表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/98

71.白髪の女官

 サイニッスラ高原の家で暮らしているアンジェリンは、子育てに追われながらも充実した日々を送っていた。出産後一年が経った日、王太后マナリエナが、例年通り墓参りの名目で、この家にやってきた。


 マナリエナは、出迎えに並んでいたアンジェリンの前で立ち止まり、その腕にいる赤子の顔を覗き込んだ。

「一年でずいぶん大きくなったこと。その子、抱かせてもらってよろしいかしら? わたくし、赤ちゃんは大好きなの。名前は?」

「ウィレムと名付けました。おかげさまで元気に誕生日を迎えることができました。出産の日には王太后様にもお世話になり感謝しております」

 アンジェリンは笑顔で子を渡した。マナリエナはこの子の本当の祖母。一年に一度しか会えないのだから、たっぷりかわいがってもらえばいい。

 マナリエナは、墓参りもそこそこに、夜までウィレムの傍から離れなかった。



 その夜、ウィレムは見慣れない多くの客人にすっかり興奮してしまい、母子だけの部屋に戻ってからも、ひたすら意味もなくぐずり続け、なかなか寝らなかった。

 アンジェリンが、機嫌が悪いウィレムを抱いてあやしていると、部屋の扉が叩かれ、ターニャの声がした。

「お嬢様、まだ起きていらっしゃいますよね? 遅くにすみません。女官長様からお話があるそうです」

 こんな時間に王太后のおつきの女性からいったいどういう話があるのか。アンジェリンは、不安を抱きながら女官長を招き入れた。


「お茶の用意はいらないから」

 女官長はターニャを下がらせると、ウィレムを抱いて立っているアンジェリンに軽く会釈した。

「夜分に申し訳ない。私は白花隊所属で、女官長をやっているユヒラマという者だが、あなたにどうしても言っておきたいことがあった」

 ユヒラマと名乗った女性の顔にはしわはなかったが、赤く大きな吹き出物が多数あった。顔色はどこか悪いのかと思えるほどどす黒く、それを隠すように、横流しにした真っ白な縮れ髪が顔の半分を覆っている。白花館に出入りする女性が着る制服──白花の刺繍が施された胸ポケットのある濃紺のドレス――をまとっている。


「ユヒラマ女官長様、初にお目にかかれて光栄でございます。夜分につき、このような見苦しい恰好で失礼します」

 アンジェリンが型どおりに挨拶すると、相手は遠慮することもなくじろじろと、アンジェリンの顔を見てくる。

「アンジェリン、久しぶりだな」

「えっ? いいえ、女官長様とは初めてお会いすると……思いますが……あ、もしかして、去年の墓参り訪問のときにもお越しいただきましたでしょうか。私、あの時はちょうど出産中で、あまり記憶がはっきりしておらず、申し訳ありません」

「いや、去年は来ていない。記憶の欠片もないか? 私とどこかで会った気がするとか?」

「はい? ……え?」

 白髪の間には、マナリエナと同じ、琥珀色の目が輝いていた。

 この瞳の色には見覚えがある。愛する男と同じ色。だが、どう見てもフェールではない。マナリエナ以外でもうひとり、この色の目を持つ人物は知っているが、その人はすでに亡くなっている。その遺体を見たわけでもないが、葬儀を正式に出しており、亡くなったことは確実で。

 もう一度、しっかり女官長の顔を確認した。

「まさか。そんなはずは」


 アンジェリンが戸惑っていると、相手はにっこりと笑った。

「そのまさかだ。私は現セヴォローン王の実弟、ザース」

 アンジェリンは驚きと焦りでどもってしまった。

「ザ、ザ、ザース殿下! あ、あのう……わ、わ、私は非常に驚いております。女性のお姿でしたので、すぐにはわかりませんでした」

「王子としてのザースは死んだはずだから、表向きは白花館の女官長ユヒラマとして生きている。私は兄上とは違い、男としては低身長でそれが苦痛だったが、そのおかげで簡単に女性に変装できて今を楽しんでいるよ。男には見えないと自分では思っているのだが、どうか?」

