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23.廃墟の村

 廃墟となっている村は、マニストゥの家があったメタフ村ほど大きな盆地ではなかった。平らな土地は少なく、山を削って作った狭い畑にへばりつくように、燃え尽きた家の跡が残っているのが見える。家々の跡は畑や石垣の囲みで区切られて密集はしておらず、ぽつぽつと散らばっていた。

 ガルダ川にやがて流れ込むであろう、か細い小川が、村の中央付近をちょろちょろと流れている音が聞こえるだけで、家畜の鳴き声もなく、人の気配はまったく感じられない。


「これは明らかに故意に放火したものだ」

 アンジェリンも、フェールの言うように、この村は放火されたのだと思った。付近の山には火事が広がっていない様子から、村全体が大火事になって滅んでしまった、ということでもなさそうだった。場所によっては、家は残骸になっていても、庭木や畑は燃えていない。

「廃墟になったのはまだ最近のようだな。焼け跡が草に埋もれていない」

「いったい何があったのでしょう……」

 視界内では、まともな建物はひとつもなかった。人が住んでいた形跡だけが、屍のように悲しく黒い跡となって散らばっている。


 さすがのフェールも、珍しくため息をついた。

「残念だが、ここでは温かな寝台で眠ることはできそうにない」

「私もがっかりしました。せめて、誰かおひとりでも生き残っている方がいたなら……」


 アンジェリンは大声で呼びかけた。

「どなたかいらっしゃいませんかー、すみませーん」

 乾燥した秋風が、物言わぬ焼けた村を吹き抜けていく。


 二人は村の中を歩き回り、見えている場所にはどこにも人がいないことを確かめると、村の中央にあった井戸の横の小さな広場で休憩をとることにした。

 燃え残った材木を集め、火を起こした。シドが用意してくれた着火用の油を使うと、すぐに炎が上がった。燃えやすそうな細い木と一緒に、ほとんど炭になってしまっている家屋の残骸をくべる。煙の臭いと同時に温かさが広がり、秋の朝の冷え込みが薄らいでいく。

 夜中に長時間歩き続けた疲れで、火の横に座り込むと、二人とももう動けなかった。疲労困憊の手足は動くことを拒み、待ち望んでいた行水すらおっくうになってしまった。


 アンジェリンは火を囲みながら、膝を抱えて考え込んでいるフェールの疲れた横顔を眺めた。今はかつらをかぶって変装してはいるが、こんな場所にいる男がセヴォローンの王太子だとは誰も気が付かないだろう。

「お疲れですよね? たくさん歩きましたから」

 フェールは、顔を上げると、やさしい笑顔を見せた。

「おまえに心配させるほどひどい顔になっているか? 私は確かにくたびれているのだ。行水して血の臭いを消すべきだが、もう少しだけ何もせずに、こうして温まっていたい。ぼんやりしている場合ではなく、早急に、シドに連絡する方法を考えないといけないのだが。これは想定外の事態だ。おまえの傷を診てくれる医術師も探す必要があるというのに」


 フェールは眠たげに目をこすり、シャムアの地図を開いた。

「とりあえず、ここがどこなのかを確認すべきだな。現在位置は、おそらくこの辺り……」

 フェールは地図上の一点を示した。

 この村は、持ってきた地図には載っていなかった。

 

「内陸へ向かば、必ず大きな街道につながるはずだ。この村の西に、山を越える道があるのではないかと思う。街道に出ることさえできれば、ユハの吊り橋から来る道とやがて合流し、そのままま南下すればよい。道なりに進めば、やがてヌジャナフの町へ行きつく」

「イクスアランの対岸の町ですね?」

「そうだ。ヌジャナフはここ」

 フェールはガルダ川河口付近にある町を指さした。「ヌジャナフは、シャムア国の兵が我が国の砦を襲うために兵を集結している場所だ。最終的にはそこを目指したい。シャムアがどれぐらい本気で戦争をするつもりなのかを探らねば」

「結構遠いですね……」

 アンジェリンは思ったことをつい口に出してしまった。地図上のヌジャナフ、そしてシャムア国の王都ラトゥクは、今いる辺りからはまだまだ離れていた。もたもたしていたら、砦問題の期限が来て、何もしないうちに戦争が始まってしまうかもしれない。

