を丸めた人の姿がぼんやりと透けていた。
『…何だ、この種族は―――…まさか、自動人形?』
『あの起動しねぇ、自動人形か!?でも…生きてるんじゃないか、こりゃ…』
漁師達は顔を見合わせた。
『…どうする?ちょっとお前、起こしてみろよ』
『ぇえ!?…お、おう…―』
一人の漁師が近づくと、光球に手を伸ばしながら声を掛けた。
『おっ…おい、中の人、生きてるのか!?おいっ、おぉ~~~いっ!!』
漁師が言いながら光球を緩く叩き、段々力を込め声を大きくしてみたが光球は揺れず中の人物は目を覚まさない。
『駄目だ――…ってことはこりゃあ…』
『やっぱり自動人形か?…おい、こりゃすごいぞ。オルト・ビスキュは、何十万テーヴェ(※1テーヴェ=100円)って値が付くって俺聞いたことあるぞ!?』
『そんなにか!?こりゃあ漁どころじゃねーな!』
漁師達は目の色を変え、にわかに活気づいた。
その後一旦取れた魚を分別して冷蔵してから、船は港に帰港した。
港に魚を卸し終わると、7人の漁師達は船底に隠した光球の周囲に集まり相談を始めた。光球は淡い光で船底を明るく照らし、中の人物は今だに眠ったままだ。
『しかしよ…これ、どう捌けばいいんだよ。たまにここら辺でも、古代文明の遺物が上がることがあるから古物商とは顔なじみだが…そこでいいのか?』
『う~ん…いや、それじゃ正規のルートになっちまう。もっと値を上げたいなら、裏ルートのほうがいいかもしれんな』
『裏ルートって…お前伝手でもあるのかよ』
『俺等はただの漁師だぞ。そんな奴等相手に交渉出来るのか?』
『――…お前まさか裏ルートって、“ゲルディカファミリー”のことか?マフィアになんか頼んだら、俺等の方がヤバいだろう』
『まあな…だからよ、こっちも腕の立つ用心棒を雇えばいい。ちょうどいい一匹狼が、この街にはいるだろ』
『それ――…“ヴェイル”のことかよ。いやでもあいつは…狂犬並みに手に負えない奴だぞ!』
『でも、仕事に関してはきっちりこなすって噂だ。マフィアにも一目置かれてる』
『引き受けてくれるかね…』
『しかし…悪い手ではないかもな』
『とにかく一度、ヴェイルに連絡取ってみようぜ。あいつが引き受ければ話を進めてみよう』
『…じゃあ、この自動人形を、絶対ばれない所に隠しとくべきだな』
『ああ、それなら良い場所がある。ひとけが無くなったら、この球をそっちへ運び込もう』
『―――…あまりさえない成績ね。ちゃんと勉強しているの、紫苑』
――――ごめんなさい、お母さん。
『私の時はこの程度の問題、もっと簡単に解けたものだ。その子供のお前がなぜ出来ない』
――――…ごめんなさい、お父さん。
黒い2つのシルエットとなった両親は、冷たい言葉で幼い私を更に責め立てる。
段々と耳を聾するほどに大きくなっていくその声に、耳を塞いで必至で声を締め出しながら私は反射的に何度も何度も謝罪した。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ――…」
ハッと目を覚ました私は、目を見開いて目の前に広がる闇をしばらく凝視した。
心臓が早鐘を打って体に響き、嫌な汗をかいている。私は眉間にしわを寄せて目をつむり、悪夢の感触が遠ざかるのを待った。
(…また、あの夢――…)
いつもいつも、それは小さな頃から見続けている悪夢だった。
どんなに良い成績をとっても、平穏な日常を送っていても…まるで頭にこびりついた原初記憶かのように私は繰り返しその悪夢にうなされる。そうなるともう、私は―――…
あの夢を見た後に必ず訪れるいつもの“衝動”に耐えようと全身に力を込めた時、ふとなぜ自分がこんなに真っ暗な場所にいるのかと思い至り、途端に下校途中の出来事が鮮やかによみがえった。
普段通りの下校の途中に急に足元が真っ暗になって暗転した後、宇宙に放り出された私や他の皆――…そして急に目の前に接近して来た見たこともない惑星―――…私は急いで上体を起こして辺りを見回した。
周囲は光源など一つもない“闇”だった。何だか埃っぽい匂いが充満しているから、地下にある場所かもしれない。
(…私…誰かに捕まってしまったの…?和晴ちゃんや真理ちゃん、透子ちゃんは――…?)