 ザースは、得意そうにドレスの裾を少しだけ持ち上げ、にぃ、と笑って見せた。


 アンジェリンは、以前にフェールが、『私が弟に勝てるのは身長ぐらいだ』と言っていたことを思い出した。確かに、ザース王子は小柄なマナリエナ似で、高身長ではなかった。

 死んだはずの王子の完璧な女装姿。その顔はブツブツで、髪も老婆のような縮れた白髪。美しかった王子の面影はない。これでは誰も疑わない。

 アンジェリンは言うべき言葉がわからず、適当に合わせ笑いを浮かべてごまかした。


「兄上は私が生きているとは知らないのだ。私は死んだことにしておいた方が世間的にもいろいろ都合がよいし、何よりも、兄上の『王をやめたい病』『弟に譲位したい病』などが復活すると困るからね」

 アンジェリンは、ザースの言うことに納得しながら、あらためてその顔を確かめた。やはり、ザース王子本人に違いない。皮膚は荒れているが、すっとした鼻筋や目の色は以前と変わりなかった。


「本当に驚きました。まだ驚きの動悸が止まりません。ザース殿下は転落事故で亡くなったと伺っておりましたので」

「あれは事故ではない。私はクレイア王女に毒針を指された上、サラヤという侍女にバルコニーから投げ落とされたのだ」

「では、ひどいお怪我をなさったのですね」

 ザースは頷いた。

「自分でもよく生き延びたと思っている。私は、転落の怪我と毒にやられて仮死状態だったらしい。長く意識がなく、棺に入れられ自分の葬儀が行われたころの記憶は全くない。母も長い間私が死んだと信じていたよ。一年近く行方をくらませていたのだからね」

 ザースは当時の状況を簡単に説明してくれた。


 ザースの葬列がザンガクムに襲われたとき、棺を担いでいた兵士のひとりが、遺体を安全な場所に移動させようとした。他の兵たちが戦いの方に回っており人手がなかったため、運びにくく重い棺から遺体だけを取り出してひとりで背に担いで運んでいると、王子がわずかに息をしていることに気が付き、エンテグア内の自分の家に連れて行ったのだという。その後、王子の意識が戻らない状態が続いている間に戦争が始まってしまったため、生存情報を伏せ、体が完全に回復するまでその兵士の自宅で療養していたということだった。


「運よく生きているが、クレイア王女にやられた毒のせいでこんな汚い顔になり、髪も真っ白な縮れ毛になってしまったのだがな。一時期は髪はほとんど抜けてもっとひどいありさまだったのだ」

 ザースは、肩を覆うほど伸びている自分の白髪に触れた。「ブツブツの醜い顔で、老婆のような髪をした女が王弟のザースだとは誰も思うまい」


 ザースは、アンジェリンに近づいて、その腕に抱かれている幼子の小さな頬に触れた。ぐずっていたウィレムは、新しくやって来た知らない人物の登場に泣き止んで不思議そうにザースを見上げている。

「これは文句なしにかわいい。将来はかなりの美男になるだろうね。母上がこの子に完全に堕ちてしまったのは理解できる」

 アンジェリンは恐る恐る訊いてみた。

「この子は陛下に似ていると思われますか?」

「うん、面影を重ねるとやはり親子だと思えてくる。私も身内としてかわいがってやりたいが、残念ながら私は、自分が叔父だと名乗ることはできない。私は生涯、表では白花館の女官ユヒラマとして、裏では白花隊の諜報部長として、あらゆる情報を集めて陰で兄上を支えていくつもりだ。だからあなたも私が生きていると誰にも言うな」

「承知いたしました」

 それで彼が訪問した用事は終わりかと思ったが。


 ザースは赤子からアンジェリンに目を移した。

「さて。このような時間に訪ねてきたのはウィレムと遊ぶためではない。母がいないところで話をしたかったからだ。夜も遅いからさっさと用件を言わせてもらう。もしもだ、兄上があなたとその子の存在を知って、ここへ訪ねてきたならば」

