61.コオサ城の戦い
夜明け直前、セヴォローンが攻撃開始と決めていた時間となった。
フェールは、結局、昨夜はまったく眠れず、アンジェリンの夢は見ることはできなかった。癒えぬ悲しみと体の痛みをこらえ、起き上がって頭を切り替える。
緊張と寒さで首筋が痛い。ガラス玉の首飾りの固さを胸に感じながら、首をしっかり覆った防寒具を身に着け、外へ出た。いきなりの冷たい風に顔をたたかれ、ぼんやりした頭が目覚める。
──見守っていてくれ、アン。
今日の作戦が失敗したら撤退。せっかくここまで来た。犠牲者も出ている以上、できれば無駄な出兵にはしたくない。
対岸のコオサ城は寝静まって真っ暗だったが、見張りの兵士用の灯りは小さな点になって見えていた。北西の強い風はあいかわらず吹き荒れており、これならば、味方の兵士たちが移動する音は敵に届きにくい。この気象条件は、セヴォローンにとっては好都合だった。
フェールは迷いなく攻撃開始命令を出した。
城の北西の堀越しに生木が盛大に燃やされ、煙で城が覆われ敵の視界が悪くなった中、水がなくなった堀への侵入作戦が開始された。
セヴォローン兵たちは、灯りなしの手探り状態で堀の中へ階段梯子をおろし、次々と堀の中へ。楯を頭上に掲げた長楯部隊が隙間なく集結して一枚の大きな楯状態となり、身を守りながら息を潜めて城壁に近づいていく。そして、城壁にかなり近づくと楯部隊の隙間から、いくつもの着火油を染み込ませた紙玉と火矢が塀の内側へ打ち上げられた。
火矢は予想通り、強風にあおられて城壁を超えて飛び、すぐにひとつの建物に引火した。堀のこちらからはよく見えないが、城の緊急を告げる太鼓が鳴り響き、ザンガクム兵たちは、セヴォローンの攻撃に気が付き、すぐに消火作業を始めたと思われる。その間も、強風で火の粉がまき散らかされ、狭い土地に密集していくつもの建造物がある城の島内では、炎が次々と建物を包んだ。割れた窓から炎交じりの突風が入り込み、炎の舌はなめるように建物内でさらに広がり、内部から高い建物を這い登っていく。
見守っていたフェールは、将軍たちと共に喜びの声を上げた。
「よし、うまくいったぞ! 跳ね橋が降りる場所で待ち構えろ。キャムネイ王を見逃すな」
ザンガクム側は騒然となった。
城全体が煙の中に入り、城内では緊急事態を告げる太鼓が激しく打ち鳴らされ、キャムネイ王は飛び起きた。
城の敷地内、ほぼ中央に位置する王の住まい。城の中で最も大きなこの建物は、クレイアなどの王女たちの部屋もある。
「陛下、大変です。セヴォローンが攻めてきました。祭殿が被弾し、馬屋にも引火しました。馬たちが逃げてしまい、回収作業はまだ手つかずとなっており、馬は城内を走り回っております」
「馬は後で捕まえればよい。まずは井戸水をくみ上げ消火せよ。火事は想定内である。落ち着いて訓練通りにやれば問題なく消火できるはずである」
「それが、この強風で他の建物にも次々と引火しつつあり、井戸に近づくことが困難でございまして……」
「井戸ならば城内にいくつもあるではないか。使えない井戸はあきらめて、他から水を運べばよい」
「そうしているのではありますが、水を運ぶのが追いつかず、どこから手を付ければよいのかわからない状態でございます。火勢は強く、これでは、すぐにこの建物も燃えてしまいそうでございます」
「ここは石造りであるぞ。石は燃えぬ」
「とにかく、恐ろしい火勢でございまして、この建物が燃えなくても、周囲からの熱がひどく、普通に屋内にいては、蒸し焼きになってしまいそうです。敵はどんどん火矢を放っておりまして、燃えている場所は広がるばかりでございます」
「敵兵を塀の上から矢で追いはらえ」
