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86.消えた馬車

 アンジェリンは驚きすぎてすぐに言い返せなかった。

 エフネートは一歩一歩確実に近づいてくる。

「書記官の娘ティアヌ・バイスラーを殺したのはおまえだ。殺人犯に王妃になってもらっては困る」


 ──また私は殺人犯にされるの? 


「わ……私はその女性のことなんて顔も存じません。亡くなったことをきいたのもつい最近ですから」

「ティアヌが連れ去られた夜に、彼女の屋敷近くでおまえを見た、という者がいたのだ」

「嘘を作って人を罪に陥れようとするのはやめてください。私はずっとサイニッスラで暮らしていました。王都に出てきたのは今朝のことで、それも久しぶりだったんです」

「おまえの父や使用人以外でそれを証明できる者はいるのか?」

「それはいませんけど、本当にずっとサイニッスラにいたんですから、王都の殺人事件なんか知りません」

「おまえにはティアヌを殺す動機があった。王妃になりたかったのだろう? ならば陛下がお心を寄せていたティアヌを殺害してもおかしくはない。さあ、素直に同行願おう。その子は預からせてもらう。この子も本当に陛下の御子かどうか疑わしい。陛下はお気の毒にもおまえに騙されて自分の子だと信じておられるようだが」

 エフネートは、火がついたように泣いているウィレムをアンジェリンから取り上げようと手を伸ばした。

「私たちに触れないでください」

 アンジェリンは泣き叫ぶ息子を強く抱きしめ、後ずさった。

 

 ◇


 そのころ、エンテグアの王城内。

 フェールは王の執務室にまだいた。積もる書類を放り出し、溜息をつく。午前中がつぶれてしまった今日に限って、王決済の書類が異様に多い。この量では日付が変わってもまだ終わりそうにない。細かい字ばかりが並んだ書類ばかり見ている疲れで、頭が痛くなってきた。

「今日はここまでだ。残りは明日」

 こういう書類は後日に持ち越すとどんどんたまっていくものだとはわかっているが、今日はこれ以上仕事したくなかった。


 執務室から王の寝室へ戻ったが、すぐに眠りに入れなかった。今日はアンジェリンのドレス姿を見て興奮している。気品にあふれた彼女の姿は、名家の生まれを証明するのに充分だった。かつて前髪で顔を隠し、背を丸め、いつもココルテーゼの後ろに隠れるように仕えていた野暮ったい侍女はどこにもいなかった。彼女の手を取り会議場へいざなった時は、美しい妻を迎えられる喜びと誇らしさで自分の心まで震えていたことが、彼女に悟られてしまっただろうか。

