81.真実は重く悲しく(1)
アンジェリンは、暗い気分で王都へ向かう馬車に揺られていた。
移りゆく自然たっぷりの美しい景色を窓から眺めても気は晴れない。もしかして、サイニッスラには二度と戻れないかもしれない。そんな予感がどうしても捨てられない。
アンジェリンの隣に座るロイエンニは、馬車の椅子の背にもたれてぐっすり眠っていた。
アンジェリンは眠る父に声をかけることもできず、疲れた寝顔をぼんやり見ていた。
こんなに疲れさせているのも、自分が王とかかわってしまったから。父には余計な心配ばかりかけている。フェールの求婚の件を相談したが、やさしい父は『おまえの気持ち次第だ』と言っただけだった。
──お父様はあの塚の中に私の両親がいると知っていたの? 私は泥棒の娘ではないって本当?
この数日間、訊きたくても聞けない疑問が胸の内にずしりとたまっている。
住んでいた高原の地で火事があって、庭の塚の下にニハウラック家という名門貴族の関係者が眠っていることぐらいは幼いころから教えられていた。そこに自分の両親たちも一緒に眠っているとは思いもせず、ときどき花を供えていた。塚はただの庭石のようにそこに常にある風景の一角にすぎず、特別な気持ちはなかった。
窓の外の景色は徐々に町になっていく。馬車の前後には警護についてくれている私服姿の白花隊の兵士が乗る馬が走る。何日も滞在してくれていた白花隊の兵士たち数名とはすっかり仲良しになっていた。高原の家へ戻れないならば、家族のように接してくれた彼らとの生活も終わる。
フェールから示された二択。王妃になるか、傍仕えになるか。
──私はどちらも選べない。何を選べばあの人とこの子を守れるの?
彼とうわさがあった女性は殺されてしまった、という情報は衝撃だった。だから彼がアンジェリンと息子のことを心から心配して傍に置きたいと言うことも理解できる。
──あの人の傍にいたい。でもザース様がおっしゃるとおり、私はあの人を守ることができない。あの人に守られることはできるかもしれないけれど。
馬車は、いったんエンテグア内にあるロイエンニの屋敷に戻ったが、馬車を裏に入れないうちに、隣人の中年女性が駆け寄ってきた。
「ヴェーノさん、ちょっと気を付けた方がいいよ。このところ変な男が時々やって来て、お嬢様のことを根掘り葉掘り聞いて回っている。何度も来てお屋敷の様子を窺っているから気持ち悪くって」
アンジェリンはレクトかもしれないと思った。彼は、アンジェリンが王都に戻ってきたらまた会いたいと言っていた。アンジェリンが戻ってきているかどうかを確かめに来ただけではないのだろうか。
「おばさま、その男の人って、体格のいい茶色い髪の若い人?」
「若い人? いや、違うね。老人ではなさそうだったけど、頭は結構禿げ上がっていて……頭の真ん中ぐらいまでつるつるのおでこ。油っぽい顔で、齢は結構いっていると思うよ。体つきは普通かなあ。とにかく目つきが悪い男でさあ、金でもせびりに来たような顔してるのさ」
──レクトじゃないわ! それって……。
アンジェリンは嫌な予感に寒気を感じた。思い当たる男はただ一人。
「マニストゥ……かも」
「おまえを襲った男だな?」
ロイエンニは険しい顔になり、周りを見回した。今は怪しい男の姿は見えなかったが、彼はすぐに決断した。
「このまま城へ行こう。約束の時間にはだいぶ早いが事情を話して待たせてもらえばいい」
馬車は屋敷に入らずにそのまま城へ、マナリエナが住む城の最奥に位置する白花館へ直行した。
白花館の入り口に着くと、四十代に見える女官が愛想よく迎えてくれた。
なぜかアンジェリンだけ別室へ、と言われる。王太后の命令らしい。
――ウィレムと離される!