「我が兵たちは敵が出す煙だけでなく、城内の建物からの炎にもさらされる形になっており、応戦ははかどっておらず……訓練通り、石や火油を堀の中に落としておりますが、煙が濃すぎて目隠し状態であり、敵に当たっているのかどうかも確認できません。どれぐらい数の敵が堀の中に侵入しているのかも把握できておりません」
キャムネイは顔をしかめた。
「あの若造め、やってくれたな」
そう言っているうちにも、室内に煙の臭いが漂ってきた。
「陛下、この建物は危険でございます」
「念のため、もう一度聞くが、応戦どころか、消火すらできぬ状況であるか」
「残念ながら、炎で近づけなくなってしまった井戸は増えるばかりで……堀の水もない今の状況では、燃えているすべての建物をすみやかに消火することは難しいと存じます」
「むうう……城の敷地内の建物すべてが全焼とまではいかなくとも、安全を考えれば、我らはここを放棄せざるを得ない、ということでよいか?」
報告の兵は黙って頭を下げた。
キャムネイは煙にむせながらしぶしぶ決断を下した。
「仕方があるまい。王女たちを起こしてここを放棄する準備をせよ。こういうときのために食料などが用意されている山小屋へいったん避難する。余を含む一族その他、重役など二百名程度が地下道に入ったら、そなた、責任を持って地下道の扉を閉めよ」
「他の者を見捨てるのでございますか」
「地下道は狭い。この城にいる全員で抜けることはできぬ。その代わり、我々が地下道を抜けたころを見計らって、跳ね橋を下ろすことを許可する。逃げたい者は跳ね橋から逃げればよい」
火事がさらに広がると、一本しかない跳ね橋がついに下ろされ、セヴォローン兵たちは歓喜の声を上げた。
「跳ね橋が降りた! 突入し、キャムネイ王とクレイア王女を捕まえろ!」
フェールは跳ね橋付近まで出て、戦況を見守り続けていた。堀の外は厳重包囲状態にしてあり、高い塀を超えて逃げようとする者はいない。城内の火事から逃れ、跳ね橋の途中から堀の中へ飛び降りて逃げようとする者はいたが、セヴォローンの弓矢隊の絶好の標的となった。水のない堀の中にはいくつもの死体がころがり落ちた。
指揮官の声が飛ぶ。
「ひとりたりとも見逃すな。降伏の意志を示している者もそのまま解放するな。女も男も全員被り物をとらせて捕まえろ。抵抗する者は殺せ」
フェールは、命令が忠実に守られるさまを無表情に見ていた。恐ろしい悲鳴を上げて死に至る人々を見ても、何も感じない。ここに来るまでにいくつもの死体を見た。人の死に対し日ごとに鈍感になっていく自分にも驚く。
──私はアンの死と共に、人の命の重みを感じられなくなってしまったのだ。命の尊さはわかっているつもりだったが。また一人死んだが、あれはキャムネイ王ではなさそうだ。
やがて、火事は強風でさらに大きくなり、跳ね橋から城内へ突入したセヴォローン兵たちも火事に追われ、キャムネイ王を見つけられないまま撤退してきた。
コオサ城は、敷地内にある多くの建物そのものが巨大なたいまつのように激しく燃えあがり、塔の窓という窓から炎が飾りのように噴出した。堀をはさんだこちら側にも火がもたらす熱さが伝わってくる。
跳ね橋を渡って逃げてくる人々の列がついに途絶えた時、ドイガー将軍がフェールに耳打ちした。
「やはりキャムネイ王一家は見当たりません。あの炎の中、今も城内に潜んでいるとは考えにくく、おそらくは脱出用の地下道があるのではないでしょうか」
フェールも同意見だった。
「火が消えたら地下室などをしっかり調べよ。王はまだ生きているに決まっている」
燃える城をにらむ。戦いは場所を変えてまだまだ続くのだ。
炎上する城から黒い灰が風で舞い踊る中、遠くの空が黒から灰色に、そして赤っぽい白に変わっていく。夜が明けてきた。そして、風は多少弱まってきたが、小さな雪が降り始めた。
フェールは白い息を吐きながら、空に祈りをささげた。
──今日は勝てた。アン、見ていてくれたか?
