94.裏家業
アンジェリン誘拐で城が大騒ぎになった日の翌日、石牢に囚われているココルテーゼの元に、父親のツェドー・ホミジドが衛兵に付き添われて面会に来た。
扉に付いている小さな窓を通しての面会。触れ合うことはできない。
ココルテーゼは、知り合いから合い鍵を手配できなかったのだろうかと疑問に思った。警務関係は少し前までエフネートの管轄だったのだから、ココルテーゼでも口利きでここの合鍵を入手できたというのに。
ココルテーゼは、レクトをアンジェリンの独房へ入れてやった時のことを思い出しながら扉に張り付いた。
ツェドーは父親らしく、やさしい声で娘の名を呼んだ。
「すまない。俺の力ではここからすぐに出してやることはできない」
「大丈夫よ。私、ここでエフネート様を信じてのんびりと待っていればいいのよね? エフネート様は、お父様を兄として認めて、家族ごと貴族にしてやるってはっきりとお約束してくださったわ。だから私、がんばってアンジェリンを追い払ったの。これで我が家は貴族の仲間入りができて、長年の夢が叶うわ」
ツェドーは顔を曇らせた。
「エフネートを待っても無駄だ。やつは重傷を負って意識の無い状態で監禁されている」
「えっ!」
ココルテーゼの不安は現実のものとなった。
「どうしてエフネート様がお怪我を? 何があったの? もしかして、怒った陛下と戦いになったの?」
ツェドーは悲しそうにココルテーゼを見つめるだけで答えてくれず、ココルテーゼはあせってさらに質問を重ねた。
「じゃあ、うちは貴族にしてもらえないの? エフネート様とのお約束はどうなるの? お父様、お願い、答えて。どうして黙っているの?」
黙っていたツェドーは、娘の質問攻めが途切れると、ようやく口を開いた。
「いいか、ココルテーゼ。俺はこれから陛下の元へ行って、おまえの命を助けることを条件に、ヘロンガル家がやってきた数々の悪事の情報を陛下に差しだす。だが、俺も密かにかかわってきたこともあるから、俺もおそらくは処刑される。おまえは、今後は、自分がヘロンガル家の血族だということは決して口にしてはいけない。ヘロンガル家のことは忘れて生きていってほしい」
「何の……お話……?」
「ヘロンガル家には代々受け継がれてきた裏の稼業があった。政治の裏にある汚い取引を引き受け、誰にも知られずに粛清や暗殺を行うことが真の仕事だ。俺もその一端を担い、事務員という立場を利用して、国にとって都合が悪い書類などを内密に処分、改変してきた。だが、ヘロンガル家は、国家のためとは言いがたい大量虐殺も行っている。アンジェリン・ヴェーノの本当の両親とその一族であるニハウラック家をサイニッスラの地で皆殺しにしたのは、ヘロンガル家。首謀者は俺の真の父、ベリオン・ヘロンガルだ」
「え? あっ!」
ココルテーゼは思い出した。アンジェリンのいやしい出自を王に告げ口した時、王が。
『彼女の家を滅ぼしたのが誰であるのかそなたは知らないのか? 過去のうわさを調べてみよ』
王は冷たくそう言ったのだ。
「お父様、それは本当のこと?」
ツェドーは静かに頷いた。
「実は俺も虐殺の現場にいた。おまえがやったことは、ニハウラック家の生き残りのリーザとその子の暗殺に手を貸したことに他ならないのだよ。おまえは無自覚でも、これはサイニッスラの虐殺の秘密を死守するためのエフネートの策略だった。当時赤ん坊だったリーザが生きているということは、サイニッスラの大火事は虐殺だったと知っている者がいるということになる。王妃となる女性がヘロンガル家の関係者ではなく邪魔だったから城外へ追い払っただけ、という単純なものではない」
「そんな……暗殺なんて」
「おまえにそんな気はなかったことはわかっている。だが、現実は誰もそうは思ってくれない。残念だが、おまえもサイニッスラ事件隠ぺいに手を貸した者のひとりとなってしまった。エフネートは、アンジェリンを郊外にある水車小屋へ連れて行き、そこで拷問して、サイニッスラ事件の生き残りの情報を聞き出した後に殺すつもりだったようだが、逆に自分があぶりだされてしまったわけだ。俺も同じ」
「私、そんな恐ろしいこと、考えていなかった……。アンジェリンって本当にニハウラック家の人なの?」
「それは間違いないと思う。アンジェリンは、ニハウラック家に嫁いだジャネリアにそっくりすぎる。俺はジャネリアを知っていたが、彼女とアンジェリンは、他人の空似と言い捨てることができないほど似ている。親子でもあそこまで顔も背格好も同じなのは珍しい。気味が悪いほどだ」
「彼女が貴族の子……じゃあ、アンジェリンは子どもと一緒に殺されてしまったの?」
「生きているが重傷を負ったと聞いた。お子の詳しい状況はわからないが、陛下はたいそうお怒りだ。この状況ではおまえを無罪にすることは難しいが、命だけは助けてもらえるよう、お願いしてみる。おまえはどんな刑に決まったとしても文句を言ってはならない。おまえは処刑されてもおかしくないほどの大罪を犯したのだ」
ココルテーゼは唇をひきつらせて話を聞いていた。
この状況をまだ飲み込めない。
そして、どうして、どこでアンジェリンが怪我を、と疑問が口から飛び出しそうになっていたが、恐ろしくて言葉にできなかった。エフネートも重体、ということで、なにかとんでもないことが起こったのだろうとは想像できたが。
ツェドーは覚悟を決めた静かな瞳で娘を見つめた。
「ヘロンガル家の汚い裏の仕事は、違法な行為が多数あり、どんなことがあっても表に出してはいけないことだった。俺は好きで書類改ざんをしてきたわけではなかった。俺がヘロンガル家を継がなかったのはそれが理由だ」