アンジェリンは不安に駆られ振り返った。ウィレムをこのまま取り上げられてしまわないだろうか。ロイエンニに抱かれた幼いウィレムは、見知らぬ景色に興味津々のようで、アンジェリンが離れていくのに気にも留めず、忙しそうに首をまわしている。王太后の命令だとこの女官が言っている以上、逆らうことはできない。
アンジェリンが案内された部屋には、誰もおらず、緑色のドレスが用意されていた。
「こちらにお着替えして王太后様に謁見していただきます。お手伝いいたします」
着替えるだけならすぐにウィレムのところへ戻れる。アンジェリンはほっとしながら着替えにかかった。
緑一色で袖もえりもついていないドレスは、光沢がある生地で仕立てられていた。丸く切られた胸元には細い金テープが縫い付けられている。布は腰の部分で切り替えしになっており、ぴったりとした上半身とは対照的に大きく広がった裾は幾重にもひだがとられていて、無地でも豪華にみえた。アンジェリンにもそれがとても高価なドレスだと分かった。
女官の手で首飾りや耳飾りなども付けられ、髪も耳の横で編んで後ろにまとめ上げられた。
女官は、アンジェリンの重そうな前髪を左右に分け、大きな青い宝石がついた額飾りをつけようとしている。
アンジェリンはつい口を出してしまった。
「あの、すみません。私、額を出すのは苦手なので、その額飾りはなしでお願いできませんか?」
「額を出さないとこの飾りは付けられませんわ」
「せっかくの額飾りですけど、私は顔が母に似すぎているらしくて、額を出さないよう、昔から父に言われておりまして。申し訳ないのですが……」
「あら、ロイエンニ・ヴェーノ様がそのようにおっしゃいましたか? では今日は最高にきれいにして、誰にも文句を言わせないようにいたします。お美しいから、ロイエンニ様もきっとびっくりなさいますよ」
女官はアンジェリンの気持ちなどまったく気にせず、アンジェリンの髪を左右になでつけるように開いて額を全開にしてしまうと、手早く額飾りをつけてしまった。
「お化粧も少しだけしましょうか」
女官は有無を言わせずアンジェリンに薄化粧をほどこすと、満足そうに首を縦に振った。
「では、王太后様のところへまいりましょう」
まるでどこかの王女にでもなったような格好で、アンジェリンは女官に導かれて王太后マナリエナの部屋へ入った。そこは応接室となっており、ソファやテーブルが置かれていた。室内の壁には大きな絵画が何枚もかけられている。
「おお! よく似合っている」
入室するなり声を上げたのはロイエンニだった。アンジェリンは額を出してしまったことで何か言われるのではないかと思ったが、ロイエンニは感慨深げにアンジェリンを見ているだけで叱ったりはしなかった。
室内には、マナリエナの姿はまだなく、ウィレムを抱いたロイエンニと、彼らが座る大きなソファの後ろに控えているターニャ、そして戸口には王妃専属護衛の大男、ピツハナンデが立っていた。
先ほどの女官は、この部屋のさらに奥にある扉を叩き、マナリエナを呼んだ。
「アンジェリン、よく来てくれましたね」
奥の部屋から出てきた王太后マナリエナは、あいかわらず小柄できゃしゃだった。人形のようなかわいい顔立ちは実年齢よりもずっと若く見える。フェールと同じ色の琥珀色の目はなぜか潤んでいた。フェールから前に聞いていた『子育てに無関心で冷たい女性』という感じは全くしない。
「思った通り、その衣装がよく似合うこと」
マナリエナはそこに立っていたターニャにもソファを勧めた。
アンジェリンは型どおりの挨拶を述べ、ロイエンニとターニャにはさまれるような形で腰かけた。
先ほどの女官がお茶の用意をしてくれ、室内には茶の香りが立ちこめた。
アンジェリンの正面に座ったマナリエナは、アンジェリンが予想していた通りの質問をぶつけてきた。
「まずは確認しておきたいのだけれど、ウィレムの父親は王ということでよいかしら? フェールには違うと言ったそうだけど?」
「それは……あの……申し訳ありません」
アンジェリンが正確に答えられずにいると、マナリエナはやさしく促した。
「わたくしには本当のことを言っていいのですよ。ユヒラマのことは気にする必要はありません」
