参ノ章
「丹後守殿が諦めて下さればであればな。」
遠藤但馬守の心配は現実になろうとしていました。
平戸 白狐山城
平戸湾を望む勝尾獄(岳)に築かれた平戸松浦氏の居城である。
元来、松浦氏は源綱(渡辺綱)を始祖とする嵯峨源氏の流れを組む松浦党48家の一つである。
時代と伴に離合しつつあった松浦党であるが、平戸松浦氏23代当主弘定の時代には平戸島と生月を平定。24代興信は松浦の志佐、田平の峯、江迎の深江、吉井の吉田、佐々の佐々・紫加田をも下す。
本家であった相浦松浦家でさえも、激しい激戦の末に下り、当主を平戸松浦から松浦丹後守九郎親を迎える事でその傘下に従う。
「それで何の御用でござるかな、九郎…いや丹後守殿」
上座より落ち着いた通る声が放たれます。
「殿におかれましては御健勝の事とお慶び申し上げます」
流石の丹後親と言えどこの人物には平伏さざるを得ません。
白狐山城主であり平戸松浦氏26代当主 松浦肥前守源三郎鎮信。
その勢力は歴代最大まで広がり、名君の誉れ高い戦国武将です。
海外貿易で得た巨万の富で鉄砲、大砲を用いた用兵を得意とし、自ら刀を振るえば塚原流免許皆伝の腕前であり、横笛を嗜み、和歌に長け、用兵に明るく、礼節を学ぶ。
丹後親はこの人物が嫌いであった。
少し頭が切れるぐらい…
少し腕がたつぐらい…
和歌がなんじゃ…
第一、笛など吹けてなんになるのじゃ…
丹後親の心に黒い感情が燻りますが、頭を下げて顔を隠します。
「殿にお願いの儀御座いまして参上仕り候う」
「ふむ」
肥前守鎮信はあごに手を添えて思案します。
「源之助、安経下がれ」
加藤源之助、籠手田安経の両家老が暫く逡巡しますが退出します。
「で、なんじゃ九郎。この兄に何ぞか願いでもあるのか。家老どもも下げておる、気軽に申せ。
それとも嫁ごが怖くて館に帰りとうないか」
わっはっはっ、と笑う鎮信であるが。
「兄者、わしはのぅ白縫姫が欲しいのだ」
「…九郎、何を申しておる。お主には武雄の伯耆守殿(後藤伯耆守貴明)から輿入れした鎚市姫がおろうに。
第一、白縫姫と申せば遠藤但馬の息女であろう。赤崎伊予への輿入れが決まっておるのに、如何にせよと申すのじゃ」
鎮信の端正な顔立ちから表情が落ちて行く。
「わしはあの姫が欲しいのじゃ、だから兵を出して良いか伺いに来たのじゃ」
「…九郎よ、白縫姫が欲しいのと、戦さが関係あるのか?」
「おうよ。赤崎伊予守を討てば輿入れなど無くなるわ。次は遠藤但馬守じゃ!逆らう者には容赦せねわ!」
鎮信も流石に言葉も有りません。
松浦家中でも有数な武将である赤崎と遠藤を攻め落とすじゃと?
愚かな弟とは思ってはいたが、これ程とはな。
あの両家を落とすのにどれだけの労力と資金が掛かると思っているのだ。
いっそこの場で叩き斬るか…
兄の手に掛かるのも本望であろうと愛刀、肥前道弘に視線を向けます。
ふと視線を戻すと
「全くわしは、松浦丹後守親ぞ…当主であるぞ。
ど奴もこ奴も言うことを聞かん… 」
ブツブツと宙を睨み、呟く親がその視界に入ります。
「…此奴も平戸で育ち、予期もせず相浦の当主に据えられた訳であるしな、其の心労からの気の迷いであろう」
「よし九郎。戦さは仕掛けてはならぬが、わしが策を授ける。すぐとは言わぬが飯盛の城で暫し待つがよい」
平戸港から相浦へ向かい出航した丹後親が乗る船を、白狐山城から見送りながら、一人呟く。
「さて、賽の目は吉と出るか凶と出るか…」
その整った顔立ちに兄弟への親愛では無く、為政者としての冷徹な表情を浮かべて。