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偏執病  作者: オリンポス
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1.仕方ない

はじめましての方は、はじめまして。

はじめてじゃない方は、いつもご覧頂きありがとうございます。

またまた新連載です。お楽しみいただければ。

「大原班長。言われた通りにテコ入れをさせました」

 僕はそう茶封筒に入った原稿を、震える手で渡す。

「うむ、点検」

 耳にデジタル補聴器をつけた大原班長が、しわだらけの手で受け取った。

 老眼鏡の中にある、穿つような眼光が、より一層鋭さを増した気がする。


 彼がぺらぺらと紙をめくっている間、僕の胃には穴が開いたような不快感が漂っていた。


 しばらくして、初老の男性は長く息を吐き出した。

 目を閉じて眉間にしわを寄せている。


 僕はこの人が苦手だ。

 この人の発する空気が、僕をさらに委縮させるのだ。

 それこそ鼻息の音だったり、まばたきの回数だったり。そんなくだらないことに意識を向けていないと、足元がぐらついて立っていられないかもしれない。


「確かに私はテコ入れをしろとは言ったが、この展開は急すぎないか?」

 大原班長は口をすぼめて、

「まるで打ち切りになることが決定した連載マンガみたいじゃないか」

「おっしゃる通りです」

 お前がそうしろと言ったんだろ! なんてことは口が裂けても言えない。

 編集者だってサラリーマンだ。上司に阿諛追従あゆついしょうしなければやっていけない。


「もしかしたら人気が出るかもしれないからな。打ち切りコースと継続コースの両面を視野に入れて、ネームからやり直してほしい」

「わかりました。作家にそう伝えておきます」

 うわあ。あの人はプライドが高いから、打ち切りも視野に入れてほしいなんて言ったら怒るだろうな。

 なんだか胸がむかむかしてきた。早くこの人から解放されたい。

「印刷所との兼ね合いもあるから、あさってまでに脱稿を間に合わせてくれ」

「可及的速やかに対処します」

 いや、無理だろ。

 僕もう太鼓判押しちゃったし、この後は焼き肉の予定だったし。

 そう黙って唇をかみしめた。




「またネームからやり直しっすか?」

 七輪の上に乗った肉をトングで引っ繰り返して、新井は唇をとがらせた。

「直したばかりじゃないすか。山田さんも良いって言いましたよね?」

 上タンからこぼれた脂が、火力をさらに引き上げる。

 肉の両端がだんだんと反り上がってきた。

 そろそろ食べ頃だろうか。


「本当に申し訳ない。上の許可が出ないと校了にはならないんだ」

 僕はただ、作家の機嫌を損ねないように謝ることしかできない。

「勘弁してください。アシスタントさんはもう帰ったんですよ」

 そう焼き網に乗った肉をすべてかっさらう新井。僕の取り分も残せよな。

「俺一人でネーム、ペン入れ、背景、ベタ、スクリーントーンまでやるとなったら間に合いません。あとライス小ひとつ」

 彼はそう片手を挙げて注文する。ていうか、文句を言いながら注文するなよ。

 いくらなんでも失礼過ぎるだろ。


「頼むよ。原稿を落としたら本誌に穴をあけることになるんだぞ。そうしたら人気投票にも支障が出る」

「だからテコ入れした原稿を渡したじゃないですか。何が不満なんですか」

 新井は上タンに、塩を少々とレモン汁を垂らして頬張った。

 くそ。何が不満って、他人の肉を食べておいてよく言うぜ。


 僕は苦々しい気持ちを押し殺して、七輪に肉を並べていく。


「僕だって上に噛みついたさ。だけど、なかなか納得してもらえなくてさ」

「納得するも何もないですよ。あなた達の言う通りにした結果が現状です。もう口を出さないでください」

「そんな、無茶言うなよ」

「ライス小お持ちしましたー」

 声のした方向を見ると、顔立ちの整った巨乳の女性が茶碗を持っていた。

「お姉さん。生中ひとつ」

 新井がそう大きな声を出す。うるさいやつだ。

「すいません。生ビールは取り消しで。こいつまだ仕事があるんですよ」

 僕はそう遮って茶碗を受け取った。

 見ずともわかるが、新井は仏頂面をしている。

「何で止めるんですか。脱稿祝いじゃないですか」

「書き直してくれ」

「嫌です」

「それなら今週の原稿料は払わないぞ」

 そう言うと新井は少しの間だけ緘黙かんもくした。

 パチパチと肉の焼ける音だけが、場を支配する。


「ずるいですよ」

 一枚一枚丁寧に肉を引っ繰り返しながら、彼はぼそぼそと続けた。

「俺の家は高齢世帯で両親は年金で細々と暮らしています。そんな両親に少しでも美味しいものを食べてほしくて、俺は毎日送金しているんですよ。それなのに、数少ない原稿料まで減らされたら生きていけないです」

 新井の切実な訴えはもっともだった。

 彼の質素倹約ぶりは、傍からでも目を見張るものがある。

 せめてアシスタント代だけでも補助してあげたいくらいだ。

「だからって公私混同は良くない。描いてもらうしかないんだよ。これは上の決定なんだ」


「いつもそうですよね」

 新井はそう冷たくにらんでくる。

「これは上の決定だ。仕方ないとか言って……」

 その射るようなまなざしに耐えかねて、思わずうつむいてしまう。

「上なんかどうでもいいじゃないですか。山田さんには意見がないんですか?」

 トングを器用に使いこなして、新井は受け皿に上質な肉を放り込んでいく。

「僕の、意見?」

「そうですよ。上の顔色ばっかり窺ってないで、自分の意見を言ってくださいよ」

「僕は、描き直した方が良いと思う。アシスタントは、手の空いている人を探しておくよ」

「そうですか。あなたはそういう人でしたね」

 彼は嫌味っぽく席を立つと、

「ごちそうさまでした」とだけ言って帰ってしまった。

 申し訳ないことをしてしまった。

 そう静かになった席で焼き肉を食べつつ、僕は人知れず後悔した。

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