16.王女の野望
セヴォローンの東隣の国、ザンガクム。その王城は、コオサという町の中央にある。
人工的な水堀に囲まれた城は、しっかりした石の城壁で覆われ、その中にところ狭しといくつもの細く高い塔が建てられていた。
その塔の中の一室で、キャムネイ王とクレイア王女は、ときおり笑い合いながら、セヴォローンを併合する計画を練っている。室内には、二人の他には誰もいない。
「余は、セヴォローンがザース王子をこちらへよこすことを了承するとは思わなかった。大事な第二王子を出してまで我が国からの人質が欲しいらしい。あのラングレ王が、我が国をどれほど警戒しているのかがわかったことはよいことである。しかし、そなたはこのような結婚、本当によいのか?」
「ええ、わたくしの心は決まっておりますわ。わたくしは、フェール様に気に入ってもらえる女性を演じてみせます」
王女クレイアは、白髪と見間違うほど明るい金色の長い髪を揺らして微笑んだ。ゆるい癖のある豊かな髪は、背の中ほどまである。面長で、すらりとした体つき。青く細い目は父王にそっくりだった。
「フェール殿はそなたより一つ年下の二十歳。気が強いそなたには、もっと年上の男性の方が合うのではないか? 今ならばまだ婚約発表前である。余は、そなたがフェール殿と結婚することで幸せになれないならば、婚礼話は断ってもよいと思っておる。セヴォローンを併合できなくともかまわぬ」
「わたくしに年下の男性では物足りないと仰せですか? 強くお育てになったのはお父様ですよ」
「確かにそうであったな」
キャムネイは、美しく育った娘に温かい目を向けた。
「そなたは、本当にセヴォローンを併合できると思うか?」
「ええ。我がザンガクムが発展するためには、領土の拡大が必須。我が国は、南は海、北と東は山。国を富ませるためには西へ、セヴォローン方面へ手を広げるしかありませんもの」
「しかし、セヴォローンは強い。人口も軍事力も、我が国の倍近い。真っ向から戦っても勝てまい。シャムアとセヴォローンが全面戦争になっても、セヴォローンの敗北はありえないと軍族どもは言っておる。我が国が砦問題の騒乱に便乗し、シャムアと組んでセヴォローンを挟み撃ちにしても、簡単に勝てるかどうかはわからぬ」
「ですから、わたくしが王太子妃として入り込み、内部から崩してさしあげるのです。わたくしがフェール様のお子を産んだら、すぐにセヴォローン国内の廃貴族たちを利用して、ラングレ王とフェール様を暗殺してもらいましょう。そうすれば、セヴォローンの王位はわたくしの子のもの」
「セヴォローンの廃貴族どもは扱いにくい存在だとは聞いておるが、話にうまく乗ってくるだろうか」
「わたくしは乗ってくると見ていますわ。廃貴族たちに正式な貴族への復帰を約束し、味方に付けられるよう交渉すればよいのです。廃貴族たちが暗殺に成功し、私の子が王になり、私が権力を振るうことができる立場になったらこっちのもの。その後は、廃貴族たちは邪魔になりますから、セヴォローン貴族の『あの男』を使って排除します」
クレイアは意味ありげに眉を大げさに動かして見せた。
「『あの男』か……余は、やつが何をたくらんでおるのかさっぱりわからぬ。セヴォローンの王位を狙うにしても、やつには王位継承権がない。やつの息子には継承権があるが、たしか、王位継承順位は第四位だったはずで、ラングレと王子二人を殺しても、まだ王弟もいて、やつの息子は王にはなれぬ」
「『あの男』の狙いは息子をセヴォローン王にすることではなくて、廃貴族を利用し、利用後、排除したいのでしょう」
「しかし、そうだとしても……それだけの理由で自国の王に刃を向けることができるだろうか。何とも怪しい話である」
