聖なる夜には、不審者が出没するようです
冬の王都に雪は降らない。
ただ、外で眠って凍死するほど温度が下がりはしないものの、冬は雨が多いから、貧民街の浮浪者には優しくない季節だ。
それに雪が降らずとも、冬は冬に変わりなく、温かな衣服がないと、たちまち体調を崩して医者の世話になりかねない。
だから、比較的廉価な羊毛は、冬の衣類の材料として重宝されるし、雪山に生息する獣の毛皮は、その見栄えと防寒性ゆえに高値で取引される。
まあ、しかしながら。
朝起きたら、寝台の横に、特大の毛糸の靴下があったなら。
明らかに人間が履けない大きさの靴下の中に、毛糸になっていない羊毛やら、丁寧に処理された毛皮やらがギュギュっと詰まっていたら。
――それを素直に喜べるかどうかは、人による。
◆◆◆
「――ラザロス兄上、何かおっしゃることは?」
「シャルロッティ、くりすますの贈り物に、羊毛と毛皮は不適切だったのか?」
首を傾げる次兄に、シャルロッティは地団駄を踏む。
「違いますっ!
問題は、ラザロス兄上が大公家の屋敷に無断で侵入して、私の部屋に勝手にものを投棄したことですからっ!!
ラザロス兄上は、仮にも軍部の長代わりなのですから、不法侵入も不法投棄もしないで下さいよ、下の者に示しがつきませんっ!!!」
「シャルロッティ、昨夜はくりすますだったのだ」
「……ラザロス兄上、クリスマスは、北方の神話に基づく風習でしょう。
我が国で主に信仰されているのは主神です。
余所は余所で、うちはうちなのです。
北方の聖夜に出没する不審者の真似事を、我が国の王位継承権を持つラザロス兄上がする必要性は、どこにもありませんからね。
――ですから、今すぐ、着替えて下さいっ!!」
シャルロッティは、握っていた扇をビシッと次兄に突き付けた。
シャルロッティの髪の色と同じく、真っ赤な上着とズボンには、目に眩い真っ白な袖。
シャルロッティとは異なる色彩の、青みがかった黒い頭の上には、これまた真っ赤なナイトキャップ。
遠い北の異国では、聖夜にこんな姿のご老人が、子供たちに贈り物を配って回るそうだが、この国でこの格好で人様の家に侵入されては、普通に不審者だ。
また、北方のご老人は、子供たちのお家に煙突からお邪魔してくるそうだが、この国で人が出入り可能な煙突を設置しているのは、それなりの金持ちの邸宅ぐらいなのだ。
場所が変われば、風習も建築様式も変わってくるのである。
眉尻を吊り上げるシャルロッティとは逆に、次兄は困ったように頭を掻いた。
「……スタマティア殿には太鼓判を押してもらったし、先生にはきちんと許可をとったのだぞ」
「ラザロス兄上、今回の件については、確実に、お養父さまや侯爵夫人との間で認識の齟齬がありますから」
シャルロッティは、両手を腰に当てきっぱりと断言する。
片や、他国にまで太鼓判を押される脳筋、片や、次々と流行を生みだす女流作家と、様々な知識人の尊敬を集める老獪な政治家である。
両者における前提と思考回路の乖離は、当人たちが自覚する以上に深刻だった模様だ。
そんなんだから、ヘンな格好をした不審者が、大公家の邸宅の煙突から内部に侵入、護衛たちの監視をすり抜け、次期大公の寝室に不審物を放置し、そのまま逃走したのを許すことになるのだ。
――朝起きたら、自分の寝室にど派手な巨大靴下が鎮座していたシャルロッティは、心の底から戦慄したのである。
侵入したのが脳筋ではなく、暗殺者であったのなら、次期大公の命はなかったのだから。
ちなみに、同じく自室に侵入された、シャルロッティの専属騎士へ贈られたのは、靴下一杯の干し肉である。
見習いとは言え護衛の少年の予定には、次期大公直々に、騎士団の特別訓練をねじ込んでおいた。
いかに侵入者が脳筋であろうと、流石に、戦神の寵児が人の気配に気付かずに眠りこけていたのは、弛み過ぎだ。
ジト目のシャルロッティに睨まれても、次兄はまだくりすますとやらに未練があるらしい。
「スカー達が、せっかくトナカイの代役をしてくれたのだぞ」
「肉食獣を草食動物の代わりにするのは、どうかと思います」
