95.罪の告白
あの雨の夜から五日が経ち、エフネート・ヘロンガルの意識がようやく回復し、尋問が行われることになった。
まだ歩けないアンジェリンは担架に乗せられ、フェールとターニャに付き添われながら、エフネートが囚われている塔へ向かった。
エフネートの監禁場所は、以前シャムア国のルヴェンソ王子がいた部屋。中へ入れば、装飾が施された家具や、絵に埋め尽くされた天井が目に入る。しかし、小さめの扉には二重に鍵がかかり、バルコニーもなく、日よけ布もかかっていない小さな窓からは外に出ることはできない造りだった。
担架から降ろされたアンジェリンがフェールと共に入室しても、エフネートは起き上がることができず、寝台の上で青い顔をして横になっていた。
多くの人がすでに室内にいた。マナリエナ、その背後に立って控えている大男ピツハナンデ、そして、エフネートの妻のアムネなどが寝台を囲むように並べられた椅子に腰かけている。ザース王子の姿はなく、他には、侍女長マリラなどのごく一部の傍仕えの他、新警務総官、複数の書記官などの姿があった。
アンジェリンは用意されていた背もたれのある大きな椅子に、沈むように腰かけた。あまり長い時間は座っていられないが、無理をしてでもエフネートの裁判には立ち合いたかった。フェールはその隣に並んで腰かけ、尋問が始まった。
エフネートは、フェールに対し敬意を払っている様子もなく、大勢に囲まれた寝台の中で不敵に笑った。
フェールは怒りを抑えた口調で尋問を始めた。
「叔父上、なぜこのような騒ぎを起こしたのか。ココルテーゼをそそのかし、アンジェリンとウィレムを連れ出すよう命じたのは叔父上だとわかっている」
「アンジェリンはティアヌ・バイスラー殺害の容疑者だから、捕まえるために城外へ出した」
言い訳も、その言い方も、打ち合わせがしてあったように、アンジェリンを馬で蹴った警務総官が言ったことと全く同じだった。
「そのような嘘でとりつくろう必要はない。彼女を連れ出した真の理由はそれではないだろう? 叔父上が彼女を拷問してでも聞き出したい情報があったからではないのか?」
「王妃になる女性が殺人者では困る。王城内にいては陛下に守られていて取り調べができない」
またしてもどこかで聞いたような言い訳に、フェールは不機嫌そうに眉を寄せた。
「アンジェリンにティアヌ殺害容疑の濡れ衣をかけたのは叔父上だ。嘘の目撃証言をした叔父上の下男は、すでにこちらの手中にある。彼らはすべてを話してくれた。ここに連れてこい」
フェールの命令に、扉が開き、エフネートに仕えていた男二人が後ろ手に縄をかけられた姿で連行されてきた。男の一人がエフネートの顔を見るなり、頭を下げた。
「旦那様、申し訳ありません。旦那様に言われたとおりに嘘の証言をしたことを陛下に話してしまいました。俺たちは、本当は、ティアヌって人も、アンジェリンって人の顔も知りません」
エフネートは、ペコペコと頭を下げている男たちに「役立たずどもが」と言っただけで、二度と彼らの方を見ることはなかった。
「そういうことで叔父上、アンジェリンがティアヌを殺したという情報は嘘だと証明された。ゆえに、ごまかしなしで、アンジェリン誘拐の真の理由をこの場で話してほしい。皆にわかるように」
フェールは、一同を見まわした。「皆、これは秘密裁判ではあるが、自由に意見を述べよ。いちいち発言許可を求めなくても良い」
アンジェリンは居心地の悪さを感じながら様子を見守っていた。話題の中心は自分の話。フェールはこの機会にサイニッスラの火事のことを明るみ出そうとしている。ここに集まっている人たちの中には、サイニッスラの火事のことを知らない人も含まれているようで、話が全く見えない人からのチラチラと飛んでくる疑惑の視線が痛かった。
動けないエフネートは、手足のように働いてくれた下男たちが捕まって、自身が追い詰められているにも関わらず、自分が王のように落ち着きはらっていた。
「叔父上、アンジェリンを連れ去ったのは、過去のサイニッスラの大火事が本当は虐殺だったことを隠すためではないのか?」
エフネートは少しだけ目を細めた。