他の皆と一緒のはずなどないと、考えるより先に私の理性はすぐに答えを出した。
(あの時…惑星に落とされたとき、私達は皆バラバラになってしまっていた…どんどん離れていく皆を見て――…意識が遠のいて…)
考えるのをやめて我に返ると、何も音のしないこの空間が怖くなってきた。
「…あの…誰か、いますか…?」
小さい声を出し、私は辺りの状況を確かめようとした。
「…誰か、…誰かっ…!!」
私の出した大声は辺りに反響したが、しばらく待っても答える声は無かった。
「誰もいない…?」
一体どういう状況なんだろう、こんな真っ暗闇の中に居続けたらパニックを起こしそうで怖い。
荒くなっていく自分の呼吸音に怯えながら、私は立ち上がると両腕で辺りを探って歩き始めた。両手に何かが当たる感触も無いまま、私はもう何歩か歩みを進めてみた。
「…ッ!!」
大きな音がして何かにつまづいたと分かり、その音に対して外から何かリアクションはないかと、しばらく息をひそめた。
(―――…?何も音がしない。やっぱり近くに誰もいないんだ…)
私は右手を使って再び辺りを探ってみた。どうやらそこは道具を置いた木製の棚があるらしく、私は棚を伝って左へと横歩きしてみた。時々何かにつまづきながら歩くと、それでもわりとすぐに突き当りの壁に手が触れた。
(あまり広くはない…地下室なのね。このまま壁を伝っていけば、きっとどこかにドアがあるはず)
私は更に横伝いに進んだ。すると部屋の角に突き当たり、更にそのまま伝って進むことにした。
(…あっ、ここ、階段がある)
体を屈めて両手で確かめると確かにそこは石の階段になっていて、それが上へと続いている。階段の両端を探っても手すりは無かったので、一段一段手で確かめながら私は階段を上り始めた。
階段は短いようで、手で探ってみるとその先には確かな手応えの木製の扉があった。私は救いを得たような気分で扉を探りドアノブを探した。
「…あった」
金属製のドアノブらしきものを掴み、私はそれを開けようと回したり引いたりと、ガチャガチャと動かしてみた。
「――…?」
しかしいくら動かしてみてもドアはびくともせず、ドアには鍵が掛けられていると分かった。希望はすぐに絶望に変わり、焦りに逸った私はめちゃくちゃにノブを動かし、それが無駄だと分かると両手でドアを叩き始めた。
「誰かっ…誰かいませんか!!お願いここから出して、ねぇ…お願いっ!!」
私の出した大声は空しく空間を漂い、後には重苦しい沈黙が空間を満たした。
「…っ…」
何も分からないという状況が、私を恐怖に陥れた。
(もし私をここに閉じ込めたのが、犯罪者で…私を、殺すためだったら―…)
思った瞬間に全身から血の気が引き、私は両腕で自分の体を抱きしめた。
「そんなの絶対、嫌っ…」
私はドアノブを掴むと、乱暴に揺すって扉を開けようとした。
「開いて!お願いっ…ここから出してぇっ!!」
強く目をつむって叫んだ時と同時に左腕が熱くなる感覚がした次の瞬間、ドアノブが音を立てて弾け飛んだ。
「…っ…――…え、何…?」
何が起きたのか分からなかった私は、体をすくめて扉から距離を取った。扉を凝視する私の目の前で、軋んだ音を立てながら扉が開いていった。
「…私が、したの…?」
思わず自分の両手を見下ろしたその時、左腕の手首にうっすらと光る青紫の幾何学模様が見え、その複雑な模様の光は、見ている間に肌に溶けるようにして消えてしまった。
「何?何なの…――」
まったく状況が分からないうえに、更に訳の分からない力の発現に私の思考回路はショート寸前だった。でもそれより強い生存本能が働いたのか私は全ての疑問や恐怖をシャットアウトして、急かされる様に目の前の開きかけの扉を押して外へ出た。
外は相変わらずの暗闇が広がるばかりで、自分が今いる場所はどこなのか一切教えてくれない。
だけど―――私はある感覚を感じ目を見開いた。
