訓練、鎚と弓
明かりのない家に着き、まっすぐロフトへと階段を登ると、月の光に反射して輝く二つの存在と目があった。
両方を手に取ってみても、初めて使った時のような感覚にはなれない。
〈心を通じ合わせる〉一度心が砕けたルイにとってはあまりに困難なことである。
「家族…友達…」
その二つの言葉は、少年の頭を掻き乱す。
揺らぐことのない固い意志をどうにかして曲げようとするそれらは、まるで意思をもっているようだった。
しかし、鎚と弓矢が皮肉にも少年を現実へと引き戻しにかかる。
変わらぬ表情のまま、ルイの冷たさを帯びた目線は宙を舞い、自分とともに横になっている月へと向かう。
まだユグドラシルで過ごした時間が、たったの二日目だということを忘れる程の四十八時間であった。
疲れが溜まっていたのだろう、数刻もしない内にルイは意識を手放した。
懐かしい夢を見た気はしたが、覚えていないということは随分深く眠っていたらしい。
窓の外を見るに、朝日よりも先に目が覚めたようだ。
ベッドの左側に設置されたクローゼットを開け、誰が選んだのか分からない洋風な服と下着を手に取り、浴室へと向かう。
幼い頃から朝に水を浴びることが多かったため、成長しても夜に汗を流す習慣はついていなかった。
ルイは早々に昨日の服を脱ぎ捨て、頭から思い切りぬるま湯をかけ流す。
全身を拭い、適当に閉めたボタンのままリビングの大きな窓を見ると、太陽が頭だけを覗かせていた。
数秒だけ眺め、ルイは冷蔵庫に向かう。
冷やされた牛乳の瓶に口を付け、一気に半分を飲み干した。
大分よく眠れたのか、欠伸の一つも出ない。
牛乳と共に、昨日の残りであるパンをかじった。
空になった瓶を水で洗い干している間に洗面所の窓を開け、自然の風を利用しながら髪を乾かす。
いくら洗っても、自分の髪の毛から赤みが引くことはなかった。
肩につきそうな程に成長したまっすぐな髪は、そろそろ束ねられそうである。
窓とシャツのボタンを閉じてリビングに戻ると、何度も扉を叩く音が響いた。
ルイはベッド横の小さなテーブルから鎚と弓矢を手に取り、玄関に向かった。
「やっと出てきた!」
扉を開いたと同時に距離を詰めてきたのは、髪を真ん中より上の位置で二つに束ねたヘルだった。
どうも彼女の距離感には慣れられる気がしない。ルイは何度か瞬きを繰り返した。
「もっと勢いを抑えないと、ルイがびっくりするだろ。」
慣れた手つきで、ヨルムンガンドがヘルを引き戻した。
どこか不服そうなヘルに代わり、テュールがルイの手を引く。
「昨日訓練場に行くって話しただろ。朝ごはんは食べたか?」
「うん。」
「よし、じゃあ行こう!」
テュールとは反対側の手を引き、ヘルが勢いよく走り出す。
二人は引きずられるように走り、その後を兄たちが追いかけた。
今から体を動かしに行くというのに、ヘル以外の全員がエレベーターの中で息を切らせていた。
「ちょっと走っただけで疲れたの?皆体力ないなぁ、男の子でしょ。」
川を飛び越え、木々を避けるために蛇行しながら走る先頭に合わせていたせいだと言える者はいなかった。
八階に到着し、少年少女は列をなして受付に向かった。
「どこか空いてる?」
フレイの問いに、若い女性が電子機器の画面を動かす。
「そうね…八階はヴァルキュリア軍第三小隊が使ってるから使えないけれど、九階の〈森林の間〉だったら空いてるわよ。皆で使うんだろうから、広い部屋の方がいいわよね。」
普段から少年たちと関わっているのだろう、女性はてきぱきと処理をしている。
「はい、鍵をどうぞ。他の子だと不安だからスルトが管理してね。使い終わったらいつも通り返却をお願いします。」
全員が元気な返事をし、エレベーター横に位置する階段で上の階に向かった。
九階のドアを開くと、中心部分が吹き抜けとなっており、手すりから下を見ると八階の一番広々とした訓練場を見下ろすことができる。
そこには、何人もの女性たちが整列しており、長のような女性の声に従っていた。
それを横目で眺めながら、ルイは相変わらずヘルとテュールに手を引かれている。
先頭のスルトが足を止め、鍵だと言って渡されたカードをドアの横に翳した。
軽い電子音が聞こえたと同時に、ドアは開かれる。
中は、自然の森そのものであった。
高低様々な木々が生え、足元を見れば雑草やら花やらが息をしている。
太陽もない中、どのようにして生命を維持しているのだろうか。
更に言えば、何故訓練場という区域にこのような環境を造ったのだろう。
「よし、じゃあ今日は何をする?」
最後尾のヨルムンガンドが中に入ったのを確認し、スルトがドアを閉めてから皆に問いかけた。
「まずはルイに、神器の使い方を教えるのが先じゃね?」
フェンリルの提案には、全員が賛同した。
「ルイに渡された道具は何?」
フレイに問われ、ルイはズボンに下げていた鎚と、布に包んできた弓矢を取り出した。
「二つもあるの?」
普通は一つなのであろうか。目を丸くしている全員に、ルイは軽く弁解した。
「本物は、鎚の方。僕がわがままを言って弓矢もそれ相応に使えるように作り替えてもらったんだ。何年も使ってきてて、慣れてるから。」
「じゃあ弓矢の方は問題ないってことだな。槌の方は…なんだか小さすぎないか?」
ヨルムンガンドに持たせてみると、手のひらに収まるほどの大きさであった。
初めて手にとったときは、ルイが取っ手のみを片手に持つ程のサイズであったというのに。
「小さくなってくれたら楽なのにって思ったら、小さくなった。」
「じゃあ大きくなって欲しかったらそうなるのか?」
やってみる。テュールに言われたとおり、明確な大きさをイメージしてからそれを望むと、ルイの中で鎚のサイズが変化し、元の大きさに戻った。
その光景を目の当たりにし、全員が感嘆の息を吐く。
「なんだ、もう使いこなしてるじゃん。」
ヘルは楽しそうにルイの肩を突いた。
「よし、じゃあルイのを見たことだし、俺たちのも出すか。」
フェンリルを筆頭に、順を追ってそれぞれが神器を手にとる。