 アンジェリンのあせる思いを受けるように、フェールが答えをくれた。

「何事もなければ、時間的には問題ない。道の状態によるが、ヌジャナフまでは、徒歩なら五日ほどかかると思う。砦問題の期日まで、計算間違いをしていなければ、あと二十五日残っている。まだ日数的な余裕はある」

 アンジェリンは、それでは余裕どころか、日数が全然足りないと思ったが、余計なことは言わないようにした。これは夢の旅。最初から無謀な話だとわかっている。うまくいかなくて当たり前。今はただ、彼の迷惑にならないよう、怪我の痛みに耐えながら付いていくだけ。


「ディン、私はまだまだ歩けます。今日は、どこかの町まで出ることを目標にしましょう」

「そうだな。町へ出ないとおまえの治療もできぬ。ここから一番近そうなのは、サンニという町だ。今日はそこまで――」

 フェールは急に黙り、手元の剣をとり、アンジェリンに目くばせすると、井戸の影にしゃがみこんで身を隠した。

 アンジェリンが、フェールの視線の先を見ると、すぐ近くにある森の中に人が立っており、こちらを静かに観察していた。



「アン、絶対に離れるな」

 ガサリ、ガサリ、と森の雑草をかき分けて出てきたのは、日焼けした浅黒い肌の少年だった。髪を適当に切ったような不揃いのぼさぼさの黒髪は、眉や耳にかかっている。アンジェリンよりも首一つ分以上背が低く、十歳前後に見えた。筒状にした茶色い布に穴をあけて手と首を出し、腰ひもを締めただけの簡易服をまとい、手には草刈り鎌を持っている。

 少年は、鎌を体の正面にかまえて、井戸の陰に身を隠している二人の方に近づいて来た。


 フェールが呼びかけた。

「私たちは通りすがりの旅の者。戦う気はない」

 少年は鎌を下ろさないままゆっくりと歩いてくる。

「誰? 戻って来てくれたの? それともグフィワエネの仲間?」

 まだ声変わりしていない高い声だった。

 フェールが慎重に返答した。

「グフィワエネとは誰のことか知らぬが、私たちは無関係だ。強盗に襲われて妻が怪我をしている。勝手に村に入って井戸を使ったことは申し訳なかったが、ここを荒らすつもりはない。私たちは夜通し逃げて疲れている。どこか休める場所を教えてくれたら、ただちにここを出て行く」


 少年はさらに近づき、井戸まであと二十歩ほどのところまで来ると足を止めた。

「あいつらの仲間じゃないって言うんなら、隠れてないでちゃんと姿を見せて」

「ならば、弓を向けたり、その鎌を投げつけるなどの卑怯なまねはしないでもらおう」

「弓なんて持っていない。見たらわかるだろ?」


 アンジェリンはフェールに耳打ちした。

「あの子、信用して大丈夫でしょうか?」

「それはわからぬが、森の中に他に人影はなかった。あれが敵だとしても、子供ひとりぐらいなら戦える。あの者がおまえを襲おうとするなら、子供相手でも手加減なしだ」

「ですが、子供だと思ってあなどってはいけません。あのイルカンって人でも、とても若く見えたのに――」

「むろん、気を付ける。だが、ここでずっとしゃがみこんでいても、解決にはならぬ」

「はい……」


「そこの少年。私たちの姿を見せるから、その鎌を足元に置いてもらおう。手に武器を持って呼びかけられても、身の危険を感じるから体をさらせない」

「グフィワエネとは違うんだね? じゃあ、鎌を置くから、そっちも僕を襲わないでよ」

 少年は鎌をその場に置いた。


 フェールが、ゆっくりと井戸の影から立ち上がる。その後ろに隠れるようにアンジェリンも立った。

 少年は、血だらけの二人の姿をじろじろ見ている。

「ここであいつらに襲われたの? 怪我をしているんだね?」

「襲われた場所はここではないし、私たちを襲った強盗は、おまえが思っている相手とは違う。私たちはここを襲った強盗の仲間ではない」

「そのしゃべり方……セヴォローンの人?」

 フェールは否定することなく頷いた。


 シャムアとセヴォローンは同じ言語を使っていても、ガルダ川を境にアクセントが大きく違っている。シャムア人に成りすまそうとしても、話し方の抑揚の違いまで完璧にまねることは難しい。


