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10.手紙

 アンジェリンが一人で城近くの自宅にいると、誰かが訪ねてきた。知っている名前に、アンジェリンは慌てて髪を後ろで束ね、扉を開けた。城に出仕しなくなってから四日目のことだった。


「急な訪問で申し訳ない」

 扉の向こうには二人の男が来ていた。


 訪問者は、よくフェールの部屋に来ているシド・ヘロンガルで、国王夫妻以外でフェールを呼び捨てにする唯一の人物だった。体格がよく、日焼けした肌。つかむことができないほど短く刈り込んである黒髪。切れ長の青い目は軍人らしく鋭い。ありふれた生成のシャツに、ひざ近くまである丈の長い茶色の薄上着を身に着けていたが、私服でもどこか軍人らしさが抜けていない。

 シドの背中に隠れるように付き添っている猫背の男は、彼が常に連れている従者ゾンデだ。


「フェールから手紙を預かった」

 シドは上着の内ポケットに手を入れた。周りを気にしながら手紙を出すと、アンジェリンに渡した。

「ここに書かれていることに応じるかどうかは君次第。君が、二度とフェールに会いたくないならば、こんな手紙などなかったものとして捨ててしまえばいい。では失礼する。確かに手渡しで届けたぞ。手紙の内容を他言してはならない」

 シドは踵を返すと、アンジェリンに何も言わせないまま、猫背の従者と共に急ぎ足で姿を消した。


 アンジェリンは扉を閉めると、ざわめく心を押さえつつ、すぐに手紙を開封した。

 白い紙に書かれたきれいなフェールの字が目に飛び込んできた。



【アンジェリン・ヴェーノへ


 突然仕事を辞めたと聞き、とても残念に思っている。辞めた原因が私にあるのならば謝罪はするが、そなたへの求婚は偽りでもたわむれでもなかった。

 すでにそなたの耳に入っていることと思うが、今、私にはザンガクムの王女との政略結婚の話がきている。だが、私が妃に迎えるのはそなたひとりだけだ。信じてほしい。そのためには、いろいろ準備が必要だ。

 政略結婚を回避するには、まずは、シャムアとの戦争を避けなければいけない。シャムアと戦争をしないことになれば、ザンガクムから花嫁を迎える必要はなくなる。それには、シャムアが戦争をできない状態にすればよい。シャムアの軍事力を削げば、私たちの道は開ける。

 私は数日以内に内密に国を出て、シャムア国軍の傭兵部隊に潜入し、戦争回避の道を探してみようと思う。

 これは危険な計画だとわかっているが、シャムアで実績を作り、そなたとのことを父に認めてもらうためでもある。やってみる価値はある。この計画を知っているのはこの手紙を持ってきたシドと従者、および、彼の協力者だけだ。私はシドの協力の元、準備が整い次第、単身でシャムアへ向かう。

 それで、そなたさえよければだが、シャムアまで私と共に旅をしてくれないか。シャムア教の祝福式を受けるという名目で、二人だけで―― 】


 手紙をそこまで読んだアンジェリンは、思わず声をあげていた。

「二人だけでって……これじゃあまるで駆け落ち……」

 シャムアへ向かう二人連れの旅人が多くいることは、事実ではある……が。


 シャムアは宗教国家であり、シャムア教関連の結婚産業が経済を大きく支えている。シャムア教では、セヴォローンでは許されていない重婚や、異父兄妹婚、同性婚まで認められており、すんなりと結婚できない事情を持つ多くの者が、夫婦として認められるためにシャムアを目指して旅をする。

 シャムア教の祝福式とは、セヴォローンでいうところの結婚式のことで、祝福式を理由にシャムアへ入国すれば、シャムアでは、仕事や住居のあっせんも受けられる。

 結婚を望む旅人たちに紛れれば、確かに国境は越えやすく、目立ちにくい。

 セヴォローンとザンガクム、そしてシャムア、この並ぶ三国は、百年ほど前までは一つの国だった。大セヴォローンが三国に分裂する元になったのが自由な結婚を推奨するシャムア教である。元は同じ国だった名残で、現在も通貨や言語は三国共通で、見た目だけでセヴォローン人だと断定される心配もない。


 アンジェリンは続きに目を通した。


【 だが、そなたが私と同行せず、自宅で私の帰りを待っていてくれるならそれでもいい。私はシャムアでの仕事を無事に終えたら、セヴォローンに帰国し、そなたを必ず迎えに行く。旅はとても危険なものになるだろう。それでも今、何もせずに現状を受け入れるよりはましだ。

 明日の午後、時間ははっきり言えないが、私は密かに城を出て、中央通りの公園でそなたを待っている。闇に覆われる時間になってもそなたが来なかったら、私はひとりでシャムアへ向かう。

 アンジェリン、愛している。

 私を忘れないでくれ。

 いつか必ずまた会おう。  】



 手紙を読み終えたアンジェリンは、最後につづられたフェールの名前を何度も読み返したあと、手紙をくしゃくしゃに握りしめた。言いようのない熱い思いが胸を焼く。ずっと息を止めていた自分に気が付き、大きく息を吸った。

 旅の相手に選ばれたのが自分だと思うと、なんとも言えない幸せな気分と不安が、大波のように心の中で混ざり合う。

 どうやら、彼は勝手に城を抜け出して敵国の軍に入り込むつもりらしい。政略結婚を控えた身で。

 シャムアとの開戦が迫る限られた時の中、王太子が勝手に消息を絶てば、この国に嫁いでくるザンガクムの王女を侮辱することにもなる。最悪の場合は、そのことでザンガクムとも戦争になる可能性もある。


