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17.逃走

 深夜の客人は、話し方から考えると、マニストゥよりかなり若そうな感じがする。


「僕は、ここへフェール王太子が来る、というあんたの情報を信じて、捕らえる手配を済ませた。それだって大変だったよ。偉い軍人に会いに行くのに金も時間もかかっているんだぜ。情報を出しただけのあんたがもらえる報酬はこの金だけでも充分だろ?」

「いいや、こんな少ない金、わしは納得できん。さてはおまえ、横取りしたか」

「はあ? なんだよ、僕が金を盗ったと思ってんの? 僕だってもっと金がほしいね。フェール様がこんな山奥にやって来るって情報をザンガクムの連中に信じてもらうのに骨が折れたんだからさ」


 会話を盗み聞きしていたアンジェリンは呼吸が速まるのを押さえられなかった。

 ――ザンガクム? どうして? さっきもザンガクムって言ったような……。

 ザンガクムはフェールの結婚相手の国。なぜその国名が出るのだろう。聞き違えたのだろうか。耳に神経を集中させる。

 どうやら、二人の男は仲がいいというわけではなさそうだ。訪問者の男がマニストゥを口汚くののしっている。


「よくばりじじい! あんた、最悪の金好き人間だな。前金をもらえるだけましだと思ったらどうだよ。普通なら、王子様はここにいます、と言いに行っただけでほうびなんて出ないさ。僕まで疑うなんてさ、あんた、救いようのないクズ男だ」

「へらず口が。そう言うきさまがきちんと仕事をやったという証拠はどこにもない。きさまこそ、手配はぬかりなくできているのだろうな」

「ケッ、なんの準備もなしで、あんたに金だけを渡すわけねえだろうが。明日、ザンガクムの連中が、北の山越え経由で密かにやってきて、指定の場所でちゃんと王子様を受け取ってくれるはずさ。残金はその時にザンガクムの偉い人にせびれば? ねえ、じいさん、いつまでも金のことばかり言ってないで、フェール様の顔、早く確認させてくれよ。あんたの情報が嘘だったら最悪じゃないか」

「確認したいか。いいだろう、会わせてやる。ただし、絶対に起こすな。酒をしっかり飲ませてあるから、ぐっすりお休み中のはずだが、今怪しまれれば、明日山奥まで連れ出すのが面倒なことになる」

「じゃあさ、今寝こみを襲って縛りあげて、袋にでも詰めて連れていったらどう?」

「それでは、こんな田舎では人目に付きすぎる。できれば、だましたまま穏便に連れ出したい」

「フェール様だって、あんたが変だってそのうちに気がついちゃうんじゃない? やっぱり今すぐ縛って目立たない夜のうちに移動させたら? 僕が縛り上げてやるよ」



 アンジェリンは、音を立てないように気をつけながら急いでその場を離れた。

 話を聞く限り、何者かがマニストゥと組んで、フェールをザンガクムに引き渡そうとしているようだ。自国セヴォローンでも砦問題でもめているシャムアでもなく、なぜか同盟国のザンガクムへ。

 もしも、フェールがザンガクムへ捕らえられてしまったら――。

 ザンガクムから花嫁が来ると決まっている今の状況。その相手になる花婿が勝手に逃げ出してこんな場所にいることが発覚すれば、両国にとって大問題に発展するだろう。フェールが抱いてきた夢のすべてが終わるだけではない。最悪の場合は、シャムアだけでなくザンガクムとも戦争になり、フェールがセヴォローンに帰ることはかなわず、生涯幽閉生活か、処刑されるか。

 アンジェリンは、全身を震わせながら、脱いだ靴を手に持って、フェールが寝ている部屋へ忍び足で急いだ。


 フェールに用意された部屋は二階の最奥で、階段から最も遠い場所にあった。

 木製の階段も廊下も、歩くたびにミシミシと音が出てしまう。

 ギシッ、と木がきしむたび、わなの上を歩くような緊張で、心臓は激しく打ち、全身から汗が噴き出してきた。恐怖で叫びたくなる衝動をこらえて一歩一歩静かに進む。

 男たちの話し声はまだ続いており、アンジェリンが移動していることは、今のところ気が付いていないようだ。

 ――早く。今のうち。

 つま先で、そろり、そろり。

 いくつかの扉の前を過ぎ、ようやくその部屋の前にたどり着いた。

 大汗をかきながら、扉を叩かずそっと開ける。鍵はかかっていなかった。


 小さな燭台で照らされた部屋の中、フェールは寝台の中でぐっすり眠っていた。

 アンジェリンは、寝台に身をかがめ、耳元に口をつけてささやいた。

「起きてください、大変です」

 フェールは目覚めてくれない。部屋にはワインの香りが充満している。

「殿下」

 アンジェリンは手加減なしで彼の肩を強く揺さぶった。それでも彼が目覚めないので、まだ呼び慣れていない名で起こしにかかった。

「ディン、すぐに逃げないといけません」

 フェールはようやく薄く目を開けたが、状況が呑み込めないようだった。アンジェリンの顔をぼんやりと見ている。

「どうした? さみしいのか。来い」

 フェールはアンジェリンの手首をつかんで寝台へ引き込もうとしたが、アンジェリンはその手を振り払った。

「危険なんです。このままでは売られてしまいます。早く、今すぐ逃げるんです!」

「なにぃ? ちょっと待て……どういうことだ」

 フェールはただならぬアンジェリンの様子に、やっと正気に返り、ガバッ、と身を起こした。

「簡潔に説明しろ」

「マニストゥさんを信用してはいけません」

 アンジェリンは早口の小声で状況を説明した。


 フェールは前髪をかきあげ眉を寄せた。

「意味が分からぬ。マニストゥの手引きで、ザンガクムの者がこの先の山中に私を捕らえに来る? なんだそれは。あの男、シドの恩師ではなかったのか」

「シド様の家に取り入ってザンガクムへ情報を流していたみたいで……とにかく、今はここから逃げましょう。玄関のところに、さっき来た人が乗ってきた馬がつないでありますから、あの馬を借りたらいかがでしょうか」

