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 フェールは、アンジェリンたちが乗った馬車が動き出すのを見送ると、兵たちに囲まれながら雨でぬかるむ道をゆっくりと慎重に進んだ。

 闇に声をかけても誰も出てこず、襲いかかってもこない。先ほど感じた誰かが潜んでいるような気配は全くなくなり、今は雨音だけが耳に入ってくる。

 敵はいったん引き下がったようだったが油断はできない。こうしてフェールが道をふさいでいれば、謎の敵がアンジェリンの馬車を襲う可能性は減るとは思えるが。


 やがて、左手の闇の中に、誰かを背負った人間がよろよろと歩いてくるのを確認した。

 フェールは闇に目を凝らしたが、暗さで相手の顔は確認できない。

「そこの者、おまえもザンガクム女王親衛隊の仲間か? 我らセヴォローン国軍に攻撃を仕掛けるならこちらも全力で反撃する」

 フェールが声をかけると、相手は大声で否定した。

「自分は白花隊の者です。援軍ならばお手をお借りしたい。この方を早く暖かい場所へ。負傷しておられる。応急手当はしてありますが」

 白花隊の兵は、背負っていた人間を、先頭にいた近衛隊員の前にそっと下した。担がれていた者は目を細く開いており、意識はあるらしく、小さな声で名乗った。

「私は白花隊所属のユヒラマ。この場で起こったことを説明いたしたく……」


「ユヒラマ……」

 それはついさっきアンジェリンが言っていた名だった。弟王子ザースの別名だと。

 フェールは近衛兵を押しのけて駆け寄り、下ろされた者の顔を覗き込んだ。

「っ!」 

 フェールはあやうく本名を叫んでしまいそうになった。

 まさかとは思ったが。

 ──ザースだ! こいつはザース。間違いない。弟は生きていた。


 ザースの方は覗き込んでいる男が兄だとわかっても、何の弁解もせず、普通の兵士として小さな声で状況説明を始めた。

「……陛下、申し上げます。アンジェリン様を連れ出したエフネート・ヘロンガル復興大臣とその手下数名は、手負い状態でこの先の水車小屋にすでに運ばれました」

「復興大臣はこの先にいるのだな。それはわかったが、とにかく、先にそなたの手当をせねば」

「応急手当はアンジェリン様にしていただきましたから、今は説明をさせてください。体が冷えて自由に動けませんが、多少血を失っただけで軽傷でございます」

「では、城から馬車が来るまでの間だけこの状況を説明してもらおう。ザンガクム女王親衛隊と名乗る暴徒がその辺りにいて無差別に攻撃を仕掛けているようなのだが、いったいあれは何だ」

「む……やはり兵がいましたか。それは、自分は確認しておりませんが、クレイア王女の兵が控えていたと思われます。王女には私が致命傷を負わせました。全力で腹を刺し抜きました」

「そうか、王女は死んだのだな?」

「死亡確認はしておりませんが、現在まだ息があったとしても、あの傷で長く生きられるとは思えません」

「王女と復興大臣は結託していたのか」

「今回は敵同士のようでした。王女はエフネート・ヘロンガル復興大臣を狙ってここまで追ってきて、たまたま復興大臣がアンジェリン様を殺そうとしていた現場に遭遇したと思われます。どっちつかずだったマニストゥもいましたが、彼はサラヤにやられて絶命しました」

 ザースは、ふうっ、と息を吐くと目を閉じて何も言わなくなってしまった。


「しっかりしろ! おまえにまた死なれたら」

 フェールは弟の耳元に口を寄せ、人に聞こえないよう真の名を呼んだが、弟は返事をしなかった。

 ザースの唇はかすかに動いており、息はしている。頬に触れれば、ひどく荒れて冷たい肌の感触が指に伝わった。彼の髪は別人のように縮れて真っ白で、それが雨に濡れて汚らしく首元に巻きついている。かつてのザース王子の美しさはどこにもなかった。

 ──これがあのザースだとは。白花隊の者たちは知っているようだが。


 城から盾などの武器や防具を持ってきた援軍と馬車がやってくると、フェールはすぐに『ユヒラマ』を白花館へ運ぶよう命じ、兵士たちに声を掛けた。

「さっさと片付けて城へ戻ろう。このまま進軍せよ。慎重に、ゆっくりとだ」

 アンジェリンのためにも早く城へ戻りたいが、目の前に敵がいる以上、このまま弟に付き添って城へ帰るわけにはいかない。


 そのまま道を進むと、小さな水車小屋が見えてきた。そこが、エフネートがアンジェリンを連れて行こうとしていた場所らしい。小屋の入口前、軒下には十数人が立ちはだかっていた。