北方に生息するシカの仲間のつもりなのだろう、立派な角を頭部に装着されられたどデカワンコに、シャルロッティは憐みの目を向ける。
首輪に付けられた、次兄お手製の赤と緑の装飾品は凝ったものだが、蒼銀の輝きを帯びた純白の被毛には、どうにも釣り合わない。
元より、女神の守護者たる神獣の末裔は、傷が付こうとも、それそのもので完成された美しさを有しているのだ。
いくら、次兄の手先がシャルロッティより器用でも、やはり脳筋の感性では、余計な付属品を付け足すだけであった。
けれど、目が合った紫の双眸は、ひたすらに穏やかに、シャルロッティに頷いてみせる。
……大人しく次兄に付き合うどデカワンコは、とっても賢く、女神よりも遥かに寛大な、よいワンコだ。
「とにかく」
頭を振ったシャルロッティは、兄妹でお揃いの薄い琥珀色の瞳で、次兄を見上げる。
次兄の奇行はある意味通常運行であるが、珍妙な装束を王都に広めるのは本気で止めてほしい。
孤児院への寄付は、王族としてやぶさかでないではないが、別に異国の風習に絡める必要性はどこにもないのだ。
「クリスマスの風習に犯罪者が相乗りすると、治安に大きな影響が出かねません。
そんなにクリスマスを楽しみたいのなら、対策を考えて下さいよ、ラザロス兄上」
「それもそうか」
はっとした顔をした次兄は、贈り物の配達のための不法侵入が、不法侵入だけで終わらない可能性を失念していたらしい。
シャルロッティは、額を押さえ、子供らしからぬ表情で溜息を吐く。
この国は、北方ではないのだ。
聖夜の時期、雪で多くの道が閉ざされるという北方では、問題ないのだろう。
たとえ犯罪が起こっても、罪人は寒さと氷雪に逃亡を阻まれるし、追跡するにしろ、生きて移動できる道は限られているのだから。
「シャルロッティ、赤い服の犯罪者は、目立つと思うのだ」
「服は着替えられますからね、ラザロス兄上」
なお、同じ室内には、長兄もいたのであるが、ずっと腹を抱えて痙攣をしているため、本日はもう役に立ちそうもなかった。
◆◆◆
その日、彼女が自分の執務室に入ると、仕事用の机の上に、見慣れない包みが置かれていた。
年の離れた夫が彼女のために選んでくれた、水辺の花をあしらった瀟洒な机にはいかにも似合わぬ、麻袋と大きな油紙に包まれた包み。
一見雑なようで、しっかりと梱包された包みには、白い封筒が挟まれてあった。
生温い笑みを浮かべた侍女が、彼女の代わりに封筒を見分し、開封した中身を、恭しく彼女に差し出す。
夫や年の近い養女に大切にされていると彼女が感じるのは、こういう時だ。
白い結婚でしかなくとも、彼女はいつだって、大公家の一員として遇されている。
そっけなくとも上等な白いカードに綴られた文字は、硬質ながらも、どこか温かみがあるものだった。
『貴女の立ち姿に似た花です』
侍女が解いた梱包の下にあったのは、雪に覆われた鉢と、それに植えられた白い花だった。
花どころか茎も葉も、処女雪のような純白の花は、本来在るはずのない場所であろうと、ただ独り凛然と咲き誇る。
初めて見た花に、知らず感嘆の吐息を漏らした彼女は、手にしたカードの裏に小さく書かれた、文字の連なりに気が付いた。
『貴女と貴女が大切に思う者が、これからも心から笑えるように』
含むものは何もない、混じり気なく真っ直ぐな祈り。
見返りなく願われる幸福に、彼女は、微笑みと共に温かい気持ちが零れるのを感じた。
その花が、険しい雪山にのみ芽吹くと知らずとも、希少な薬草として尊ばれると分かっていなくとも、贈り主の心は、彼女に伝わってくる。
とても綺麗な花だから、夫や養女にも見せようと、彼女は、侍女に言付けを頼んだ。
脚の悪い夫には申し訳ないけれど、雪細工の花は、迂闊に触れれば砕け散ってしまいそうに繊細に見えたし、――彼女は知らなかったが――それは事実であった。
夫と養女を待ちながら、年若い大公妃は白いカードを見返した。
暗い色合いの青い瞳は、カードの贈り主の願い通り、穏やかな笑みで柔らかく細められている。
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