 ザースは一呼吸おいて少しだけ語気を強めた。

「そのときが来たら、あなたは『この子の父親は兄上ではない』と言って、兄上を突き放してもらいたいのだ」


 アンジェリンは、思わず、ウィレムを抱く手に力を入れていた。

 『突き放す』。そんな言葉だけでも泣きそうになってしまう自分をごまかし、返答せずに子をあやしてごまかしていると、ザースはさらに言葉を足した。

「アンジェリン、私は心無いことを頼んでいるつもりはない。兄上のことを想う気持ちはあなたも私と同じはずだ。兄上を大切に思っているからこそ、あなたは出産を伏せてきたのだろう?」

「私は陛下のご迷惑になりたくなくて……」

 アンジェリンは返事になっていない言葉を返した。

「一応、去年この館に来た者全員にあなたと子供の情報をもらさないよう命じてあるが、どこから情報がもれるかわからない。兄上がもしもこの子のことを知ってしまえば、兄上が放っておくわけがない。仕事を放り出してすぐにでもここへ飛んでくるだろう。だが、それではいけない。あなたは父子の関係を否定して、兄上を追い払ってくれ」


 ──追い払う? 私が? ここまでわざわざ会いに来てくれたあのディンを?

 厳しい言葉に、アンジェリンは息もつけなかった。


「……陛下に、この子の父親は陛下ではないと私が言えばよいと、おっしゃるのですね」

「そうだ。あなたには悪いのだが、兄上のことはあきらめてもらわなければならない。あなたが王妃では兄上は守れない」

 ザースの棘のある言葉に、アンジェリンは重く頷いた。

「それは、承知しております」

「兄上の子を産んでくれたあなたが王妃になれれば最高だった。だが、あなたには後ろ盾がない。今の城内は敵だらけだ。兄上の命を守るためには、いざという時に資金も兵も出せるような家の令嬢が好ましい」

 アンジェリンは黙って聞いていた。王子の言うことには反論の余地もない。


「今、兄上は書記官の令嬢といい関係になりつつある。このまま兄上があなたの生存を知らないままならば、その令嬢がおそらくは王妃になる。彼女ならば、家柄にも問題なく、親戚に軍属もいて後ろ盾にもなれる。王妃になる者の条件としては申し分ない」

「陛下が素晴らしい方を見つけられたのならば、私はそれで幸せでございます」

 アンジェリンは自分の声が哀れなかすれ声だったことに気が付いたが、大きな声で元気に返事することは無理だった。

「だが、兄上がその令嬢と正式に結婚したとしても、あなたがここにこうして生きていることを知ったら、兄上は簡単に離婚して、あなたを迎えると言い張るに決まっている。それでは困る」

「はい……」

「わかっているならよいが、あなたは絶対に、兄上の結婚の邪魔をしてはいけない。あなたとその子の存在が、必死で王を勤め、しかるべき妃を迎えようとしている兄上を狂わせ、苦しめることになる。兄上を愛しているなら、この子と兄上の関係を否定して身を引いてほしい。そうすれば、兄上はあなたをあきらめるはずだ」

 アンジェリンは、ガクガクする足で必死に立っていた。まるで秘密裁判にかけられている時のようだった。

 ──私とウィレムは存在するだけであの人を苦しめてしまう……。


 震えるアンジェリンにかまわず、ザースはさらにもう一つ、付け加えた。

「それからもう一つ、心に留めておいてほしいことがあるのだが、次の王太子は、この子ではなくて、その令嬢との間にできた子になると思っておいてくれ。この子はもう少し大きくなったら上流貴族の家に養子に入り、兄上を支える一家臣として育てられることになると思う。その手助けは私と母が責任を持ってやるから、その時が来たら安心してウィレムを任せてくれ」

 ウィレムを養子に。

 うつむいた目から涙がこみ上げてきた。ウィレムが王太子になれないことは別にかまわない。いやしい女から生まれた王の庶子とはそんなもの。だが、手放すと思っただけで鼻がつんとしてきた。いつかは息子と離れる日が来るかもしれないとは思ったことはあったものの、実際に言いきられてしまうと、それは避けられない運命なのだと思い知る。