「やつらとは違うならいいけど。またやつらが来たのかと思った」

 少年の黒っぽい大きな目は不安そうに揺れていた。

 アンジェリンはできるだけやさしい口調で、わかりやすく事情を話してやった。

「私たちは、その、グフィなんとかっていう人のことは知らないわ。この向こうの川を超えて夜通し逃げてきたの。途中の宿で夜中に急に襲われて、売られそうになって」

 フェールが王子だということを伏せているが、間違ったことは言っていない。

「いいよ、あいつらの仲間じゃないって信じてあげる。怪我をしているんなら、僕んちの小屋へおいでよ。僕の母ちゃんが怪我の手当てしてくれると思う。母ちゃんは薬師で、昔、ラトゥクの大きな病院で働いていたから少しぐらいなら医術師の仕事もできるんだ」

「ありがとう。助かるわ」

 アンジェリンはその申し出をうれしく思ったが、フェールは警戒態勢を崩しはしなかった。

「それはありがたいが遠いか? 私たちはとても疲れている。遠くまで歩くことができない」

「すぐそこだよ。もちろん少しは歩くけどね」

「その小屋に、おまえの仲間は他にいるのか?」

「僕と母ちゃんしかいない。グフィワエネのやつらが村を焼き払って、みんなを連れて行っちゃった。やつらが襲ってきたとき、僕と母ちゃんは小屋の方にいたから、二人だけ助かったんだ」


 アンジェリンはフェールの顔をちらっと見ると、彼は少年の表情のひとつひとつをにらみつけるように観察していた。

 アンジェリンも、フェールに負けないよう、少年の言葉にほころびを探した。この村のことも、少年の母親が薬師という話も、本当かどうかわからない。いいかげんな薬を出されて、法外な治療費を要求される可能性もある。

「ディン、どうしますか?」

 フェールは一瞬迷ったようだったが、すぐに決断した。

「では、少しだけ世話になろう。ここで休んでいる間に山賊に襲われるよりはましだ」


 アンジェリンとフェールは少年の案内で、村の西にある細い道に入った。

 少年、フェール、アンジェリンの順に一列に並んで歩く。道は馬車が通れない完全な山道であり、人がひとり通るだけの幅しかなく、両脇は小枝や草が覆いかぶさる。樹木が生い茂って空気は湿気り、陽射しはほとんどない。足元の濡れ草が時々触れ、皮靴が湿ってくる。

 この先に、本当に家があるのだろうか。木の上に隠れていた敵がいきなり襲ってくることはないのだろうか。落とし穴へ誘導されているかもしれない。そんな不安を感じさせる暗い森だった。


 フェールは、鞘に納めた剣に手をかけたまま歩いていた。その背はピリピリとした緊張感がみなぎっている。アンジェリンはそんなフェールの後ろを付いて行く。彼は人を疑うということを学び、この少年のことも信用していないのだと、あからさまにわかる。少年が手にしている鎌がいつ振り上げられても対応できるよう、剣の柄を握る手に力が入っている。

 アンジェリンもどこかに敵が隠れていないか、目を光らせ、注意しながら歩いた。森の中、どこにでも人が潜んでいそうだ。案内された先は山賊だらけ、ということもありうる。


 少年は、殺気をまとったフェールのことを気にする様子はなく、背を向けて先頭を歩いて行く。

「本当はね、この道も、小屋のことも、知らない人には教えてはいけないんだ」

「では、なぜそのような秘密の場所へ自分から案内をしているのだ」

 フェールが慎重に訊ねる。

「母ちゃんがかわいそうだから。母ちゃん、村が燃やされてからおかしくなりかかっているんだよ。どうでもいいことで怒ってばかり。そうかと思うと急に大声で泣いたりして、僕だけではどうしようもない。お客さんが来てくれたら気もまぎれると思って」

