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65.春が来る

 フェールとシューカイル執政官の間で、和平に向けての話し合いが始まったが、セヴォローン軍の先発隊はすでにコオサを発っており、東の要塞都市ヨマイグを目指して東進を続けていた。

 セヴォローン軍は、ヨマイグまでの道にある丘陵地帯で待ち受けていたザンガクム軍の一部と戦いになったが、コオサ城陥落に続き、キャムネイ王の訃報がもたらされると、ザンガクム軍は脱走兵が相次いで総崩れとなり、陣形を保てぬまま東へ向かって敗走を始めた。

 追いすがるセヴォローン軍の勢いは止まらず、雪が降り出した中でも死体の山は築かれ続け、戦いの先端はついにヨマイグへ到達した。

 フェールがシューカイルを伴ってヨマイグへ到着したころには、セヴォローンから運んできた巨大な投石器が大活躍し、城壁破壊がすでに始まっていた。フェールはいったん停戦命令を出し、シューカイルを仲介人として城壁内へ入ってもらい、提督パドに対し降伏を迫る文章を託した。


 シューカイルがヨマイグから持ち帰ってきた返答は、フェールの予想通り、降伏ではなく、向こうに都合のいい話ばかりだった。


 パド提督の大まかな要求は三点。

 第二王女ミケメをザンガクムの新王として承認すること。

 セヴォローン軍の即時撤退。

 キャムネイ王と王女二名の遺体と、クレイア王女の身柄の引き渡し。


 遺体返還のさいに町を開門するとのことだったが、戦争責任すら取らない条件をセヴォローン側が飲めるはずもない。

 フェールは妹王女二人の遺体のみ返還、ヨマイグ解放要求を再度伝えたが、提督パドは強気な姿勢を崩さなかった。町は封鎖された状態のまま、シューカイルを仲介人とする交渉は平行線をたどった。


 やがて本格的に積もり出した雪に、フェールは苦しい決断を下さなければならなかった。ヨマイグの塀の外には、兵たちを収容できるような大きな建物はなく、この寒さでは兵たちの体力がどんどん奪われてしまう。野営用のテントの数は足りていても、薄いテントでは厳しい寒さを完全に防ぐことは不可能。兵たちはたき火の近くに集まっているものの、強い寒さにより、すでに凍死者も出始めていた。兵士たちを早く町の中へ入れてやる必要がある。のんびり話し合いをやっているわけにはいかない。かと言って、父王と弟王子を殺されているのに、このまま向こうの要求通りに撤退し、クレイア王女を返すことは絶対にできない。

 シューカイルの必死の調停も物別れに終わり、シューカイルがヨマイグに戻ると、フェールはヨマイグ攻略戦の再開を命じた。セヴォローン軍の太鼓が再び鳴らされ、セヴォローンの巨大な投石器が固い塀を崩し始めた。


 ヨマイグ側もやられっぱなしではなく、セヴォローンの投石器に向かって塀の中から火油玉などを飛ばして応戦。今は風があまり強くなく、コオサ城の戦いの時のような煙作戦は使えないセヴォローン側の方が不利だった。

 高い場所からひっきりなしに飛んでくる矢や石で、セヴォローン側にどんどん犠牲者が出ていた。それでもセヴォローンの投石器の威力は絶大で、第一の壁の東側はほぼ崩され、第二の塀の一部まで破壊することに成功した。崩された壁の間から、まもなくセヴォローン兵が中へ突入するか、という場面になって、突如、町の壁の上に白旗があがり、ヨマイグは抵抗をやめた。

 いきなりの停戦をいぶかしんでいたフェールの元へ、ヨマイグの代表者としてシューカイルを伴って現れたのは、パド提督でも第二王女ミケメでもなく、貴族連合軍の複数の将校たちだった。彼らは、自分たち貴族連合がザンガクムの新政権になったと主張し、セヴォローン側を驚かせた。第二王女ミケメとその夫君パド提督はすでに拘束したという。

 貴族連合は、正式なザンガクム政府としての承認とセヴォローン軍の撤退を条件に、キャムネイ王政における戦争責任を認め、王家の財を戦災補償の一部に企てることを提示してきた。


 フェールたちにとっては、キャムネイ王の遺体とクレイア王女の身柄の返還も求めない条件は願ってもない良い話だったが、戦後のことを考慮し、そのまま受け入れることはせず、セヴォローン側からいくつかの停戦条件を追加した。

 ヨマイグの即時解放。

 クレイア王女は即時平民に降格とし、その身柄はセヴォローンが管理し、エンテグア城内で裁判にかけて責任を問う。

 新生ザンガクムを当分の間セヴォローンの監視下に置く。


 この条件で双方は合意に達し、貴族連合の将校たちがヨマイグ内に戻るとすぐに、ヨマイグの強固な門は約束通り内側から次々と開かれたが、今度は新たな戦闘が起こった。

 ヨマイグ内で、パド提督の権限を守ろうとするザンガクム国軍が抵抗し、セヴォローン軍を味方に付けた貴族連合軍と激突。雪が降る狭い町の中で、暖を求めて捨て身で斬り込む多数のセヴォローン兵の活躍により、最後の戦いは数日待つこともなく決着を見た。

