愛は免罪符になりますか?
あるところに、神様が一柱おりました。
主神の子である男神は、数ある神々の中でも特に力の強い神でした。
暇を見ては地上に降り立った男神は、ある時、一人の勇者と友達になりました。
剣も弓も誰にも負けない勇者と、男神は共に冒険します。
怪物をやっつけ、宝物を探し、まだ見ぬ場所へ行くのも、一人と一柱は一緒です。
堅物な勇者は、お姫様を怪物から助けても、病弱な村娘の為に薬を採りに行っても、運命の人ではないからと、また旅立ちます。
運命の人を探し続ける勇者に、男神は尋ねました。
――運命の人を見つけたら、どうするのか、と。
勇者は答えます。
――運命の人の手をとって、ずっと一緒にいるつもりです。
貴方と冒険できるのは、その時まででしょう、と。
それを聞いた男神は、勇者を女の子にしてしまいました。
だって、男神は勇者が大好きでしたから。
――男神の勇者への気持ちは、Likeではなく、Loveでした。
あと、それは純粋に精神的なものではなく、がっつり肉欲が入っています。
どうせイチャコラするのなら、固い筋肉よりも、柔らかい女の子の方が、男神は嬉しいのです。
混乱する勇者を、男神はカラダから堕とし、天上にある自分の棲み処に拉致監禁しました。
これに関して、男神を咎める者はおりません。
だって、男神は神様で、勇者は人間ですから。
男神は、勇者とあんなことやこんなことをして、女の子になった勇者に愛を囁きます。
それでも、勇者は地上を恋しがるので、男神はイラッとして勇者の故郷に雷を落としたりもしました。
でも、男神を責める神はいません。
男神の行動は、愛故ですもの。
女の子になった勇者は可愛かったので、横恋慕する神が出てきましたが(以下省略)――。
――あの手この手で愛を叫んだ甲斐があり、勇者はとうとう男神の愛と女の子の身体を受け入れる事にしました。
そして、一人と一柱は、末永くラブラブしましたとさ。
「……」
無言のまま本を閉じた次期大公は、手にしたそれを、壁に向かって力いっぱいぶん投げた。
◆◆◆
シャルロッティが次兄の執務室を訪ねた時、次兄は、戦闘狂の元帥から押し付けられた書類の山を、丁度処理し終えたところだった。
巷では脳筋扱いされる次兄であるが、軍事関連ではまともに頭が働くので、実は書類仕事は得意な方であったりする。
昨晩からの疲労を引きずるシャルロッティは、どこか吞気な次兄の顔に、不覚にもほっとしてしまった。
「……ラザロス兄上、愛って、免罪符になるものなのでしょうか……?」
「シャルロッティ、そうであれば、法の意味がないだろう」
憔悴したシャルロッティの疑問に、次兄は訝し気に答える。
「そうですね、――そうですよね……」
ぐったりしているシャルロッティに、次兄が恐る恐る口を開く。
「……何があったのだ、シャルロッティ?
――まさか、兄上関連なのか……?」
「違います。
変態なんて、お義姉様の目に入れる訳が無いでしょう」
シャルロッティは、笑っていない笑顔で首を振る。
長兄の変態誘引体質のとばっちりで、シャルロッティは、次兄共々大変迷惑を被ってきたが、大好きなお義姉様に変態被害が波及するなんてもってのほかだ。
それに、慣れてしまったので、今更変態の一匹や二匹如き出没したところで、シャルロッティは動じやしない。
まあ、長兄への愛の為にを合言葉に、シャルロッティの仕事を増やしてきやがる変態共には、殺意しか湧かないが。
額を押さえたシャルロッティは、持っていた本を次兄に差し出す。
何だか大人の装丁なその本には、やたらと装飾的な文字で題名が記されていた。
――『大地の勇者は、天上の愛に攫われて』。
シャルロッティから本を受け取った次兄は、そのままパラパラとページを捲り始めた。
異常な動体視力を駆使しているので、次兄が文字を読み込む速度は、とんでもなく速い。
そして、物語を読み進める次兄の目から、どんどん光が喪われていくのを、シャルロッティは虚ろな瞳で眺めていた。
気持ちは分かる。
シャルロッティとて、こんな本を読んだことを心底後悔しているのだ。
恋愛最底辺の脳筋には、刺激が強すぎるのだろう。