「なぜこの村が襲われなければいけないのだ。その、グフィワエネとはどういうやつのことだ?」

「やつらは海賊だよ。有名なのに知らないの? グフィ、ワ、エネ。黒い神様って意味らしいけど、どこの言葉か僕はわからない」

「海賊だと?」

 セヴォローンでは海賊に名称を付けて呼ぶことはなかった。複数の集団があると認識されていたからだ。

「海賊とは海で活動する者のことだ。このような山中に来るなら、それは山賊と言うべきだ」

 少年は、フェールの嫌味にもうろたえることはなく、足を止めずに進んでいく。

 足元の草の中からカエルが跳び出した。

「グフィワエネはね、いつもは海賊をやっているけど、悪いことならどこへでも行ってなんでもやる。山の中にだって遠征してくる」


 少年は、この村の名はチェペで、通称『薬師の村』と呼ばれていることを教えてくれた。村人たちは、ほとんどの者がこの村で薬草を育てて薬を調合し、それを山の向こうの町へ売りに行って生計を建てていたと言う。

「やつらはある日突然、大勢で武装して馬でやってきた。もうすぐセヴォローンと戦争になるから、薬の知識がある人がいっぱい必要なんだってさ。村長さんが薬の提供を拒んだら、全部の家からお金とか馬とか奪いとって、村を燃やしてひとり残らずみんなを連れていっちゃったよ」

 少年の言葉には演技には見えない悔しそうな思いがにじみ出ていた。


 アンジェリンも質問してみた。

「女性も子供も連れて行かれたの?」

「うん。隠れていた僕と母ちゃん以外全員ね。僕の父ちゃんも連れて行かれた。村長さんはその場で首を切られて殺されたんだ。僕は木の影から全部見ていた」

「ひどい話ね。海賊をやっている人たちだって人間でしょうに、そんなことをするなんて」

「あいつらは人なんかじゃない。一つ残らず家を燃やして、抵抗した人間を殴りつけて縛って、馬で引きずっていた。グフィワエネなんて大嫌いだ」

 少年は怒りを抑えきれず、少し大きな声になった。「あいつらなんて、全員、セヴォローンの人に殺されればいい。僕は戦争を楽しみにしている。シャムアが戦争で負ければ、連れて行かれたみんなはまたここで暮らせるかもしれないんだから」

「連れ去られた村のみなさんが、グフィワエネが欲しがっている薬を作り終えたら、みんな解放されて戻って来てくれるかもしれないわ」

 アンジェリンは少年を勇気づけようとそう言ってみたが、少年はしょんぼりとうなだれた。

「でもさ……住む家が無くなっちゃったから、みんな、生きていたとしても、今更こんな山奥の村に住みたいなんて思わないよね。ここでしか作れない薬草もあるから、もしかして戻って来てくれるかもって思うけど」


 こんな山間部の少年の言葉からも、シャムア国では、セヴォローンと戦争をする準備が確実に進められている様子が伝わってきた。ここが襲われたのは、砦問題が勃発した直後のことだったという。


 フェールは、さらに質問した。

「この国の治安を守るのは誰だ。地元の民や領主が自衛団を作って町を守っているのではないのか?」

「この村にはそんなのないよ。よその人なんてめったに来ないし、村の中にどろぼうもいないし」

「しかし大きな町へ行けば、王命で動く治安維持兵ぐらいはいるだろう? 村が襲われた時、シャムアの治安兵たちは何をしていたのだ。海賊がこんな内陸にまで入ってきているのに、それを容易に許すとは。海賊が強すぎて彼らは民を守れなかったのか」

「グフィワエネは王様の仲間だから誰も勝てない。兵隊さんたちだって見て見ぬふりで何もしてくれないんだ」

 フェールは驚いて聞き直した。

「シャムア王が海賊を保護していると言うのか! 海賊はシャムア王の手先だと?」

「僕もそうだと思っている。教皇様もそう言っている」

 アンジェリンも驚いた。

「王様が海賊を動かしているって……あの、ディン、もしかしてですけど、砦を作るきっかけになった河口の海賊問題って、シャムアがセヴォローンに戦争を仕掛けようとしてわざと海賊を使った……という可能性はないのでしょうか」

