ちょこれーとで、あいはつたわりますか?
雨上がりの空は、高く澄んだ蒼。
穏やかな日差しの下で、早咲きのマーガレットが群れを成し、白い草原となって春待ちの風に揺れていた。
庭師ご自慢の白い花畑を目の前に、彼女は胸に抱いていた小箱に目を落とす。
包装こそ、侍女達の手を借り、貴族らしく整えられているものの、その中身はひどく不格好だった。
彼女自身が自覚している、己と同じく。
けれど、貴族の娘として相応しくなくとも、この恋心を託すものは、自分の手で作りたかった。
――願わくば、自分の想いが、彼の人と重なることを。
この想いが、いつ芽吹いたのかは、彼女自身曖昧だ。
いつの間にか彼女の心の底に根を張り巡らせ、とうとう花開き、咲き誇った恋の花。
その色彩は、彼女が目を逸らすには、あまりにも鮮やかで。
その存在を秘めようとするには、息苦しくなるほど、匂やかに。
自分でも呆れる程に強欲な、彼女の恋は、あっという間に、願うだけでは足りなくなってしまった。
だから、彼女はこうして、異国の菓子に自分のありったけを込めている。
――甘い、甘い、チョコレート。
この胸を満たすものが、彼の人の舌先にも、――彼の人の心にも、届くだろうか?
そして、近付いてくる足音に、彼女は待ち人の到来を知る。
怖気づく心を奮い立たせ、彼女は背後を振り返った――。
「――なるほど、そういう戦略ですか」
次兄から贈られてきた本を読みながら、次期大公は経営者の顔で頷いた。
◆◆◆
細長い焼き菓子は、焦げ茶の生地に、細かく刻んだ干した果物やら、砕いた木の実やらが、これでもかと混ぜ込まれた代物だ。
けれども、程よく焼きしめられた菓子は、持っただけでボロボロ崩れることもなく、口にすれはほろりと崩れ、食感も良い。
そして、しっかり火が通っているはずなのに、不思議としっとりしているそれは、口の中の水分を根こそぎ吸収することもなく、飲み物が無くとも食べやすかった。
「――シャルロッティ、どうだろうか?」
「ラザロス兄上、とても美味しいです」
真剣な顔で問いかけてきた次兄に、シャルロッティはいたって真面目に答えた。
栄養・腹持ち・保存性を優先した焼き菓子は、あまり食べ過ぎると、夕食が喉を通らなくなりそうな代物である。
だが、それを知っていても、思わず手を伸ばしてしまう美味しさなのだ。
――焼き菓子を咀嚼しながら、目頭を押さえていた大公家の料理長の姿を、シャルロッティは、ひとまず思い出さない事にしておく。
子リスよろしく焼き菓子を頬張る次期大公に、次兄はどこかほっとしたようだった。
「なら、問題はないな」
「――いや、根本的におかしいだろうがっ!!!」
「ぬ?」
次兄考案かつお手製な、保存食の試食会に強制参加させられた従兄弟のレヴァンの突っ込みに、次兄は不思議そうに首を傾げる。
「別に、不味くは無いのだろう?」
「……殿下、味ではなく、材料の方に問題があるんですがねっ!」
頭の上に大量の疑問符を躍らせる次兄に、レヴァンは、苛立たし気に片手で金茶の髪をかき混ぜた。
レヴァンは、部下達から『種族性別:団長』と認識されている次兄の、貴重な突っ込み役である。
昔から次兄のポンコツに巻き込まれがちな従兄弟は、軍事以外はポンコツ仕様の脳筋にも通じる説明を、必死になって考えている様であった。
「カカオの事なら、需要を生み出す目途が立っているのだ。
スタマティア殿も、快く協力してくれている」
「そ・こ・がっ!!!
問題なんだよっ!!!」
きょとんとする次兄に、レヴァンは机に拳を叩きつける。
「――保存食で愛の告白なんかされてたまるかぁっ!!!」
「愛の告白で、毒入り菓子を贈られるよりはいいだろう」
力一杯吠えるレヴァンに、次兄は真顔で答えた。
が、女性関係が普通に壊滅的な次兄の、涙を禁じ得ない主張にもめげないのが、レヴァンが次兄の突っ込み役たる所以である。
「――商売なめんな、この脳筋っ!!
売り先考えろや、馬鹿じゃねぇのっ?!!!
