39.犯罪人
アンジェリンは両脇を兵に固められた。
兵たちがすばやくアンジェリンの体を探り、武器を隠し持っていないか調べている。
アンジェリンは抵抗しなかった。マニストゥの家でのイルカン殺害の容疑もかかっていることは驚いたが、フェールが大怪我をしてしまった件は自分に責任がある。城に戻れば何らかのおとがめは免れないことは承知している。後ろ手に縄をかけて縛り上げられ、負傷している肩に痛みが走るのをこらえた。
アンジェリンの後ろにいたゾンデが、さっと走り出て警務総官のエフネート・ヘロンガルに頭を下げた。
「だんな様、自分が付いていながら申し訳ありませんでした」
「ゾンデの報告はあとで別室にてゆっくり聞こう。ひと足先にシャムア軍から無事に帰還した兵士二名から大まかな事情は聞いている。彼らからの情報により、憲兵に街道を探させていた。うまく出会えて幸いだった」
「別行動の二名が無事帰国できてよかったです」
「彼らの報告によると、王太子殿下は敵の船や武器庫を灰にして、すばらしい功績をあげられたそうだな。ヌジャナフに上がった炎はイクスアランからも確認できた。砦の決戦は勝ったも同然だ。だが、殿下がお怪我をなさったことは遺憾である。これは我が息子シドにも責任を問わねばなるまい。ゾンデはよくやってくれたと思うが」
エフネートはゾンデをねぎらうと、アンジェリンの方に向き直った。
「アンジェリン・ヴェーノを連行しろ」
「あの、警務総官様」
アンジェリンは連れて行かれながらも、エフネートに声をかけた。
「ん? おまえの申し開きは、後日、裁判にてすればよい。その機会は必ず与えられる。おまえが無罪かどうかは、国王陛下ご自身が裁判長を務める秘密裁判にて決定される」
王族が絡む事件では公の裁判はしない決まりになっていることは、アンジェリンも知っていた。秘密裁判なだけに、刑が決まった者が独房内で密かに『処分』される可能性があることも。
夢は終わった。今さらどんな罰になるかなど興味もない。ただ、薬のことは説明しておきたかった。
「警務総官様、馬車に積んである荷物袋の中に、王太子殿下のお薬が入っております。シャムアの薬師に特別に調合してもらった貴重なお薬です。それを王太子殿下にさしあげてくださいませ。とてもいいお薬でセヴォローンでは手に入りにくい物でございます」
「誘拐犯の薬を使うなど、とんでもない。毒でも入れられていると大変なことになる」
「毒薬ではありません。薬師の方に見てもらえれば、最高のお薬だとわかるはずです。傷には瓶の薬を塗り込んで、今夜は白い包みのお粉を水で溶いてお口に」
「おまえなど信用できない」
エフネートは冷え冷えとした青い目でアンジェリンを見下ろしていた。
アンジェリンは、エフネートと兵たちに伴われて、城の敷地内の東の端にある、ひなびた建物へ連れて行かれた。
そこは裁判を待つ一般人が一時的に入る牢獄だった。建物は総石造りの一階建てで、牢は地下に造られている。外から見ると、牢の天窓がわりになっている丸い穴が、建物の一階の壁の下の方に並んでいた。天窓の穴は、格子もガラスもついていなかったが、人の頭よりも少し小さいぐらいの大きさで、出入りはできない。
独房に入ると手の拘束は解かれた。
「おまえは国王陛下直々の裁判を受けるまでここで待つのだ。その前におまえに言っておかねばならないことがある」
エフネート・ヘロンガルは独房内まで入ってきて、兵だけ先に外へ出した。エフネートは、しばらくの間無言でアンジェリンを、特に顔をじろじろと穴があくほど眺めた後、ようやく本題に入った。
「王太子殿下はこれからの国政を担うお方だ。大切な方を危険にさらした罪は大きい。無罪放免とはいかぬ。それはおまえもわかっているだろう」
「はい。どんな罰でも受けます。ですが、私は殺人は犯してはおりません。私と殿下はマニストゥの家で襲われて、その時に情報屋のイルカンという人がやってきたんです。マニストゥが私たちを裏切っていて、私を捕まえて殿下を脅し、殿下を他国へ売ろうとしました。それで殿下が怒ってイルカンを殺しました。恐ろしい光景でした」
エフネートは眉を動かし切れ長の目をさらに細めた。
「ほう……マニストゥは数年の間、我がヘロンガル家の本宅に住まっていたことがある男だ。その男が裏切り者だと言うのか」
「マニストゥは本当に怖い人です。お気を付け下さい。あの男は長年、イルカンという人にセヴォローンの情報を売っていたみたいです」
「我が家から情報がもれていただと? すごい作り話だ」
「作ってなどいません。それが真実だと思います」
「想像で物を言うな。おまえは我がヘロンガル家を貶めるだけでは飽き足らず、王太子殿下が殺人犯だと証言するつもりか」
エフネートのきつい言葉にアンジェリンは慌てて謝った。
「申し訳ありません。そんなつもりはありませんでした」
「殿下はいつか王位を継がれる方だ。王になるべき人物には影などあってはならない。おまえは明日の裁判では何も否定せず、いさぎよくすべての罪を認めるべきだ」
アンジェリンはそこで初めてエフネートがここまで入って来た理由がわかった。
「そ……」
──それはイルカンを殺したのは私だと言えと?
