婚約破棄とは、良い事なのか?
あるところに、金髪碧眼の美少女がおりました。
伯爵令嬢の彼女には、既に婚約者が決まっていて、黒髪で緑の瞳が印象的な格好いい幼馴染の伯爵令息でした。
成長した二人は、王都の学園に入学しました。
そこで、令嬢は、情熱的な赤毛の侯爵家の嫡男に出会います。
王都の華を胡蝶のごとく渡り歩いていた嫡男は、伯爵令嬢の美しさに一目惚れしました。
令嬢にも自分を好きになってもらいたいので、侯爵家の嫡男は、あの手この手を使って令嬢にアタックしていきます。
しかし、そんなことをされて、婚約者も黙ってはいません。
あんな事やこんな事で、幼馴染の令嬢との絆を確かめ合います。
令嬢は、もちろん幼馴染の婚約者が好きでしたが、けれど、ぐいぐい押してくる侯爵家の嫡男の事も気になりだし(以下省略)――
――決闘に勝利した侯爵家の嫡男は、晴れて伯爵令嬢の身も心も勝ち取りました。
伯爵令嬢は円満に幼馴染との婚約を解消し、愛する人と結ばれましたとさ。
「……ぬぅ……?」
部下から勧められた恋愛小説を読み終えた騎士団長は、困惑しきりで首を捻った。
◆◆◆
襲撃者の急所を狙うだけの簡単な護身術の訓練後、シャルロッティの相手をしていた次兄が、思い出した様に口を開いた。
「――シャルロッティ、婚約破棄とは、良い事なのか?」
「場合によると思います」
不意に次兄から尋ねられたシャルロッティは、即答した後、一拍置いて自分を見下ろす相手を凝視した。
――なぜ、この脳筋から婚約破棄なんて単語がっ?!
冗談でも何でもなく、女性関係が壊滅的な次兄である。
独身男性として絶望的な状況下でも、次兄はいたってのほほんとしているものの、残念ながら結婚願望や恋人を作る希望はないらしい。
そんな次兄の口から、『婚約破棄』という言葉が出てくるなんて――。
シャルロッティは、口元を引き攣らせた。
……やだ、理由を聞くのが、怖すぎる……。
静かな激震の走った鍛練場にて、だが、重く圧し掛かってきた沈黙を破る、一人の勇者がいた。
「……なあ、殿下、一体どうして、婚約破棄云々なんぞ言い出してくるんですかね?」
鍛練場の隅で轟沈していた従兄弟のレヴァンが、従者の膝の上で次兄に突っ込む。
この従兄弟、逃げ足を鍛える為、次兄に引きずられてきた挙句に、騎士団の訓練に強制参加させられるのだが、大体途中でへばって倒れるのだ。
シャルロッティの母方の親族は、割とろくでもないのが揃っているが、レヴァンは別枠で、貴重な次兄のツッコミ要員である。
――軍事以外はポンコツ仕様の次兄は、どうやら、部下達から『種族性別:団長』と認識されているらしい。
そして次兄の場合、どんな突飛な行動をしようとも、最早部下達にとって、存在そのものが理由になってしまっている様で、基本生暖かい目で流されている。
それ故に、次兄へのツッコミ役は、なかなかに希少価値が高いのだ。
脳筋といえど、王位継承権所有者への敬意が見当たらないレヴァンの台詞に、しかし、次兄は気分を害した風でもない。
まあ、その程度で堕ちる権威なら、初めから無いのと変わりはしないだろうが。
「うむ、ニコから勧められた恋愛小説に、婚約破棄が出てきたのだ。
実際、父上も、ヨアナ殿も婚約破棄をしているのだが、そんなに簡単にするものなのかと、少し思ったのだ」
そう言うと、次兄はちょいちょいと鍛練場の端に向かって手招きをした。
すると、じっと伏せていた次兄の飼い犬が、その体躯に比べて随分小さな袋を咥えてやってきた。
顔に刻まれた傷跡と、大の大人を優に超える巨躯のせいで、威圧感が凄まじいが、宝石の様に煌めく紫色の瞳は穏やかだ。
隣国で拾って来た神獣の末から袋を受け取り、ぽんぽんと蒼銀の輝きを帯びた頭を撫でると、次兄は袋の中身をシャルロッティに突き出す。
武骨な次兄の手には似合わぬ、華やかな装丁の本には、装飾的な文字で題名が記されていた。
――『恋する心は紫陽花模様~愛は嵐の様に~』。
それは、シャルロッティも読んだことのある恋愛小説であった。
呆気にとられながら、シャルロッティは、ニコとやらが次兄に恨みを募らせているのではないかと勘繰る。
未来を担う若者を潰して回った元帥でないにしろ、次兄の鍛練は十分すぎる程に厳しいし。
――だって、この本、明らかに恋愛最底辺向きではないのだもの。
「と言うかなぁ……」
硬直しているシャルロッティの前で、次兄はふと、遠い目をした。
「……二股寝取りと決闘騒ぎからの婚約破棄の話の、一体何を参考にすれば良いのだ?」
「――反面教師ですっ!!!」
「どんな本勧められてんだ、お前っ?!」
次兄の疑問に力いっぱい答えたシャルロッティの声と、レヴァンのツッコミが重なった。
「――え、ちょ――、――そんな話っ?!!」
「ははははは、ちょっと来いや、ニコ。
――団長になに渡してんだよ」
「あれっ?!
妹が絶対これだって言っていたんですけど――。
――すいませんごめんなさい副団長そんなつもりはあああぁぁぁぁ―――――――――」
笑顔の副団長に連行される騎士団員に、救いの手は無い。
そして、大事なナニカを飛ばしかけている騎士ニコに、立ち上がったレヴァンが、指を突き付け吠えた。
「――中身確認してから勧めろよっ!!!」
それはそうだと、その場の者達は頷いた。
「ラザロス兄上、これは事故です。
事故なんですっ!!
今すぐその本の中身を忘却して下さいっ!!!」
シャルロッティは、必死に次兄に向かって言い募る。
専門分野以外はポンコツ仕様の次兄だが、それを補って余りあるのが軍事関連の能力だ。
当然、戦闘技術は言わずもがな。
――戦鬼と恐れられた元帥から、直々に鍛えられたのだ。
うっかりで、死にかけながら。
……次兄に決闘騒ぎなぞ起こされてみろ。
間違いなく、再起不能者か死人が出る。
「言われて忘れられるなら、世話ないだろう……」
妹の無茶ぶりに、むしろ忘れるのが苦手な騎士団長は、困った顔をする。
そして、大事なことに気が付いた。
そう言えば、当初の疑問が全く解消されていないのだが。
場合による、では、玉虫色過ぎて答えになっていないだろう。
「――ところで、婚約破棄とは、良い事なのか?
この本はともかく、ヨアナ殿は今の方が幸せそうだが」
「当たり前です」
再びの次兄からの質問に、シャルロッティは固い信念をもって言い切った。
大好きなお義姉様は、婚約破棄が無ければ、シャルロッティの家族にはならなかったのである。
シャルロッティは、まだまだぺったんこな胸を精一杯張った。
「――お義姉様は、婚約破棄して良かったのです。
他の方については、場合によります」
「――止めろちびっ子!!
条件に穴開けんじゃねぇっ!!!
そこの脳筋に妙な解釈されたら、笑えねぇんだよっ!!!!!」
あ、また団長がやらかしちゃってる、という空気が蔓延する鍛練場で、レヴァンの怒声はどこか虚しく響いた。
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