「…風――…?」
かすかに、だけど確実に風が右側から吹いていた。私は壁に右手を当て、慎重な足取りでそちらに向かって歩き出した。
夜半を過ぎてもう一度集まった漁師達は、代表者を選抜して3人がヴェイルの元へと向かうことにした。後の者は待ち合わせ場所で待機し、事がうまく運ぶことを期待した。
夜空には光の粒子が幾筋もたなびき、近くの浮遊大陸が月の光を浴びて移動する姿が見える。
ここ“リーザス”は、巨大な湖エクラス湖の南岸に広がる人口約50万の交易都市で、各地の浮遊大陸群から航空艇がやって来る様々な物資の交易中継地点として栄えていた。
いくつもの大陸群を支配下に治め、今現在も版図を広めつつある魔人族の国―――――“ヴァルディウス帝国”のほぼ中心に位置するこの都市は、様々な物や種族が混在するモザイクのような都市だった。
当然人の流入が激しいこの港湾都市には、様々な物資や種族が華やかに街を彩る半面貧富の格差が激しく、光が強ければ強いほどその影もまた色濃かった。
日々様々な物流が交差する港の近辺には特にその影響は強く、マフィアやスラムの人間がいがみ合いまた協力し合いながら、ぎらついた光に満ちたこの歓楽街に鮮やかな彩りを添えていた。
代表者となった漁師達は猥雑な雰囲気の繁華街を通り、そこから脇に入った一段暗さの増した狭い路地を、緊張しながら奥へと進んでいった。
大通りにいた時は整っていた石畳も、ここでは剥がれ落ちたりくぼんでいたりで足元が危うい。漁師達は辺りを見回しながらやがてある建物を見つけ、足を止めた。
「ここ、だよな、確か…」
その建物は他の灰色がかったアイボリーの建物と違い、全体的に黒かった。一階の正面には窓もドアも無く、建物の右端に地下へと続く外階段があるだけで、看板も店を示すようなものは何も見当たらない。
漁師達は顔を見合わせると、覚悟を決めて一列になって階段を下り始めた。20段ほどの階段を降りると黒い金属の扉があり、その思い扉を漁師の一人が開けた途端、大音量の音楽が漁師達を襲った。
薄暗がりの店内はあまり広くはなく、奥にある狭いダンスフロアで踊っているのも数人ほどだった。扉の脇にいたガタイの良い2人のガードマンが、うろんな眼付きで漁師達を見た。
『…お前等何しに来た、団体で』
漁師の一人が慌てて話した。
『おっ、俺等はヴェイルに用があって来たんだ、あんたらの邪魔はしないよ。所で…ヴェイルはここにいるかい?』
ガードマンは顔を店内に向け、右奥に向かってアゴで示した。
『あっちのブースにいる。せいぜい殺されねぇよう気を付けろよ』
漁師達が見た先には、テーブルを囲んでソファセットが設置されているブースが4つあり、その右奥に他の客と違い、一人で座ってブースを占領しながら酒を飲んでいる男の姿があった。
男はソファにだらしなく座りながら、ビンに入った酒を仰いでいる。
年齢は20歳前後と若く見える。
この惑星に暮らす魔人種のほとんどが皆一様に異形化した姿であるのに対し、ヴェイルと呼ばれるこの男は毛色が違っていた。
尾の生えた全身が黒紫のメタリックな装甲に覆われていたが、その流線的なフォルムはどことなく自動人形と似ていた。
顔面も異形化というよりは甲冑の面のようで、目鼻立ちもオルト・ビスキュを象ったかのように良く似ている。頭部は装甲の間から黒紫色の角が一対ゆるく曲線を描きながら背後に向かって生えていて、鋼のような光沢をもつボサボサの黒髪が肩下まで伸びていた。
ヴェイルは自分に対して近づいて来る男達を認めるとビンから口を離し、剣呑な金色の瞳で男達を見つめた。
漁師の一人が代表して声を掛けた。
『ようヴェ、ヴェイル。…お、俺等はここらで漁師をやってるものだ』
ヴェイルは漁師達を値踏みするように見ると、目を細めて口の端を歪ませた。
『どおりで、魚臭ぇわけだ。…何だ、俺に魚でもプレゼントしに来たのかよ』