「わかった。相手は何人かわかるか?」

「この家の中にいるのは、マニストゥさんと、馬に乗ってきた誰か、その二人だけだと思いますが、他に隠れていたらわかりません」

「マニストゥは剣の師範だし、もうひとりの実力がわからぬとなると、さっさとここから退散した方がよさそうだな。一応、この前買った短剣を内ポケットに入れておけ。それからこれを袖の裏に仕込んで」

 フェールは、シドが用意してくれた毒針数本をアンジェリンに渡した。


 フェールは、腰高両開きの窓をゆっくりと開き、外の様子を確かめた。

「確かにあんなところに馬がつないである。夕方にはいなかった」

 この部屋の窓はその一か所だけで、バルコニーはない。

 外は秋の明るい月に照らされ、建物の前には広大な畑が黒く広がっていた。

 さっと見た限り、建物の周りに灯りはない。動いている物もなく、闇の中に人が何人も潜んでいるようには見えないが、誰かいたとしてもわからなかった。

「この建物は包囲されていないようだ。外には誰もいないと信じて、ここから飛び降りて逃げよう。先に私が降りる」


 フェールは静かに部屋の扉に鍵をして、外へ荷物を放り投げると、両開きの窓に片足をかけた。

 下の階で、ガチャリ、と扉を開け閉めする音が響いた。

 二人は顔を見合わせた。

 彼らがこの部屋にやってくる。もう時間がない。

「急ごう」

 フェールは素早く窓枠を乗り越え、いったん手だけで窓からぶら下がると、膝を少し曲げて、そのまま手を離した。

 ザクッ、という音と共に、フェールはしゃがみこんで両手と両膝をついたが、すぐに立ちあがって両手を大きく広げた。

「受け止めてやる。飛び降りろ!」

 ミシミシと廊下を歩く足音は、この部屋に向かってどんどん大きくなってくる。

 やがて合鍵がさしこまれた。


 アンジェリンが窓に足をかけた時、背後の扉が開かれた。

「待て、逃げる気か!」

 男の怒鳴り声に、恐ろしさで思わず悲鳴を上げながら、アンジェリンは窓枠を蹴り、下で手を広げていたフェールの腕の中に飛び落ちた。


「くっ!」

 思った以上の重さに、フェールはアンジェリンを抱きとめきれず、受け止めたまま前のめりに転んだ。アンジェリンは尻もちをつき、抱きとめた腕を引っ張られたフェールが上に覆いかぶさる形になった。

「う……すまぬ。アン、無事か?」

「大丈夫ですけど、あの人たちが!」


 二階の窓から明るいランタンが差し出され、二つの顔が覗いた。

 すぐに動けなかったアンジェリンとフェールは、二階の窓からの灯りに照らされ、ひしと身を寄せ合った。

 マニストゥがうれしそうな声を上げた。

「フェールはまだそこにいるぞ。捕まえろ」

 男たちの顔が引っ込み、階段を走り降りる音が外まで聞こえてきた。


「アン、走れ! そこにいる馬を拝借する」

 月明かりの中、二人は畑の土に足をとられてよろめきながら走りだした。


 飛び降りた部屋は一番東。建物の最も西にある玄関の前につないである馬へは、建物沿いに西へ向かわなければならない。荷物を持ったフェールよりも、アンジェリンが少し遅れる。フェールは振り返りつつも走る速度を弛めず、うまく走れないアンジェリンに命令を出した。

「そこで待っていろ! やつらが玄関から出てくる前に私が馬を奪い取ってくる」

 フェールがそう言った直後、玄関扉がバタンと大きく開かれ、ランタンを手にした男たちが飛び出してきた。これではフェールの方へ行くことはできない。

 アンジェリンは急いで向きを変え、馬へ向かうフェールと反対の、さきほど自分たちが飛び降りた方向へ走った。


 玄関から出てきた男たちは、きょろきょろと闇を見回した。フェールはとっさに低い植え込みに姿を隠したらしく、アンジェリンが走りながら振り返っても姿は見えなかった。

「フェールはどこだ。女はあそこにいるが」

「じいさん、先にあの女を捕獲しちゃったらどう? そしたらフェール様も見つかるよ」

「そうした方がよさそうだ。女を捕まえろ!」

 男二人は、逃げるアンジェリンを追いかけてきた。


 アンジェリンは建物沿いに必死で駆けた。男二人がものすごい速さで追いかけてくる。 

 振り返ると、どんどん距離が縮まってきていた。

 これでは絶対に逃げ切れない。それでも逃げる。足を全力で動かす。

 男たちがこっちに気をとられている間にフェールが逃げてくれればいい。



「ほれっ、捕まえたわい」

「きゃっ!」

 アンジェリンはマニストゥに飛びかかられ、土の上に引き倒された。

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