 近衛隊が盾で身を隠しながら慎重に近づく。

 さらに接近しようとすると、相手の方から叫ぶような声が聞こえてきた。

「それ以上近づくな! 全員殺すぞ。おまえら、嘘ついているだろ? 女王様が死んだって嘘話、俺たちは信じない。この小屋の中に女王様はいなかった。女王様をどこへ連れて行った。女王様を返せ。嘘つきは全員殺してやる。俺たちは養成所育ちだ。誰でも殺せる」

 子どものような高い声だった。

 フェールは兵士たちに守られながら、声をかけた。

「そちらが言っている『女王』とは、ザンガクム王家の第一王女、クレイア嬢のことでよいか?」

「そうだ。俺たちの女王様だ。クレイア様は俺たちに食事も服も住む場所もくれたやさしい人だ。本当に死んだのなら証拠を見せろ」

「その小屋の中に女王はいないことは間違いないのだな?」

「いたらこんなところで待っていない。女王様は俺たちを置いてサラヤだけを連れてお出かけになったまま戻っていない。おまえらが女王様を捕まえたんだろ? 女王様を返してくれないなら、俺たちはこの小屋にいるやつら全員を殺す」

「わかった。しばし待て。ご本人をお連れしたら投降を考えてくれ。無駄な戦いはしたくない。そなたたちが養成所の出身者だったとしても、しっかりと武装した大人ばかりの軍隊に少人数のそなたたちが勝てる可能性は少ない。全滅するより、これからも生きていきたいと思わないか?」

「女王様を返してくれたら、俺たちは引き上げてやる」


 フェールはいったん兵を引き、先ほどユヒラマが出てきた辺りの藪の捜索を開始した。



  ◇



 城へ戻ったアンジェリンが気が付いた場所は寝台の上だった。

 見覚えのある白っぽい石の壁。どうやらここは白花館の中らしい。窓にかかる日よけ布の向こうは明るくなっていた。室内の暖炉には火が入っており、頬で感じる空気はほんのり暖かい。

 目に入ってきた子ども用の小さな寝台。中は空。

「ウィレム! どこ?」

 アンジェリンは慌てて起き上がろうとしたが、力が入らなかった。

「動いてはいけない」

 すぐ耳元でよく知っている低い声が聞こえた。

 背後から伸びた人の腕が、アンジェリンの体に巻き付いていた。横向きに寝ているアンジェリンの体は抱きこまれており、背中も足もピタリと誰かの素肌と密着していた。背後の人の指先はアンジェリンと恋人つなぎで絡んでおり、それが強弱をつけて握ったり弱められたりしている。

 首を曲げて背後を見ようとしたが、体に激痛が走り、思わずうめき声をあげた。

「目覚めたか?」

 恋人つなぎだった指がほどかれ、背後のぬくもりが少し動いて体制を変え、アンジェリンの顔を上から見下ろした。

「具合はどうだ?」

「あ……陛下……おはようございます」

 アンジェリンは自分の声が裏返ってしまったことに気が付いた。アンジェリンが身に着けていたのは怪我の治療用と思われる胸を固く巻く太い布だけ。それ以外は下着すらつけていない。

 フェールの方は、感触からして生まれたままの姿だと思われる。生足がしっかり密着して、愛し合った後のように絡み合っていた。彼は全身を使ってアンジェリンの冷えた体を温めてくれたのだろう。

 ――いつのまにか裸にされて、彼に寄り添ってもらって、温められ続けて……。

 ひゃああ、と叫びたくなると同時に、カアッ、と血が顔に上る。気絶しているうちに裸状態で胸に布を巻かれる『作業』も何人にも見られていたかもしれない。その上、全裸の彼とこうして寝台の中に!

