私と貴方の体温
私が好きな人が死んでしまいました。
彼は純粋で、子供っぽくて、温かい人でした。
こんなことがありました。
私と彼の通った学校では、毎年プールの時期になると、学校のプールだけでなく、近くの公園にあるプールの掃除を行います。彼は、いつも一番乗りでプールの掃除をしていました。デッキブラシとバケツを持ち、麦わら帽子を被った彼はいつも私達の仕切り役でした。ホースで撒き散らされた水を飽きもせず弾き、彼はプールの底やプールサイドの汚れを一心不乱に磨いていました。私も掃除は好きなのですが、彼のその直向きさは憧れるほどでした。
いつも日に焼けたたくましい腕、光を弾く飛沫の上がるプールサイド、深緑色と焦げ茶色の汚れ、のたうつ蛇のような長いホース、よく響く子供の声、うだる様なプールの底の足の裏から感じる熱さ。そんな一つ一つが今でも鮮明に私には思い出せます。
蝉の声が五月蠅い中、タオルで私が汗を拭っていると、日差しに負けないような眩しいほどの笑顔をいつも私に向けてくれました。
そして、私が帽子を忘れると、女の子なんだからと言って、いつも私に麦わら帽子を渡してくれました。武骨に編み込まれた古い麦わら帽子。ところどころ痛んでいるけれど、その帽子からはいつも夏の匂いがしました。
似合うぞと彼はいつものように笑いました。
そんな彼が大好きでした。
彼には本当に色々なことを教えてもらいました。甲虫の上手な取り方とか、西瓜を綺麗に食べる方法とか、星座の見つけ方や名前とか、あとは雨が降る前の匂いの違いも教えてもらいました。
彼は物知りで教えたがりでした。
ただ、学校の勉強はあまり得意じゃなかったので、私が漢字や英単語を書いて覚えていると難しい字を知ってるなあと感心していました。
だって、立派な大学に行かないといけないんだものと私がその度に返すと、彼は大学なんか行かなくとも何とかなるさと目線を遠くに向けて言いました。彼は高校を卒業してから家の農業を継いでいたので、多分大学がどんなものかよく知りもしなかったように思います。
でも、その言葉に私の心は少しだけ軽くなりました。
それは多分彼なりの優しさだったんだろうなあと思います。
彼の優しい所はたくさんあります。むしろ私には甘かったほどです。
私が両親に怒られて一人で家の土蔵の前で泣いていると私の好きなお菓子を持って来て、優しく頭を撫でてくれました。もうそんな子供じゃないのにと思いながらも、甘いお菓子は美味しくて、その掌は本当に大きくて温かくて、私はいつもその甘さと温かさで更に涙を零してしまいました。
彼は何も言わずに私が泣き止むまでずっと傍に居てくれました。
私が実家を出て、郊外の学校に進学すると言った時も彼だけは賛成してくれました。
一番反対しそうだったのに意外でした。
後で、私がそのことを聞くと、だってお前は行きたかったんだろうと笑いました。
その通りだったので、私のことをこの人は何でも知っているのだなあと胸が温かくなりました。彼はいつだって私の味方だったのです。
私が郊外の学校に通っている頃、彼は身体を崩しました。
元々彼は身体が丈夫な方では無かったので、私は心配して、彼に真剣な目を向けて病状を問いました。それくらいしか、私には出来ませんでした。
心配するな、いつものことだからと笑う彼は少し瘦せていました。
その笑顔に少し陰があるのがとても怖かったのを覚えています。
彼は病院と自宅とを往復する生活を結局何年も続けることになりました。
早く畑に出たいんだけどなあといつも私に零していました。彼は結局いつでも彼なのだと私は思い知らされた気がします。
病院にお花を持って行ってあげると、勿体ないよ、自分のものを買えばいいのにと渋りました。
でも、ある時、病室のドアの隙間から彼を見ると、花瓶に入れたお花を本当に愛おしそうに、まるで自分の子供に向けるような瞳で微笑みながら眺めていました。
