共通、世話役
「ここに大人以外が来るなんて初めてで、びっくりしたんだ。怖がってごめんね。」
「いや、僕が勝手に来ただけだから。こっちこそ驚かせてごめん。」
互いに謝罪すしている状況が面白かったのか、ロキは笑えぬルイの分まで笑った。
息を整え立ち上がったロキに合わせて、ルイも体を起こす。
立ち姿を見ると、ロキはルイより一回り小さな身体をしている。
「ここに一人で住んでるのか?」
肩についた埃を落とすロキに、ルイは先程より声を小さくして問いかけた。
「そうだよ。ずっと一人。」
「ご飯は。」
「毎日決まった時間に、決まった人たちが持ってくるよ。一定時間が経ったらまた来て、食器を下げるんだ。」
まるでそれが普通のことのように、あっけらかんとロキは答える。
「ルイはどこから来たの?」
「どこって…アースガルズ?」
「そういうことじゃなくて…どうやってここに着いたのかってこと。」
毎日〈決まった人〉の顔しか見ない彼にとって、ルイの存在はとても貴重でもの珍しいのだろう。
先ほどまでの恐怖など嘘のように、ロキの目は興味で光っていた。
「ここに来るまでに長い階段と長い廊下を歩いてきた。その廊下の下の階に図書庫があるんだけど、そこで偶然抜け穴を見つけてきたんだ。」
「図書庫?本が沢山あるの?」
勢いよく間合いを詰めてくるロキに少々引けを取りながらも、ルイは頷いた。
すると、ロキの目はさらに輝きを増した。
「うわぁ、すごいや!僕の部屋は、あそこの本棚二つ分しかないんだ。とっくの昔に全部読み終わっちゃったし。すごいなぁ、そんなところがあるなんて!」
きっと彼は読書がとても好きなのだろう。自分と同じほどか、もしくはそれ以上に。年齢と趣味という共通点を見つけ、二人は互いに距離が近づいた気がした。
しかし次の瞬間、ロキはルイを先程自分が隠れていた場所まで力を込めて押した。
「そろそろ昼食の時間だ、大人が来ちゃうから隠れて!」
「なんで隠れる必要があるんだ。」
「ここには決まった人たち以外、本来誰も入れないはずだからだよ。いいから、下に入って!」
言われるがままにベッドの下に潜り込むルイを見届け、ロキは本棚に寄りかかり、あたかもずっと読書をしていたかのような格好をした。おそらくあれが、いつもの様子なのだろう。
その数秒後、ロキの言ったとおり昼食を持った大人が部屋に入ってきた。
足が四本ある。ただ食べ物を運ぶために二人も必要だろうか。
ルイは普段の癖で、無意識に呼吸を抑え気配を消しながら、じっと足元を見つめていた。
「いつも、ありがとう。」
毎日このように礼を述べているのか。不自然な声色ではなかった。
「気遣いはいい。また、食べ終わるだろう頃に来るよ。」
ルイはその声に目を見開いた。驚愕に怯え、今度は意識的に呼吸を止めた。
自信を無くしてしまったらそこまでだと思い、まだ気づかれていないことを確信して身を潜め続ける。
二人はそれ以降何一つ言葉を発することなく、部屋を後にした。
「ル…」
小声で近づこうとするロキを、ルイは無言で制した。
それにロキは驚いた様子だったが、身振り手振りでドアの向こうにまだ先程の大人がいると示唆すると、それが伝わったのか静かに昼食を頬張り始める。
互いに目線のみで会話をし、ルイは足音を立てないよう気を配りながら、クローゼットの中に移動をした。
十三年毎日この役を勤めているのだろう、ロキが食べ終わったほんの数十秒後、再度扉がノックされた。
その時間の間に殆どの冷静さを取り戻したルイは、最初の時と同じように影を薄く整えた。
「ロキ、前回の掃除はいつ入った?」
「四日前だよ。」
「そうか。いや何、埃が舞っているような気がしてね。」
そう言って一人の男が、部屋の棚や机の上、そして流れるようにベッドの下にまで目線を動かした。