「陛下はサイニッスラの火災があった当時に、ヘロンガル家にかかっていたニハウラック家虐殺疑惑と、アンジェリン誘拐をつなげようとなさっているようだが、それは無意味なこと。サイニッスラの火事は二十年近く前で、今さらだ。今回のこととは関係ない」
「いや、関係しているから訊いている。アンジェリンはニハウラック家の生き残りだからだ」
エフネートはフェールをキッと睨み付け、強い口調で言い返した。
「いくら国王陛下でも、ヘロンガル家に昔の事件の罪を着せようとすることはやめていただきたい」
王を相手に一歩もひかないエフネート。室内の人々は黙って見守っている。フェールは少し考えていたが、また質問を始めた。
「では、なぜアンジェリンに嘘の殺人容疑をかけてまで連れ去った」
「王太后様は『アンジェリンは本当はニハウラック家の人間ではない』と密かに教えてくださったが、俺はその情報を疑いを持ち、本人から直接話を聞きたいと思った。アンジェリンの母親はいったい誰なのか。アンジェリンはジャネリアに似すぎている。血のつながった親子でないなら、なぜこんなにジャネリアに似た女がいるのだ。この室内でジャネリアのことを知っている者は、皆、その気持ちを理解してもらえるはずだ」
エフネートは、身じろぎもできないアンジェリンに鋭い視線を投げかけた。アンジェリンは何も言えず、ただ静かに見つめ返した。
「そういう目つきもジャネリアにそっくりだ。気味が悪い。奇術でも使ったのかと思えるほどだ」
エフネートにそう言われてしまい、アンジェリンは視線を外してうつむいた。
「では、叔父上は、アンジェリン誘拐は出自に関する好奇心からで、サイニッスラの火事の関与は認めないのだな?」
「繰り返し申し上げるが、サイニッスラの火事は終わったことで、証拠もなにもない。ヘロンガル家は無関係だ」
「あの事件は終わっていない。叔父上がかかわっていたという証拠はある」
フェールは背後にいた検察官から黒い紙に包まれた何かを受け取った。
エフネートのすぐ目の前で包みを開かれる。
包みの中には、一枚の銀の仮面が入っていた。それには一本の大きな筋傷が付いていて、一部が割れていた。
「それは!」
余裕だったエフネートの唇が引きつった。
「叔父上、これを知っているだろう? 付けてもらおう」
フェールは検察官に命じ、有無を言わさず、ぼろぼろにさびて一部が割れている仮面をエフネートの顔に押し付けた。
「叔父上の髪をかき分けて見ろ。仮面の傷と一致する傷があると思うが?」
アンジェリンは手に汗を握る気持ちでその様子をみつめていた。傍に付いているターニャも、頬をひきつらせて凝視している。アンジェリンは手を伸ばして、ターニャの汗ばんだ手を握った。
サイニッスラ事件の唯一の生き証人であるターニャは、できるだけ黙っているようにと入室前にフェールから命じられており、首筋に大汗をかきながら見守っている。この場では、彼女が虐殺の目撃者だと明らかにしない方がいいとの配慮だった。
検察官の手でエフネートの髪がかき分けられ──
「陛下、完全に傷痕と仮面が一致します」
古びた仮面の傷のちょうど延長上に、過去に傷を負って頭髪が明らかに削れてしまった部分が白い線になって存在が確認できた。
その傷は、アンジェリンの実父ナタンが決死で戦いでつけた──それで負傷したエフネートは仮面をはずさざるをえなくなり、ジャネリアたちに顔をさらすことになった──傷痕だった。
「この仮面は、サイニッスラの大火事が虐殺で、それに叔父上がかかわっていたことの重要証拠品だ。叔父上はそれでもあの事件の関与を否定するか?」
仮面を外されたエフネートはあきらめたように、目を閉じ、つぶやくような声で問いかけた。
「……陛下は、これをどこで入手なさったのか」
「叔父上の異母兄、ツェドー・ホミジドがもたらした情報を元に、サイニッスラの塚を発掘した。そこから出土した仮面だ。叔父上が過去にこの仮面をつけており、サイニッスラの惨劇の時に、墓穴に投げ捨てていたと証言を得た。叔父上が後日、わざわざあの塚にこの仮面を埋めに行ったとは思えない」
異母兄の名を聞いたとたん、エフネートは声を出して笑い始めた。
「はははは……そうか、ツェドーが全部白状したか。あの男は馬鹿すぎて話にもならない」
