モダンアート再訪ーダリ、ウォーホルから草間彌生まで 福岡市美術館コレクション展
モダンアート再訪
鑑賞
1950年代から70年代 近代美術における
時系列ではなく、意義の系列から迫る
展示であった
30年代、絵画における写実派が
写実を超えた人間を描く
それは、人
という、ある種、記号化された人
レオナール・フジタの描く裸婦像は
女性の質感をまざまざと描き
女性という、形式をとった絵
いわば、記号化されたそれを写していた
しかしながら、40年代
ジョアン・ミロの描く
ゴシック聖堂でオルガンを聞いている踊り子
では、記号化された形式だった目や顔から
記号性を外そうとする絵画が登場する
さらに、マルク・シャガールは
1945年の空飛ぶアトラージュに
低身長の骨格と母を登場させ
戦火とユダヤ民族としての亡命をしていた
彼に何をもたらし、この絵画に至ったのか?
馬と鶏を模したシュルレアリスムは
時代の事実から目を背けたかったのもしない
ポール・デルヴォーは、遠近法を駆使して
人の立つ姿の立体を演出する
1950年に、サルバドール・バリが
ポルト・リガロの聖母で見せたのは
人間の命に対するテーマ
という問いかけをすることにより
見えてくる人間というもの
という、身体性と記号性 哲学的自意識の中
人間というものをテーマに
動いていた作家がいる
という事実にあたる
1960年代
戦後の肉体的傷
がテーマになる作家がいる
身体性からの飛躍であろうが
懐疑的視点も必要なところではある
身体性というタームが近代美術において
重要であることは他ならないが
傷
というものは、現象であって
肉体性に寄与するものではない
特に、70年代 ハイレッドセンター以前
戦後の始まりと、傷を描くのは
戦争風刺であって
その、身体性の50年代から60年代の飛躍こそ
時系列で、戦後美術史の改訂を行わなければ
いけない点ではある
基本的にこの展示の重要なポイントはそこ
あとは、アメリカで活版印刷とウォーホル
が登場した60年代のヨーロッパの芸術
さらにいうと、40年代のメディアが
希薄な時代、ヨーロッパでは
美術史の形成をどう行い流布(認知度)
されていたのか
ウォーホルが、バスキアを賛辞した理由は
バスキアが、文字における記号性を
外した文字を書いたところにある
身体性からの取り組みとの流れ
あとの作品は、ほとんど、現代美術的思想
といっても、大丈夫だと思います
以上、レポートでした