ゆっくりと本を閉じた次兄は、無言のまま腰に手をやる。
緋色の一閃。
空中で切り裂かれ、瞬く間に燃え尽きた本に、シャルロッティが抱いた感想は一つだけ。
――神剣さんが、珍しく神器らしい仕事をしている……。
かつて半神の愛剣であった神剣さんは、次兄に憑りついたのは良いものの、活用されるのは万能調理器具としてぐらいなのだ。
不憫すぎる神剣さんの活躍に、シャルロッティはちょっとしんみりしてしまった。
本はぶっちゃけどうでもいい。
むしろ、シャルロッティがこんなものを読んでいたことを、お義姉様に知られたら困るし。
「……シャルロッティ――」
いつになく怖い顔をしている次兄の、平素は薄い琥珀色の瞳は、だが、今は金色の光を孕んで輝く。
……次兄は、すごく、怒っている。
「――お前に、この本を勧めたのは、誰なのだ?」
「いえ、勧められたというか……」
低い声で問うてくる次兄から、シャルロッティは目を逸らす。
「――元帥閣下の口から題名が出てきて、気になりまして……」
だって、あの戦闘狂が話していたのだ。
そもそも文字を読みそうもない人種が話題に出したのだから、どんな内容か気になって然るべきだろう。
――好奇心は猫をも殺す。
その諺を、シャルロッティは身を以て思い知る羽目になった訳だが。
がっくりと、机に肘をつき、頭を抱えた次兄の目から、金色の光が消え失せる。
「シャルロッティ、お前、師匠がまともな人種と付き合えると思っているのか?」
「いえ、想像できませんっ」
疲れ切った次兄の声に、シャルロッティはぶんぶんと首を振る。
「だから、そういうことなのだ」
唯一の直弟子にそんな事を断言される戦闘狂は、もうどうしようもないと思う。
「とにかく、拉致監禁は犯罪だし、相手を尊重しない姿勢は結婚相手として失格だから、真似はしてはいかんぞ」
「ラザロス兄上は、結婚も婚約もしていませんよね」
気を取り直した次兄の台詞の前半は、激しく同意できるものの、後半部分にシャルロッティは思わず突っ込んでしまった。
結婚をしていない人間が、結婚相手失格を何故語る。
「……だってなぁ」
次兄は、酷く遠い目をした。
「私を兄上の身代わりにするどころか、踏み台にして兄上に近づこうとする輩を、一体どう好きになれというのだ……」
「ラザロス兄上、すいませんっ!
強く、――強く生きて下さいっ!!!」
シャルロッティは、思わず両手で顔を覆う。
長兄の謎な体質の最大の被害者に、シャルロッティが言えるのはそれだけだ。
妹の無力を、次兄は溜息一つで許した。
そして、なぜだか、次兄はあらぬ方向を見たまま、口を開く。
「あと、シャルロッティ、知っているか?
――誘拐などで抑圧状態に置かれた人間は、その原因であり抑圧者でもある犯人に、親しみを覚えることがあるのだ」
「生存戦略としては、妥当でしょう。
下位と位置付けられた者が上位者に同調するのは、よくある事ではないですか」
次兄の唐突な話題の変更に首を傾げつつ、シャルロッティは思った事を答える。
「先程の本に出でくる男神の様な人種を、やんでれと呼ぶのだろう。
――その相手に芽生える感情は、誘拐犯に対する者と、何が違うのだろうな?」
「……生存戦略と、愛情を勘違いした可能性もありますね……」
らしくも無く哲学的なことを言い出した次兄に、シャルロッティは乾いた笑みを浮かべる。
と言うか、この話題、笑えないから。
うっかりで殺されかけたにもかかわらず、元帥への悪感情が特にない次兄が言っていると、全くもって笑えない……。
――あれ、愛って、なんだっけ……?
シャルロッティ、十二歳。
大好きなお義姉様へ向けるのは、胸を張って愛だと断言できるけれど、愛そのものの定義がよく分からなくなった、今日この頃。
とりあえず、これだけは言えるけれど。
「……ラザロス兄上、愛って、免罪符になりませんね……」
「だろうなぁ。
それが通ったら、警吏も法も要らないし、国も成り立たなくなりそうなのだ……」
なんだか哀しい気持ちで言ったシャルロッティに、次兄は力なく頷いた。
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