63.冬の山中にて(2)
クレイア王女は、執政官シューカイルに向かって短剣を振りかざした。
「従わない者はいりません。死になさい、シューカイル!」
シューカイルは、簡単にクレイア王女の腕をつかんで攻撃をよけ、もう片方の腕もつかんで動けなくすると、あわれみを含んだ目で正面からクレイアを見つめた。
「では、このシューカイルを殺す前に、ここにいる皆に聞いてみてくだされ。ここで誰に従いたいか」
「よくもそんなことが言えるものですね。父にあれほどよくしてもらっておきながら。この恩知らず!」
「人の命は限りなく重い。恩と人の命、どちらが大切か、言うまでもありません」
シューカイルはクレイアの両手をつかんだまま皆に呼びかけた。
「降伏して生き延びる道を選ぶものは、我、執政官シューカイルに従え。クレイア王女を縛り上げるのだ」
「なっ! この無礼者! 手を離しなさい、シューカイル!」
暴れようとするクレイアに構わず、シューカイルは続けた。
「皆、ともに生き延びようではないか。コオサに戻ってフェール王に会い、キャムネイ王の遺体とクレイア王女の身柄をセヴォローンへ引き渡すことを条件に、我らの身の安全を訴える。そうすれば戦争の終結は早まり、死人の数は確実に減る」
クレイアは金切り声で反論した。
「皆、この気狂い執政官に騙されてはいけませんわ」
「このシューカイルが気狂いかどうかは、皆が判断しまする。皆、冷静に考えるのだ。さっきも言ったが、我々は、陛下が準備してくださったという山小屋にたどりつかない限り、休憩できず、食事もできない。これでは疲れと寒さで、途中で何人も凍死してしまう」
「凍死者が出るなんて、決めつけです! コオサに戻ったら全員殺されますわよ」
「全員殺されるという考えこそ、決めつけに他なりませぬ。責任はクレイア様おひとりがとれば済むこと」
「なっ、何を言って……」
「あなた様はザース王子暗殺にかかわった。処刑はまぬがれますまい。ですが、他の者たちは処刑されなければいけないような罪はございません」
「そなた、わたくしだけ死ねばいいと言うのですか! わたくしは第一王女ですよ。お父様が倒れたのなら、わたくしが新しい国王です。執政官ふぜいに侮辱されるなんて許しませんわよ」
「ご自分が新王だと主張なさるのならば、ザンガクムの民のため、そして、御妹様方のためにも責任を取って投降なさるべきだ」
「そなただって執政官として処刑されますわよ?」
「フェール王がこのシューカイルの首を欲するなら喜んで差し上げる。無数の民の命がこのような年寄りの首で守れるならば安いもの。このまま無理をして山中を抜け、無事にヨマイグへたどり着いたとしても、その先に確実な勝利があるとは思えませぬ」
「ヨマイグには国内有力貴族の半数がいますし、あの城塞都市ならば、セヴォローン人が束でかかってきても落ちたりしませんわ。この寒さならばセヴォローン兵なんかすぐにへこたれましてよ」
「確かに、城塞都市にこもればこの寒さが我らの味方になるでしょうな。命令通りに兵が動けば、勝算はあるかもしれませんが」
シューカイルは意味ありげに咳払いした。「ヨマイグにいる国軍の数は少なく、頼りにすべき貴族連合軍は決して完全な一枚岩ではございません。最悪の場合は、貴族連合軍の全軍が我々の命令に従ってくれない可能性がございます」
「そなた、貴族たちがわたくしを裏切ると言いたのですか」
シューカイルは、感情を入れない声で答えた。
「セヴォローンの王城で内乱を起こそうとしたクレイア様ならば、そういうことはよく御存のはず。内部に裏切り者がいたら、どんなに頑丈な軍事要塞も簡単に落ちる場合があることをお考えになるとよい」
クレイアの目にあせりがよぎった。
「そんな、まさか……そのような事態になるわけがないですわ」
「もちろん、今申し上げたことは、たとえば、の話でございます。ただ、ヨマイグ提督のパド殿は、ミケメ第二王女殿下の御夫君であるとはいえ、家柄は由緒ある貴族ではなく、山の向こうから来た異民族の商人。あの方のことをよく思わない者は今でもおりましょう。ミケメ様御降嫁の際、ひと騒動あったことはご記憶に新しいかと存じます」
クレイアは困惑し、腕をつかまれた状態のまま、シューカイルの奥目の紺を見据えた。
確かに四年前、ミケメ王女降嫁の時、貴族内で大反対の声が起こった。その時にヨマイグ提督のパドはすでに四十歳近くになっており、しかも、長女のクレイアを差し置いて、若く従順な第二王女ミケメを求めたのである。時にクレイアは十七、次女のミケメはまだ十五歳だった。しかも、ミケメが喜んで提督の妻になったわけではない。
パドは商才に恵まれた大金持ちで、若いころからキャムネイ王と懇意にしていた。パドの尽力でヨマイグは強固な城塞都市に変貌し、ときおり北の山を越えて攻めてくる異民族を完全に防ぎ、彼らと交流し貿易の道を開いた。パドはその功績を認められ、十年ほど前にキャムネイ王からヨマイグの提督に任じられたが、近年は年若い王女をほうびにねだるなど貴族を気取り、傍若無人な振る舞いをするようになっていた。
シューカイルは、顔をひきつらせているクレイアにさらに追い打ちをかけた。
「ヨマイグ内には、パド提督を失脚させようとする者が少なからずいることをお考えになってください。ヨマイグは安全な場所ではないかもしれないのに、凍死の危機にさらされながら長い山道を歩けとおっしゃいますか」