 彼は戦いの中に出て行ったはずで、本当ならば、無事に帰って来てくれた彼をねぎらう言葉の一つも出すべきだったのに。裸で彼と寝ている! それだけで、かけるべき言葉は簡単に吹き飛んだ。

「あのっ、陛下がずっと温めてくださったのですか?」

「ずっとではなく、まだ先ほどからだが、私がここへ来てからもおまえがずっと震え続けていたからこうした。怪我をしているから湯に入れて温めない方がよいと、テイジンに言われたのだ。足首もねんざしているだろう? 足湯もできず、手っ取り早く体温を上げる手段が他になかった。湯たんぽだけではなかなか温まらない」

「そ、そうでしたか。あ……ありがとうございます。ウィレムはどこに」

「今はこの建物の別室でロイエンニたちが見ている。沐浴後すぐに眠ってくれたらしい」

「あの子、怖がって泣き続けていたから、ちょっと様子を見に行ってきます」

 フェールの腕が慰めるように、アンジェリンの体にそっと絡みついた。

「だめだ、動くな。絶対安静だ。肋骨が三本も折れていて、肺にも軽い傷がついているそうだ。ここへ運ばれる前にどんな目に遭ったのか憶えているか?」

「はい……」

「おまえは寒さと怪我で死にかけていた。馬車の中でウィレムを抱いたまま気を失っていたのだ」

「確かに馬車から降りてこの部屋まで来た記憶がないです……」

「気になるなら、私がウィレムの様子を見てきてやろう。私は他にもやるべきことがあるから、すぐに戻ってこられないかもしれない。ゆっくり休め」

 フェールは名残惜しそうにアンジェリンの髪をやさしくなでた。

「早くよくなってくれ。待ちきれなくなってしまいそうだ」

 フェールは寝台から出ると、身をかがめてアンジェリンに口付けを落とし、暖炉のそばに置いてあった服を身に着けはじめた。


「他の方々はどうなったのですか?」

「ああ、そなたが気にするのはユヒラマとやらのことか?」

 アンジェリンが黙っていると、フェールは軽く笑った。「してやられた。あれは弟に間違いない」

「お会いになられたのですね? ザース様の御容態は……」

「この建物内で極秘に治療中だ。ひどく弱っていて自分では歩けない状態だったが、私と会ったときは意識だけははっきりしていた。そなたが応急手当をやってくれたそうだな。兄として礼を言う。やつから何があったのか詳しく説明されて、ようやくすべての状況が把握できた」

「ザース様のお命には別状はないのでしょうか」

「まだわからないが、傷の割には出血が少ないから助かると信じている。まさか葬儀まで出した弟があのような姿で現れるとは思いもしなかった。またしても私は、母上にあざむかれていた」

「ごめんなさい、ザース様が生きておられることは、私、少し前から私知っていました。でも陛下には黙っているようにと言われて」

「その事情も母から聞いた。母上もザースも、私が王位を放り出してザースに譲位すると言い出すのではないかと心配していたようだが、今はそのようなことはできぬ。私は全く信用されていなかったわけだ」

 フェールは少し唇をゆがめた苦い笑顔を見せた。


「王太后様がザース様のことを陛下に秘密にしていたのは、そういう理由じゃなくて、ザース様が自由に動けるようにするためで……」

「確かにそれもあるだろうな。やつにはこれからもユヒラマとして生きてもらう。世間一般には、あれは機転を利かせたユヒラマだと言ってある」

「私、今すぐザース様のお見舞いに伺います。謝罪しないといけないことがあって」

「何を謝ることがある」

「私なんかが王妃様になってしまうので」

 ザース王子の言ったとおりに身を引くことができず、王妃になることを自分の考えで決めてしまった。いったんは王子の考えを受け入れたくせに。身を引くことでフェールの安全は守られるはずだと信じて愛する男を突き放そうとした。でも結局はできず、結婚することに決めた途端、またしても彼を危険にさらした。


「そのような謝罪、必要ない」

「でも……一応、ひとことだけでも申し上げておいた方がいいと思います」

 体を動かそうとしたら激痛で息ができなくなった。

「っ!」

「ほら、無理をするなと言っているではないか。おまえはまだ自由に動ける体ではない。ザースより重傷だ。複数個所の骨折だから治るにもそれなりの時間がかかるぞ。今は寝ていろ」

「また何かあったら謝りそびれてしまいます。私なら大丈夫です。ちょっと胸が痛いけれど、がんばります」

「がんばらなくてよい。静かにするのだ。おまえの名誉のために言っておくが、私は温めただけだ。裸の方が温まりがよいから服を着ていなかっただけのことだからな。眠っている間におまえを犯すようなことはしていないから安心してくれ。服が必要なら、ターニャを呼んでくるからしばし待て」