「お父様は、ヘロンガル家に入りたくても入れてもらえなかったのだと私、思い込んでいたわ。お母様はあんなにヘロンガル家にこだわっていたから、一族に入れてもらえることは名誉なことだと信じていたのに」
「あんな家を継ぎたいと思う方がおかしい。俺がすべてを告発すれば、弟エフネートの下で必死に動いていた者たちを売ることになるが、それでもかまわない。どうせみんな処刑かそれに近い刑になる。こんな嫌な闇稼業は俺が終わらせる」
「そんなことしなくても、大丈夫でしょう? エフネート様は権力者だから、それこそ裏から手を回して無罪にしてもらえば、お父様だって罪びとにならずに済むかもしれないわ」
「もみ消すには事が大きすぎる。陛下は緊急時に使う指令を発して兵を招集し、ヘロンガル邸へ踏み込んでエフネートの妻子を人質に取った。しかも同時に、城内の武器庫と金庫を緊急警備配置にし、誰にも奪われないようにしっかりと押さえている。これは完全に計画されていた、としか言えないほど素早い動きだった。陛下はこういう事態を想定済みだったようだ」
「じゃあ、アムネ様やヴァリーって、今は……」
「エフネートと同じ塔内で囚人のように軟禁されている。周囲を固めているのは、こちらの裏の手が使えない兵士ばかりで脱走させられない状況だ。陛下は兵の配備も非常にぬかりなく、ヘロンガル家の関係者をさりげなくはずしている。陛下があれほどの方だったとは驚きだ。エフネートを牢から出し、この事態をひっくり返すには、陛下のお命を奪って近衛兵の命令系統を無力化し、アムネ様を正式な女王として立てて、我々の行為を正当化する、それ以外の手はない。だが、たとえ、その方法がおまえを無罪にできる唯一のやり方だとしても、俺はそんな真似はできない。俺は処刑されてもまともな人間のままで死にたい」
「お父様……」
「すべての秘密をあばいた俺が運よく処刑を免れて生き延びたとしても、俺は、闇で動いていた多くの人に恨まれて密かに殺されるかもしれない。だから、おまえともお母さんとも完全に縁を切って、もう二度と会わない。今後は俺の名を口にしないでほしい。さようなら、ココルテーゼ。生まれてきてくれてありがとう。こんななさけない父親でもおまえを愛している。どんな目に遭っても希望を捨てずに生き延びて、いつかきっと、女性として平凡な幸せを手にしてほしい。それが私の遺言だ」
ツェドーは潤んだ目を瞬かせながら、さっと背を向け、ココルテーゼの前から去って行った。
「待って、お父様、ちょっと、待ってください」
ココルテーゼは、冷たい床によろよろと座り込んだ。
エフネートに頼まれて、以前から城内の情報をいくつも渡していた。兵士同士で喧嘩があったとか、王子は誰を部屋に呼んでいたとか、単なる侍女同士のうわさ話でもよかった。密かに情報を渡すだけで、エフネートは満足そうにしていたのだ。彼の微笑を見るたびに、ヘロンガル家に一歩ずつ近づいていくような気持ちになっていた。彼が細かい情報を求めるのは、反乱の気配をいちはやく察知するためだと言われて、それを信じて。
「私……知らず知らずのうちにヘロンガル家に情報源として利用されていたの? しかも簡単に操られて、アンジェリンを殺そうとした? 違うわよ! 私、あの子を殺すとかそんなこと思ってもいないもの。私は悪くないのよ。そうよ、なにも……悪くないわよね……私は処刑されるほどの罪なんか犯してない……はずよ。お父様……私はどうすればよかったの? 貴族になれれば、お父様とお母様はけんかしなくなると信じていたのに」
涙があふれて牢の石壁がかすんだ。
「お父様、もう会えないの? 私は……お父様とお母様に仲良くしてほしかった。アンジェリンを殺したかったわけじゃないわよ。本当なんだから……嘘なんかついていないんだから。私、いい子でがんばったの」
◇
アンジェリンは当分の間白花館で静養することとなった。ウィレムはアンジェリンと別室となり、ターニャとロイエンニが主に世話をすることに決まった。
怪我をした翌日に、アンジェリンは日当たりのいい部屋の窓辺に寝台を移動してもらった。自分で起き上がるには時間がかかり、まだ寝ているだけだが、ここからならば、ウィレムが中庭で遊んでいる姿が見える。ウィレムは母親の姿が見えると一瞬だけ甘えに来たが、すぐに離れて庭へ駆けだした。
アンジェリンは元気そうな息子の姿に目を細めた。
「よかった、昨日あんなことがあったばかりなのに」
ウィレムは、こだわりのないあっさりした性格で、比較的育てやすい子だった。これまでもアンジェリンの姿がないと騒ぐことがあったが、いつまでもぐずることはなく、誰にでも簡単に抱かれていつも機嫌がいい。ウィレムが昨夜のように泣き続けたことはほとんどなく、今後は雨や夜を怖がるのではと心配にはなるが、あの様子を見る限り、それも問題ないと思いたい。
「あの子は強い子ね」
平和な中庭を見ていると、昨日のことが遠い昔の出来事のような気がしてしまう。
昨日のことはきっと生涯忘れることはないだろう。早朝にサイニッスラを出て王都へ。そして出生の秘密を知り……王の熱い求婚を受けた。王妃になると決め、母の衣装を身に着けて人前に出た。その夜に連れ出されて、助けられて生き抜いて、今ここにいる。
今朝になってから、エフネートは重体だとマナリエナから聞いた。ココルテーゼも捕まって今は石牢にいるらしい。アンジェリンはそれについて口出しすることは控えた。
──今は、すべてをあの人に任せましょう。
穏やかなひとときを過ごしていると、マナリエナがやってきた。会わせたい人がいると言う。
――ザース様かしら?