まるで声自体が鋭い刃の様なヴェイルの威嚇に漁師達は動揺し、代表者は慌てて両手を振った。
『ち違うって!その、あんたに仕事を依頼しに来たんだよ』
『―――殺しか』
男はブンブンと大きく首を振った。
『そっそういう危ないのじゃなくて、俺等その、今日の漁でちょっとしたものを手に入れたんだ。それを裏ルートで売りさばきたいんだが、俺等は素人だ、裏組織と渡り合えるわけがない。だから…あんたにボディガードとして、取引を見守ってもらいたいんだ』
ヴェイルは頭を傾げながら男を鋭い目つきで睨んだ。睨まれた男は、蛇に睨まれた蛙の如く短く息を呑んだ。
『取引の仲介ねぇ…――よほど良いモンを手に入れたらしいな。古代文明の遺物か何かか?』
『い、いやそれは…』
漁師達は顔を見合わせた。その中の一人が、その場の空気に耐え切れず口を開いた。
『オ…自動人形だよ。湖の底に沈んでたんだ』
ヴェイルは目を丸くして驚いた。
『へぇ…そんな珍しいモン、俺も見たことねぇぜ。―――…決めた、今すぐそのブツ見せろよ』
ヴェイルは言うなり勢いをつけて立ち上がり、漁師達は2、3歩後ずさった。
『い、いや、写真は撮ってあるんだよ。だからお前が直接来なくたって…』
残ったビンの酒をあおって飲み干したヴェイルは、口の端から垂れた酒を腕でぬぐって酔眼で漁師達を睨み付けた。
『ぁあ゛…っ?別に見たからって、それを周りに言いふらす気なんてねぇよ!純粋な興味だよ興味!!それとも何かぁ、ここで今周りに叫んじまうかあ?…おぉ――いっ!!』
『や、やめてくれヴェイル!分かった、それであんたがこの依頼を引き受けてくれるっていうなら、なあ皆』
『あ、ああ、頼むよヴェイル。引き受けるって言ってくれ』
『お前等の見つけたのが本物ってんならな。それにはこの目で確かめねぇと、だろ?』
『ああ…わかった。じゃ…』
『一緒に来てくれ、ヴェイル』
私はとにかく、壁沿いに風が吹いて来るほうへ向かって少しずつ移動した。しばらくすると足が何か固いものに当たり、感触を足で確かめてみるとどうやら階段のようだった。
(…どのくらい長い階段なのかな)
かすかに流れてくる風は確かに階段の上から吹いて来ていて、私は手すりが無い階段に少し不安を覚えながらとにかく慎重に、体重を壁へ預け両手足を使いながら階段を一歩一歩上がっていった。
「痛っ!?」
ゴツッ!という音がして、階段をもう一段上がろうとした途端に頭に固い何かが当たった。
「―――…もしかして、跳ね上げ式の扉…?…これを上げれば地上にっ…」
片手を上げて扉の感触を確かめると、ガタガタと音を立てたそれは金属の扉のようで、自分の思った通りのものだということが分かった。
「…鍵、掛かってる…?」
私は階段を上がり、肩を扉に押し当てて力を込めて上へ押し上げてみた。
「んっ…!んん゛~…っ!!」
扉はわずかに持ち上がったがその重量がとんでもなく重く、私はすぐに音を上げて持ち上げるのをやめてしまった。
「はっ、はぁっ――…だめ…私一人じゃ、こんな重さ…」
私は確かにあるはずの金属扉を見上げてしばらく考えると左手を上げ、最前地下室の扉のノブを破壊した力のことを思い出しながら、それをここで試しに使えないかと考えた―――その時。
何か重いものが動く音が振動と共にいきなり聞こえ始め、私は身を固くした。
複数の人の足音がし、それがこちらに向かってやって来る。私は扉から離れて階段を少し下がり、階段の壁に体を押し付けた。
足音が止まると扉の隙間から光が漏れ、私が今いる場所も照らし出された。
『…ここから地下に降りて、オルト・ビスキュはその一室に保存してある』
『おい、これ動かすぞ』
『分かった、こっちは良いぞ』
『ちょっと待ってくれ…』
扉越しに聞こえる男達の声に、私の鼓動が一気に跳ね上がった。
(どうしようっ…この人達が私をここに――…にっ逃げなきゃ、でも、どこに…!?)
