中編
婚約破棄の日から、1週間が過ぎていた。
正式な処分が公表されているわけではないけれど。
あの日のうちに、マリーニの父親であるベレングリデ公爵には父上……いや、国王陛下から、僕がしでかした蛮行に対する謝罪と、そして改めてマリーニとアンドレアスの婚約の申し入れが為されている。
公爵はひとまず返事を保留したそうだが、それも一時のことだろう。
僕はといえば、ヘレナを郊外の避暑地へと誘い、二人で短い馬車の旅の中にいた。
もちろんこれは、避暑などではない。
僕たちはこれから向かう人里離れた古い山城に隔離され、一生を過ごすことになるのだ。
王宮を離れるとき、僕はヘレナに気付かれぬようにそっと背後へと視線を送った。
誰一人として見送る人の無い、寂しい別れだった。
いろんな感情が胸を渦巻いていた。
生まれ育ったこの王宮の美しく雄大な姿を、目に焼き付け、僕はそっと目を閉じた。
……覚悟はできていたはずだ。
しかし、この慣れ親しんだ場所を離れることがこんなにつらいことだとは、思わなかった。
……これから僕は陛下から断罪され、地位も名誉も、財産さえも失うのだ。
そのことを通達する書状が届いた瞬間、僕は王族ではなくなる。
僕に許されたのは一つだけ。
生きることそれだけだ。
だがそれは、陛下の温情あってのこと。
ただ生きるのではない。
陛下の血筋でないことを秘したまま、陛下の血筋である名誉だけは保たれたまま、生きることが出来るのだから。
僕は遠くない未来に起こる様々な事に思いをはせた。
不満などない。
むしろ、いくら感謝を述べても足りないくらいだ。
だからといって、そういったことが、つらくないわけではなかった。
目頭が熱くなり、しっかりしろ、と自分に言い聞かせ奥歯に噛みしめ、目を見開いて、意識を傍らのヘレナへと向けた。
すでに王太子妃気取りのヘレナは、先ほどから熱心にドレスや宝石などを僕に強請っていた。
彼女への貢ぎ物は、この一年で相当な金額になっているが、それは全て僕の私財で賄われている。
僕の財産が差し押さえられればすべて没収されるものではあるが、すべてが戻るわけではないから、とても国費使うことなど僕にはできなかったのだ。
それにしても、ヘレナの欲望は尽きることがない。
「殿下の婚約者として恥ずかしい格好はできませんもの」
そう言ってへつらう様に笑みを浮かべるヘレナを、僕は思わず凝視した。
奇しくも、僕の婚約者であったマリーニからも、同じ言葉を聞いたことがあった。
あれは二年ほど前のことだろうか。
マリーニとともに孤児院に慰問に訪れた時だ。
物語の中のお姫様のように美しいマリーニに、子供たちは群がった。
僕はマリーニを守る護衛騎士のように子供たちに睨みをきかせて彼らを整列させ、マリーニと話が終わった子供にお菓子の入った包みを手渡した。
マリーニは優しい笑顔で子供たちの話を聞き、病気の子を抱き上げていたわり……そしてそのせいでほんの少しだけ結えていた髪が乱れてしまった。
全ての子供たちにお菓子を配り終わった後、僕がそっとマリーニの艶のある金の髪に手を伸ばしたとき、マリーニは気付いて、慌てたように自分の髪を手で押さえた。
「……申し訳ありません」
思いがけない謝罪をマリーニから受けた僕は、ほんのすこし笑みを浮かべ「……謝る必要などないよ。マリーニ、君は……」どんな時でも美しいと、なかなか伝えられなかった言葉を唇に乗せようとした。
「いいえ。
私は、王太子殿下の婚約者でございます。
いかなる時も、殿下の婚約者として恥ずかしい格好はできません」
凛としてそう答えたマリーニに、僕はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。
そんなに堅苦しく考えなくてもいいんだと、肩の力を抜いて、君は君らしくあれば十分なんだと、そう伝えたいのに伝えられないもどかしい気持ちが溢れそうになった。
だけど、そんな言葉をかけたところで余計彼女の重荷を増やしてしまうだけだと、僕は気付いていたから。
ただ、「そう……分かったよ。マリーニ」と言って、何事もなかったように彼女をエスコートした。