アンジェリンは周りを見回したが、『女官ユヒラマ』こと、ザース王子の姿はなかった。困って父の顔を見たが、ロイエンニは下を向いたままで助け舟を出してくれそうにない。
黙っていると、マナリエナはさらに答えをうながす。
「ここにいるのは皆、そなたの味方ばかりです。ウィレムはフェールの子で間違いないわね?」
アンジェリンはここで偽っても仕方がないと思った。覚悟を決めて肯定すると、マナリエナは満足そうににっこりと笑った。
「安心しました。わたくしは、その子の実の祖母だと思ってよいのですね?」
「はい」
マナリエナは口を飲み物で湿らせながら、アンジェリンたちにも飲み物を勧めた。皆、何も言わずに静かにカップを口に運ぶ。ウィレムはロイエンニの膝から降りたいようで、もそもそと動き続けている。ガラス窓の外に目をやれば、庭木の隙間から晴天の青い空が見えた。
マナリエナは茶を飲み終えると、静かにアンジェリンを見つめた。
「では本題に入ります。今日は、そなたのご両親のお話をするつもりでロイエンニたちにも来てもらいました」
アンジェリンは高まる緊張で、手から落としそうになったカップをテーブルに戻し、背筋を伸ばした。
「わたくしたちはそなたに謝罪しないといけないのです。わたくし、実は、そなたの両親とは知り合いでした。今まで黙っていてごめんなさい」
「私の両親のことをずっと知っておられたのですか?」
「ふふふ、驚いた、という顔になっていますね。そなたの本当の母親は、わたくしの親友だったジャネリアです。そなたの父親はナタンといいます。アンジェリンという今の名は、そなたの本当の名前であるリーザと、ジャネリアを組み合わせて作ったもの」
「リーザ?」
「そうです、リーザ・ニハウラック。それがそなたの本当の名前ですよ」
「ニハウラック……」
それはサイニッスラの家の塚に眠っている一族の名。アンジェリンは想像をめぐらせながらマナリエナの次の言葉を待った。
「そなたはサイニッスラで滅ぼされたニハウラック家の唯一の生き残り。そなたが今着ているドレスは、ジャネリアが婚約式の時に着た物。その装飾品もすべてそうです」
アンジェリンは素直に違和感を口にした。
「あの……王太后様、恐れながら、別人と勘違いなさっておられます。私の生みの親はヴェーノ家の下男夫婦で、私は両親の名は知りませんが、ジャネリア様、というお方の娘ではありません。下男の妻がこのような豪華な衣装を持っているわけがありませんし」
「いいえ、そなたはジャネリアの娘リーザですよ。盗みを働いて逃走した下男夫婦の子、という情報は、ここにいる者たちで作った嘘です」
無言で頷いたロイエンニ。ターニャも申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「お父様! どういうことですか」
「王太后様の仰せの通りだ。我が家から逃げた下男夫婦など元から存在しない。私はマナリエナ様の依頼を受け、ニハウラック家でただひとり生き残ったおまえを養女として引き取り、おまえの一族が眠っているサイニッスラの地で育ててきた」
「でもお父様の妹がいらっしゃったとき、私は泥棒の子だってさげすまれて……」
絶句したアンジェリンに、マナリエナがとりなしてくれた。
「ロイエンニを攻めてはいけません。すべてはそなたの命を守るため、長年に渡って多くの嘘が重ねられてきたのです。さあ、ロイエンニ、ターニャ、今ここで、これまで伏せてきたすべての真実を彼女に教えてあげなさい。過去のサイニッスラで何があったのかを今、明かしましょう。誰が話しますか」
「私が」
手を挙げたのはターニャだった。
ターニャは下を向いたまま、ぽつりぽつりと語り始めた。
「何からお話をしていいかわかりませんが、まずは私がお嬢様のご両親に会うことになった話からします。お嬢様には前に話したことがあったと思いますが、私の故郷の村は名もない山あいの里です」
アンジェリンは頷いた。
「その話は憶えているわ。ターニャの故郷は、サイニッスラの家から北へ、山を越えたところにあると言っていたわよね?」
「そうです。その名なしの村は、もともと都会から逃げてきた奴隷たちが作った村で、とても貧しく、若い者は都会へ働きに出ることが当たり前でした。村にいる若い男は猟師と樵ぐらい。それ以外はほぼ老人と子どもだけ。若い親たちはたまにしか戻ってこないので、小さい子どもの世話はある程度大きくなった子どもが面倒を見ます」
