Memory
チリン、とベルが鳴る。
掃除をしていた手を止めて振り向くと、白髪のおじいさんがドアを開けようとしていた。
その人が杖をついていることに気づき、慌てて駆け寄ってドアを引くと、おじいさんは私を見てにっこりと笑った。
「ありがとう。……ところで、ここは魔法使いのなんでも屋さんであっているかい?」
「はい! 依頼でしたら、どうぞこちらへ。……ミラさん、依頼です!」
おじいさんをソファへ案内しながら、奥の部屋に向かって声を掛ける。
すぐに彼女は顔を出した。
「こんにちは。どんなご用でしょうか?」
「どうぞ」
イトウ、と名乗った依頼主のおじいさんに冷たいお茶を出す。
「あぁ、ありがとう。……お嬢さん、綺麗だけどあまり見ない瞳の色だね」
「よく言われます」
親譲りである赤い瞳を、イトウさんはもの珍しそうに覗き込んできた。
私はこの瞳の色が好きではない。
その本心を押し隠すように苦笑する。
そうかい、と言いながらお茶が入ったコップに口をつけたイトウさんは、直後、目を丸くした。
「……美味しい。これも魔法を使ったのかね?」
「いえ。茶畑を持っている人間の知り合いからもらったものです」
すると、イトウさんは興味深そうに頷いた。
「ほう、そんなお知り合いが……」
「以前、その方からとある依頼を受けて。そこからの付き合いなんです」
「そうか……ここはちゃんとしたなんでも屋さんのようだね」
え、と声を出す前に、イトウさんの向かい側に座っていたミラさんが口を開いた。
「それで、どんなご用件でしょうか?」
「あぁ、そうだった」
イトウさんは大きな鞄から分厚い本のようなものを出し、ミラさんに差し出した。
「このアルバムを直して欲しいんだ」
「アルバム……?」
黙ってアルバムを受け取ったミラさんは、それを開き、険しい顔をする。
「これは……」
私も、とミラさんの手元を覗き込んで、息をのんだ。
アルバムに入っていた写真の大半が、切れ端しか残っていなかった。
「ミラさん、これって……」
「思い出を食べてしまう虫ね。でも、こんなにひどいのは初めて見たわ。……これ以外のアルバムは無事ですか?」
「あぁ。他は無傷だったよ。しかし、よりにもよって一番大切なアルバムだけが、こんなことに……」
「そういった生き物は、思い入れの強いものを好む傾向があるんです。よほど大切にされていたんですね」
ミラさんの言葉に、イトウさんは寂しそうな表情を浮かべた。
「……亡くなった妻との思い出の写真を入れていたんだよ。妻だけじゃない。子どもや孫……家族との写真を入れていた。これを見ると元気が出るからね。気づいたら開いているときもあったよ」
どんな言葉を掛ければいいか分からなかった。ミラさんも、言葉を出せないでいるようだ。
「直してくれるかね? 報酬はいくらでも出す」
「そんな、いくらでも、なんて……」
なんでも屋を始めてから、そんなことを言われたのは初めてだ。思わず口を出してしまうと、ミラさんに制止される。
「それほど大事なものなのよ。……少し時間が掛かってしまうかもしれませんが、それでもよろしければ引き受けます」
「あぁ、直してくれれば、どれだけ時間が掛かっても問題ない。……実は、ここに来る前に別のなんでも屋を訪ねたんだが、断られてしまってね」
「それは……災難でしたね」
気の毒そうに言うミラさんの横で、私は黙ることしかできなかった。
魔法使いと人間が共存しているこの世界には、魔法使いが営んでいるなんでも屋が数多く存在している。それは、私たちのような若い魔法使いの〝修行〟のためでもあるのだが、一番の理由は、今回のような魔力を持った生き物などによる被害が多いからだ。
魔法によって壊れたものは、魔法でしか直せない。
そんな大前提があっても、魔力を持つ虫たちはおかまいなしだ。だから、人間が所持するものも壊してしまう。その被害にあった人間は、魔法使いを頼るしかなくなってしまうのだ。
しかし、その関係が上手くいっているかどうか、というのはまた別の話だ。魔法でしか対処しようがないのに、魔法使いが嫌いという人間もいれば、人間とは極力関わりたくないが、〝修行〟のために仕方なくやっている魔法使いもいる。
ずいぶん前から人間と魔法使いの共存は始まっていたはずなのに、この問題は消えそうにない。