 数の上で圧倒的多数である貴族連合側が勝利し、ザンガクム王家を支持していた国軍幹部のほとんどが貴族連合によって処刑された。

 フェールは貴族連合の将校たちに迎えられ、堂々とヨマイグへ入場を果たし、貴族連合を正式政権として認め、大勢が見守る協定の場で終戦を宣言した。シューカイル執政官は貴族連合のまとめ役として、復興に力を尽くすことになった。


 不落の城塞都市だったヨマイグは内部分裂によって陥落。はからずしもシューカイル執政官の言った通りになり、キャムネイ王制は完全に崩壊し、厳冬の戦いは幕を下ろした。


 ヨマイグ内に拘束されていた第二王女ミケメとその夫パドは、ヨマイグ解放以来ずっと牢に入れられていたが、捕まってから十日を過ぎたころ、牢番の同情を利用して脱獄に成功した。ところが、ヨマイグの城壁を抜けたところで貴族連合の兵たちに見つかり、その場でもみあいになり、二人とも命を失ってしまった。

 ミケメ王女十九歳、夫のパド提督は四十三歳。二人の間に子はなく、ザンガクム王家は滅亡扱いとされた。


 事の発端となった西のシャムア国は、自国の宗教関係者との闘争に手こずって戦争どころではなく、エンテグアの港の戦いに少々手を出してルヴェンソ王子をよこしただけで、他は何もしなかった。



 足首ほどまで積もった雪の中、狂喜する人々に迎えられ、フェールは王都エンテグアに凱旋した。持ち帰ったキャムネイ王の遺体は、城壁に吊るされて人々の目にさらされた。クレイアは縛られたまま城内に運び込まれ、牢に閉じ込められた。



 終戦を祝って、エンテグア城の庭園の一部が一般にも開放され、盛大な祝賀会が開かれた。

 人々が祝杯をあげる中、クレイア王女の侍女サラヤは人々の中に紛れ込んでいた。

 短い髪を隠すようにフードを深くり、子ども服を着たサラヤの姿は、どこにでもいる平民の子どもにしか見えなかった。

 サラヤは知らない顔を選んで、子どもになりきって情報を集めた。

「ねえ、おじさん、このお城に悪い王女様が捕まっているって本当? 人殺しの王女様なんでしょ? どこにいるの? 怖いよう」

「王女ならあそこに見えるあの塔の中だろうよ。あそこには貴族専用の牢があるから。しっかり警備されているから出てきやしないさ、大丈夫だ、お嬢ちゃん」

 料理をほおばっていた中年男は何も考えずに情報をくれた。

「悪い王女様はエフネート・ヘロンガル様っていうえらい人が殺してくれるんだよね? あたし、エフネート様って人に会って絶対にちゃんと王女様を殺してってお願いしたいな。エフネート様はどこ?」

「そういえば、このところずっと見ていないなあ。お忙しいのだろうよ」

 欲しい情報は手に入った。エフネートはこの会場内にはおらず、クレイア王女が囚われている塔の位置も分かった。長居する必要はない。サラヤは、一緒に紛れ込ませていた殺人養成所の子どもたちに目配せして、クレイアがいる塔へ向かった。


 サラヤたちは、塔まで行く途中で、あたりを巡回していた兵士に呼び止められた。

「君たち、出口は向こうだよ。こっちには何もない」

「あたしの友達があっちへ行っちゃったんだ」

 サラヤたちは走り出し、兵士はその後を追った。

「こら、待ちなさい! だめだよ、そっちは出入り禁止だ」

 サラヤたちは、呼び止めた兵士を建物の影に誘い込み、一瞬でその兵士の喉を切り裂いた。




「なんだと! クレイア王女が!」

 フェールは祝賀会が終わるころ、クレイア王女脱走の知らせを受けた。

「逃がすとは、何をやっていた!」

「申し訳ございません。あれほどの警備が破られるとは……付近にいた二十人近くが、ことごとく首筋を切られて絶命しておりまして、報告できる者もおらず、脱走発見に時間がかかってしまいました。犯人らしき者数人を見たという情報もあるのですが、それが全員十歳ぐらいの子どものように見えたということです」

「子どもだと?」

 フェールの脳裏にイルカンの顔がよぎった。マニストゥの家にやってきた年若い情報屋。身が軽く、ためらいなく人を殺せる男だった。今回のクレイア脱獄には、あの男のような人殺し養成所の子どもがかかわっていたのかもしれない。

「子どもに殺人をさせてあの警備の中、逃げおおせるとは……クレイア王女は本当に泥虫だな。絶対に捕まえろ。王女の首に高額の賞金をかけるのだ」

 フェールは、エフネートが命令を出してクレイアを逃がしたのかもしれないと一瞬思ったが、凄惨な現場を見てその考えは打ち消した。

 エフネートがからんでいるなら、こんな殺し方はどうかと思う。亡くなった兵の中には警務総官だった叔父上の部下だった者が何人もいた。クレイア王女のために、かつての部下を簡単に切り殺すのは不自然だ。今、エフネートがザンガクム王家を助けても何の得にもならないはずだ。