 フェールは考えながらゆっくり言葉を出した。

「確かに、そう言われてみれば、そういう考え方もできる。シャムアは王命で海賊に問題を起こさせ、海賊に困った我が国に砦を作らせ、それに文句をつけ、攻め込む理由を作った……と考えられなくもない。あくまでも想像だが」

「ですが、ディン、そうだとすると不思議ですよね。そこまでしてシャムアがセヴォローンと戦いたい理由ってなんでしょう。軍事力ではセヴォローンの方が勝っているはずです」

「そうだ。我が国は決して負けはしない。だが……嫌な考え方もできるのだ。シャムアがセヴォローンと戦争をして確実に勝つためには、ひとつだけよい方法がある」

 フェールは苦い飲み物を飲んだような声で吐き出した。

「それは、ザンガクムと内密に手を結ぶことだ」


 アンジェリンもフェールが言おうとすることがわかり、背筋が寒くなった。

 海賊対策にセヴォローンが作った川中の砦。それに文句をつけたシャムア。シャムアの商人だって海賊には困っていたはずだった。砦ができれば、河口の治安はよくなる。しかし、武力行使をちらつかせてまで砦撤去をせまったシャムア。その矛盾を説明するような、今、少年が言った『王が海賊と結託している』という話。そして、急なことだったにも関わらず、簡単に成立したセヴォローンとザンガクム間での二つの政略結婚。

 すべてが、セヴォローン攻略のために、ザンガクムとシャムアが手を組んた策略だとしたならば。


「最悪、セヴォローンは内部から崩壊させられた上、二つの国を相手に戦うことになるかもしれぬ。あくまでもそれは一つの仮説だが、ここへきて、それが仮説ではなくなる可能性も見えてきた」

「そんな……」


 少年は鎌を振り回して、顔に寄ってくる虫を追いはらった。

「僕は、グフィワエネが王様の兵隊だって話、本当にそうなのかは知らない。ただ、治安兵なんてグフィワエネのやつらが好き放題荒らして、素通りするのを見ているだけなのは嘘じゃない。教皇様はいつも言っているんだ、王様はみんなを守ってくれないって。そんな王様を敬っちゃだめだって。でも、本当にその通りだよ。王都ラトゥクへ行けばわかる」

「そう……」

 アンジェリンはシャムア国の王については詳しく知らなかった。シャムア王はセヴォローンを公式訪問したこともないため、王族であるフェールでも、シャムア王の正式な名前を知らず、王には多くの妃と子供がいる、ということ以外の情報は持っていなかった。

 シャムア王と、シャムア教の教皇の仲がよくないらしいことは、少年の話から理解できた。


「僕は村が燃やされてからすぐに、母ちゃんと二人で、村のみんなを探してラトゥクまで行ったんだ。誰も見つけられなかったよ」

 先頭を歩く少年は、振り返ると悲しそうな笑い顔を見せた。目を潤ませながら、無理して笑っている顔に、アンジェリンは少年の深い悲しみを思った。この国はいったいどうなっているのだろう。民を守るべき王が海賊を動かし、略奪を黙認し、人々の心を癒すべき教皇は王の悪口ばかり言っているようだ。


 人ひとりしか幅がない細い山道は急坂になり、三階建の建物ほどの高さの小ピークを越え、一気に下ると、視界が急に開けた。森が切り開かれ、明るく日が射す広場のような場所の隅に、小さな木造の小屋があった。

「あそこだよ」

 馬小屋かと思うほどの質素な家で、木の皮の屋根瓦の端についている丸い煙突から、細く白い煙が立ち上っていた。小屋の左横には小さな池があり、緑がかった透明な湧水が出ている。そこから水は細い流れになり、暗い森の中へ延びていた。


「母ちゃん、ただいま。お客さんだよ」

 フェールは、少年が小屋の扉へ向けて走っていくと無言でアンジェリンを振り返り、気を付けろと目で合図した。

 戦いに備えて息をつめる。山賊が中から飛び出してくるかもしれない。

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