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その七 コルドバ

十七日目 五月二十五日(火曜日)

 朝食を食べてから、ホテルをチェックアウトして、二日前と同じ道を辿って、バス・ターミナルへ向かった。

 そして、十時のコルドバ行きのバスに乗った。

 コルドバのバス・ターミナルには十二時に着いた。

 この街は八世紀から十一世紀にかけて、イスラムの都が置かれ、ヨーロッパ最大の繁栄を享受した街である。

 バス・ターミナルのカフェテリアで昼食を時間をかけて摂り、時間を調整してから、タクシーに乗って、ホテルに向かった。

 ホテルは観光名所・メスキータの入口すぐのところにあった。

 ホテルにチェックインし、荷物を置き、貴重品を全て室内金庫に入れてから、街に出た。

 スペインでの暮らしも二週間を過ぎ、大分旅慣れてきたような気がした。

 メスキータから見物した。

 メスキータはイスラム教とキリスト教が共存するモスクとして名高い。

 勿論、初めはイスラムのモスクとして造られたが、レコンキスタによりカテドラルとして改造されてしまった。

 白い大理石と赤い煉瓦が交互に組み合わせられた『円柱の森』と呼ばれる広場は観る者を限りなく幻惑させる。

 この『円柱の森』の写真はコルドバを代表する一枚として常に観光雑誌に掲載されている。

 次いで、アルカサルを見物した。

 アルカサルは新大陸発見の旅の資金援助をコロンブスがカトリック両王に願い出た王城としてこれまた名高いところである。

 アメリカ大陸はコロンブスが発見したと教科書には記されていたが、コロンブス以前にもヨーロッパ大陸から幾人かの白人が訪れている形跡がある。

 三池は昔読んだメキシコ関係本の一節を思い出していた。

 今でも、その書き出しの文句は覚えている。

 アメリカは何度も発見された、というまことに皮肉っぽい文章からその本は始まっていた。

その書き出しが何とも愉快、且つ痛快で、三池はメキシコに居る間、何度も繰り返して読んだほどだ。

また、その後、カンクーンで買ってきたマヤ伝承の本の中で、十字架の墓の記述があったことも思い出した。

コロンブスの後、コンキスタドーレス(スペイン人の征服者たち)、同行したカトリック神父たちはマヤの部落で不思議な墓を見た。

部落の伝承によれば、コロンブス以前に、この部落に白い男がやって来て、いろいろな技術を教え、部落の人々を啓蒙したらしい。

その男は死んで葬られ、その墓には十字架が建てられた。

部落はその男の恩を忘れまいと死んだ命日には必ず部落の人全員が墓に参列するということだった。

コンキスタドーレスと神父たちが見たのは、その男の十字架の墓だった、と書かれてあった。

ひょっとすると、メキシコとかマヤの神話伝承で文化神とされている、メキシコ中央部のケツァルコアトル、マヤのククルカンはヨーロッパからコロンブスよりもずっと前に漂着したか、キリスト教布教のために新天地を目指して渡海してきた白人であったかも知れない、と三池は思った。

抽象的な神的存在では無く、生の人間として実在したと思われるケツァルコアトルは中央メキシコを追放されてから、マヤの文化圏にやって来て、ククルカンと呼ばれるに至っている。

ケツァルコアトル、ククルカン、共に、同じ『羽毛の蛇』という意味の名前であるが、膚の色が白く背が高い男であったらしい。

二人はユダヤ人街を歩いた。

セビーリャのサンタ・クルス街と同じような、迷路を思わせる細い道、白い家々が建ち並び、旅行者を幻惑させる街並みであった。

ホテルに帰り、少し休憩し、黄昏を迎えた頃、ホテルを出て、ビアナ宮殿に向かった。

ビアナ宮殿はパティオ(中庭)で有名なところだ。

数々の美しいパティオを見物してから、その宮殿を出て、近くにある、灯火のキリスト広場に行った。

カンテラの優しい灯りに照らされたキリスト像を観た。

厳かな雰囲気に包まれた広場で、二人はベンチに腰を下ろし、静かな優雅さを味わった。

「こういった広場には、何とも言えない味がありますね」

三池が言った。

「カトリックに特有なのかどうか、はっきりとしたことは知りませんが、広場にはとにかく人が集まります。昼と言わず、夜と言わず、人が集まり、散歩したり、お喋りをしたりして、コミュニケーションを図ります。こんなところは日本にはありませんね。日本の広場には人が常に集まるという古き良き伝統は全く無く、ただ、広場が欲しいという住民の要望を受けて、予算に基づき、粛々と広場を作っているだけ、という感がどうしても否めませんね」