イトウさんがここに来る前に訪ねたなんでも屋は、きっと仕方なくなんでも屋をやっている魔法使いのところだったのだろう。
「アリサ、お見送り」
私が考えごとをしている最中に、二人はやりとりを終えていたようで、ソファから立ち上がっていた。ミラさんの声に我に返る。
「は、はい!」
ドアに向かう二人のあとを慌てて付いていった。
「ミラさん……大丈夫ですかね」
イトウさんが帰るのを見送ると同時に、私は口を開く。
「何が?」
「今回の依頼のことです」
今までは、雨を降らせて欲しいだとか、その場で終わるような依頼ばかりだった。今回のように、物を預かって直すというのは私たちにとって初めての依頼内容だ。しかも、預かったアルバムの損傷具合はひどい。
私たちにできるのだろうか、という不安しかない。
私の気持ちを察したのか、ミラさんは優しい笑顔を私に向ける。
「大丈夫よ。イトウさんもあんな風に言ってくれたし、焦らずに、確実に直していきましょう。アリサも手伝ってね?」
そんな笑顔に、私もつられて頬が緩む。
ミラさんは、一つ年上の先輩で、昔からお世話になっている人だ。一つしか歳が変わらないのに、ミラさんは博識で、どんな魔法も使いこなせてしまう。私にとって頼りになる人で、憧れの人だ。そんな人と一緒になんでも屋をして、一緒に修行をしていることは、自慢でもある。
「もちろんです! 私にできることなら何でもやりますよ!」
「ありがとう。じゃあ、早速……ちょっと待っててね」
ミラさんはメモ帳に何かを書き連ね、それを渡してきた。
「これ、ルイさんのところで買ってきて欲しいんだけど……大丈夫? 迷ったりしない?」
「大丈夫ですよ! もう、ミラさん、そんなに心配しなくても……ルイさんのところにはちゃんと行けますって!」
「あはは、ごめん。アリサはいつもそう言って道に迷うから」
ミラさんにそう言われるのも無理はない。
ミラさんと比べれば私はまだまだで、ドジなのも相まって失敗ばかりしている。おつかいを頼まれて迷子になるのもしょっちゅうだ。魔法の技術も、上手く扱えるのは火の魔法だけで、それ以外はてんでだめなのだ。それだから、普段からミラさんの足を引っ張ってばかりいる。
「じゃあ、行ってきますね」
「うん、気を付けて」
ミラさんに見送られ、私は店を出た。
「へぇ、アルバムを直す、かぁ。大きな仕事だな」
ルイさんがメモを見ながら薬棚を漁る。
久々に会ったルイさんは、以前と何一つ変わっていなかった。
「はい。こんなに大きな仕事、初めてなので少し不安なんですけど」
「ミラがいるから大丈夫、って言うんだろ」
「何で分かるんですか!?」
「そりゃあ、アリサはミラのことを慕ってるって知ってるし。お前らのこと、ずっと面倒見てきてるから分かるよ。……本当はお前たちの手伝いもしたいんだけどなぁ……」
「いや、ルイさんに手伝ってもらったら修行の意味ないですから!」
過保護気味なところも相変わらずのようだ。
ルイさんは、昔私とミラさんの指導をしてくれていた先輩だ。今は実家である魔法薬専門店を継いでいる。私とミラさんがなんでも屋を始めてからもお世話になっていたが、ここ最近の依頼は薬を必要とすることがなかったこともあり、ここへ訪れるのは久しぶりだった。
「まぁ、アリサもミラも頼まれたものはちゃんと引き受けてこなしているからな。よくやってると思う。きっとその依頼も大丈夫だろう」
「……依頼を断るなんでも屋って多いんですかね」
「うーん……多くはないけど少なくもないだろうな。急にどうした?」
「いや、今回の依頼主さん、別のなんでも屋では断られてしまったみたいで」
「あぁ、なるほどな。……特に今回お前たちが引き受けたようなのは、手間もかかるし。簡単なのしか受けないなんでも屋もあるだろう。本当、アリサはそういうの考えすぎだよ」
「そうですかね……でも、他人事ではないですし」
言葉に詰まった私に、ルイさんは微笑んだ。
「でもな、なんだかんだ、人間も魔法使いも、お互いに良い影響を与え合っているんだよ」
「え?」