マナリエナも質問した。
「村全体で子育てしている、という感じかしら」
「はい、そういうわけで、私も小さい子の面倒をみることは得意でした。やがて、十五になった私は仕事を探しに王都まで出てきました。それでたまたま見つけたのがニハウラック家の手伝いのお仕事。若旦那さまと若奥様……お嬢様の本当のご両親が面接してくださり、子守りが得意なら住み込みで雇ってやると言ってもらえて。若旦那様は、慣れない育児に疲れておられる若奥様を少しでも休ませてやりたいと仰せでした」
ターニャはふうっと息をついた。
「こうして私はニハウラック家の使用人になりました。若旦那様ご夫婦は、もう見ているだけでドキドキするほど夫婦仲がよくて、理想的なご夫婦でした。それが……あんな最期を……惨劇があったあの日のことは今でも鮮明に覚えています」
ターニャの話はサイニッスラの別荘で行われた誕生会の説明に移った。
ニハウラック家長老の八十歳の誕生日を祝う会。直系の若夫婦の子として産まれたリーザ赤ちゃんのお披露目も兼ねていたらしい。一族全員がこの高原に集まっているだけあって人は多く、それぞれの家族が連れてきた使用人たちは忙しく動き回り、料理は次々運ばれ、それはそれは豪華な祝賀会だったという。人々が祝いの宴を楽しんでいる最中、突然火事が発生した。
「火が出た時、若奥様は、祝賀会場になっていたお部屋とは別室の奥の部屋で私と一緒にいました。リーザお嬢様に授乳したばかりで、寝かしつける最中で。リーザお嬢様……当時、生後百二十日ほどの赤ちゃんだったあなた様ですよ」
アンジェリンはどうにも自分のことだとは思えず、ただ頷く。
ターニャは続けた。
「何か焦げ臭いと思ったんです。そのうちに、その部屋に、若旦那様が血相を変えて駆け込んでいらっしゃって、とんでもない事態なのだとわかりました。誰かが家のあちこちに火をつけて回っていると言われて。とにかく火が回らないうちに早く外へ出ないといけなくて、裏口へ向かいました。廊下には既に薄い煙が回ってきていました。私は若奥様に毛布を持ってくるよう命じられて、その分だけ少し遅れて、お二人を追っていったのです。若旦那様に続き、若奥様も外へ出たのが見えて、でも……」
ターニャは急に黙ってしまった。マナリエナが促す。
「恐ろしくて話したくないなら、わたくしが話しましょうか? 当時のそなたの話によると、その時にジャネリアが」
ターニャは涙がたまる目を擦った。
「いいえ、すみませんが私の口から話をさせてください。いろいろ思い出してしまって、少し胸が詰まってしまいました」
アンジェリンは戸惑いつつも、ターニャを気遣った。
「ターニャ、私はすべてを知りたいけれど、無理をしてはいけないわ」
「大丈夫です」
ターニャは絞り出すような声になっていた。「これはお嬢様にはどうしても知っていただかないと。それで、若旦那様に続いて外へ走り出た若奥様は、急に悲鳴をあげてよろめいて、うめきながら中へ戻ってきたのです。どうしたのかと思ったら、奥様の肩から血が噴き出していて……」
ターニャは自分の左肩を、顔をしかめて押さえた。「この辺り、首近くのここを、こう斜めに斬られていて、私は慌てて若奥様の手からお嬢様を抱き取りました。若奥様は痛みに耐えながら、私に、外に出てはいけないとおっしゃったのです。開いた裏口扉の間から外を見ると、若旦那様が複数の不審者と剣で戦っておられて……いつのまにか、家の外には武装した仮面の人間が何人も来ていました」
またターニャの口が止まり、彼女は肩を震わせて涙をこぼした。アンジェリンはターニャの肩にそっと手を当てた。
「ターニャ、もういいの。苦しいなら話さないで」
「いいえ、最後まで聴いてくださいませ。この話を何年も秘めてまいりました。やっと話せて楽になれるのす。私と若奥様は扉の前から一歩も進むことができず、若旦那様が裏庭で戦っているのを見ているしかありませんでした。若旦那様は勇敢に戦い、敵のひとりの額に傷を負わせました。その時に相手の仮面がはずれ、顔が」
ターニャは一呼吸おいてその名を出した。
「それはエフネート・ヘロンガル様でした」