あんたの経験は、特殊例しかないんだよっ!」
ビシッと、無作法にも指を突き付けてくるレヴァンに、次兄は困った顔をした。
「だってなぁ、今の状態だと、輸入するカカオが希少過ぎて、保存食に使うには採算が合わないのだ。
折角、異国にはカカオを使った菓子で愛の告白をする風習があるのだぞ。
それをこの国で広めたら、カカオの需要が高まって、相場も下がるではないか」
「手段は間違っちゃねぇけど、目的がおかしいわっ!!」
次兄と従兄の、いまいち噛み合わない会話をよそに、シャルロッティは保存食の試作品に手を伸ばす。
保存食と分かっていても、次兄に大好きなお義姉様用のものを作ってもらおうと、シャルロッティが思うくらいには癖になる味である。
「何を言うのだ、レヴァン。
カカオは栄養価が高いから、材料に入れた方が良いのだ。
それに、ちゃんと愛も入っているぞ。
――兵站に不備があれば、戦などできないではないか」
「こき使う気満々の愛とかいらねぇっっっ!!!」
従兄弟に自信作を全力で否定され、次兄は、途方に暮れた様に、その薄い琥珀色の瞳をシャルロッティに向けてきた。
「……シャルロッティ、結局、何が問題なのだ?」
自分の主張が全く次兄に伝わっていなかったことに、レヴァンは、無言で机の上に崩れ落ちる。
そんな従兄を視界に捉えながら、シャルロッティは、優雅な仕草でお気に入りの香草茶を口にした。
「――ラザロス兄上、強いて言うなら、発想の組み合わせですかね? 」
事の始まりは、食いしん坊の次兄の親友(巨鳥に攫われ行方不明中)から届いた、手紙と荷物である。
食いしん坊らしく、輸送中の鮮度の劣化に細心の注意を払ったらしい彼からの荷物には、カカオなる豆がぎっちりと詰まっていた。
次兄の類友扱いされながらも、有能な外交官である彼は、赴任先で食したチョコレートなる菓子に、いたく感動したらしい。
……そこで、チョコレートの現物ではなく、原材料のカカオ豆(一応チョコレートの作り方付)を贈ってくるあたりが、やっぱり次兄の類友か。
そして、次兄は次兄で、親友からの手紙に記載されていた、異国では薬としても使用される、カカオ豆の栄養価に注目したのである。
軍事馬鹿の次兄にとって、行軍のお供な保存食の改良は、部下達を鍛えることと同じくらい重要であったのだ。
けれども、この国はカカオ豆の生産に適した気候ではなく、カカオ豆を手に入れようとすれば、輸入頼りになる。
そして、当然、カカオ豆の輸入には輸送費が加算され、大量に輸入するのでもなければ、価格が跳ね上がって、割に合わなくなってしまうのだ。
だから、次兄は考えた。
軍部で使用する以外にも、カカオ豆の需要を増やせば良い、と。
その為には、異国の風習が使える、と。
――軍事以外はポンコツでも、軍事が絡むと常人以上に頭が回るから、次兄は騎士団長なんかをやっているのだ。
……ただ、愛の告白の小道具が、チョコレートなる菓子ではなく、カカオ豆粉末入りの保存食になる辺りが、どうしようもなく次兄なのだが。
まあ、仕方があるまい。
次兄が骨の髄まで叩き込まれたのは――専門分野は軍事であって、商売や政ではないのだから。
シャルロッティは、次兄に向かって優しい笑顔を浮かべた。
「ラザロス兄上、カカオ豆の調達の方は、私に任せて下さい。
丁度、移民向けに、新しい雇用を生み出す必要がありましたから。
――ラザロス兄上は、お義姉様に、これと同じものを作って頂ければ、それで構いませんよ」
「すまないな、シャルロッティ」
自分が出来ることと出来ないことを弁えているところと、素直に頭を下げられるところが、次兄の美点である。
――とりあえず、シャルロッティを見てドン引きしやがったレヴァンには、しっかりと働いてもらわなければ。
ちなみに。
その後、チョコレートによる愛の告白の風習は、一定の定着を見せたが、次兄の保存食は制式採用に至らなかった。
――美味し過ぎて、ちょっと、行軍演習がきつくなるんですよね、と副団長は目を逸らしながら語っていたが。
――何で嫁のチョコレート菓子より、殿下の保存食が美味しいのっ?! 、と言う、某貴族の嘆きが、全てであったのではなかろうか。
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