「例えば……じゃんけん。あれは元々人間の中でできたと言われるものだ。それが、共存が始まったと同時に魔法使いにも広まって、今では魔法使いも当たり前のように使っている。けど、じゃんけんは、俺ら魔法使いにとって重要なことを気づかせてくれたものでもあるんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。グーとチョキとパー、どれが一番強いか分かるか?」
「え!? 強い手があるんですか!? えーっと、どれだろう……」
うーんと唸っていると、ルイさんが突然笑い出した。びっくりして顔を上げる。
「はぁ、相変わらずアリサは素直だなぁ。あるわけないだろ」
「な、何ですかそれ! って、ないんじゃないですか!!」
「そう。それは、魔法も一緒なんだよ」
「魔法も一緒……?」
ルイさんの言葉を繰り返しながら、首を傾げる。
「うん。魔法も、魔法の薬も、一番強いものなんて存在しない。全て、何かを打ち消す性質を持っているけど、何かに打ち消されてしまう性質も持っているんだ。それを教えてくれたのがじゃんけんで、人間なんだよ」
「……難しいです」
「そうかな? まぁ、アリサが思っているほど人間と魔法使いの関係は悪くないってこと。……はい、これ」
ルイさんは薬を入れた紙袋を差し出してきた。
「調合した状態で入れてあるから、それを魔法の水で溶かせば使える」
「わ、わざわざありがとうございます! 本当に助かります」
「いいよ。可愛い後輩たちのためだし、それくらいのことはやってやるって。またいつでも来な。依頼も、頑張って」
「はい!」
お代を払い、にこやかに手を振るルイさんにお辞儀をしながら店を後にした。
おつかいから戻り、もらった薬をミラさんに渡すと、すぐに修復作業が始まった。
「水よ、我の手に」
ミラさんがガラスのビンに手をかざし、一言呟くと、瞬く間にビンの中に水が溜まる。
「わぁ……さすがです、ミラさん」
思わず見とれてしまう。
私がやったらビンから水が溢れて、作業台の上を水びたしにしてしまうだろう。
そんな私をよそに、ミラさんはルイさんが調合してくれた魔法の薬を水に入れた。透明だった水が薄い青に色づいていく。
今回は、写真を元に戻す、ということだから、回復魔法と呼ばれる種類の魔法を使っていくという。実際、ルイさんからもらった魔法の薬も、回復系のものだった。
「よし、準備完了。私も回復魔法は得意じゃないから、上手くできる自信はなくて……だから魔法の薬を使うんだけど。とりあえず、一枚やってみましょうか」
「はい」
作業台の前に立ったミラさんは、たった今薬を溶かした液体をスポイトで吸い、写真の切れ端部分に一滴垂らした。そして、その切れ端に手を触れる。
「消えた写真よ、記憶を取り戻し、回復せよ」
魔法の呪文というのは意外と簡単なもので、目的をそのまま言えば大抵は通じてしまう。
ミラさんの呪文と同時に、写真の切れ端から、液体が染み渡るかのように写真が修復されていく。しかし、出てきたのは少しだけで、まだ完成とはほど遠い状態だ。
「これしか浮かばないかぁ……思っていた以上に時間を使いそう。薬も足りないかもしれない」
少し元に戻った写真を見つめながら、ミラさんはため息をつく。
「ちょっとずつやっていくしかないわね。……アリサ、やり方は分かった?」
「あ、はい。今みたいにやればいいんですか?」
「そう」
ミラさんからスポイトを受け取る。
ミラさんが直した写真の切れ端に、ミラさんと同じように液体を垂らし、呪文を唱えた。同じように写真は浮かび上がってきたが、その面積はミラさんがやったときよりも少ない気がする。
「……これは実力の差ですかね……」
「まぁまぁ、そんなに落ち込まないで、アリサ。ちゃんとできてるから」
苦笑いしながらも励ましてくれるミラさんの優しさが少し心に刺さるが、確かに落ち込んでいる暇はない。
「そうですね。頑張ります!」
自分に喝を入れる意味でも声に出す。
「よし、じゃあ、アリサはそこの写真をお願い」
「分かりました!」
私とミラさんの地道な作業が始まった。
「ただいま戻りました」
依頼に取り掛かってから二週間が過ぎた。
私が薬と水の比率を変えてしまったり、使う薬の量を間違えたりと、いろいろな失敗をしたが、ミラさんにフォローされながら、アルバムはなんとかほぼ完成というところまで直っていた。
ルイさんのところへのおつかいから戻った私は店のドアを開けた。すると、ビンが割れるような大きな音がした。