 アンジェリンは鼓動が速まっている胸を押さえた。こんなとんでもない計画がうまく行くわけがない。無事に国境を超え、運よく傭兵になれたとしても、配属先まで自分で決められるとは思えない。もしも、砦問題と全く関係ない遠い西の山間部の警備などに回されてしまったら。それに、シャムアとの戦争回避などたったひとりきりでやるものでもなく、戦争の回避どころか、戻ることすらできなくなるかもしれない。何年か先に帰国することはできるかもしれないが、それでは遅すぎる。

 考えれば考えるほど、不安材料しかない。


「殿下には兵なんて似合わないわ。【兵】になって【不平】ばかりでしょうに……って駄洒落を言っている場合じゃない」

 アンジェリンは手紙を見て、ささくれかかっていた感情が少し落ち着いた。

 ――あの方にまた会える。

 侍女を辞めてからは、高貴な人と会話する機会などないと思っていた。

 愛を語られてうれしい気がしても、それではいけないことぐらい承知している。

「明日……会いに行くわ……」

 どうしても直接会って出かけないように説得しなければ。

 この計画は無謀すぎる。計画を断念するよう説得できるのはおそらく自分だけだ。

 彼を想うならば、彼をこんな危険な旅に出してはいけない。



 アンジェリンは手紙をもらった翌日、朝から身支度を始めた。

 まだ約束の午後になるには時間があるが、落ち着かず、着ていく服を次々引っ張り出した。高貴な人と極秘で会うのだから、失礼のない恰好、しかも、目立たない服でないといけない。

 あれもこれもと出して、結局、何の飾りもついていない白い綿ブラウスに、茶色のロングフレアースカートに落ち着いた。

 肩の下まであるまっすぐな茶金色の髪は、普段ならば後ろでひとつに結んでいるが、今日は仕事ではないのだから、髪を束ねるのはやめた。鏡を見て、何度も櫛を通す。さらさらとした髪が肩に広がる。重い前髪も額が出ないようにきれいに整えた。丁寧に薄く化粧し、唇に薄い紅を引く。

「私ったら……」

 鏡を見ている自分が滑稽だと思えてきた。薄化粧した緑の眼の女が鏡に映っている。これではまるで、恋人に会いに行く浮かれた女と変わらないではないか。髪はやっぱりいつもどおり後ろでひとつに結び、地味な茶色の紐で束ねた。


「私は殿下の無謀な計画を止めるために会いに行くだけ。危険な旅なんかさせられない。【剣】を持っていても【危険】なんだから」


 昼前になり、アンジェリンは家を出た。遅くなることを想定して薄い上着を片手に持ち、つばの広い帽子をかぶって、指示された公園へ向かった。公園は城から歩いていける距離にあった。

 その場所は、セヴォローンが国を挙げて行っている冬の経済対策の一環、『冬祭り』の会場でもある。祭りの時は、さまざまな催し物が開催され、広い公園は全国から集まる商人と買い物客であふれ、冬とは思えない賑わいとなる。


 今日は秋の晴天で、緑あふれる広い公園内には乾燥した心地よい風が吹き、小さな子を連れた家族や、散歩している老人など、人はちらほらいた。遊歩道沿いには、あちこちに木製の長椅子が置かれている。


 アンジェリンは公園内をゆっくりと歩いた。本当に、こんなところに王族がひとりで来るのだろうか。それらしい姿は見当たらない。ふと目に付いた立て看板は、冬祭りの中止決定を告げていた。

 ――やっぱり戦争が始まるからお祭りは中止? 殿下は国のために隣国の王女様とご結婚なさる。

「きっとここにはお出ましにならないわ」

 王太子殿下がこんな場所まで出てくると本気で信じてしまう方がどうかしている。あの無謀極まりない計画が漏れてしまったら、彼はおそらく王に監禁される。

「それはそれで……あの方は安全よね」

 アンジェリンは、木陰に備え付けられた木製の長椅子に腰かけた。手紙に書かれていたように、夜になるまで待ってみよう。


 時間はゆっくり流れていくが、フェールはなかなか現れない。

 夕日で赤く染まっていた空が、徐々に暗い色へ変わっていくと、アンジェリンは立ち上がった。公園で遊んでいた子供たちの姿もなくなった。夜闇が辺りを覆い始めている。約束の時は過ぎた。


 ――あの方は来なかった……。

 理由はどうあれ、それでよかったのだと自分に言い聞かせる。計画通り、シャムアで傭兵部隊に入れたとしても、セヴォローンの王子であることがばれてしまったら命はない。大切な人が命を失ってしまうぐらいなら、もう会えなくてもかまわない。

 悲しいような、それでもほっとするような気持ちで公園を出て自宅へ向かった。長く秋の空気に当たっていて体はすっかり冷えている。

「【公園】には【縁】がなかったのよ」

 冷え切って動きにくくなった指を開いたり閉じたりしながら歩いていく。

 目の中にじわじわ集まる涙が落ちそうになり、顎を上げた。薄闇の中に泣き顔の女一人、早く帰らないと危険でもある。足を速めた。


「お嬢さん」

 公園を出てすぐの大通りで、後ろから呼び止められた。

 振り返ると、そこにはシド・ヘロンガルの従者、猫背で灰色の髪の男がひとりで立っていた。


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