「大丈夫ですわ。先日も彼の密使がわたくしの元へ参りました。『あの男』からの伝言で、信用の証に、ラングレ王の首を取ることにも手を貸すと。機会が来たら連絡してくるそうですわ」
「うーむ。いい話ではあるが、やつを完全に信用することは危険であるぞ。密使そのものがやつからの使者ではなく、余を陥れようとしている何者が仕向けたわなかもしれぬ」
「ご安心ください。密使として遣わされた男は、お父様もよく知っている情報屋でした。マニストゥ・カラングラという名の初老の男、御存じでしょう?」
王は、おお、と頷いた。
「マニストゥを通じ、『あの男』の協力を得て、廃貴族を利用し、王と王太子を亡き者にし、王位をそなたの子に……想像だけならばうまくいきそうだが……思わぬ事態も想定せねばなるまい。そなたに子ができなかった場合はいかがする」
「その場合は、少々困難になりますが、子がいなくてもセヴォローンの王権をわたくしが奪い取らなければなりませんわ。『あの男』の協力だけでは足りませんから、シャムア王を利用できるだけ利用してみようかと」
「シャムアか……シャムアは今、王権は失墜し、権力を握った教皇が、王を人形のように扱い、何もさせず王城内に押し込めていると聞く。セヴォローンとの砦問題を勃発させたのは、どうやらシャムア王ではなく、教皇らしい」
「それならそれで結構ですわよ。宗教関係者に牛耳られて何の権限もないシャムア王の現状なら、王は誰の手でもすがりたいところ。我が国が、シャムア王に対し密かに支援を申し出れば、シャムア王は必ず我が国にとって有利な駒になりますわ。シャム国内でシャムア王と教皇の対立が激化して国が混乱すれば、うまくいけば、セヴォローンだけでなく、シャムア全土も手に入るかもしれませんわよ。その前に、シャムア全土がセヴォローンになっているかもしれませんけど。いづれにしても多くの血が流れそうですわね」
クレイアは薄い唇で笑った。健康的でつややかな肌は、笑ってもしわひとつない。
「そなたは王妃よりも軍人に向いている。さらりと恐ろしいことを言う」
「ほほほ……それが何か? わたくし、おとなしく椅子を温めているだけの王妃にはなれません。ザンガクムが大帝国となれるよう、利用できるものは何でも利用します。夫を殺すことだって、ためらうことなくやり遂げてみませすわ。お父様は、ザース様をいかにうまく病死にみせかけて暗殺するかをお考えください」
「考えておく。こちらへ来た第二王子は、すみやかに逝ってもらった方がよいと余も思う」
「そうしてくださいませ。ふふふ……」
「まずは、シャムアとセヴォローンの砦問題がどう転ぶか。すべてはそれからである」
「楽しみですわ」
◇
一方、アンジェリンとフェールは、徒歩で順調に旅を進め、目指すメタフ村に到着した。この村に、シドから紹介された旅の支援者、マニストゥ・カラングラという男が一人で住んでいると聞いている。
村は、ユハの吊り橋の少し手前から脇道に入り、北東へ林道を進んだ先にあった。周囲は山に囲まれ、見たところ二、三十軒ほどの古そうな民家、しかも人が住んでいるのかどうかわからないようなさびれた家しかない。
マニストゥという男の家は、すぐにわかった。昔は宿屋をやっていたという総二階の家。畑になっている広い前庭があり、建物の西隅には玄関が、そして、敷地内には草で葺いた屋根の馬小屋があった。
マニストゥは、シドが言った通り、頭頂まではげあがった年配の男性だった。後ろから横に残る灰色の髪はさっぱりと刈り込まれている。剣の師範というだけあり、黒い目はにごりがなく隙がない。背も曲がっておらず、年配と言っても四十代後半から五十代前半と言っても通用するほど肌は若々しかった。顔からは実年齢が全く読めない。