私は階段の下を振り返った。
(…だめ。多分あっちじゃ袋のネズミになってしまう――…)
金属の軋む音がして、一枚扉が段々と開いていく。私は扉の影に隠れるように身を潜め、開いていく扉から漏れる光をなるべく見ないようにした―――そして扉が人一人通れそうなほど持ち上がったその瞬間、私は階段を駆け上がり走って外に飛び出した。
『―ーッ!!?うわっ…!!』
『なっ…!?』
「――…ッ!!」
私は地上に出ると、素早く出口を探し辺りを見回した。
広さは20メートル四方、右側には天井に届くくらいの大きな棚があり、そこにはさまざまな道具が置かれている。
目の前には小型の船が置かれていて、左側を向いたその時出口らしきものが視界をかすめ、私はそこに向かって走り出した。
「―ッ!!痛いっ…!!」
その途端に三つ編みが誰かの手によって掴まれ、私は後ろに思いきり引き戻された。尻もちをついてしまった私は、それでも掴まれたままの三つ編みの痛みに思わず叫んだ。
「い゛っ痛いっ、やめてっ!!引っ張らないでっ…!!」
あまりの痛みに涙がにじみ、三つ編みの付け根を両手で押さえて痛みに耐えていると、やがて掴まれた力がゆるくなっていった。
髪を掴まれたままの私の耳に、背後から呆然としたような男の声が聞こえた。
『…こいつが、オルト・ビスキュ?まるで――…』
恐る恐る振り返った私は、目に入った光景に凍り付いた。
(なっ…何…!?)
私を取り囲んだものの中に、人間の姿をしたものなど一人もいなかった。
全員様々な肌の色をして、その肌さえ爬虫類のウロコや金属的な質感のもので、外見はどことなく“鬼”や外国の“悪魔”を思わせる形相をしている―――…とにかく皆“異形”としか形容出来ないような外見のものばかりで、私はあまりの恐怖に叫び出すことも出来ずに硬直した。
(何か…言わなくちゃ、でないと―…)
頭では分かっているのにのどが引きつり、全身が震え出すのを止められない。
私の髪を掴んだ異形が口を開いた。
『――…てめぇは何だ。ラジャオームの部族のもんか?』
まるでそれ自体が鋭い刃のような声の異形のフォルムは、他の異形と明らかに一線を画していた。
全身を黒紫の甲冑に身を包んだその姿は、長い尾が付いていること以外どことなく人間に似ている。頭部に何対もの角が生え、白目は黒く、それ自体輝くような金色の双眸が今は私をひたと見据えている。
私は威圧感を覚えるその瞳から目を逸らし、何とか必死で言葉を出そうとした。
「わっ…私は、何もし、知らないんです。だって―――…こ、この惑星は――…何なんで、ですか…?」
『はぁ?』
「わ、私はこ、この惑星の、人間じゃないんで…」
言葉を続けようとした途端、おさげが強く引っ張り上げられた。
「いぃ゛、痛いっ…!!」
『何ふざけたこと言ってんだてめぇ。“自分は異星人です”とでも言いてぇのか!?』
『お、おい…あんまり手荒なことは…』
傍らの異形がおずおずと言うと、黒の異形はギッとその異形を睨み付けた。
『じゃあてめぇ等に分かんのか!!何なんだよこいつはっ!本当にオルト・ビスキュなのか、ぁあ゛っ!?』
『そ、そうなんだろ。きっと何かのはずみで起動したんだ。とにかく、逃げないように拘束して、ゲルティカの方に話をもっていこう。ヴェイル、そのまま逃げないように押さえててくれ』
『おい、縄があるはずだろ。一応人形はここに隠して―…』
私の意志など一切無視して勝手に話を進めるこの状況に、引っ張り上げられた髪の痛みも相まって、涙が後から後からあふれ出てきた。
「ふっ…う、ぃやぁっ…―」
(またあの地下に閉じ込められるなんてっ…そんな…そんなの――…!!)
私の意識は瞬間、どす黒い恐怖に塗り潰された。
『?…――…ッ!!?』
おさげを押さえたオルト・ビスキュの左手に細かな青紫の光の紋章が浮き上がり、それが急激に光度を増していくのを見たヴェイルは、とっさにおさげを離した―――刹那。
コォオッッッ!!!