 北にある白花館の方向を見て、その中で眠っているであろうアンジェリンとウィレムの姿を思い浮かべた。二人は母子同室で眠っていると思われる。

 ――二人の寝顔を見に行ってもよいだろうか。ほんの少しだけ。

 顔を見るだけで眠りの邪魔は絶対にしない、と自分に言い聞かせながら徒歩で白花館へ向かった。

 外は雨が当たり始めていた。できるだけ濡れないように足を速める。


「アンジェリンとウィレムに会いに来た。静かに入室するから寝顔だけでも見せてもらえないだろうか」

 急にやってきた国王に、白花館の入り口を守る兵たちは驚いた声を上げた。

「ご一緒ではなかったのですか? アンジェリン様とお子様は陛下のお呼びだしということで外出なさいましたが」

「そのような命令、私は出しておらぬぞ」

 白花館の兵たちは顔を見合わせた。

「侍従長が迎えに来られて、お二人をお連れになりました」

「侍従長は二人をどこへ連れて行った」

「自分たちは目的地までは聞いておりません。お荷物も上着もなしでしたので、城内を移動するだけだと思いましたが」

 フェールは首をかしげた。侍従長が気を利かせて二人を執務室まで呼んでくれたのかもしれない。入れ違いになってしまったか。

 ――いや、妙だ。

 いくら侍従長でも、王を気遣ってその妻子を勝手に呼び出すことまでするだろうか。そもそも、こんな夜中に幼い子を連れ出すこと自体、不自然だ。

 湧き上がる不安を押し殺し、さらに兵たちに問いかけた。

「護衛は何名付いて行ったのか」

「馬車の後部に二名乗っておりました」

「その兵の所属は?」

「確認はしておりません。白花隊でも近衛隊でもないことは間違いありません」

「……どうにもおかしな話だ。馬車はどこへ行った。侍従長をすぐに呼び出せ」


 すぐにフェールの前に呼びだされた侍従長は、真っ青になって床にひれ伏した。

「自分は陛下の命令だと伝えられたので、白花館までお二人を迎えに行ってしまいました。お二人を馬車に乗せてお見送りするところまでしか……自分はてっきり陛下のお部屋までと思い込んでおりましたので……誠にに申し訳ございませんでした。ご命令をきちんと確認すべきでした」


 やがて、二人が馬車に乗ったまま城外へ出てしまったことが明らかになると、押し寄せたフェールの不安は怒りになって爆発した。

「何をやっていた! あれほど気を付けるように言ったのに、目的地の確認なしで城外へ出したのか! 誰だ、侍従長にそんな伝達をしたのは」

「侍女のココルテーゼ・ホミジドでございます。馬車の手配も彼女がやりました。すぐに呼んでまいります。何か勘違いをしていたのかもしれません」

「ココルテーゼ?」

 フェールの背中を冷たい汗が流れ落ちた。かわいらしい顔立ちで大きな胸を持つ若い侍女。そういえば。

 マナリエナの言葉がよみがえった。


『彼女はおそらくヘロンガル家の密偵』


 ココルテーゼの父親はエフネート・ヘロンガルの異母兄だと――。要するに、彼女はヘロンガル家の関係者。

「ココルテーゼをすぐに連れてこい! 大至急だ!」


 ココルテーゼもターニャも、どちらも城内にいる可能性が高いが、侍女部屋にはおらず、この時点では発見できなかった。広い城内、細かい部屋まで探すにはまだまだ時間がかかりそうで、フェールはココルテーゼを探すことは後回しにして、アンジェリンたちの情報を先に求めることにした。


 さらなる聞き取り調査の結果、アンジェリンとウィレムを乗せた馬車にはヘロンガル家の紋章があり、御者はヘロンガル家専任の男だとわかった。城門の兵士たちの話によると、御者が顔見知りでヘロンガル家の馬車だったため検問なしで通してしまったということだった。城門を出る段階で、後部に乗っていたはずの護衛兵の姿はなく、アンジェリンとウィレムは、守る兵のひとりもいない状態で城外へ連れ出されたことも改めて明らかになった。

 ヘロンガル家の主人エフネートは、その少し前に馬での外出が確認されており、現在は城内に不在。


 フェールは両手を拳にし、強く握りしめた。戦中から暗殺を警戒し、自宅へ帰らず、城から出ることがなかったあの叔父エフネートがいないとは。アンジェリンとウィレムが連れ去られた今夜に限って。

 フェールは覚悟を決めた。もはやヘロンガル家を放置してはおけない。

「ただちに兵を召集せよ! ヘロンガル家の本宅および関連施設をすべておさえるのだ。エフネート・ヘロンガル復興大臣を捕らえ、東の牢に投獄せよ。罪名は、反逆罪および、我が妻子の誘拐罪だ。エフネートの妻アムネと、その子ヴァリーも同罪として捕らえ軟禁せよ」