マニストゥは、フェールが差し出したシドからの手紙を丁寧に受け取ると、頭を下げた。
「王太子殿下、お待ちしておりました。先日ゾンデがここへ来ましたので、事情は存じております。わしはすべてから引退した身ですが、殿下の直接の願いとあっては、動かないわけにはいきませぬ。今宵はここへお泊りになってくだされ。明日、シャムアへ渡れる道へお連れいたします」
アンジェリンは、マニストゥがアンジェリンを見るなりニヤリと笑ったことに気が付いたが、あいさつの笑みだったのだろうと思い、軽く会釈しておいた。
その夜、フェールは久しぶりに王子に戻り、アンジェリンは侍女として給仕などを手伝った。
マニストゥは、肉料理と野菜サラダが並んだ食卓で、フェールにワインを勧めながら、シドとゾンデの思い出を語った。
「あれから十年。ヘロンガル家のだんな様が、剣術試合に出ていたわしに声をかけてくださり、息子に剣の基礎を教えてくれないか、とおっしゃってくださったとき、シド坊ちゃんはまだ十歳でしたなあ」
アンジェリンもテーブルに着くことを許されたが、会話には入らず、二人の話を聞いていた。
「ゾンデは屋敷の下男の子でございまして、その時点ですでに十八ぐらいになっていたと思います。だんな様は、ゾンデをシド坊ちゃんの護衛にしたいとおっしゃった。そこでわしは二人一緒に剣を教えることになりましてな、彼らは数年で上達し、この老いぼれの役目も終わったのでございます」
フェールもマニストゥも、気持ちよくワインを飲んでいる。フェールはすでに顔が赤くなるほど飲んでいたが、マニストゥに勧められるまま杯を重ねていた。アンジェリンは飲みすぎるフェールが心配だったが、今は使用人の立場。余計なことは言わない方がいいと思い、ずっと黙っていた。
「ほほう、殿下はシャムア軍にお入りになると? それは冒険でございますなあ。シャムア軍の傭兵採用条件はひとつだけ。健康で腕利きならばよし。身元や年齢は細かく問いません。入隊は簡単ですぞ」
マニストゥはシャムア軍の元傭兵というだけあり、軍の詳しいところまで教えてくれた。「報酬は日当計算ですが、二十日ごとのまとめ払いでございました」
「そうか、すぐに報酬が手に入るわけではないのだな。ではもう一つ教えてほしい。シャムアへ渡るのに、ユハの吊り橋以外の場所はあるのか? 吊り橋は検問所が厳しそうだから、そなたに相談するようとシドに言われたのだ」
マニストゥは頷いた。
「吊り橋突破はおしのびの王太子殿下には無理でございます。少々遠回りになりますが、ここからさらに山奥へ、山ひとつ分、東から周り込む道から、ガルダ川を安全に渡れる場所まで案内いたしましょう。我が家の馬をお使いください。シド坊ちゃんに頼まれておりますからな、おまかせくだされ」
「それは助かる。シドは本当に手回しがいい」
その夜、フェールはすっかり酔い、寝室に案内されると服のまま眠ってしまった。
アンジェリンにも別の部屋が用意された。久しぶりにフェールと離れてゆっくりと眠れる夜となったが、アンジェリンは寝台へ入ってもなかなか寝付けなかった。
たくさん歩いてとても疲れているのに、いつまでも眠れない。湯を借りて体もきれいにし、フェールに買ってもらった夜着代わりの木綿のワンピースに着替え、眠る仕度はできている。なのに、いつまでも頭が冴え冴えとしている。たぶん、心身ともども疲れすぎているのだ。高貴な男性と二人きりの旅で、緊張と喜びと驚きが、常に混ざり合っている。
水を飲めば眠れるかもしれないと考えたが、部屋には水さしが置いてなかった。水をもらって来ようと思い、寝台から出た。フェールも、酔いが醒めれば、水かお茶を欲しがるかもしれない。用意をしておいた方がいいだろう。マニストゥが眠っているなら水はあきらめる。
