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26.密かな望み

 祝福式を終えたアンジェリンとフェールは、買い物まで済むと、セシャ親子との別れを惜しんだ。

 アンジェリンは心からお礼を言った。

「セシャさんがあの村にいらっしゃらなかったら、私たち、今頃どうなっていたか。本当にお世話になりました。どうか、道中お気をつけて」

 セシャが笑い飛ばした。

「アンさん、気をつけてなんて、それはこっちが言うことだよ。あんたこそまだ本調子じゃないんだから、体に気をつけな。傷の治りが悪いなら、またあの小屋を訪ねてきな。その時は、あんたに使った薬よりも、もっと強い薬をあげる。じゃあ、お二人とも幸せに、さようなら」

 母子は何度も振り返り、笑顔で手を振る。フェールは高く片手を挙げてそれに応え、アンジェリンも頭を下げて二人を見送った。

 母子は大荷物を担ぎ、にぎわうサンニの町を去って行った。


 アンジェリンとフェールは、その日はこの町で宿をとった。

 セシャに教えられていたとおりに、今日もらったばかりの祝福証明の木札を見せると、最初は満室だと断った宿主は態度をコロッと変え、すぐに部屋を用意してくれた。祝福されたばかりの人間は大切にする、という習慣はこの国に深く根付いているのだと、アンジェリンたちはまたしても実感した。



 その夜、フェールは複数の手紙をしたためた。

 父王に向けて書かれた手紙には、大切な情報がたくさん詰め込まれていた。

 この国での海賊たちの横暴な振る舞いを始め、海賊とシャムア王の癒着疑惑、教皇がシャムア王を公然と非難しているらしいという情報など、セヴォローンでは考えられない異常事態を事細かに記した。マニストゥの悪行についても示し、ヘロンガル家に密かに注意を払うように、とも書いておいた。


 フェールは書き終えた数通の手紙を折りたたんだ。

「同じ内容のものを複数書いたが、ひとつでも届けばよしとすべきだろう。確実に父上に届くようにするには、誰宛てにすべきだろうか」

「シド様宛ては無理ですよね?」

「やつはザンガクムとの国境付近にいるはずで、手紙を簡単に受け取れるような環境にいないと思う。本当はすべてのことを、シドに真っ先に報告すべきなのだが。むろん、それは、彼が私を裏切っていない、という前提での話だ。今回はシドへの報告の手紙はあきらめる。手紙をヘロンガル家経由にすると、マニストゥがシドへの手紙をすべて奪い取ってしまうかもしれぬからな。父上にだけ届けばよい」

 フェールは苦い顔をしていた。暴力を振るった末に逃げたマニストゥが、シドの剣の師だったのは間違いない。マニストゥを紹介したのはシド。フェールの中では、シドは限りなく白に近い灰色なのだろうとアンジェリンは思った。友を信じたい気持ちの中に、わずかに疑いのしみが残っているようだ。


「私の父へ送ってもたぶん駄目ですよね」

「ロイエンニは信用できるが、拘束されている可能性が高く、手紙を開けることができないかもしれない」

「そうですよね……」

 アンジェリンは下を向いた。『後悔しない人生を』と言ってくれたやさしい養父ロイエンニ。大切な養父は、王太子失踪に関与した罪に問われ、今頃捕まってひどい目に合わされていないだろうか。



 翌日、書いた手紙を、この町の手紙預かり所へ出した。手紙は預り所で一括して受け取ってもらえるが、運ぶのは行商に依頼するため、所定の金額を払っても正確に配達してもらえる保証はない。それでも他にセヴォローンへ連絡するすべがない以上、出してみるしかない。戦争が始まってしまえば、手紙はおそらく届かない。


 手紙を出し終えた二人は、昨日買ったばかりの馬に乗り、サンニの町から出発した。

 戦争が迫る影響で、物価は高騰し、にぎわっている市場でも品薄状態で、手に入った馬は年老いて子を生めない雌馬一頭だけだった。それでも長距離を歩くよりも体は楽になる。

 一頭の馬に二人で乗り、小走りで町を離れた。


 町を出て周囲に人気がなくなると、フェールは不機嫌な声でつぶやいた。

「まあ、手紙が一通でも届いたとしても、父上は私からの手紙など、見もしないで捨ててしまわれるかもしれない。私は信用などされていないのだからな」

「そんなことはないですよ。王太子殿下が失踪しているのに、その手掛かりになる手紙を陛下がお読みにならないわけがないです」

「宛て先は、やはり、直接ザースにすべきだったかもしれぬ。今更ながら悔やまれる。よりにもよって、宛て先のほとんどをレクト・セシュマクにしてしまった」

「ですが、ザース様宛てだったならば、無事に届くかどうか怪しいです。王族宛ての手紙は、城の事務の方で開封されてしまいますから。それこそ、中身のすり替えや手紙の破棄などありそうです」