オルト・ビスキュから発した強烈な紫光が小屋全体にあふれ、その場にいた全員を青紫に染め上げた。
ゴゴッゴゴゴゴゴォ゛オ゛…ッッ!!!
空気自体が鳴動するような異音が轟いて漁師達が辺りを見回すと、紫光に包まれた小屋の中の物が次々と音も無く塵と化して消滅していき、傍らの小型船までが端から塵となっていく。
『なっ…』
『ぎゃっ…ぎゃああああああっ!!』
絶叫に振り返ると、漁師の一人が両腕を掲げていた。
『あっ…―』
その両腕は先端から粒子となって消滅しつつあり、呆然自失となった顔で仲間を振り返ったその顔や頭部も、見る間に塵と化していく。
『あ゛っ…あぁ―ー…』
自らの両腕を掲げてみた漁師は愕然とした。両腕が仲間同様端から塵と化しながら消滅していき、それはすでに体に到達しようとしている。
『うわぁあああ―――っっ!!!』
『なんっ、何でぇえええっっ!!!』
他の漁師達の手足が消滅していき、全身を暴れさせるが進行は止まらない。叫びを上げたまま漁師達の頭部もやがて消え、消滅は小屋の中の物を全て消し去って小屋の壁を下方から消し、屋根を粒子の状態にしながら巻き上げて青紫の光に侵食された全てを容赦なく塵と化していく。
小屋のほとんどを消滅させるとやがて青紫光と異音が勢いを失くして止まり、やがて後には湖の岸に打ち寄せる静かな波の音だけが残った。
とその直後、小屋から数メートル離れた地点に何者かが勢いよく着地した。
『はっ、はぁっ…は…―…』
荒い息を吐いたヴェイルは、両手足を地につけた姿勢で自身が跳躍して逃げて来た小屋を見上げた。ついさっきまで確かに存在したはずの小屋は跡形も無く消滅し、全てを消し去った青紫の光も今は無く、辺りは嘘のように静謐な月夜の闇が広がるばかりだった。
ヴェイルは、オルト・ビスキュのおさげを掴んでいた右腕を見た。
腕は手から肘ぐらいにかけて装甲が半分ほど消滅してただれた肉が露出し、もう少し遅ければ腕そのものがあの光によって消滅させられていたかもしれなかった。
(…何なんだよ“あれ”はっ…本当にあれが自動人形なのか!?あれは人形なんかじゃねぇ!あいつは…――)
辺りに潮騒が響いて風が体を撫でていく感覚に、私は目覚めるようにして我に返った。
「…え…――?」
私を取り囲む景色は一変していた。
魚臭い小屋も、あの雑多な道具や小舟も――…そして、私を取り囲んでいた異形の人物も…全てが幻であったかのように消え失せていた。
「な…に…?」
私は何が起こったのか理解出来ないまま、だけど恐々と今もうっすらと青紫の光を放つ自身の左腕を見下ろした。
「…また、光ってる――…」
(地下の部屋に閉じ込められた時、この光はドアノブを破壊した――…)
消えていく光を見つめていた私の体が、無意識の内に震え出した。
「ちっ、違う…そんなわけ―――…ッ!に、逃げなきゃ…」
無理矢理目の前の現実から目を逸らし、私は座り込んだ姿勢から立ち上がろうとした。
『てめぇは何だ』
突然背後から掛けられた鋭い声に、私の体がビクリとすくんだ。呼吸が短くなって全身が硬直したまま、私はこわごわと後ろを振り返った。
「…っ…」
あの悪魔のような風貌の異形が背後に仁王立ちし、その鋭い金色の瞳で私を射竦めていた。
「…やっ…」
私は座り込んだまま、異形から遠ざかりたくて両足を使って後ずさった。本当はすぐにでも駆け出したいのに、あまりの恐怖で体に力が入らない。
『お前はオルト・ビスキュなんかじゃねぇ…』
「お、お願い…私にか、構わないでっ…」
異形は私の嘆願など無視して近づいて来る。
『お前は…―ー!!』
「…ッ!!」
私は男に背を向けると這いつくばったまま姿勢のまま逃げ出した、次の瞬間。
「…っ…!!」
後頭部に衝撃が走り、歪んだ視界と共に倒れこんだ私はそのまま意識を失ってしまった。