王妃になることを謝りたいが、長く話してもさしつかえないだろうかと心配になる。自分も怪我人だが、まったく動けなくもない。血を失っているザース王子の体の方が辛いだろうと思う。あれこれ考えているうちに、マナリエナが面会人を呼び込んだ。
アンジェリンは面会人の顔を見るなり、思わず驚きの声を出していた。入ってきたのはザース王子ではなく、上品そうな年配の婦人だった。肩を覆う清潔そうな白い髪に、薄黄色の小さな帽子が乗っている。帽子の下に延びる髪はゆるく大きく波打ち、緑の大きな目はアンジェリンを捕らえると、笑顔になって細まった。
「具合はいかが? お久しぶりね。怪我をしたと聞いて心配で」
「スティエ先生!」
それは長年アンジェリンの家庭教師をやってくれていた女性だった。ジャネリアの実母であるスティエは、祖母であることを隠し、何年もサイニッスラに通ってくれ、十歳になったアンジェリンが王都に出てきてからは家庭教師はやめたが手紙だけのやりとりはしていた。
「先生、王太后様から話を聞いたんです。先生は私の本当のおばあさまだったんですね」
「そうよ、リーザ。ああ、やっとこの名で呼んであげられるの」
スティエは緑色の目を潤ませながら、アンジェリンの寝台に近づいて来た。
スティエはアンジェリンの頬に両手を添え、なつかしそうに顔を見た。
「ジャネリアにそっくりだわ。あの子はなんてすばらしい宝を残してくれたのかしら」
スティエはうれし涙をぬぐいながらマナリエナに会釈した。
「すべて王太后様のおかげでございます。当時、娘夫婦と孫を同時に失い、悲しみのどん底にあった私は、突然もたらされたリーザの生存情報に救われました。あの事件をとうとう明るみに出すそうですね。これでやっとジャネリアたちの墓に報告できます」
やがて、ロイエンニが、庭で遊んでいたウィレムを抱いて連れてくると、スティエは涙顔を皺だらけにしながら幼い子を抱いた。
「この子がウィレムね? 手紙で子が産まれたと知った時、私は一日も早く会いたいと思っていたのよ。このところ腰が痛くって、サイニッスラまで出かけていくことができなくてねえ」
「私……勝手に子を産んでしまってごめんなさい。手紙で急に報告してびっくりなさったと思います」
「そんなことはいいのよ。まあ、この子……陛下に似ていらっしゃること。ひ孫を堂々と抱ける日が来るなんて……もう、夢のようで」
アンジェリンは嬉しそうなスティエを見ているうちに胸がいっぱいになってきた。また泣けそうになり、ぐっとがまんする。
たくさんのことがあった。
悲しいことも、恐ろしいことも、うれしいことも。
人を本気で好きになること、愛し愛されるということがどういうことなのかも知った。
これからも驚いたり泣きわめいたりすることは何度もあるかもしれない。それでも、今までよりもこれからの方が輝いていると思う。知らないうちに多くの人が助けてくれていた。自分はひとりではない。
アンジェリンは、自分の体を気遣いつつ時間をかけて寝台から降りると、ウィレムを抱いたまま涙を止められない祖母に近づき、やさしく抱擁した。
「おばあさま、とお呼びしてもいいですか?」
「ええ、もちろんよ」
「おばあさま、今まで見守って下さり、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
「リーザ、婚約おめでとう。陛下と幸せをつかみなさい。ジャネリアとナタンの分まで幸せになれるはずよ」
アンジェリンも力強く答えた。
「はい。私、今でも充分幸せですけど、このままずっと幸せなままで生きていけそうです」
二人とも、その後は言葉にならず、長く抱き合って涙を流した。