「あのっ、ではクレイア様はどうなったのでしょうか」

「発見した時にはすでに冷たくなっていた。近くにサラヤとマニストゥの遺体もあった。王女の遺体は、あの場で捕まえた王女の親衛隊の兵士たちと一緒に、ザンガクム貴族連合に引き渡すことになった。王女に従っていた兵の数はわずかで、王女が死んだとわかると、皆、あきらめて投降してくれたから大きな戦いにならずに済んだのだ。王女の兵は、養成所出身の子どもみたいなやつばかりだった。軍隊としての集団行動の訓練は受けていないように見えた」

 フェールが言ったことには少しだけ嘘が混じっていた。本当のところ、彼らが簡単に登降したわけではなかった。クレイアの兵たちは、クレイアの遺体を見て激しく動揺し、狂ったように切り込んできた者や、自死を選んだものなどで大半が死んでしまい、助けられたのはほんの数名だった。フェールはアンジェリンを悲しませたくないと思い、あまりよろしくないこの情報をわざと伏せた。

「そうですか……王女様はやっぱり助からなかったのですね。応急手当てを断られてしまったんです」

「あの女のせいで多くの人々が亡くなった。我が国を乗っ取ろうとした女のことなど忘れろ」

 フェールは部屋を出て行こうとしている。

「お待ちくださいませ。まだお訊ねしたいことが――」

 エフネートのことをまだ訊いていない。

「いいから、じっとしていろ」

 フェールは背中を向けたまま小さな声でつぶやいた。

「アン……生きていてくれて、本当にありがとう」

「あ……」

 ──ディン、ありがとう。私にもそう言わせて。

 彼が出て行った扉はアンジェリンが返事をする前に既にしまっていた。


 フェールはそのまま退室し、すぐにターニャが入って来た。

 ターニャは半泣きでアンジェリンの寝台に飛びついた。

「お嬢様! どうしてお嬢様ばかりがこんな目に遭うんでしょう。せっかく出生の秘密も明らかにされて王妃様に決まったのに、連れ去られた上、怪我をさせられるなんて、ひどすぎます。あの時、お嬢様の馬車に無理にでも一緒に乗ればよかったんですよ。申し訳ありません」

「こんなことになって、私もびっくりしているわ」

「あの時、侍女の方に言われたままに付いて行ったら、いきなり物置に閉じ込められてしまったんです」


 アンジェリンはその場面を思い返した。侍従長の後ろにいて、ターニャを連れて行ったのは侍女の同期生、ココルテーゼだった。そうだった、ココルテーゼの父親はエフネートと腹違いの兄弟。彼女はきっとエフネートに命じられていたのだろう。

「ターニャを閉じ込めたその侍女はどうなったの?」

「知りません。私を閉じ込めたらどこかへ行ってしまったんです。あれがお嬢様をこんな目に遭わせるためだったなんて……」



 そのココルテーゼは、王の花嫁を騙して無断で連れ出した罪で石牢の中に囚われていた。

「どうしてこうなるの? アンジェリンなんか、王太子妃に興味ないわって顔していたくせにうまく取り入って。顔だって胸だって、絶対に私の方が勝っているのに。まあ……アンジェリンがそこそこ美人で、やさしかったことは認めるけど」

 ココルテーゼはアンジェリンと共に仕事をしたさまざまな場面を振り返った。


「あの子、いつでも私の話を聞いてくれて、おしゃべりを侍女長に叱られても言い訳もしないで一緒に怒られて……よく考えたら結構いい子だったとは思うのよね。いつも前髪で目を隠して暗い感じだったし、欲が全然ないのが気持ち悪かったけど」

 城外へ出されたアンジェリン親子がどこへ行く予定だったのかは、ココルテーゼは聞いていなかった。エフネートに言われたとおりに馬車に乗せて城外へ出しただけ。貴族にしてもらうために全力でやった仕事。国王の結婚の妨害をしたことはわかっていても、その後アンジェリン親子が殺された、とは思いたくない。

「私って、そんなに大騒ぎされるほど悪くないわよね? アンジェリンを城外に追い払ったけど、たったそれだけのことじゃない」

 ココルテーゼは「大丈夫、私は悪くない」ともう一度声に出して言ってみた。

 閉じ込められた牢の天窓から見える小さな暗い空を見上げる。

「エフネート様はまだかしら? 私、すぐにここから出してもらえるわよね? だって、貴族になれるんですもの。エフネート様は約束してくださったわ」

 ふっと不安がかすめる。

 エフネートにも逮捕命令が出ていると聞いたが。

「そんなの何かの間違いよね。エフネート様が捕まるわけがないわ」

 もしも、彼が本当に捕まってしまったら。

「私……どうなるの? 本当に貴族になれる……?」

 石牢内は静かだった。

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