「ツェドーは、娘ココルテーゼの刑の軽減を求める代償として、過去のサイニッスラで何があったのかをすべて話す、と私に面会を求めてきた。証言に基づき、急きょ、サイニッスラで遺骨の発掘調査を行った結果、火事が原因で死んだにしては不自然な刀傷の後がある遺骨があった。中には、殴られたように頭蓋の一部が陥没している骨も複数認められたのだ。全員が火事で亡くなった、という報告書は嘘だったのだ。ツェドーは、報告書の偽造および事件の関与を認めている。今回のアンジェリン誘拐の件が、それに絡んだことだとの証言もしている」
エフネートはまだ笑っていた。
「だからあの男を兄とは呼べないのだ。ツェドーは、ヘロンガル家の一員としては失格。あいつは、自分もサイニッスラのことに関わっていた悪人のくせに、娘可愛さに気が狂ってしまったらしい」
「ツェドーの証言は信用できる。実際に虐殺の現場にいたと思われる。当時赤子だったリーザを抱いて逃げきった者の証言と一致する部分が多数あったからだ」
ターニャはかすかにうなずいている。
フェールは少しだけ椅子から身を乗り出した。
「叔父上、これでサイニッスラの件の関与は否定できまい」
エフネートはあきらめ顔でフェールを見上げた。
「手詰まり……俺の負けか。ならばサイニッスラ事件のことを認めよう。ニハウラック家殲滅は、王国の安定のためには必然だった。ヘロンガル家はそのために働いたのだ」
「詳しく話してほしい」
「ふっ……証拠があがった以上、知らぬ、では通らないことぐらいわかる。すべて話してやろう。俺と一緒にサイニッスラの件に関わっていたツェドーは甘い男だった。俺たちの父ベリオンが、ツェドーにニハウラック家殲滅作戦に手を貸すよう持ちかけた時、やつは大声で反対した。それでも計画は実行することに決まり、やつもしぶしぶ手伝いに入ったわけだが、やつは結局誰も仕留められず、見ていただけだった。俺が知っている限り、ツェドーはひとりも殺していない。だが、隠蔽のための埋葬作業は手伝っている」
黙って聞いていたアンジェリンは、思わず口をはさんでいた。
「仕留めるなんて、そんな獲物みたいな言い方しないでください! その日までみんな幸せに生きていたはず。政治的なことはわかりませんけど、全員殺さなくっても他に方法があったと思います。戦争でもないのに、何の罪もない大勢の人を焼いたり殴ったりすることが王国のために正しい仕事だなんて変です」
フェールが何か言いかかったが、アンジェリンはあふれてきた激情を止められなかった。
「ヘロンガル家っておかしいです。人殺しや人を騙すお仕事が王家のためだったとしても、そんな王家って誰が忠誠を誓いたいと思うんですか? 私とウィレムを殺そうとしたことだって、人殺しの秘密を守るためだったのですよね? それでまた人殺しを重ねしようとするなんて……」
「前王はご自身に責任があるとわかっておられたのだ。だから、自分に都合が悪くなる事件の真相を追求せず、放置なさった。もちろん、ヘロンガル家が王家のために命をかけて手を汚したことを知っておられたからでもある。サイニッスラのことは絶対に明るみに出してはいけない闇だった。闇を光にさらそうとする者は何人たりとも生かしてはおけない」
「だからって、ウィレムまでさらわなくったっていいじゃないですか。しかもココルテーゼを利用して。彼女、ヘロンガル家に認められるためにいつも一生懸命だったんですよ。あの子を罪びとにしてしまったのはあなたです」
「アンジェリン、落ち着け」
フェールになだめられ、アンジェリンは苦しくなった胸を押さえた。
エフネートの妻、アムネは淡々と語られる夫の悪事に心から驚いたようで、眉を寄せ、目頭を押さえてうつむいた。
フェールは構わず質問を続けた。
「サイニッスラの虐殺は、前王の命令だったのか?」
この質問で、アンジェリンは傍にいるマナリエナがわずかに肩に力を入れたことが分かった。その場にいる者たちは皆、気持ちを張りつめたまま返答を待つ。
エフネートは気分が悪そうに、長い溜息を吐き出した。
「ラングレ陛下は、俺の父ベリオンを個人的に呼び出し『早急に解決してほしい』と言ったそうだ。自分はその場にはいなかったから、前王から細かい指示があったかどうかはわからない」
マナリエナがきつい声で口をはさんだ。
「それで、王の正式命令があったと都合よく解釈して、大虐殺を行った、というわけですか」