すべてがうまく行った。キャムネイ王は発見できなかったものの、コオサ城はもう使い物にならないだろう。
ザンガクムがひとつの国として始まって以来、長く王の住まいであったコオサ城。雪が降り出しても城の延焼は続き、三日後にようやく炎はおさまった後には、黒焦げの無人の廃墟が残った。
◇
一方、シド・ヘロンガルの従者だった猫背の男ゾンデは、コオサ城が炎上した朝も、いつものようにシドの捜索を早朝から続けていた。
ゾンデは行方不明になっているシドの消息を求め、馬に乗ってあちこちの山中を探し回っていた。シドが大けがを負ったまま消息を絶ったことは、生き残りの兵から聞いてわかっている。シドは戦闘後数日経っても、打ち合わせてあった集合場所に現れることはなく戦死扱いとなったが、遺体も、遺品も、彼が乗っていた馬すらまだ見つかっていなかった。
ゾンデは、冷たい風に歯を食いしばった。今朝は本当に寒い。昨夜からすでに小さな雪が舞い始めており、今夜はおそらく大雪になるだろう。そろそろ捜索をあきらめるのが賢明だ。雪が深くなる前にどうしても何らかの手がかりを見つけたいと思い、今日も明るくなった時間からすぐに捜索を始めたが、まだ何も見つけていなかった。シドが谷へ転落して流されてしまっていたなら発見は難しい。複数の目撃者の話を合わせると、シドが生きている可能性は限りなく低い。
「すでに亡くなられたと思えるが……」
ゾンデはゆっくりと山林をさまよいながら、若かりし日のエフネートの顔を思い出していた。
シドが生まれた日、当時八歳だったゾンデは、両親と共にエフネートに呼び出された。
『いいか、ゾンデ。この子はシドと名付けた。この子は将来、必ず、この国における重要人物になる。おまえはこの子の従者として常にそばにいろ。この子がある程度成長したら、剣の訓練も、きちんとした教育もおまえも一緒につけてやる。だから、この子に生涯の忠誠を誓い、どんなときもこの子を守れる楯と剣になるのだ』
エフネートはうれしそうに息子を抱きながらそう言った。
あの時から、ゾンデはシドのためだけを考えながら育ち、共に生きてきた。シドの命令ならば、迷いなくどんなことでもこなし、シャムア潜入命令もためらいはしなかった。アンジェリンを殴り倒したのもシドの命令に従ってフェールを無事に連れ帰るため。しかし、シドが死亡認定されてしまった今は、何のために、これから何をして生きていけばいいのかわからなくなった。
空っぽになってしまった心を抱えながら、葉を落として灰色になった冬の木々が続く山中をさまよう。強い冬の風が首筋からも入り込み、手袋をした指先も痛い。この寒さの中では長い時間の捜索はできそうにない。
「俺はこれからどうすれば……旦那様は裏切り者だ。マニストゥ先生も」
エフネートがザンガクムと密かに通じていたことは、どうあっても納得できない。エフネートの裏切りが、シドの死の遠因に違いないのだ。エフネートは息子殺し同然の罪を犯しているのに普通に生き続けている。師のマニストゥも同罪で。
ゾンデは、今後はエフネートに仕えることはないと密かに心に決め、エンテグアを後にしてきた。そして、シドの消息を求め、山中の炭焼き小屋や洞窟などを手当たりしだい探し、捜索範囲をザンガクム内陸部まで広げたところだったが。
その日、ゾンデは、おや、と思い、馬を止めた。怪しい山小屋がある。
場所は、コオサから北西の山中。
馬を森の中につないで隠し、徒歩で移動し小屋が見える場所まで近づいた。遠目に様子をうかがう。その山小屋は、山越えして北の平原へ抜ける山道の途中に作られており、昔から旅の休憩所として使われていると思われた。しかし、異様なのは、その戸口に複数のザンガクム兵が警備に立っていることだった。急ごしらえと思われる屋根だけの馬屋には、見えているだけで十数頭の馬が狭い空間につながれている。
──ザンガクムの軍事施設か? 馬の数の割には狭そうだ。なぜこんな山中に?
小屋の周りも複数の兵が巡回しており、うかつに近づけない。
──もしかしてここは。
異様な警備ぶり。ゾンデは小さな希望の光を見出した。
――シド様は絶対にあの中だ。お怪我をして動けないに違いない。俺が必ず、お助けする。フェール様にここのことを知らせて、セヴォローン兵をこっちへ回してもらおう。
ゾンデは、急ぎ静かにその場を離れた。
シドはあの中に監禁されている、そうとしか思えない。そうでなければ、こんな山中の何もない場所を何人もの兵士が見張っているわけがない。ラングレ王の甥っこであるシドはいい人質になる。
コオサ城を脱出したキャムネイ王たちは、その山小屋へ向かっていた。