「……殿下、どうなさいまして?」
ぼんやりとマリーニのことを回想していた僕に、ヘレナが拗ねたように話しかけた。
「済まない、ヘレナ。
……君に見惚れて、ぼんやりとしてしまっていたよ」
微笑みながら返答すると、ヘレナは簡単に機嫌を直した。
「まぁ、殿下ったら!」
ヘレナは僕の肩にしなだれかかり、再び最新のドレスについてそれがどんなに素晴らしいかを事細かい説明を始めた。
僕は彼女に臨むまま、すべてを買い与えると約束した。
「ありがとうございます、殿下」
ヘレナはそう言って、嬉しそうに……本当に嬉しそうに僕の腕に抱き着いた。
5日かけて山城に到着すると、ヘレナはそこが人里離れた寂しい場所で、暗く古めかしいことに不満を漏らした。
こんな場所とは思わなかった、王都に戻りましょうと騒いでいたけれど、タイミングよく僕は翌日から体調を崩して寝込んでしまった。
彼女が騒ぐことは分かっていたから、どう言いくるめようかと思い悩んでいたから、ちょうど良かった。
いずれにしろ、王都から蟄居の命令書が届けば、彼女はこの山城から帰ることは叶わなくなる。
僕が熱を出して臥せているというのに、ヘレナは一生懸命語り掛ける。
「体調を崩したのはきっと、田舎の空気が悪いのですわ」
そんな風に僕に帰還を薦めるものの、さすがに僕を置いて帰るとは言い出しにくいらしく、ヘレナはイライラした様子で山城での生活を送っていた。
熱のせいで頭がうまく働かないのに、彼女は帰りたい一心で病床に張り付き、僕の同意を得ようと奮闘する。
僕は彼女の相手をするのが苦痛になり、「ヘレナ、それより退屈だろう? ならば……」と、この山城に伝わる物語を聞かせた。
いわく。
今から300年前、この近くの山岳地帯で金の鉱脈が発見された。
当時この辺りを保有していたのは、用心深く強欲なルスフェル公爵だった。
公爵は鉱脈を採掘し、膨大な量の金塊を得たが、それら金塊をある場所に隠した。
ところがその公爵は、流行病であっけなく死んでしまう。
鉱脈で得た金塊の隠し場所を誰にも知らせることなく。
その後、金塊を欲した王によって公爵領は王家の直轄地へと変わった。
それ以来歴代の王はこの地で金塊を探してきたが、まだ見つかったのはほんの一部。
鉱脈の発見により作られたこの山城に、その金塊が眠っていると考えられてきた……。
「……金塊は、見つけた者に一部が下賜される。
百年程前、城の補修を行った者がレンガの中に隠されていた金塊を数点見つけ、その一部を下賜された。
一部と言っても相当な金額だ。
それ以降もルスフェル侯爵の採掘した金塊は、いろんな場所から見つかっているが、まだ半分の見つかっていないとされているから、ヘレナも探してみてごらん」
僕がそう言うと、ヘレナは途端に目を輝かせ、部屋を辞した。
やっとゆっくり眠れる……僕はそう思って目を閉じた。
そして、僕はゆっくりと夢の中へと沈んでいった。
僕は閣議の間に急いでいた。
騎士団の陳情が長引いてしまったせいで閣議が始まるまで時間がない。
僕はその遅れを取り戻すべく、庭を横切って近道をすることにした。
こういうときは、宮殿の広さが恨めしい。
庭の中程に近づいたとき、四阿の方角から聞こえてきた楽しそうな女性の笑い声に足を止めた。
すぐに弟のアンドレアスと、婚約者のヴァンガンヘルド侯爵令嬢のパトリッティアに気が付く。
四阿に設えられたテーブルには、アンドレアスの生母であるグレタ妃が椅子に腰かけ、お茶を愉しんでいた。
そう言えば、今日はグレタ妃がお茶会を催していたのだったと、思い当たる。
自分もマリーニとともに招かれていたのだけれど、今日はどうしても外せない外交上の重要な公務の予定があって、丁重に断りの連絡を入れていたのだ。
……もしかしたらその予定を知りつつ招待されたのかもしれないし、その日を狙って開催したのかもしれないが、名目だけでも招待は受けた。
だから何事もなく、なんの感情も抱かず、再び歩き出そうとしたとき、僕はアンドレアスに隠れて見えていなかった人物に気づいて、思わず息を飲んだ。
……マリーニ、なぜ君がここにいる?