「うむ。だが、私はレクトのことを好きではない。彼がおまえに好意を寄せていたことは明らかだったからな」

 フェールは目の前にあるアンジェリンの頭に後ろから頬を寄せた。「おまえは私の妻だ。あの男の妻ではない」

 アンジェリンは、背後から感じるフェールのぬくもりと、彼のむき出しの嫉妬心に、小さな声を出して笑った。

「またそんなことをおっしゃって。私はレクトのことは何とも思っていませんよ。彼とは同じ時期にお城に入った駄洒落仲間、というだけです」

「それはわかっているが、おまえを思うやつの気持ちは静めることなどできぬぞ。手紙を受け取ることで、おまえへの気持ちに火がついてしまったら困る」

「彼を利用してしまうことは本当に心苦しいですけど、他に適任はいないと思いますから仕方ないです」

「無事に国に帰れたら、私はあの男に礼を言わねばならぬのか。嫌な仕事だ」

「わがまま言わないでください。彼だって仕事だと割り切って、手紙を手渡しで陛下に届けてくれるはずですよ。あれは大切な連絡の手紙なのですから」


 結局、フェールが書いた複数の手紙は、ロイエンニ・ヴェーノ宛てが一通、他はレクト・セシュマク宛てにして、別々の町から出すことにした。レクト宛ての手紙が、最も王に届きやすいと判断した結果だった。

 差出人名は、レクトがアンジェリンを呼ぶときの名、「アンジェ」とし、中にはアンジェリンの簡単な近況報告を書いた手紙と一緒に、フェールが書いた王宛ての手紙を厳重に包んで入れた。レクトならば、王やザース王子の警護に立つときもあり、手紙を誰にも知られずに王に密かに届けることができる可能性にかけた。城に住み込みの兵士への届け物ならば、手紙の中身まで検閲されることはない。


 アンジェリンは背中にフェールを感じながら、ささやかな幸せをかみしめていた。くっついて馬に乗り、ときおり耳元でささやいてくるフェール。時に愛の言葉が混じるのがくすぐったい。

 彼とずっと一緒にはいられないとわかっていても、馬が跳ねるように、心まで跳ねている。フェールが嫉妬してくれていると思うと、彼を愛おしいと思う気持ちが無限に高まっていく。

「傷は痛むか?」

「【傷】を【気遣って】くださるのですか?」

「……それは駄洒落……だな?」

 返事の代わりに、ふふっ、と笑う。

 メタフ村でのことは恐ろしすぎ、この先の不安も尽きない。それでも今は、二人にとっては明るい未来しかない、と思えるほど晴天。風は冷たいが、空は雲がほとんどなく青が広がる。

 日の光の下で、フェールも腹の底から笑っているようだった。



 街道をひたすら南へ向かって進み、途中にあったイガナンツという名の小さな村で、その日の宿を取った。

 一階が酒場、二階が宿泊部屋となっている木造の宿。

 酒場では大人の男性ばかりのグループが数組、賑やかに飲み食いしていた。


 二十席ほどの席数があるこの店『ささやき亭』を、ひとりで切り盛りしているのは四十代後半から五十歳ぐらいに見える男性で、額が広く白髪交じりの短い顎髭を生やしている。亭主は忙しそうに動きながらもカウンターの隅で静かに食事をしているフェールとアンジェリンに気さくに話しかけてくれた。

「お客さん、セヴォローンからお越しでしたか。山の吊り橋の方から? それは遠くて大変だったことでしょう。今、海路は封鎖されていますからね」

 アンジェリンはフェールと並んで同じ肉料理を食べていた。よく煮込まれた鳥肉が口の中でとろける。

「この肉は美味だ。こういう味は食べたことがない」

 フェールがほめると、亭主がうれしそうに目じりにしわを浮かべた。

「その肉煮込みはこの店の自慢の一品でして」

 アンジェリンもこの料理はおいしいと思い、材料のことを訪ねた。

「それは秘密でございますよ。逃げちまった女房が考案したものですが、それを少々改良してこの味にしております」

 亭主はにっこり笑い、フェールにワインを勧める。

「ディン、飲みすぎはいけないですよ」

「わかっている。口を湿らせるだけだ。酔うほど飲まない。また襲われたら困る」

 フェールはアンジェリンを見て、機嫌よく微笑んでくれた。

 アンジェリンも見つめ返す。彼の笑みは自然で、人々の前で見せる笑顔とは別の物。

 ―-私だけが知っている彼のきれいな笑顔。

 二人で同じおいしい料理をかみしめるたびに、幸せな気持ちがひとくちごとに広がっていく。


 アンジェリンは、フェールの横顔を眺めた。別人のように黒っぽく短くなった髪。それでもやっぱり彼は彼だ。形のいい唇も、ときには怖くもあるが、本当はとてもやさしい琥珀色の目。杯を持つ長い指。