その行動がルイの存在を察してのものだったのかは分からなかったが、結果的に二名はそれ以上には何もせず、今度こそ部屋を出て階段を下りていった。
二人分の足音が完全に聞こえなくなったことを確認し、ロキはクローゼットに近づく。
「ルイ、もういいよ。」
「もういいなら普通の声で話しなよ。」
「あ、そっか。」
緊張の糸が解れたのか、ロキは肩を大きく落として息を吐いた。
ルイは、ただじっと扉の向こうを見つめている。
「どうしたの?」
「いや、さっきの声に聞き覚えがあったから。」
今までに出会った動物の鳴き声も聞き分けることができるルイが、個体差の激しい人間の声色の特徴に気がつかないはずがなかった。
「ロキ。君がさっき会話をした男の人の名前を同時に言おう。」
「え、いいけど…」
ルイの合図と共に二人の口から出た言葉は、まったく同じ人名であった。
「やっぱり。」
「ルイも鈴獰を知ってるの?」
「知ってるも何も、僕をこの世界に連れてきてから沢山世話をしてくれてる人だよ。」
そうなんだ。ロキは鈴獰を〈良い人〉だと表現した。
自分も〈悪い人〉だとは思っていないが、どうもその反対には思えなかった。
「ロキをここから出さないでいるのに、鈴獰は良い人なの?」
「そこを抜きにして良い人だって意味だよ。だってここから僕を出せる人なんていないだから、それを考慮してたら皆悪い人だってなっちゃう。」
つまり、自分にも期待をしていないということかと、ルイはばれない程度に肩を落とした。
しかし、その不安は杞憂に終わることになる。
「だけど、ルイは特別。ルイの声は落ち着くし、僕に大して一つの嘘もついてないもん。」
目を細めて笑うロキに、ルイは目をぱちくりさせた。
一瞬不安を感じても、それを上回るほどの速さで塗り替えてくる。
その勢いに押されたルイは、一気に心が軽くなるような感覚になった。
「そろそろ、戻らなきゃ。」
あまりにまっすぐに思いを伝えてくるロキに対してこそばゆくなり、逃げるようにその場から離れようとした。
それを非常に寂しく感じ、ロキは自身を安心させるための言葉を吐いた。
「また、来る?」
「うん。」
「僕ら、友達?」
「…うん。」
「すぐ来る?」
「時間空いたら、すぐに来るよ。」
「約束ね。」
「分かった。」
そこから何度も約束を繰り返し、ロキはようやくルイを見送った。
速い足音が聞こえなくなってから、ロキは再び窓に向かった。
「友達、友達かぁ…」
〈友達〉と〈ルイ〉を言葉として声に出し続けるだけで、彼の口角は勝手に上がり、顔の温度が上昇していくのを感じた。
本を初めて読んだときよりも、自分が嬉々としているのが分かる。
「早く会いたいなぁ。」
先程初めて顔を見合わせ、つい数十秒前に別れただけだというのに、心に存在が深く刻まれていた。
十三年という長くはないかもしれないが短くもない人生の中で、初めて出来た友人という存在を大きく感じていたのは、一人だけではなかった。
階段を駆け下りてから廊下に出ると、更にルイの足の速度は上昇した。
そうでもしないと、振り返って正直な気持ちを伝えそうになるからだ。
友達かと問われてすぐに頷けなかったのは、実感がなかったからだけではない。
果たせない約束はすべきではないと考えたのだ。
とっさに頷いてしまったとはいえ、後悔の念は拭えなかった。
無意識に母の真似事をし、無責任に彼に多くの言葉を投げすぎた。
後悔しながら生きろと、母は言いたかったのだろうか。
まっすぐ前だけを見て走りながらも、ルイは周囲の気配には神経を張り巡らせていた。
図書庫への抜け穴に着いてもなお、周りと下に人がいないことを確認してから踏み台とはしごを使って床を踏みつける。
使わせてもらった道具は元の場所に戻し、図書庫の中で息を整えながら扉を開き、二十のボタンを押した。