アンジェリンは、静かに部屋から出ようとしたところで、あっ、と足を止めた。外から馬のいななきと足音が。外はまだ暗く、普通は誰もが深い眠りの中にある時間だ。
心臓が速まる。こんな時間に人が来るとは、もしかして、フェールを追ってきた兵だろうか。
窓にかかる日よけ布を少しひっぱり、隙間からそうっと覗いた。訪問者はひとりのようだ。
外は月明かりしかなく暗すぎて、馬に乗ってきた誰かの顔や服は確認できない。訪問者は馬を降りると、玄関扉を乱暴に何度もたたいた。
一瞬、シドかゾンデかもしれないと思ったが、彼らならあれほど激しく扉をたたかないのではないか。それに、あんなに大きな音を立てたら、フェールが起きてしまいそうで心配にもなる。
いったい誰だろう。
王の兵の制服を着ているかどうか、確かめたいが、目を凝らしても見えない。それとも、フェールには無関係の一般の客人か。ここは昔、宿屋をやっていたとマニストゥが言っていたから、現在も宿屋だと信じて泊まりに来た人がいる可能性はある。しかし、この時間にこんな田舎にやってくるとは普通の客人だと思わない方がいい。不安を抱え、いろいろ考えている間も、扉をたたく音は続いている。
やがて、マニストゥが客に気がついたらしく、バタバタと玄関へ向かう足音がした。夜中の客人はマニストゥに迎え入れられたようで、アンジェリンの部屋の窓から見えなくなった。
とにかく、客人が追手かどうかを確かめるべきだ。
アンジェリンは扉を少し開けて、神経を集中させ、食堂兼ね居間として使っている入り口の部屋にいる二人の会話を聞き取ろうとした。
喧嘩しているような荒ぶった言い方が耳に入ってきた。訪問者は男性らしい。こんな時間の訪問にマニストゥが怒っているのかもしれない。
ここでは彼らの会話がよく聞こえない。もっと近くへ。
足音を立てないよう、靴を脱いで、裸足で廊下を移動した。居間へ通じる扉の近くまで来て、耳をすませる。
「これっぽっちの金しか出せねえと? ふざけやがって」
「そう怒るなよ。これは前金。残金は受け渡しが終わってからだってさ」
「わしをバカにしているだろう。この家に泊まっているのは正真正銘、フェール王子だ。セヴォローンの王太子だぞ。こんな重要な情報を出したのに、はした金ですませる気か。わしが王子を王都へ連れ帰れば、ラングレ王からもっとほうびが出るはずだ」
「さあ、どうかな」
アンジェリンは叫びそうになり、自分の口を押えた。
――マニストゥさん! あなたは。
訪問者とマニストゥの会話は続いている。
「あんた、フェール様がここへ来るとわかっていたんだよね? 今からでも生きたままシャムアに引き渡せば、ザンガクム側に渡すよりももっと金がもらえるかもしれないよ? やつには護衛兵はおらず、連れているのは愛人ひとりきりだって? そんな馬鹿王子なんて、縛り上げるのは簡単じゃないか。こんな機会二度とないのにさ、なんでシャムアに渡さないんだよ」
「この悪党、わしがシャムア軍に追われていることを知っていてそう言うか」
「どっちが悪党かな。セヴォローンの王族と縁のある貴族の家に取り入って、情報をせっせとザンガクムに流していたのはどこの誰だい? 僕は父ちゃんから全部聞いてあんたのこと、よく知っているんだよ。あんたを心から信頼している貴族のガキ、なんて言ったかな、そうそう、シド・ヘロンガル。かわいいシド坊ちゃんを裏切ってまで金がほしいなんて、あんた、頭がおかしいよ」
「うるさい。こういう仕事をやっているきさまだって同類じゃ」
「夜中に起こしたからって、そうカリカリ怒るなって。怖いじじいだなあ」
アンジェリンは聞こえてくる会話の内容に凍り付いていた。