 彼を見ていたら、無性に甘えたくなってきた。

 彼に触れてみたい。指先だけでも。

 アンジェリンは、隣り合って座るフェールの膝に、テーブル下で密かに手を伸ばした。

 ――今は、あなたは私の夫……だと思っていいですか?

 アンジェリンに急に膝を触れられたフェールは、一瞬驚いた顔をしたが、アンジェリンが伸ばしてきた手首を摑まえ、カウンターのテーブルの上に引き出すと、恋人つなぎにしてその手の甲に唇を押し当てた。

 手の甲から伝わる唇の感触に、ゾクリとしたアンジェリンは思わず身を震わせていた。

「急にどうした?」

「なんとなく……です」

 フェールは、ニッ、と笑った。

「これは誘いだと受け取っておくぞ。おまえの方からとは、珍しいこともあるものだな。おまえが望むなら今夜は楽しもう。肩の傷が気にならないならば遠慮なく」

 アンジェリンは赤面した顔で下を向いた。

 名前もよく知らなかった村の、居酒屋を兼ねた宿で、二人の時間は続いている。セヴォローンを出たことは遠い昔の気がした。どうして旅をしてきたのかを忘れてしまうほど。

 だが、この旅は遊びではないのだ。政略結婚と戦争を回避するための旅。


 ――このまま彼は入隊もせず、帰国もせず、セヴォローンのことを忘れて、ずっとこの国で私と普通の夫婦として生きていけたら……。

 身分も名誉もいらない。お金がないなら働いて稼げばいい。ただ、彼が一緒にいてくれればそれでいい。

「あの……ディン……」

 ――あなたは王子に戻りたいですか?

 心の声で問う。

 この国でなら、誰にも邪魔されずに、二人だけでささやかに暮らしていくことが叶う気がする。

 アンジェリンは、つながっているフェールの手を、ぎゅっと握った。

 フェールは軽く握り返してきたが、それはアンジェリンの心の声に対する返事ではない。

 ――私、なんてぜいたくで嫌な女になってしまったのかしら。旅の相手に指名してもらっただけでもありがたいのに、愛を受け、妻にしてもらっただけでなく、この国で王子様を一生独占したいなんて。そんなの、絶対にいけないことでしょう? 私はただの殿下の道化にすぎないのだから、わきまえるべき。

 なのに。

 どんどん好きになってしまう。

 一緒にいる時間が増すほど。

 別れの日が来たら、おそらく笑えない。別れたくないと、泣いてすがってしまうかもしれない。いやしい女のくせに。


 フェールに手をつながれたまま物思いにふけっていたアンジェリンは、亭主の声に顔を上げた。

「お客さんは、どちらまで行かれるんで? 明日はたぶん雨になりますよ。西の山に重い雲がかかっていましたからね」

 アンジェリンは行き先を答えていいのかわからず、フェールの顔を見た。人がよさそうな亭主でも、うかつに予定を教えてはいけない。二人とも黙っていると、亭主は勝手に話を続けた。

「今日はにぎやかですが、このところ、ラトゥク方面へ行くお客さんがものすごく少なくて、商売になりませんでしたよ。今日も宿泊はお客さんたち一組だけでして。明日雨がたくさん降って、お客さんを呼び込めればいいのですが」

 そのとき、外を走る複数の馬の音が聞こえてきた。

 アンジェリンは窓の外を見たが暗くて何も見えなかった。

 フェールは緊張した表情で窓の外をうかがうと、アンジェリンに耳打ちした。

「こんな夜に多くの馬が走っているのはおかしい。追手が来たかもしれぬ」

 アンジェリンはあわてて店内を見回した。どこかに隠れらる場所はないだろうか。カウンターの向こうへ入れてもらってしゃがみ込んで身を隠すか、二階の客室へ上がるか――。


 考えているうちに、外で誰かの大声がした。

「グフィワエネだ! グフィワエネが来たぞー!」


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