アンドレアスの婚約者であるパトリィティアと、とても親しい間柄だとは聞いていたけれど。
だけど何より驚いたのは、彼女の表情だ。
僕の前ではいつも張り詰めた表情をしているマリーニが、アンドレアスに話しかけられて浮かべているのは打ち解けた様子の可愛らしい微笑みだった。
彼らはお互いの会話に夢中で、すぐ近くに佇む僕に気づいた様子もないのだ。
もしも、僕が招待を受けあの場所に僕が参加していたとして、果たして彼女は僕に向けてあんな風に笑ってくれただろうか………。
婚約して以来3年、僕は彼女へと少なからず心を砕いてきたつもりだった。
そんな僕の努力は、まだまだ至らぬものだったのだろうか。
それとも、あの噂は本当だったのだろうか。
彼女は本当はアンドレアスとの婚約を望んでいた、そして僕との婚約を仕方なく承諾したのだというあの噂。
貴族たちはいつも面白おかしく噂を作り出しては、日々いろんな者たちを餌食にしていく。
偶然にその噂を知ったとはいえ、僕は信じてもいなかったし、マリーニに問いただすこともしなかった。
だけど僕とは違い、美しく陽気な性格のアンドレアスの周りには彼を慕う者たちが自然と集まった。
マリーニが、そんなアンドレスを、心ひそかに思慕していても、決して不思議ではない。
だけどマリーニが必死に、こちらが心を痛めるくらいに必死に、王妃になるための努力をしていることも、僕は知っていた。
だからこそ、彼女に対し誠実であろうとしていたし、少しばかりは期待をしていた。
恋とか愛ではないかもしれないが、親愛の情とか敬愛の情とか、とにかく僕に対し、何らかの愛情はあるはずだと、そう思っていたのだが。
それは、僕の勝手な思い込みだったのだろうか……。
「殿下……お時間が……」
側近のリオーニから、声がかけられ、僕はハッとして再び歩き始めた。
立ち止まってせいで時間をロスしてしまった。
僕は王太子としての責務があり、どんなことがあってもその責務から逃れることはできない………。
胸を締め付けられるような、切ない思い………。
ああ、マリーニは、アンドレアスのことを………。
「殿下……殿下……」
呼び起こされ、僕は目を覚ました。
「……リ……オーニ」
夢の中とリンクして、目を覚ましたばかりの僕には、そこがどこか分からなかった。
熱のせいかもしれないが、夢と現実の境があまりに曖昧だった。
「……うなされて、おいででした」
心配そうにリオーニは僕の顔を覗き込んだ。
窓の外に目をやると、外はまだ暗い。
額に乗せられた氷嚢に目をやり、僕はようやく、ここ一年の出来事と、自分のいる場所について思い出した。
大丈夫だとリオーニに言葉を返したが、とても眠れそうになかった。
だが起きるにはまだ早いし、身体から熱も引いていない。
結局リオーニに心配させないように静かに目を閉じ、横たわったままで瞑想する。
………それにしても、ずいぶん昔の夢を見たものだ。
まだ母も健在な頃で、当然ながら僕は何も知らなかった。
ちょうど、マリーニの心は僕にはないのだと薄々気付き始めた頃だった。
だけど僕自身の身分や立場があり、状況を変えることなどできなかった。
そして何より、僕はすでにマリーニを愛しはじめていた。
政略的な婚約なのだから愛されなくても仕方ないと自分に言い聞かせ、それでも彼女の重荷を減らすことだけを考え行動した。
マリーニは今……どうしているのだろう。
最後に彼女が浮かべていた、驚愕と悲哀の表情が忘れられない。
結局僕は悲しませるばかりで、彼女を楽しくしたり、笑わせることは一度も出来なかった。
アンドレアスはもう、彼女を癒してくれただろうか。
二人のことを考えて、再び、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
王宮から、父の書状が届いたのは、その翌日のことだった。
ただ今、後編を鋭意執筆中です。
急にポイント増えたなーと思ったら日刊ランキング入りしてたんですね(゜д゜;)
ありがとうございます( ≧∀≦)ノ
励みになりますp(^-^)q