エフネートはマナリエナを無視し、口を閉ざしたままアンジェリンの方を見ていたが、やがて小さな声で言った。
「リーザ・ニハウラック……。おまえが本当にジャネリアの娘ならば、ジャネリアに手をかけたことだけは謝罪しよう。俺は、本当は彼女を殺したくなかった」
アンジェリンはエフネートと目を合わせた。
「私に剣を振り上げて殺そうとしていたエフネート様に謝罪と言われても、うれしくありません。私を殺そうとしたことが、サイニッスラの虐殺の事実を隠すだめだったのならば、最初から誰も殺さなければよかったじゃないですか」
アンジェリンが冷たく返すと、エフネートは唇をゆがめ、泣きそうな顔になった。
「ニハウラック一族を殲滅するしか方法がなかったのだ。重役同志が争ってばかりいる政権は国民に不安を与えてしまう。多くの命を奪ったことは申し訳なかったと思っている。目撃者がひとりたりともいてはいけない案件だった。だからおまえをさらって当時の目撃者の情報を聞き出そうと思った」
「そんなの、ただの言い訳です。本当に悪かったとは思っておられませんよね?」
エフネートは、それは違う、と言いたそうに、首を横に軽く振った。
「俺だって人間だ。サイニッスラのことは何年経っても忘れられそうにない。俺は、ジャネリアがどうしても死ななければならない運命ならば、一気に首をはねて楽に死なせてやろうと考えた。それが俺にできる唯一の思いやりだと信じて剣を振り上げた。だが、彼女のおびえた顔を見てためらってしまい、斬りかかったものの、首筋を軽くなでるように傷つけるのが精いっぱいだった。とどめを刺してやることもできず、血を流した彼女が、煙が上がる建物内に逃げ戻るのを見送った。若かった俺にとっては、ジャネリアは神の娘のようにやさしく清らかな存在で……焼け跡の地下室から運び出されたジャネリアの遺体には多少すすが付いていたが、顔はきれいだったから、誰なのかは判別できた。彼女の首から肩にかけてべったりと付いた血の痕跡はあまりにも生々しく、そして痛々しく、俺は号泣した。誰かのためにあれほど泣いたことはない」
エフネートは初めて目を潤ませた。
アムネは夫の殺人の告白に顔を真っ赤にして泣き続けている。すすり泣きがしんとした室内に響いていた。
マナリエナがしんみりとなった雰囲気を破った。
「やっぱりジャネリアのことが好きだったのですね? それなのに赤子を抱いていた彼女を助けることもなく斬りかかるなんて、最低ですこと。当時の目撃者の証言によると彼女の死因は、火事ではなく失血死ですって。とどめを刺さなくてもそなたがジャネリアを殺したのですよ」
エフネートは涙のたまった目をアンジェリンに向けた。
「運び出されたジャネリアの遺体は……確かに子を抱いてはいなかった。あのときの俺は、彼女の子がどうなったのか、考える余裕すらなかった。おまえはやはり彼女の娘リーザ・ニハウラックなのだな? おまえを見ていると本当にジャネリアが生き返って俺をいさめに来たようで……顔が似すぎているおまえのことが実はとても恐ろしく、サイニッスラの秘密を知っている者の名を聞き出した後はおまえを殺そうと思っていた。おまえを消し去りたかった。おまえはサイニッスラの亡霊そのものだ」
マナリエナがすかさずぴしゃりと言い放つ。
「そんな泣きまねをして、奇跡的に生き延びたジャネリアの娘に謝罪しても、彼女は帰って来ません。彼女だけでなく、あの地で殺された多くの人も今もお墓の中でそなたを恨んで唸り声をあげていることでしょうね」
「その通りだ……」
フェールは法務長官とひそひそと何か話していたが、すぐにまた質問を始めた。
「叔父上、ニハウラック家の件についてはわかった。それならば、ティアヌ・バイスラー殺害についてはどうだ。叔父上がティアヌを殺したのか?」
「それは本当に知らないとしか言いようがない。そこの下男たちを締め上げても無駄だ。まあ、その件に関係していてもしてなくても、どうせ俺は処刑される。ならば、もうひとつ、誰も知らないことをここで白状してやろう。これは墓場まで持っていくつもりだった秘密だが」
青白い顔のエフネートは、軽く咳き込んだ後、またニヤリと笑った。
「サイニッスラ事件の首謀者だった俺の父ベリオン・ヘロンガルを殺したのは俺だ」