ミラさんが作業をしている部屋からだ。
「ミラさん!?」
手荷物を投げるように手放し、作業部屋のドアを思い切り開ける。
最初に目に飛び込んできたのは、ミラさんの青ざめた顔だった。何らかの薬が入っていたビンを落としてしまったのか、床にガラスの破片が散らばっている。
「ミラさん! 大丈夫ですか!? 怪我は!?」
「あ、アリサ……ごめん……やっちゃった……」
「謝ることじゃないですよ! 今救急箱を……」
「そうじゃないの! ……怪我はしてないわ」
「え?」
てっきり怪我を負ったのかと思っていた私は足を止めてミラさんを見る。
ミラさんは気まずそうに私から目をそらした。
「えーっと、ミラさん? 怪我じゃないなら、何ですか?」
ミラさんを疑っているわけではなかったが、嫌な予感がした。
作業台に向かう。
作業台には、修復も終わりに近づいていたアルバムがある。
それを覗き込んだ私は、言葉を失った。
ちょうど開いていたページにあったはずの全ての写真が跡形もなく消え、液体が染み込んでいた跡だけが残っている。ビンの破片は、アルバムと作業台の上にも広がっていた。
「ごめん、アリサ。……アリサが直してくれたページだったのに……」
「それはいいんですけど……えっと、どうしたんですか?」
「……今使っていた忘却の薬の入ったビンを、落としちゃって」
「忘却の薬!? 何でそれを!?」
思わず大きな声を出してしまい、はっと口元を抑える。
忘却の薬は、記憶はもちろん、形のあるものも消すことができる薬だ。
それをアルバムに使うというのは、虫に食われるのと同じようなことだ。
「……確かに忘却の薬は、その名の通り、何かを消すことができるもの。でも、使い方によって別の効果も得られるの」
「別の効果……ですか?」
「そう。思い出を食べる虫は、一度別の虫に食べられたものには寄り付かないっていう習性があるの。だけど、修復したらその事実はなくなってしまう。忘却の薬と思い出を食べる虫は、同じ性質を持っている。だから……」
「使おうとしていたってことですか?」
「そう。一滴だけなら対象のものも消えないし、また虫に食われるなんてこともなくなる。……なんだけど、手を滑らせちゃって……」
見たことのないミラさんの様子に戸惑いながらも頭を働かせる。
「でも、これ、今までと同じ魔法の薬を使えば……」
「多分、無理だと思う」
「ど、どうしてですか?」
知らず知らずのうちに声が震えた。
「あれは、少しでも切れ端が残っていたから使えたのよ。今何もない状態からどうやって修復すればいいのか……私にも分からない」
「そんな、ミラさんにも分からないって……!」
私に分かるはずがない。
出そうになる言葉を必死に飲み込んだ。
「……とにかく、調べてみましょう」
「う、うん……」
頷いたミラさんだったが、まだ動揺しているのか、その場で呆然としたままだった。
そんなミラさんの横で私は作業室の本棚と意味のないにらめっこをする。
分かっている。もし対処法があるなら、ミラさんは絶対知っている。本に書いてあることなら、こんなに悩んでいない。
忘却の魔法に対抗する魔法なんて――。
「……あっ」
――全て、何かを打ち消す性質を持っているけど、何かに打ち消されてしまう性質も持っているんだ。
いつかのルイさんの言葉が不意に頭をよぎった。
「……ミラさん、ちょっと出掛けてきます!!」
「え、アリサ!?」
ミラさんの声には振り返らず、私は店を飛び出した。
私が店に戻ったのは、日が沈みかけた頃だった。
「アリサ! どこに行っていたの?」
「ちょっと、ルイさんのところに。……それよりも、ミラさん。そのページの修復、私にやらせてもらえませんか?」
「……どういうこと? 直し方が分かったの?」
「一応。……ちゃんとできるかどうかは分からないんですけど」
「そのやり方、教えてくれる?」
「はい」
それと一緒に、それを知るまでの経緯もかいつまんで話した。
ルイさんの言葉を思い出した私は、ルイさんの店に走った。経験豊富なルイさんなら、何か知っているのではないかと思ったからだ。