「養子になるのは数年後で、今すぐではないが、この子がこのまま大人になるまで放っておいてよいとは思えない。庶子とはいえ、王の子がこんな場所で放置されていることはおかしいからね。この子はいつか、死んだシドや、表に出られない私に代わって兄上の参謀になる。出自のことは明らかにできるかどうかはわからないが、必ず、兄上の片腕と呼ばれる人物になることだろう」

「……っ」

 アンジェリンは顔をあげていられなくなった。ウィレムの頬に自分の頬を寄せた。

「泣かないでもらいたい。あなたが嫌いだから子どもを取り上げようとしてるわけではない。安心しろ、ウィレムには明るい未来が確約されている。ウィレムを手放した後、さみしいならば、あなたも好きな相手と結婚すればよいのだ。兄上を思い続けていたって、いいことなどひとつもないと思わないか?」

 アンジェリンは返す言葉が何も出なかった。


 人を愛することが良いか悪いか、それは誰が決めることなのだろう。わからない。ただ、気持ちはそんな簡単なものではないと思う。彼を愛していると口にできなくても、心で思い続けて少しだけ幸せな気持ちになることも許されないことなのだろうか。

「陛下のことを思う気持ちにいいことがひとつもないなんて……私にはわかりません」

 意味のないことを口にするだけで精いっぱいだった。


「アンジェリン、このザースは、あなたが王妃の座を狙って兄上に近づいた下品な女性だとは思っていない。元から王妃になる気はなかったね? 兄の気持ちを汲み、精一杯の相手をしてくれただけだろう?」

 アンジェリンはゆっくりと首を縦に振った。

「ならば、問題ない。王妃の地位を望まないのならば、兄上とのことは切り捨てて忘れろ。もちろん、この子は、私と母がこれからも陰から守り、支援していくことを約束する。決して不幸にはさせない。だから、もしも兄上が訊ねてきたら、あなたが冷たく突き放せばいい。そうすれば、兄上は迷いなく書記官の娘と幸せになれる。それでいいのだ」



 ザース王子が退室すると、アンジェリンはウィレムを強く抱きしめた。

「ウィレム……ごめんね……別れる日が来るまで、母親でいさせて」

 王妃になれないことなんか最初から知っている。フェールがいつかは自分でない女性を妃に迎える。それも承知していること。だから、ここでこうして生きていることも、ウィレムを産んだことも報告しなかった。

 ただ、フェールを追い払わなければならない場面を想像するだけで息苦しくなる。

 ──ザース様の言うとおりなのよ。あの人を愛しているなら、冷たく追い払うべきでしょう? 本気で愛しているならできるはず。それであの人は幸せになれるのだから。

 

 アンジェリンは涙を飲みながら息子を揺すってあやし続けた。ウィレムはザースが退室してからは眠そうに目をこすり始めた。もう少しで寝てくれそうだ。

「よし、よし、もう寝ましょうね」


 ──私はおかしいのよ。わかっていたことで泣くこともないのに。それに、あの人がここに会いに来てくれると決まったわけでもないし。あのディンにとってもこの子にとっても素晴らしい未来が示されたのだから、喜ばしいこと。ここは泣く場面じゃないわ。笑うのよ、アンジェリン。楽しい駄洒落を何か考えなきゃ。


「ねえ、ウィレム。あなたは【陛下】を守る最強の【兵士】になるかもね。どんなことがあっても【平然】として【陛下】をお守りするような。ああ、こんなんじゃだめね……ヘイカ、ヘイ、イカ、塀以下」

 おもしろくもない無理やり駄洒落に、アンジェリンは自分で泣き笑いした。使いまわされた同じような駄洒落。もう新しい駄洒落が浮かんでこない。


 やっと目を閉じたウィレムを寝台におろし、その寝顔を眺めた。やはり、少しフェールに似ていると思う。成長すればもっと似てくるかもしれない。

 ウィレムの頭をそっとなでた。愛しい息子を手放す日は必ずやってくる。


 ──どうかその日が遠い未来でありますように。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