三池が少々憤慨しながら香織に語った。

「そう言えば、そうですわねえ。この広場は日本の広場と違い、本当に市民がのんびりと歩き、お喋りをしていますものね。これも、一つの文化なのでしょうか」

香織も、三々五々集まってくる人々に目を向けながら、そう呟いた。

夕食はホテル近くのエル・カバーリョ・ロホというレストランで、名物の牛テールの煮込み料理とした。

茄子のフライとその店オリジナルのパンもなかなか美味しかった。


十八日目 五月二十六日(水曜日)

 ホテルには朝食が付いていた。

 屋外フラメンコ・ショーのパンフレットを見掛けたので、ホテルのカウンターで予約した。

 ホテル近くのカルデナルという店で行われるフラメンコ・ショーであった。

 夜十時半の開演で、ドリンク付きで結構低料金のショーである。

 予約を済ませた二人はホテルを出て、ローマ橋を渡って、カラオーラの塔を見物した。

 ローマ橋を守るために築かれた要塞で、現在はアル・アンダルス博物館として、コルドバ周辺の歴史博物館としての役割を果たしている。

 その後、北に向かい、ミラフローレス橋を渡って、ポトロ広場を経て、考古学博物館を見学した。

 ポトロは子馬という意味で、コルドバ市の紋章になっている。

 ドン・キホーテに登場する旅籠屋・ポトロもある。

 作者のセルバンテスも宿泊した、と云われている。

 考古学博物館には、ローマ時代の収蔵品が一階に、また、イスラム支配下の時代の収蔵品が二階に陳列されている。

 スペインは、ローマに占領され、イスラムに占領され、ナポレオンにも占領された。

 過去、何度も征服され、国土を占領されたこの民族は、海を越えて征服者にもなった。

 苛酷な圧政を敷かれた国民は、征服者となった土地では苛酷な圧政を敷く者となる。

 太陽が沈まぬと称されたほど広大な植民地を有した国の末裔は今、経済的には二流という地位に甘んじている。

 優越意識と劣等意識、過去の栄光と現在の凋落、プライドと冷酷な現実、といった相反する意識がこのスペインという国の国民を複雑な感情を持つ国民に仕立て上げている、という文章をどこかで読んだ記憶がある、と三池は思った。

 博物館を出て、メスキータに戻り、近くのボデガス・メスキータというレストランで、六種類のタパスが付く定食を食べて、昼食とした。

 ホテルに戻り、シャワーを浴びて、三池はベッドに横になった。

 そのまま、うたた寝をしてしまった。

 気付いた時は既に暗くなっており、時にはいいでしょうと香織が買ってきたボカディーリョを食べて夕食とした。

 香織は三池を残して、付近を散策してきたらしい。

 男からいろいろとピロポを受けましたよ、意味が分からなくて残念でしたけど、と言って笑っていた。

 十時頃、ホテルを出て、百メートルと離れていないところにあるカルデナルで、フラメンコ・ショーを観た。

 屋外のパティオで繰り広げられるフラメンコはいかにも情緒たっぷりで観る者を酔わせた。

 フラメンコはジプシーの踊りであり、ジプシーはスペイン語ではヒターノと言う。

 但し、彼らは自分たちのことをヒターノとは呼ばず、ロマと言っている。

 ロマの意味は、『ひと』という意味だ。

 自由気儘に、ヨーロッパを移動し、定住することを好まない彼らは当然、その土地に永住する者からは差別される。

 差別される者の心から湧き出る踊りがフラメンコなのだ。

 ロマ同士の人としての堅い結び付き、差別する者たちへの激しい怒り、男と女の根源的な愛の形、『ひと』としての自己主張など、観ている者にいろいろな感情、思いを喚起させるこのフラメンコはそのまま一つの芸術である、と三池は思った。


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