事情を聞いたルイさんは、自分も分からないし、ちょうど立て込んでいて手伝いに行くこともできない、と忙しそうだった。しかし、わざわざ自分の師匠にその場で連絡を取り、忘却の魔法を打ち消す魔法はあるのか、あるならどんな魔法かを聞いてくれた。
その師匠によると、忘却の薬に対抗できるのは〝火の魔法〟だということだった。
しかし、それはただ火を扱うだけの魔法ではないため、普通の魔法使いが操るには少し難しい魔法だという。
「普通の魔法使いじゃ操れないとしたら……誰が操れるの?」
そこでミラさんが首を傾げた。
「本当に経験を積んだ熟練の魔法使いと……火の魔法を得意とする血筋を持つ魔法使いなら、もしかしたら……と」
ミラさんがはっと私を見る。
その視線に自信が消えそうになり、俯いた。
私は火の魔法が得意な血筋だ。自分の赤い瞳が証明している。他の魔法使いよりも火の魔法を扱うのが上手いことはなんとなく自覚していた。
だから、本当は怖気づいている場合ではない。
「やり方も聞いてきました。……やってみてもいいですか」
不安な気持ちを押し込んで、ミラさんを真っ直ぐ見つめる。
ミラさんの表情は硬いままで、少し考え込むような素振りを見せていたが、すぐに首を縦に振った。
「むしろ、お願いするわ、アリサ。……これは私にはできない。アリサにしかできないことだから」
その言葉に、私はしっかりと頷いた。
アルバムの真っ白なページを覗き込むと、緊張で身震いしてしまった。気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。
忘却の薬に対抗できるのは、正確に言うと、〝火の魔法〟ではなく、そこから出る〝熱〟なのだという。魔法で出した火は、人間が人工的に生み出す火よりも燃える力は強いらしい。だから、単に火を出すことしかできない魔法使いがこれをやろうとすると、対象物を復元させるどころか、跡形もなく燃やしてしまう可能性がある。
それに、火の熱を扱うというのも簡単なことではない。魔法の火の熱を扱うのが初めてならなおさらだ。
「でも、火の熱だけを出すって、そんなことできるの?」
「火の血筋を持った熟練の魔法使いがかなり訓練をしてできるようになることらしいので、私には無理です」
「えっ」
あまりに私がきっぱりと断言したからか、ミラさんがたじろいだ。
「じゃ、じゃあどうするの?」
「とりあえず火を出して、その火から出る熱だけをコントロールすることは、私ならできるんじゃないかって、ルイさんが」
その熱を、対象物に当てることで、忘却の薬の効果が消える。そうすると、対象物である写真がうっすらと浮き出てくる。そこで今までと同じ薬と魔法を使えば完全に元に戻るそうだ。
「暴発すると危ないので、一応ミラさんは離れててください。もちろん、そんなことにはならないようにしますけど」
「分かった。よろしくね、アリサ。……信じてるから」
ミラさんが静かに作業台から離れる。
ミラさんのその一言が、やらなければ、という私の気持ちを後押しした。
また大きく深呼吸をして、左手に持った魔法の杖をアルバムの前にかざす。
すぐに、魔法の杖の先にろうそくの炎よりも少し大きい炎が出た。
「えっ」
後ろでミラさんの上ずった声が聞こえる。
私のように、ある一つの魔法に特化している魔法使いは、呪文を唱えなくても、意識を魔法の杖に向けることでその魔法を使うことができる。そのためには魔法の杖がないといけない。難しい魔法では無理だが、今のように、炎を出すくらいなら私にもできる。
多分ミラさんは、まさか私がそれをできるとは思っていなかったのだろう。
杖から出た炎の温度を確認するために、右手を炎に近づけた。
「あっつ……」
手を近づけすぎてしまい、反射的に声が出てしまう。
でも、これくらい熱ければ十分だろう。
鼓動が早くなっている心臓を落ち着けてから、目の前の炎に意識を向ける。
「……火の熱よ、我の手に。……忘却の魔法を消し去れ」
熱が私の右手に集中したのは一瞬で、すぐに熱が離れるのが分かった。
真っ白だったアルバムのページから、徐々に色が浮かび上がってくる。
急いで杖から出ていた炎を消し、空いた右手で魔法の薬を混ぜた液体をスポイトで吸った。一滴一滴慎重に写真の上に液体を落としていく。
全ての写真に薬を落とし、ほとんどの写真が形を取り戻してきた頃、私は右手を見開きページの真ん中に置いた。
