父さんの正体
熱くて柔らかいモノが唇と口内に触れている。
甘くて熱い液体が喉の奥に少しずつ流し込まれて行く。
意識が浮上すると男の声が近くで聞こえることに気付いた。
「てめぇ何してやがる!」
「緊急事態です。邪魔は許しません」
流し込まれた液体を全て飲み下すと、重い瞼が動くようになる。
視界が戻ると、やたら美麗な顔が至近距離にあった。
「大丈夫ですか? アンナ」
「お嬢様は付けないのか」
「貴女は美形の執事にお嬢様と呼ばれたくらいで堕ちる女性ではなさそうですから。身分は同格ですし、正攻法で行くことにしました」
何を目的とした正攻法だろうか。
起き上がるとエロ執事が私の体を支えて、背中にクッションを幾つか宛がう。
お嬢様呼びは止めると言ったが、今の方が扱いが丁寧で甲斐がいしい。
部屋の中にはザキも居た。相変わらず凶悪な顔で不機嫌全開だが、何故か私への苛立ちや不信感のようなものは消えている。どころか、こちらを見る眉の寄せ方は心配そうだ。
「お前、倒れる前に自分で言ったコト覚えてるか?」
ぶっきらぼうだが遠慮がちな声音でザキに問われる。
暫し考え、首を捻っていると、低い声で告げられた。
「私は父さんのモノ。そう言ったぞ」
一気に全身の血が下がって総毛立つ。頭皮までくまなく鳥肌が覆い吐き気が込み上げた。
「これは分かりやすく全身で拒絶していますね」
震えまで出始めた私をエロ執事が抱き寄せるが、抵抗する気も起きない。
いや、父さんは胡散臭いし人間じゃなさそうだが家族として普通に好きだったし尊敬していた。なのに、気持ち悪さが止まらない。何故だ。
人間じゃなさそうなのはエロ執事もなのに、今は正気に繋ぎ止める命綱のように感じる。
「貴女の意思が確認出来ました。私が責任を持って保護します」
「保護だと?」
「殺気立たないでください双剣使い。貴方もこれでアンナが敵ではない確信が持てたでしょう。元より我々と貴方は敵対関係ではないのですから」
私とザキの両方から問いたげな視線を突き刺され、エロ執事は腕の中の私を見下ろした。
「先に、アンナの質問に答えましょうか。何から聞きたいですか?」
桃色の瞳を柔らかく細めて問われ、私は一番気になっていたことを訊く。
「父さんは人間ではない?」
「はい」
「じゃあ何?」
「魔族です。種族は地霊。役職は庭師。名は無いはずです。アンナに名乗っていたのは偽名でしょう」
地霊って何だろう。物語にも出て来たことが無いんだけど。
私が黙り込むと、エロ執事が補足説明してくれた。
「地霊は植物系の魔物を眷属として支配する上級魔族です。庭師は地霊のトップなので、同族からは大地霊と呼ばれています」
「てことは、父さんは去年海に沈んで死んだりは」
「沈めたくらいでアレが死んでくれたら楽ですけどね」
あれ? 父さん、同僚に結構嫌われてるのか。性格は悪かったもんな。
「貴女の母親も当然生きてますよ。例え自殺しようとしても庭師が死なせません」
父さんの溺愛ぶりと母さんの迷惑そうな顔が記憶から掬い上げられた。
「じゃあ、運悪く嵐で難波したけど両親は生き延びたのか」
「沈没の原因は難波ではなくナンパです」
「は?」
「酔った船乗りがアンナの母上をナンパしたので、怒り狂った庭師が船を沈めました」
言葉が出て来ない。
大きな客船だったから、かなりの犠牲者が出たと聞いている。陸で待つ家族や親しい人達がどれほど嘆き苦しんだだろうか。
やっぱり、人間じゃないんだな。
「アンナ、誤解しているようですが、他の魔族は妻をナンパした男を海に放り投げるくらいはしますが、船を沈めたりはしません。魔界にも法はありますし、庭師のしたことは犯罪です」
静かに説明されて見上げると、桃色の瞳に巫山戯た様子は無く、理知的に落ち着いていた。
魔界にも法があるのか。で、父さんは犯罪者。
え、うわ、私は犯罪者の娘?
声なく狼狽える私の髪を梳きながら、エロ執事は私を宥める。
「庭師は犯罪者ですが、アンナと庭師の妻は保護対象です。二人とも庭師の被害者ですから。もっとも、庭師の妻を保護することは未だ出来ていませんが」
「両親は今どうしてる?」
「表向きは妻と二人切りの蜜月を過ごしながら王宮の庭の整備をしています。実情は、上司の監視の下で妻を餌に大人しくさせ、私が勅命を受けて秘密裏に動いています」
「上司って?」
「魔王です」
アッサリ言いやがった。
薄々そうじゃないかと思っていたけど。本当にいるのか。魔王。
「母さんも保護対象てことは、結婚は母さんの意思じゃないの?」
「嫌がる女性を大地霊固有の能力で捕獲し、眷属の毒と自らの体液を与え続けて逃げられないようにしています」
えぇぇぇぇ。何そのド鬼畜犯罪者。てか変質者?
「父さんの固有の能力って何?」
「庭師は繁殖のために異性を無力化出来ます。ただし、全面的に無力化出来る相手は生涯に一人だけです。繁殖はパートナーとしか行いませんし、魔族は人間と異なり離婚や浮気という概念はありません。独身の魔族が他者のパートナーを略奪するのは大罪です」
「生涯に一人だけって。母さん、父さんと同じくらい生きられるの?」
「無理ですよ。彼女の寿命は百年ですから」
カシャン。
ザキが身じろぎしたのか、双剣が揺れて小さな金属音が鳴った。
目を向けると、心なしか表情が強張っている。今の話のどれに反応したんだ?