思わず、私はその場で微笑み、そして、しばらく動けませんでした。
彼は意地っ張りで、寂しがり屋で、そして優しい人でした。
ある日、彼は病院のベッドで私に言いました。
卒業したら街に行って美容師になるってなと何でもないことのように彼は言いました。
私は驚いて顔を見上げました。
だって、その時に私は彼に何も伝えていなかったのです。
それどころか両親にすらその話を明白に話していませんでした。
どうして、と私が瞬きもせずに尋ねると悪戯っぽく彼は子供の様に笑いました。
分かるさ、お前のことだもの、ずっと一緒に居たんだからなと言って笑い、彼は頑張れよ、俺は応援しているからなと続けました。
そして、自分の頭を撫でて、一度切ってもらいたかったなあと苦笑しました。
涙が、目から零れ落ち、私は彼に縋りつきました。
彼は何も言わずに私の頭を撫で続けてくれました。
彼の掌の温度が心地よくて、その大きさが心強くて、その柔らかさが優しくて。
私はただ、子供の様に泣き続けました。
卒業式が明後日に迫った時、彼は私の手に自分の手を重ねて言いました。
来月には遠くの街に行く私に、いいか、必ず自分の思ったことをするんだぞと私を励ましてくれました。いつになく真剣な目に圧倒されて、私はただうんうんと頷くことしか出来ませんでした。
よし、なら行ってこい。お前は俺の誇りだよと彼は言葉を終えました。
彼の目は真剣だったけど、それでも優しく、彼の手は震えていたけど、それでも温かく、彼の言葉は端的だったけど、それでも力強いものでした。
最後にほんの少しだけ彼は寂しそうな微笑を浮かべました。
それが彼との最後の会話になりました。
それから少しして、彼は亡くなりました。
彼の葬式は春の終わりと夏の始まりの丁度中間みたいな綺麗に晴れ渡った空の日に行われました。
これだけ晴れていれば寂しくないよなあと参列した人たちは静かに涙を零しながら口々に言いました。
そんなわけないのにと私は思いました。だって、彼はこういう日は外に出て畑の作物を見るのが大好きだったのです。こんな日はきっとそのことで頭はいっぱいで、自分で作物を観に行けないのが何よりも残念だと思うに違いないのです。
私はもう動かなくなってしまった彼の寝顔を焼き付ける様にじっと見つめました。
少し微笑んだように歪んだ唇、細くなった首、血の気の失せた白い肌と順番に見つめ、私は彼の手を握りました。
どうしてだろうと私は思いました。
彼のあれだけ温かかった手はまるで、人形のように冷たく、ただそこにあるだけでした。
声も出さずに涙が頬を伝いました。歯を食いしばっても、顎を痛いくらい首に近づけても、息を止めようと胸に力を込めても、涙が止まりませんでした。
身体のあちこちを引き絞って、やがて限界がきて力がどこにも入らなくなると、私は声を上げてしゃくりあげました。
彼がいなくなってしまったとこのときようやく私は実感したのでした。
彼は小さな灰と骨の塊になり、細い煙になり、そして、思い出になってしまいました。
広くどこまでも青い空を見上げて、私は彼のことを思います。
それはあのただ眩しかった日の彼の麦わら帽子のことだったり、作物にまるで旧知の友人のように話しかける彼の背中だったり、甘いお菓子と彼の優しい言葉だったりしました。
でも、何よりも私は貴方の大きな掌の温度を覚えていると私は自分の掌を大きな空に広げました。
貴方にもらったこの温もりを私は忘れないからね、貴方の全ては私の中に今もただ当たり前のようにそこにあるのだからと彼に届くように私は口に出さずに言いました。
でも、最後の別れだけはやっぱり口に出して言いたくて、ゆっくりと口を開きました。
「だから、安心してね。大好きだったよ。さようなら。ありがとう。お祖父ちゃん」