 こうしてクレイアは忽然と姿を消し、その行方は何日経っても全くつかめなかった。


 クレイア脱走の衝撃が抜けないうちに、エフネート・ヘロンガルの屋敷が襲われたという情報がフェールの元に届いた。幸い警備は万全だったため、エフネートの一家は難を逃れ、侵入者のほとんどをその場で殺すことに成功したという。

 フェールは、ヘロンガル邸への侵入者はすべて子どもだった、という報告に、クレイア王女を逃がした一派が殺人養成所の子どもたちだったと確信するに至ったが、それ以上の情報は何もなかった。


 フェールはほっとする間もなく、戦後処理に取り掛かったが、それも終わらないうちに、今度はシャムア王からの緊急の支援要請連絡が入り、エンテグア城は再び騒然となった。

 シャムアの王太子が、シャムア教の狂信者により暗殺され、シャムア国内は教皇派と王制派の対立が激化し、放火や虐殺が相次いでいる、というのである。

 フェールは、セヴォローン国としてシャムア王制を守る立場を示すため、城内に留め置いていたルヴェンソ王子と共に、兵を率いてシャムアの王都ラトゥクへ向かうことになった。

 フェールにとっては気が乗らない出兵だったが、シャムアを放置して教皇の権利を強めるわけにはいかなかった。 

 フェールは、夜ひとりになると、毎夜、心臓まで焦げ付くほどの熱い想いをこめてガラス玉の首飾りを握りしめた。自然に溜息が漏れる。これではアンジェリンの名誉回復に時間を割く暇はない。



 ◇


 一方、王都を離れたアンジェリンは、サイニッスラ高原の家で穏やかな生活を送っていた。季節は春になっていた。

 高原の家には付近に世間話をする人もおらず、情報は何も入ってこない。ザンガクムとの戦争は終わったらしいということはロイエンニから知らされたが、フェールが今どこにいるのか、どうしているのかは、あえて訊かずにいた。フェールのことを考えれば考えるほど苦しくなってしまう。心配でいてもたってもいられなくなる。エンテグア城へ行って様子を確かめたい衝動に駆られ、泣き叫びたくなるのだった。


 アンジェリンは広大な敷地内を毎日歩き回っては、薬草になりそうな草を採集した。陽射しは春らしく明るくなったものの、風はまだ冷たく、ところどころに雪が残っている。高原の春はまだまだ寒い。

 日に日におなかは大きくなってくる。夏には生まれるのだろう。

 ──あの人がこの子のことを知ったら……ばかね、知るわけがないでしょう。あの人と私はもう終わったの。

「ごちゃごちゃ考えていないで、【仕事】よ。【私語】は禁止。うーん、これじゃあ、全然おもしろくないわ……【私語】は【死後】にでも……ってそれも無理やりでおかしいし」

 つまらない駄洒落をつぶやきながら、目についた草を手に取る。薬師になるためには多くの植物を知らなければならない。


 裏山への坂道を登り始めると、すぐに息が切れてきた。妊娠すると本当に体が重くなるのだと知った。こんなゆるい傾斜の坂すら苦しく感じ、休憩しながらゆっくり登る。それほど登らない場所にある岩の上に出れば、遠いエンテグアが見える。

 残念ながら今日は霞がかかっていたが、王都エンテグアの輪郭はぼんやりと確認できた。薄い色で遠目に見える王都。見た目だけでは、何の変化もなく、町が燃えている様子はない。

 ──お怪我はよくなられたかしら? お城でお元気にしておられるの?

 岩の上からエンテグアに向かい、シャムアで覚えた両手を上げる祈りを捧げる。そうすることで多少心が落ち着く気がした。

 ──次の冬祭りが開催されたら、エンテグアへ行ってみよう。あの人はきっと王としてあの公園にお出ましになるわ。遠くから見るだけでいいの。

「そのころには生まれているわね。楽しみ……ふふ」


 遠いエンテグアに思いを飛ばしていると、馬車の音が聞こえてきた。

「お父様がお買い物からお帰りになったわ」

 ロイエンニは、時々、家の管理のためにエンテグアに戻り、高原の家を留守にする。そして、いつも王都でたくさんの買い物をして帰ってくるのだ。

 小さいころは、馬車の音が聞こえると、それが自分を迎えに来てくれた産みの親なのではないかと期待したりした。しかし、どれほど期待しても、親が会いに来てくれることは一度もなく、親を待つ気持ちはいつしか消えてしまった。

「私は子を捨てるような親にはならない。この子を絶対に手放さずにちゃんと育てるわ。この子は大切なあの人の子だもの」

 そっと腹に自分の腹に触れた。

 アンジェリンはころばないように気を付けながら、ゆっくりと屋敷に戻っていった。


「お帰りなさい、お父様」

「ただいま、アンジェリン、具合はどうだ? 今日はお客様が一緒だ」

 屋敷には男性の客人が来ており、ターニャがお茶を用意していた。

「アンジェ、久しぶり」

 客用の椅子に腰かけていた男性は笑顔で立ち上がった。

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