肆ノ章
「さて、賽の目は吉と出るか凶と出るか」
平戸港はこの時代と現在では大きく形が異なっておりました。築地町はまた埋め立てられておらず、新町や職人町も海岸線でした。平戸城が築かれる亀岡岳ですら草木が生い茂る山林でしかありません。
「せめて弥二郎が居ればな」
弥二郎… 後藤弥二郎惟明
松浦肥前守鎮信の実弟であり、世嗣ぎが無い武雄領主 後藤伯耆守貴明のもとへ養子として入っておりました。しかし、伯耆守貴明に実子 晴明か誕生。
次第に後藤家中での力を落としつつありました。
「親父殿、親父殿はおられるか!」
武雄 塚崎城にて弥二郎惟明の声が響きわたります。
鍛錬の真最中であった後藤伯耆守貴明が応えます。
「弥二郎。なんじゃ騒騒しい!」
「親父殿、熊じゃ、熊が出たぞ」
「何を言うておる。熊など… 熊じゃと!」
「そうじゃ肥前の熊が出おったぞ!」
肥前の熊…
こと龍造寺山城守隆信。
主家であった少弐家 太宰少弐冬尚を下克上で下し、名門千葉家を攻め滅ぼし、大内家、大友家をも押さえ込んだ。佐賀一円に留まらず、九州北西部を制圧し、五州二島の太守とまで謳われた戦国武将です。
その気性は、正に熊の如く執念深く、冷酷無情と言われています。
「いよいよ熊が来よったか…」
「須古の姑殿(平井治部大輔経治)の処へ、鍋島左衛門、納富左馬介両名が二千の兵を率いて進軍との事じゃ」
「家老職の左衛門を出して来るか…、熊めも本気じゃな。
多久豊前守宗利殿も居城を追われたと聞くしの…」
「親父殿!加勢を願うしかなかろう。大村、有馬、松浦、波多辺りに書状を認めて(したためて)くれぬか」
「有馬、大村か…」
苦虫を噛み潰したかの様な表情を浮かべる貴明。
元々、貴明は前大村家当主 大村民部大夫純前の実子でありました。しかし有馬家より有馬純忠(大村丹後守純忠)が大村家に送り込まれその家督を奪われたのです。
とは言え、純前が手を尽くし後藤家へ養子に入る事になったのではありますが…
「波多三河守(親)殿と松浦肥前守(鎮信)殿へ書状を… 」
所は変わり、再び舞台は佐世保へ戻ります。
佐世保城は現在の八幡町から宮田町に相当する場所に築かれた山城です。
その歴史は古く、1300年代には佐世保石見守元が居城としていたと伝えられています。尾根沿いに本丸、二ノ丸、堀切を挟んで出丸が設けられた根古屋式城砦です。
山頂に曲輪を設ける訳ですので、水の便もあまり良くありませんし、いちいち山頂まで登るのも大変です。麓に館を築いて、有事の際山城へ篭る訳です。
皆さんが想像する「お城」とはまたちょっと違いますね。この時代瓦葺きの立派な天守閣など一部にしかありません。板葺きか杉皮葺きの砦を想像してくれたら良いかも知れません。
「飯盛城の丹後守様からまた、文が参りました…」
白縫姫の秀麗な顔に困惑の表情が浮かぶ
…
「して、その文には何と」
「〝冠将に 掛かる月見て 白縫かな〟や〝白菊の 咲きし姿に 君想う〟など認められております」
「…何を言っとるのじゃ、あの御仁は」
「それで…お父上、丹後守様へ御返歌をせねばと思いますが…」
「いらんわ!館の猫が仔猫を産みました。とても可愛いです。とでも返事しておけ」
「宜しいのですか。そんな返事で…」
「あんな何ともつかん物を、輿入れを控えた娘に送りつける彼奴に必要無いわ」
佐賀より立ち込める暗雲、肥前の国での暫時の平穏であった…