「道は大変でも、ヨマイグにはミケメがいるのですから心配ありませんわ。さっさとわたくしの手を離して歩きなさい」
「クレイア様。人々の上に立つ者が考えるべきことは、自分だけの身の安全ではなく、守るべき民の安全であるはずですぞ。この行軍がどれほどの負担をかけるかお考えになれませんか?」
「それはやってみないとわからないことですわ」
「民の安全を考えると同時に、民の気持ちもお察しくだされ。コオサ城にいた者たちが今頃どうなっているか想像できませぬか? 彼らは、業火にあぶられ、必死で城内を逃げ回っていることでございましょう。我らが、唯一の逃げ道であった地下道へ全員を誘導しなかったせいで、安全な場所へ行くこともできずに。跳ね橋をおろしたとしても、その先には敵が待ち構えております」
「全員を連れてくることは不可能だったから、仕方がないではありませんか」
「仕方ないから消えてよい命などこの世にひとつたりともありませぬ。あなた様は民の命を軽く考えておられる。もしもこのシューカイルが王ならば、まだ人が残っているのに地下道の扉を閉めたりはしませんでした」
「黙りなさい。上に立つ者は多くの命を踏み台にしなければならない場合もあるのです」
「我々だけが城から逃げる以外に、もっと多くの民を救う方法があったはずですぞ。このシューカイルとて民を見捨てたずるい者。コオサ城に捨て置いてきた者たちのことを考えると、胸が痛くてたまりませぬ。クレイア様はそんなお気持ちは欠片もお持ちでないようですな。そんな非情な王はザンガクムにはいりませぬ」
「無礼なことを次から次へとよくも」
シューカイルは声を大きくし、周囲に呼びかけた。
「皆、私の考えに賛同してほしい。セヴォローンを併合する計画は最初から無理があったのだ。多くの同士が亡くなり、王城は炎上し、我々は逃げ回っている。これ以上無謀な命令に振り回されるな。死人を増やしてはいけない」
付き添う人々は、互いに顔を見合って動けずにいた。矢が引き抜かれたキャムネイの体は、土の道に横たえられ、クレイアの妹たちはおびえて泣きながら身を寄せ合っている。
やがて、こう着を破るように、一人の侍従がクレイアを縛り上げようと背後から飛びかかろうとしたが、クレイアの横にいた兵に切り殺された。
積もり始めた白い雪の上に飛び散った赤。女性たちの悲鳴があがる。
誰かがシューカイルに殴りかかり、シューカイルはやむなくクレイアを捕まえていた両手を放した。解放されて逃げようとしたクレイアの背後から、別の誰かがクレイアを蹴り倒した。倒れたクレイアを助け起こそうと伸ばされた兵の手が、誰かに切断されて地に転がる。
クレイアを守る者、捕らえようとする者。
叫び声と怒号が交錯し、山中で小さな戦いが始まった。
そのころ、フェールは燃え落ちたコオサ城から地下道が発見されたという情報を受け、軍の将校たちと対策を練っていた。地下道は崩れてしまっており、その先はどこへつながっているかわからないという。
フェールは、地下道を抜けたキャムネイ王たちが東のヨマイグへ逃げるだろうと予想し、東へ延びる馬車道はすべて押さえるよう命令を出していたが、王の一行はまだ見つかっていなかった。
『王たちは、ヨマイグへ直接向かうことはせず、北の山間部へ向かった可能性がある……』
シドの従者ゾンデが、フェールに緊急の面会を申しこんできたのは、将校たちからそんな意見が出たころだった。
フェールはすぐに面会を許可した。
ゾンデが報告に来たということは、シドの遺体がみつかったのかもしれない。フェールは悲しい気持ちで面会に挑んだ。ゾンデにはシドのこと以外でも訊きたいことがたくさんある。シャムア脱出時のアンジェリンの様子や彼女の裁判のことも。
フェールとしては、できればゾンデと二人きりでゆっくり話をしたいと思っていた。しかし、ゾンデが持ってきた話は戦争の勝敗を決めるほどの大きな知らせで、アンジェリンのことを密かに尋ねている場合ではなかった。
ゾンデは、フェールと軍の将校たちがいる部屋に通されると、山中でのことを淡々と語った。
「自分が放った矢は、中心にいた王らしき男の後頭部に命中し、その男が倒れたことは、間違いありません。周囲は陛下と叫び声をあげたので、倒れたのはキャムネイ王だと思ったのですが、顔確認はしておりません」
この報告に、将校たちは喜びの声を上げ、すぐに事実確認すべく、ゾンデに案内役を命じると、フェールを残して慌ただしく飛び出していった。
フェールは、ゾンデにアンジェリンのことを訊くことはあきらめ、彼らを見送った。
──アンのことを訊きそびれてしまった。それは仕方がなかったとしても、ゾンデは本当にキャムネイ王を殺したのだろうか。ゾンデが言ったことは嘘だったら……。これが我が国を陥れる罠だったとしたら……。
エフネートとゾンデが結着している可能性はまだ捨てきれない。
不安を抱きながら報告を待っていたフェールだったが、心配は驚きに変わった。
ゾンデの案内で、セヴォローンの騎馬隊はキャムネイ王の一行を発見。戦闘になる前に、ザンガクムの執政官が両手をあげて進み出て、キャムネイ王の遺体引き渡しを条件に、一緒に逃げていた人々の安全を申し出たというのだ。しかも、生きた捕虜としてクレイア王女も引き渡す意向らしい。
フェールは久しぶりにクレイア王女と対面することになった。




