48.開戦
キャムネイ王をはじめとする多くの客人が参列する中、城内の祭儀場にてザース王子の葬儀は滞りなく進み、出棺の時を迎えた。
空砲を合図に葬列が動き出す。兵士たちの肩に担がれた木製の棺は、国王夫妻を始めとする多くの人々に付き添われ、城の北西の郊外にある『魂の丘』と呼ばれている墓地へと向かった。
セヴォローンでは、死者の葬列には馬や荷車は使ってはいけない、という伝統がある。歩いて墓場まで送ることが、死者に対する誠意と愛情の証だと一般的に考えられており、ゆっくり歩くのもやっとだったフェールは、棺に付き添うことができなかった。
フェールは、巨漢兵ピツハナンデに運んでもらい、城内で最も高い位置にある見張り塔の上から葬列を見送ることにした。
葬列には、クレイア王女を含むキャムネイ王の一行も加わり、ザンガクムの守護兵たちと共に城門を出て行く。長く続く葬列はやがて途切れ、弔問客であふれていた城内は静かになった。
フェールは、行列が完全に見えなくなってもそのまま長く塔の上に留まっていた。
葬列は町の中へ消え、ここからでは、どこまで進んでいるかは見えない。
それでもフェールは、葬列の方向に顔を向け、心の中で弟を送り続けた。自分の足で立ち、姿勢を正して、弟が死者の国で幸せになれるよう、祈り続ける。王になってほしかった弟をこんな形で送っている自分。鼻の奥に流れ込んでくる苦い涙を必死で飲み込む。
頬に触れる冬の風は冷たい。心まで冷えそうだった。
――ザースが逝ってしまった……アンに続いてザースまで。
「……っ!」
フェールは、込み上げる嗚咽を抑えようとして、腹に激痛が走り、よろめいて手すりにもたれかかった。
「殿下!」
ピツハナンデがさっと体を支え、後ろに控えていた医術師テイジンが素早くフェールの脈をとった。
「殿下、少しお休みください。式の間ずっと立っておられて、かなり無理をなさいました。お疲れでございましょう」
フェールは差し出された薬湯を口に流し込むと、油汗がにじむ顔をあげた。
「見苦しくてすまぬ。少々疲れたようだ。テイジンの言う通り、私は父上たちがお戻りになるまで休むとしよう。ピツハナンデ、私を寝室へ連れて行ってくれ」
「かしこまりました。失礼します」
ピツハナンデは、フェールの体を、ここまで運んできたときと同様に軽々抱き上げると見張り塔の階段を降りかけた。
そのとき。
突然、見張りの兵が大声を上げた。
「赤い煙が上がった! ガルダ川の砦から開戦の知らせです!」
「なんだと! どこだ」
「あちらに」
ピツハナンデは、遠くを見ようとするフェールのために煙が見える位置へ移動してくれた。
天気のいい昼間。冷たい空気は濁っておらず、遠くまで見渡せた。
西にあるイクスアランの町のさらに向こう、ガルダ川の方面から、赤く色を付けられた煙が細く上がっているのが見えた。
フェールは眉を寄せた。
「こんな時にシャムアめ。砦を襲ったのか。宗教国のくせに常識がなさすぎる。父上にすぐに報告せよ」
さらに別の兵が叫び声をあげた。「おいっ、なんだ、あの船団は」
兵たちの声に別の方向に目をやったフェールは息を引いた。
どこから現れたのか、この王都の南の海には、光る船が多数海に浮かんでいた。一般の民が、出棺の際に船を出して亡き王子を大勢で見送るという習慣もなく、そういう話は聞いていない。
「砦を攻めたシャムアが、その勢いでここを攻めに来たのかもしれぬ。港は正規軍が守ってくれているから迎え撃つことはできるはずだが」
この王都の港はセヴォローンの正規軍が守っている。しかし、西のイクスアランの方面で開戦すれば、正規軍の一部は、そちらへ援護に回ることになっており、ここの港を守る数は普段よりも少ない。
そして、今、この城は、葬列の警備で多くの兵を外へ出しており、国王夫妻も城外。
港も、城も、兵の数が足りず、そしてまだ傷が癒えていないフェールは自由に動ける状態ではなく。
それにしても、シャムアはいったいどこにあれほどの船団を隠していたのだろう。砦攻撃用に集結していたシャムアの船の大半はフェールが放火したというのに。
「……まさか……」
こみ上げる悪い予感にフェールは大声で叫んでいた。
「あれはシャムアではなく、ザンガクムの船ではないのか?」
船団はどんどん近づいてくる。徐々にはっきりしてきた船体を望遠鏡で確認した兵が叫び声に近い甲高い声を上げた。
「王太子殿下! 仰せのとおりです。あれはザンガクムの旗。ザンガクムの軍船でございます」
「くっ、そういうことか。やはりザンガクムは裏で我が国を裏切っていたのだ」
「恐れながら、殿下、ザンガクムは同盟国です。あの船団は、シャムアと開戦した我が国への援軍ではないのでしょうか」