「消えた写真よ、記憶を取り戻し、回復せよ」
この二週間、何度も唱えてきた呪文は、意識しなくても自然と零れていた。
同時に、そのページの写真は綺麗に元に戻っていた。
形と色を取り戻した写真に触れ、幻でないことを確認する。
「ミラさん……直りました……!」
離れていたミラさんのほうに振り向くと、既にミラさんは私のほうへ近づいていた。
アルバムを見たミラさんが息をのむのが分かる。
「すごい……ちゃんと直ってる……」
存在を確かめるようにミラさんがアルバムに触れた。
「ありがとう、アリサ。すごいわ。あとの微調整は私がやっておくから、少し休んでて。お疲れ様」
ミラさんの手が私の頭を撫でた。嬉しそうなミラさんの表情を見たとたん、涙腺が壊れたかのように涙が溢れてきた。
「良かった……!」
「え、アリサ?」
突然泣き出した私の目の前で、ミラさんは困ったような顔をする。
「ごめんなさい……やらせてなんて言ったけど、本当は、自信なんて、全然なくて……不安で、できなかったらどうしようって……だから、だから……!」
ミラさんを困らせていると分かっていても、涙は止まらなかった。
それでもミラさんは、私が落ち着くまで、ずっと頭を撫でてくれていた。
「おぉ、すごい……元通りだ」
イトウさんがアルバムを開き、感嘆の声を上げる。
「問題はないでしょうか」
あれから一週間もしないうちにアルバムの修復は終わった。
イトウさんに完成の連絡をし、取りに来てもらっている。
「あぁ、大丈夫だ。本当にありがとう」
「いえ。再び虫に食われないようにもしたので大丈夫だとは思いますが、万が一何かあればまたお越しください。直します」
「そうかい。何から何まで……本当にありがとう。こればっかりはわしの手ではどうしようもできなかったし、助かったよ」
「そう言っていただけると、私たちも嬉しいです」
愛おしそうにアルバムを見つめるイトウさんを見て、心が温まる。
大きな依頼を無事に終えたことを、今になって実感した。
「アリサ、本当にありがとう」
イトウさんを見送った後、ソファで休んでいたミラさんに声を掛けられた。ミラさんと自分の分のお茶を持って、そのソファへ向かう。
「私一人だったら、アルバムを直すことはできなかった。あのときに直すのを諦めていたわ」
「そんなこと……お礼を言わなきゃいけないのは私です」
ミラさんが座っているソファの前のテーブルにお茶を置き、向かい側のソファに座る。
「どうして?」
不思議そうな目を向けてくるミラさんを見て、少し躊躇ったが、意を決して口を開いた。
「私……自分の目の色が嫌いでした」
ずっと思っていたこのことを、誰かに話すのは初めてだった。
ミラさんは言葉を発せないのか、驚いた顔をしたまま私を見つめてくる。その視線から、私は少し目を逸らした。
「火の血筋を持つ魔法使いだってすぐに分かってしまうから。火の魔法って、人に危害を与えやすいものばかりだから、どちらかというと忌み嫌われる魔法で……どうしてこんな魔法だけが得意なんだろうって。どうせならもっと役に立つ魔法が得意だったら良かったのにって、何度も思っていました」
「そんなことないでしょう。だって、今回は……」
「はい。今回、火の魔法が役に立つこともあるんだなって思って。ちょっと自信付きました」
だから、と続けて、ミラさんに微笑みかける。
「ありがとうございました。あの時、私にやらせてくれて」
ミラさんが信じてくれたから、私はやっと一歩前に進めた気がする。
「なら良かった」
ミラさんもほっとしたように私にいつもの優しい笑顔を見せる。
「これからもよろしくね、アリサ」
改めてミラさんにそう言われると、なんだか照れくさい。けれど、一緒に嬉しさも込み上げてきた。
「はい!」
ミラさんの微笑みに、私も満面の笑みで返す。
それと同時に、ドアが開いたことを知らせるベルの音が鳴った。
「すみません。ここ、魔法使いのなんでも屋さんですか?」
半分開いたドアから若い男性が店の中を窺うように顔を覗かせた。
「はい! どうぞこちらへ!」
私は立ち上がってその男性の元へ駆け寄り、ミラさんが座っているソファへ案内する。
今度の依頼はどんなものなのだろう。
私はとてもわくわくしていた。