 ヘロンガル家の馬車が使われている以上、ヘロンガル家の長としてエフネートの責任を問うために捉えるという正当な口実はある。

 向こうが人質をとるならこちらも。父王の妹、そしてシドの実母でもあるアムネは、おっとりしたおとなしい女性で、夫のエフネートの黒さを知っているとは思えないが、一家ごと逃げられてしまってはこちらの切り札がなくなってしまう。やさしい叔母を捕まえるのは気が進まないが、今は緊急事態。情をかけた方が負けだ。共犯の疑いという形で捕縛するしかない。


 命令を出し終えたフェールは、じっとしていることができず、騒ぎを聞きつけて出て来ていたマナリエナに城のことを頼み、雨具に身を包んだ。自分も馬に乗り、近衛兵たちと共にヘロンガル家本宅へ向かった。

 その屋敷にアンジェリンたちが連れて行かれたという確実な情報はない。それでも城でじっと報告を待つことは耐えられなかった。


 ◇


 一方、アンジェリンは、沼地の中でエフネートに追い詰められていた。ウィレムはあいかわらず、けたたましい泣き声を上げ続けている。

 エフネートは完全にアンジェリンを脅す口調になった。

「さっさとその沼地から出ろ。雨が降ってきているのにこんなところまで逃げてくれたおかげで、こっちの足元まで泥だらけだ。いいかげんにしないと、その首に縄をかけて引きずってやる」

「私たちをどこへ連れて行くつもりです?」

「すぐそこまで行くだけだ。その先に小さい家がある。おまえにはいろいろ聞きたいことがあるから、今すぐに殺すようなことはしない」

「では、その家で欲しい情報を得たら、私たちを殺すのですね」

「おまえは人殺しだから生きていようと思うことが間違っている。人殺しは死をもって償うべき罪。おまえは今度こそ処刑される」

「エフネート様こそ、死罪にふさわしいことをしているではありませんか。こんなことをして、何とも思わないのですか」

「つべこべ言わずについて来い」

 アンジェリンは後ろを振り返ったが、ただ闇が広がっているだけだった。その向こうには川があるのだろう。川から突然現れて助けに来てくれる人などいるわけがない。毒針や短剣のような身を守る武器も持ち合わせていない。戦える武器になるのは口だけだ。

「エフネート様は、今は復興大臣になられたそうで、警務総官ではありませんよね? 私を無断で捕まえる権利はないと思いますけど、いかがでしょう」

「関係ない。正式な捕縛状など、元部下に言えばいくらでも作れる。おまえはいちいち馬鹿なことを言う女だな。こんな女が陛下の妃とは笑わせる。陛下もやっかいな女に惚れてくれたものだ」

「私を笑いたければいくらでもどうぞ。でも陛下のことを笑うことは許しません。エフネート様は陛下を侮辱しています。侮辱罪で捕まるのはご自身では」

「これは侮辱ではない。陛下におかしな虫がつかないよう気を配っているだけだ」


 あいかわらずうるさいウィレムの泣き声に、エフネートは舌打ちした。

「この子供の声も不快だが、おまえのその顔はさらに不快極まりない。血のつながりもないくせに、よくもまあこれほどまでにジャネリアに似た女がいたものだ」

 エフネートは背後にいた手下に命じた。

「二人を捕まえて連れていけ」

 命令と共に、複数のランタンが動きだし、アンジェリンに近づいてきた。その一人がアンジェリンから無理やりウィレムを奪い取ろうとした。

「やめて!」

 体を母親から引きはがされそうになったウィレムは、さらに激しく泣き叫んでいる。

「絶対に渡さない!」

 アンジェリンは自分の腕をつかんだ兵士の手を振り払うと、片手でウィレムを支え、空いている方の手を使い、敵の顔に爪を立てた。顔に爪を立てられた男は、不快そうなうめき語を上げた。

「痛いですぞ。あいかわらず凶暴な方じゃ。お久しぶりですな」

「あなたは!」

「さよう。山奥の村であなたに毒針でやられた哀れな年寄りです」

 アンジェリンの全身を寒気が走り抜けた。


「マニストゥ!」

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