柒ノ章
鶴田氏とは、嵯峨源氏渡辺綱の流れを組み、松浦四十八家の一つに数えられる。
現在の佐里、相知、厳木周辺をその支配下に置き、日在城の本家鶴田、獅子ケ城の分家鶴田は〝両鶴田〟と謳われ、その権勢は惣領主たる波多家とて蔑ろには出来ないとも言われます。
当主である鶴田因幡守直、越前守前、兵部大夫勝、伊賀守正、又三弘の五兄弟の手により鶴田の地は護られていた。
「お屋形様方が把握されていらっしゃっても、みすみす戎克船を…」
「ふん、所詮鹵獲した船に過ぎぬわ。其れに、人夫に草ノ者(間者)を潜ませておる。
では、宮ノ浦と相浦に伏せておる本隊と合流するぞ」
「しかし面体を見られたと…、今後の松浦との交渉が…」
「縁が繋がったと思えは良し、どの様な縁でも交わらば縁じゃ、松浦の家中の者と面繋ぎが出来て良かったじゃろうて」
供回り達を煙に巻き、洋上の人となったこの黒染めの直垂姿の男こそ、鶴田家末弟鶴田又三弘であった。
「おぉ〜、お屋形様ご無事で何よりで御座る」
十字槍を肩に担いだ五郎が気軽に声を上げる。
「お主は何処で油を売っておったのじゃ」
呆れ顔で赤崎伊予守が吐き捨てる。
松浦兵達が武装解除を施した海乱鬼兵を拘束しており、戎克船の甲板上は大童である。
「この船は鹵獲し、相浦の港へ牽引する故漕ぎ手は殺すべからず、速やかに対処せよ」
「弥速、頭目らしき者らと鉢合わせ致しましてなぁ」
「む…」
伊予守の目が細められる。
「して…、如何に相成った」
「 高麗人らしき護衛を従えておった黒染めの直垂を着てお…」
「何と申した。直垂じやと。和人であったのか!して、如何に?」
「逃げられ申した」
「…な、なんじゃとぉ!」
伊予守の怒号が響き渡るのでした。
ここ愛宕、飯盛城でも怒号が響き渡っております。
「何故に伊予守は参らぬ。離叛か、謀叛か!」
飯盛城で松浦丹後守が忙しげに膝を揺らし激昂し、喚き散らす。
東甚助時忠、遠藤但馬守、井出大和守、針尾兵衛昌治ら近隣城主、領主の表情が翳る。
(…この御仁は何を申されておるのじゃ。)
(…此度は何の評定であるのか)
(…平戸の大殿からの御指示ではないのか)
(…第一、伊予守殿は確か…。)
と各人ひそひそと小声を交わす。
東甚助時忠がずいっと進み「お屋形様。赤崎伊予守殿はお屋形様の御指示により近海の海賊討伐に出ておりますれば…」
「んん〜、そうであったかの」
「岡甚右衛門殿は井出平城の普請奉行に当たられております。廣田城より佐々清右衛門殿も加勢に出られており…」
続き遠藤但馬守も進み出で「南国境の宮一帯が、宮村能登守殿から大村三河守純種殿へと領地替えの後、大村民部大輔純忠に攻め落とされたとの事、指方、早岐、上小林の城は守りを固めません事には…」
「鷹島の大曲右京介殿、直谷城の志佐壱岐守殿(御厨)より、海乱鬼の渡航が目立ちつつ…」
「宇久左衛門督殿(五島)、青方左京亮殿(小値賀)よりも同様の…」
「武雄の後藤伯耆守殿より、龍造寺山城守の配下が須古へ侵攻中との事、波佐見の原中務大輔殿からも同様の…」
「有馬修理大夫殿(島原)、西郷石見守殿(諫早)が竹崎城・権現岳城を先詰めに…」
海乱鬼、龍造寺家に関しての対応を中心として、評定は淡々と進むが、松浦丹後守は鼻毛など抜きつつ上の空である。
「伊万里兵部少輔治殿より、有田唐船城の…、その…、丹後守殿がで御座るが…」
ぴしゃりと、手にした扇子を打ち「誰がぁ丹後守じゃ!五郎めが勝手言っておるだけじゃろうて!」
(ほんに難儀な御仁じゃて…)
松浦丹後守五郎盛
宗家相神浦 第16代当主、丹後守親(先代)の跡継ぎとして島原の有馬家より相神浦へと養子としてきたが、平戸松浦家よる飯盛城攻略により、平戸からやって来た九郎親にその座を奪われることになる。
九郎親に相浦を追われるも、丹後守親の温情により絶えて久しい有田家の家督を継ぐも、旧領の奪回を常々狙い続ける事となる。