そこにいる兵は不思議そうな顔をしている。
フェールは怒りを隠せず少し声を大きくした。
「そんな都合よくザンガクムが援軍を出すわけがない。あれは敵だ。だが、敵が港に上陸しても、この城まではすぐに到着できまい。やつらが海の上にいる今のうちに、迎え撃つ準備を整えるのだ」
「はっ、はい! 陛下に報告に参ります」
走り出そうとした兵士をフェールは止めた。
「待て。誰か城内に指揮をとる将軍はいないのか」
「自分にはわかりません。軍幹部のほとんどが葬儀につきそい、出払っております」
「では、私が指揮をとる。王太子フェールの名において命じる。ただちに城を封鎖せよ。全門閉門。城外の敵を一兵たりとも入城させるな。城内の食糧庫と武器庫を守れ」
「しかし、城門を閉じてしまえば、城外におられる国王陛下の御一行が」
「一行が戻った時に一時的に開門すればよい。何事もなく無事に帰ってこられたのなら」
兵士たちはその意味を察し、皆、青ざめた。
「殿下……それは、葬列が今頃襲われているかもしれないということでございますか」
「そうだ。ザンガクムがシャムアと組んで攻めてくるなら、普通は葬列を叩くはずだ。きちんと武装していない父上たちの身が心配だが、今ここにいる我々は、この城を全力で守ることが仕事だ」
フェールは素早く頭を回転させた。城門を閉めても、城内にはキャムネイ王についてきたザンガクム兵が葬儀に同行せずに何人か残っているかもしれない。港からのザンガクム軍がここへ到着する前に、城内をきれいにしたいが、広い城内に潜まれていては調べようもない。城内の敵に注意しながら城を守っていくしかない。
「とにかく今すぐ大急ぎで閉門せよ。私の許可なく勝手に開門しようとする者がいたら、その者がセヴォローン兵の制服を着ていても容赦なく殺せと、全兵に伝えよ」
兵たちがバタバタと走る中、フェールは歯を食いしばりながら、こんな時に自由に動けない自分の身を呪った。
「殿下、どちらへ移動なさいますか?」
ピツハナンデが訊ねる。
「大広間へ。そこで指揮をとる」
「かしこまりました」
フェールは、ピツハナンデに抱かれて塔のらせん階段を下りてくるうちに、城内の様子もおかしいことに気が付いた。悲鳴がどこかで聞こえ、誰かと誰かが戦っている音がする。しかも、自分を探している声が。
ピツハナンデもそれに気が付き、足を止めた。
「殿下、様子が変です。お静かに」
ピツハナンデはフェールを抱いたまま、階段の柱に身を寄せ、進む先の様子を伺った。フェールは身をできるだけ縮めて息を潜めた。後ろに付いていた医術師テイジンも足を止め、共に壁に張り付いている。
『王太子は見つかったか?』
『どこにもいない。やはり葬儀に付いて行ったんじゃないのか?』
『いや、絶対に城内にいるはずだ。やつは病み上がりで長くは歩けない。見つけ次第首を取れ』
『寝室はいないなら、王の執務室かもしれん』
『そっち方面は普段なら絶対に侵入できないが、今なら手薄だ。味方が数人いれば確実に殺れる。こっちだ、付いて来い』
ピツハナンデはひそひそ声で告げた。
「どうやら、廃貴族たちが葬儀と他国の侵攻に乗じて城内を制圧しようとしているようです。危険ですから大広間へは行かないほうがよろしいでしょう」
「廃貴族だと?」
「ちらっと見たところ、見覚えのある顔がちらほらありました。ザンガクム兵の服を着た見知らぬ者も混じっておりましたが」
「信じたくないが、一部のセヴォローン人がザンガクムやシャムアと組んでいた、というのか。父上が城外で出たとたん反旗を翻すとはなんと汚い」
西の川中の砦からは開戦の連絡があり、港にはザンガクム軍の船が多数迫っていることが確認できている。
この状況で、葬儀で手薄になっている城内で反乱。
フェールは、歯を食いしばった。これではどうしようもない。勝てると思える手がない。
「ザースは死に、今の私は動けず戦えない。完全にやられた。セヴォローンは終わりだ。私をやつらに引き渡せ」
すぐ後ろにいたテイジンが「いいえ、そのようなことはできません、自分が」と前へ出た。
「彼らの気を引きますからその隙に、ピツハナンデは殿下をどこか安全なところへお連れなされ」
フェールが返事をしないうちに、テイジンは敵と思われる数人のほうへ大声を出しながら飛び出した。
「怪我人はどこだ! 私は医術師だ。おまえらが敵でも味方でもかまわん。すぐに怪我人のところへ案内しろ」
フェールが隠れながら見ていると、武装した男たちは、テイジンを認めると剣を下ろした。
「医術師長のテイジン様。いつも皆が世話になっているあなた様に剣を向けることはできません。怪我人ならあちらの方にいます。我らはできるだけ命は奪わず、最低限の怪我で済ませるよう手加減しております」