「イルカンとやらの殺人に関しては、おまえが正当防衛で刺してしまった、ということにすればよい。被害者に非があり、おまえに同情すべき点があれば重い罪にはならない。そこは自分が法務長官に手を回しておいてやる。すべては王太子殿下のためだ。事実は時に捻じ曲げられる。真実ではないことが真実とされても、それが後の幸せにつながることもある。王太子殿下を国外へ強引に連れ出したのも自分だと言え」
国外へ出たのは自分の意思。だけど、強引にフェールを連れ出したわけではなかった。
──でも……。
「私がすべてを認めればよろしいのですか」
「そうだ。殿下の方がおまえを強引に誘った結果だったとしても、世間一般ではそうは思われない。おまえは婚約が決まっていた王太子殿下を誘惑して国外へ連れ出した悪女だ。王太子殿下は被害者。そういうことにした方が後に殿下のためになる。殿下は運悪く変な女に引っかかってしまった、で済むからだ。一国の王太子ともあろうお方が、平民の女にのぼせあがって勝手に旅に出て殺人を犯し、あげくの果てにその女を迎えに行くために大怪我をして意識不明状態で帰国、と公にしてどうなる?」
アンジェリンは言い返すことができずうつむいた。
悪女。
変な女。
フェールと旅立つことを決めた時から、罪深いことは自覚していても、人の口から面と向かって悪と言われてしまうとさすがに堪えた。息をするのも苦しくなってきた。脂汗が額ににじみ出てきたのが自分でもわかる。息を吐いても吸っても気分の悪さは逃せない。昨夜もほとんど眠っていない。逃避行の疲れも取れず、治癒しかかっていた肩の傷はゾンデに殴り倒されたときに少し開いてしまい、また出血しているらしく、肩がじくじくしけって痛みも出ていた。
アンジェリンはめまいに耐えられず両膝をついた。
「申し訳ありません……気分が悪いので、少しだけ休ませてくださいませ」
「具合が悪いようだな。もう休んでいい。用件はそれだけだ。裁判ではよく考えて物を言うように。おまえの証言で王太子殿下の威厳が揺らぐようなことがあってはならない。おまえが何でも認めるならば、おまえの父、ロイエンニ・ヴェーノの罪は問わないように陛下に進言してやる」
床に手をついていたアンジェリンは顔をあげた。
「父はどうしておりますでしょうか」
「当然、拘束されている。おまえが逃げてしまったからだ。ロイエンニには正式な捕縛請求が出ていない故、居場所はこの牢獄ではないが」
「そうですか……」
エフネートは薄い唇に底冷えのする冷たい笑いを浮かべた。
「明日はどうすればよいかもう答えはわかっているな。ロイエンニは無関係だったとこの私が国王陛下に進言することで、ロイエンニを解放することができる。おまえ次第だ。おまえがすべての罪を認めることですべてがうまくいく」
「私がすべてを肯定すれば父の罪は問わないと、本当にお約束してくださいますか?」
「むろん。おまえがすべてを認めさえすれば」
エフネートは言いたいことを言うと、さっさと出て行こうとした。
「お待ちください、警務総官様」
アンジェリンは呼び止めた。
「お願いです。くどくてすみませんが、王太子殿下に私の荷物袋にあるお薬をさしあげてくださいませ。私が信じられないのならば、あの薬を手に入れた経緯を知っているゾンデ様にお確かめください。どうか、あのお薬を王太子殿下に」
「それはできないと先ほども言ったはずだ。おまえは頭が悪いのか?」
バタンと音を立てて重い鉄扉が閉められ、足音は遠のいた。
アンジェリンはため息をついて寝台に横になった。ひどく疲れた。そして寒い。セシャが早朝から心をこめて調合してくれた高価そうな薬が全部無駄になってしまったと思うと、申し訳ない気持ちに胸が締め付けられた。