目が合うと、さっさと質問を続けろと視線で促された。
「眷属の毒って、どういうやつ?」
「イザベラの毒蜜です」
イザベラたんの蜜で逃げられない、ということは。
母さんは父さんが好みと真逆ということだ。
うえぇ。嫌いな男に無力化されて捕獲されて、嫌いなほど効果が高まる惚れ薬を飲まされ続けて妻扱いされる人生。嫌すぎる。
しかも体液摂取とか、絶対変な効果が付いてそう。
「嫌悪感も露わな表情をしていますが、まだ話は半分ほどですよ」
「げ。これ以上の鬼畜行為は無いだろが」
「まだ貴女の母上の話しかしていません。貴女への鬼畜行為は更に上ですよ」
「は?」
いや、待て。今聞いた話以上の鬼畜行為とか想像つかないから。
一応、虐待も無く普通に育てられたぞ?
「貴女も、日常的に庭師の体液を摂取させられていたはずです」
「体液摂取?! んなキモい真似は」
否定の言葉を吐こうとして私は固まる。
そうだ。父さんは子供の頃は私に口移しで薬を飲ませていた。
「え、でも口移しで薬を飲まされてたのは子供の頃で、10歳頃にはそんなことは」
「庭師の差し出す飲食物は口にしていませんでしたか?」
「うちの料理担当は父さんだったし、お茶を淹れるのも父さんで。そう言えば私がやると言ってもキッチンから追い出されてたかな」
「体液が混入されていたでしょうね」
自分の視界に入る自分の手が、爪まで血の気を失い雪のように真っ白になっている。
抱き寄せている腕の力が強まり、抱きしめられる形になった。
「アンナ、このまま話を続けても大丈夫ですか?」
穏やかに問われ、首肯する。
知らないままでは有益な思考は出来ない。
「庭師は体液を摂取させることで、アンナの支配と洗脳を企みました。妻の寿命が尽きた後、アンナを妻とするために」
「待って。魔族って親子で結婚て許されるの?」
「違法です。ですが、アンナは厳密には庭師の娘ではないのです」
「どういうこと?」
「庭師が妻とした女性には生殖能力がありませんでした。そこで庭師は妻から採取した細胞を増殖させて核にし、性別を女性にした自分の分身を造り出したのです。ですから、貴女は庭師の妻の細胞を受け継いだ女性型の大地霊です」
寒気と目眩がしてぶるりと震えた。
穏やかな声が気遣うように一旦途切れ、私が頷くと再開する。
「大地霊が二体存在する状態は好ましくはありませんが、新しい大地霊であるアンナが庭師のような問題の有る性質をしていなければ黙認出来ます。ですが婚姻となると別です。地霊ですら生まれる子の血が濃くなりすぎるからと同種族の婚姻は認められないのに、大地霊同士の婚姻と繁殖は禁忌です」
「血が濃くなりすぎると禁忌?」
「血の濃さは強さに繋がります。生まれる子が強すぎて、母体はまず助かりません。子に吸収され一体化します。庭師はこれを狙っています」
「私が死ぬことを狙ってる?」
「そちらではなく。貴女が吸収され一体化した子が誕生することを狙っています。庭師は生まれる子の性別を操作する能力を持っているので、アンナに娘を生ませて、アンナを失ったらその娘を妻にするつもりです。それを繰り返すことで、自分の寿命が尽きるまで、妻の細胞を身に溶かし込んだ女性を傍に置き続けることが出来ると考えています」
何てこった。
え。私、そんなド鬼畜変態外道の分身なのか?
物凄く嫌だぞ?
よくもそんな気持ち悪いことを思い付くな。
いや、無理。
無理無理無理無理無理無理無理!!!!!
「アンナ!」
急に顔を掴んで上向かされて、強い光りを滾らせた桃色に視界を染められた。
「自分の存在を否定してはいけません。魔族にとってそれは致命傷になります。庭師の支配と洗脳は解けます。貴女は大地霊ですが庭師ではありません。貴女はアンナという個体として生きればいいんですよ」
「私は、庭師とは、違う?」
「違います。母親の細胞を核にして母親からは真っ当な教育を受けているようですから。大地霊らしいオイタはしますが、許容範囲内ですよ。魔界の法や常識は、これからゆっくり学べばいいんです」
震えが、徐々に治まっていく。
知らず強張っていた体の力を抜いて、執事服の胸に凭れた。
とりあえず、自分が父親だと思っていた男が想像を絶するトンデモ野郎だったことは分かった。
「一度休憩しましょう。私から離れない方が良いので、双剣使い、飲み物を用意してください」
「後で俺の質問にも答えてもらうからな」
「構いませんよ。貴方の誤った認識も正しておきたいですから」
ザキがグラスを用意する音がカチャカチャと響く。
衝撃が大き過ぎて、頭が痺れたようにボーッとする。
「グラス、持てますか?」
ワインらしき液体の入ったグラスを渡されるが、指に力が入らない。
「少し力も渡しますね。私の力は支配や洗脳ではありませんから、受け入れてください」
口移しで入って来る液体はワインだった。
けれど、飲み込むと頭の痺れが消えていくような気がする。
甘くて、美味しい。
そう言えば、あの男から飲まされる薬は、いつも苦かったな。
渡されるのが、私を苦しめる力か救う力かの違いなのかな。
私は、昔から、あの男を受け入れてはいなかったんだ。
それなら、大丈夫。
私は、あの男とは相容れない別の個体だ。
私は自分の存在を否定しない。
キモい計画になんか乗せられてたまるか。
タマ潰しのアンナをナメんじゃねぇ。
あの野郎、後悔させてやる。