「血濡れた剣を持っているやつが何を言うか。その剣で人を斬ったのだろうが。ひどいことしてくれたな。さっさと怪我人のところへ案内せんか。手当てするには手伝い人も必要だ。そこのおまえ、おまえもだ、一緒に来い」
テイジンは二人連れて行ったが、反乱者たちはまだそこに残っていた。
「残念だが、これでは通れまい」
「数人ぐらいなら自分がやります。ここでお待ちください」
ピツハナンデは抱いていたフェールをいったん床に下ろすと、腰元の剣を抜き放ってすごい速さで階段を駆け下り、広い廊下に躍り出た。
殴りつけるような音とうめき声が複数あり……ピツハナンデは戻ってきた。白花隊の制服には複数の血痕が付いた姿で。
「お待たせしました、殿下。ここにいる敵は片付けました。今のうちです」
大男は再びフェールを抱きあげると、人が何人も倒れている血塗れた廊下を抜け、階段を走り下り、中庭を通って王妃の住まいである白花館へ向かった。
石造りの白花館付近には誰もいなかった。
普段入り口を守る兵の姿はなく、石畳みのあちこちに血の雫がこぼれている。王妃が手入れしている建物周辺の花壇も踏み荒らされ、ここで何らかの戦闘行為が行われた形跡があった。
「ここもやられたか。思った以上に手が早い」
フェールは苦々しくつぶやいた。葬列が出てすぐに内乱は始まっていたらしい。
ピツハナンデは注意深く周囲を見回している。
「殿下、申し訳ありません。白花館なら安全だと思ったのですが、内部はすでに制圧されているかもしれません。このままでは危険ですから少々汚い場所へお連れします。万が一の時には、と王妃様から仰せつかっている場所へ」
「どこへ行くと言うのだ。この状況で、城内で隠れる場所などないと思うが?」
「唯一ございます。東の牢獄です」
ピツハナンデはフェールを抱いたまま、軽々と庭を駆け抜けた。
城の敷地内でも『辺境』と言われるほど東の端にある牢獄。城内で罪を犯した平民が刑が決まる日まで一時的に入れられる場所。
その牢の辺りはまだ騒乱は伝わっていないようだったが、牢獄の入り口付近にいた兵二名が、緊張した顔で剣を構えた。大男のピツハナンデが王太子を抱きかかえて突進してくる姿が異様だったのだ。
フェールが抱かれたまま事情を話すと、見張りの兵たちは建物の中へ入れてくれた。
フェールは牢の一つに入った。
石で囲まれた静かな牢獄は、冷え切ってじめじめしていた。カビ臭い。
「母上もよくもまあこのような場所を思いついたものだ。ここは間違いなく最高に安全な隠れ家だな。鍵をかけたら、全員すぐにここを離れよ。誰にも守られていない方がかえって安全だと思う」
「それならば、合い鍵をお渡ししておきます。万が一の場合がおひとりでも出られますように」
フェールは牢獄の兵から合い鍵を受け取ると、寝台に横になった。仰向けになると、天窓が目に入った。
「あの天窓に蓋をしてくれ。あそこから油を投げ入れられて、火をつけられたら終わりだが、それならば運がなかったということだ。それにしても、ここは寒い」
牢番の兵たちは恐縮し、できるだけきれいそうな毛布を数枚、あわてて運んできた。
「殿下がお使いになるとは思いもせず、毛布があまりきれいでなく……」
「かまわぬ。私はここでおとなしく待つから、皆で城内の様子を見て来てくれないか。廃貴族とザンガクムの連合軍が城を完全に制圧してしまったなら、皆、降伏しろ。私がここにいると言えばいい。私はいつでも喜んでこの首をやる」
ピツハナンデは怖い顔で反論した。
「そのようなご心配は無用です。ご安心ください。このピツハナンデが反乱者を征伐し、ここへ近づこうとする敵を一人残らず退治してまいります。ここの見張り兵を援軍としてお借りします。しばしお待ちいただきたいです」
ピツハナンデは剣を抜き放ち、牢の番兵二名を従え、遠ざかって行った。
鍵のかかった牢の中でひとりきりになったフェールは、毛布にくるまり、耳をすませた。
城の外れにあるここは静かだ。敵はここにはまだ踏み込んできていない。今ここには他の囚人はいないのだろうか。
「まあよい。なるようにしかならない。今のうちに休んでおかねば……」
王の代理として、命令は下してある。命令に従う者がいなくなったら負けということ。
「王家も終わりか……それもまあよいだろう。アンの元へ行くだけだからな」
死など恐れない。むしろ死にたい。
フェールは暗い牢の中で目を閉じた。痛み止めが効いてきて、もう眼を開けていられなかった。毛布を頭までかぶると墜落するように眠りに落ちていた。アンジェリンがまだ生きていて、すぐ隣の牢に収容されていることも知らずに。