牢の中から見ると天窓の穴は遥か上にあった。牢の中を見回しても、ろうそくも暖炉もなく、灯りはその天窓のみ。ガラスが入っていないそこから冷たい冬の風が吹き込んでくる。
石の壁に囲まれた牢内には、薄汚い毛布が一枚きりの粗末な寝台と便器があるのみ。唯一の出入り口である鉄扉には、食事を出し入れする大きさの覗き窓が付いているが廊下の様子は一部しか見えず、見張りの兵の姿を見るどころか、他の牢に入っている人がいるかどうかもわからない。建物全体がとても静かだった。
ここは一時的に使われるだけの仮の牢獄であり、ちょうど今は誰も入れられていないのかもしれない。足音一つ聞こえない。
アンジェリンは震えながら毛布を頭までかぶり、祈りを捧げた。
――ディン、助かって。私の寿命を全部あなたにあげる。
殺人犯に仕立て上げられてもかまわない。彼が元気になってくれるのなら。
二日後、アンジェリンは秘密裁判のために牢獄から連れ出された。
裁判は城内の小会議場で行われた。一般人も弁護人もおらず、警備兵まで入れても室内にいるのは二十名に満たない。その場には、アンジェリンが顔を見たことがある王家の関係者も複数混じっていた。
端の方にフェールの弟ザース王子、その隣には母である王妃マナリエナの姿も認められた。フェールよりもザースに顔立ちが似ている美しい王妃は、瞬きすらせずアンジェリンを凝視していた。シドとゾンデの姿は見当たらなかった。
真ん中を大きく開けて、長テーブルが向かい合うように置かれ、奥の中央には豪華な椅子がある。人々はすでに席に付いており、テーブルの間の空間に引き出されたアンジェリンは、国王ラングレが入場してくるまでずっと厳しい視線にさらされ続けた。
アンジェリンは足を踏ん張ってふらつきをこらえて立っていた。秘密裁判にかけられることは予想していたこと。
――こういう時だから、何か駄洒落を頭の中で……。
そう思っても、何も浮かばない。心はフェールのことだけで占められてしまっている。
彼の姿は当然なかったが、誰からも葬儀の気配はせず、彼が亡くなってしまった、という感じはしない。彼はまだ生きている。たぶん、まだ、起き上がれる状態ではないけれど。
──あの人はきっと助かるわ。ここには最高の医術師も薬師もいるんだもの。
扉を守る兵の一人は、偶然にも、アンジェリンに思いを寄せていたレクト・セシュマクだった。彼は、秘密裁判にかけられる罪びとがアンジェリンであることに動揺を隠せない様子で、後ろ手に縛られたアンジェリンが入場する時、口を動かして何か言いたそうにしていた。お互いに会話をすることは許される立場ではなく、アンジェリンは申し訳ない思いで目だけで会釈し、レクトの悲しそうな視線を受け流した。
場は警務総官エフネート・ヘロンガルが仕切り、同じヘロンガル家出身でエフネートの叔父にあたる法務長官がその後ろに静かに寄りそう。やがて国王ラングレが入場すると、裁判が始まった。
アンジェリンの罪状がひととおり出され、細かい検証に入る。その間、アンジェリンは一言の弁解も許されなかった。
「これがメタフ村における殺人に使われた凶器です。被害者の胸に刺さっていました。この短剣には製作者の名が掘り込まれております。こちらに」
検察官が提出した凶器にアンジェリンは思わず声をあげそうになった。
――あれは!
イルカンを殺した凶器としてこの場に持ち込まれた短剣には確かに見覚えがあった。
――なんてこと!
それは、旅を初めてすぐに、フェールが露店の武器商人から値切って買ってくれた短剣に違いなかった。
この短剣を最後に持っていたのはマニストゥ。あの男はこの剣をアンジェリンから取り上げ、持ったまま姿を消した。そして、その後アンジェリンとフェールが逃げ去ると、あの現場に戻り、アンジェリンから取り上げた短剣をイルカンの胸の傷に刺した……。
これがアンジェリンの剣だと知った上で。




