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プラント・ルミエ  作者: tomoro
1/1

社会人と言う大人

「明けない夜は無い!いつか朝が来る!」

世界がまだ大きく、地球が丸い事を知らない人達はそうやって明日を待ちわびた事だろう。


時は21世紀。


僕は地球が丸い事も明けない夜が無い理由も知っている。


そして、今夜も夜が明けるのを待ちわびている・・・。


いつものメンバーと一緒に・・・。


・・・・。


なんか、カッコええな・・・。


そんな気分を搔き消したのは班長の罵声だった。

「だから、早よ、行って来いや!」

班長はいつも声が大きい・・・。

ここはサクラ化学工場・・・。

僕、「仲居 誠哉」が高校を卒業して入社した。化学工場だ。

班長はいつもこうだ・・・。

夜勤で忙しくなると大きな声を上げて僕らを追い立てる。

「誠哉!聞こえてへんのか?早よっ!セイヤ!」

昭和の笑いって奴らしい・・・。

班長のとなりで二番子って呼ばれる先輩が笑っている。

全く、慌てる意味が解らなかったが、僕は計装室に置いてあるアメを一つ口に入れて現場に向かった。


ここは5人体制で1つの班を組んでいる。

24時間体制の二交替勤務である。

盆も正月もなく、僕らは日勤、夜勤、夜勤明け、休日といったサイクルを繰り返している。

夜勤は14時間の勤務でいつ何時であろうとトラブルがあれば対応しなければならない。

実際、僕が現場に着くと三番手と呼ばれる先輩の丸田さんが工具を持って走り回っている。

横目で僕を見て

「おう!ルーキー!早くバラク段取りをしろよ!」

と言ったかと思うとまた違う工具を探しに走り出した。

バラク…?オバマか?

キョトンとした顔でいたが新人研修の時に班長が言っていた言葉を思い出した。

「ここの現場にはここでしか通用しない言葉があります。皆さんも刑事ドラマをみていたら、犯人の事を星と言ったりどこの仕事場であってもその仕事場のルールと言うか、決められた言葉と言うか…。新人の君達は早くそんな言葉に慣れないといけません。これも社会人としての必要なスキルです!」

このころの班長は計装室で大声を出して指示をだすとかそんな印象は全く無くてただ寡黙で親切な紳士に見えたものだった。

6ヶ月の新人研修を終えて現場配属となり昼間の勤務や他の部署の研修を終えて僕は現場に配属となった。

僕らが生産しているのは製品になる原料や中間物であり、そのほとんどは世の中の人達は名前すら知らないだろう。

でも俺たちがいないと世の中の大きなメーカーも仕事が出来ない。

そう誇りを持ってこれから頑張ってくれ!

あの頃の班長は凄く大人に見えたなあ。

「おい!ルーキー!いつまでボーッとしてんのや?早くバラケ!」

丸田さんの怒声で気がついた。

時間は深夜3時…。

僕は眠い目をこすりゆっくりと工具を持った。


トラブルを元通りに復旧出来たのは朝の5時を回っていた。

「ルーキー!こいつボルトの外し方もわからへん…なんやねん!お前!」

計装室に戻った僕を見て顔は笑っているがとても酷い台詞を口にしながら丸田さんは僕にコーヒーを差し出してきた。

「すんません!コーヒーいただきます。」

「まあまあ、そう言うなよ。工具ら持った事無いんやろ?誠哉らの年頃の頃は、わえもそうやったわ。ホンでパイ先にようしばかれたわ。」

班長の言葉は地方色が濃くとても新人研修の時にあの名スピーチを聞かせてくれた人と同一人物には思えなかった、そこが可笑しくてコーヒーを少し吹き出しそうになった。

「でも、班長、そろそろこいつも異例作業を覚えさせんといけませんね。」

二番手の桜さんが言った。

桜さんは班長とは違いいつも冷静でもの静かで博識がある。

実際、持っている資格もこの現場で一二を争う程である。

そしてイケメン…。しかも桜さんはここの会社の社長の三男で元々は大手化学会社で働いていたがうちの会社に戻ってきた。

もっと高いポストで働いていてもおかしくないのに何故か現場にいる。

心無い人の間では現場がサボっていないかを監視するスパイなんじゃ無いか?との噂がある。

でも班長とのなかは良いようでお互いに談笑しているのを良く見かける。

「ルーキー!覚える気はあるかい?」

桜さんが煙草に火を着けながら言った。

「はい!当然です!」

飲みかけのコーヒーを大きくふってしまい。気合いと空回りにコーヒーをこぼしてしまった。

窓の外はもう明るくなっていた。


時間は朝の7時、交替の人達が続々と出勤してくる。

僕は出勤してくる先輩達に挨拶をしながら桜さんから配管の解体の手順やトラブルの時の対処法のレクチャーを受けていた。

半分以上というか桜さんの言ってる事は全くよくわからず、

「すみません!もう一度お願いします!」

と食い下がっては判らない所を何度も聞いた。

桜さんはまたかと空を仰いではメモを取れよとゼスチャーを入れては説明してくれた。

メモの取り方も丁寧に教えてくれる。

「いいか?メモってのはあくまでメモや。きちんと自分で後で纏めることが大事なんや。あと現場で大事なんはスピード、とにかく適切に早くする。それが大事や。」

時折班長の精神論が聞こえてくるが、僕にはただ耳障りなだけだった。

8時になって交替の申し送りも終わり、桜さんが

「ここまでにしよか。」

と腰を上げた。

当然自分が教えて貰っている間も現場は動き続けているのでその間の仕事は三人で対応しなければならない。

「すみません!ご迷惑おかけしました。」

「はよ、覚えろや!ルーキー!今日の飯はお前だせよ!」

若手と呼ばれる僕の一つ上の先輩である向井さんが僕を激励する。

その顔は早く仕事を覚えて楽をさせてほしいと言った感情と教育に時間がかかり忙しい事への腹立たしさが滲み出ていた。

「すみません!」

僕は頭を下げて申し送りの準備にかかった。


「おはようございます。」

「おはよ~。」

交替の班の先輩達が続々と出社してくる。

もう時計は8時前だった。


「よう!夜勤おつかれ~!」

それはいつもの軽い声だった。

声の主は「斉藤 連」僕と同期入社で高校も同じだった。

この会社には斉藤の他にも同期入社で入った社員が5人いる。

斉藤と僕はここ製造部第三課に配属された。

当然斉藤と僕は一番の下っ端でいつも先輩たちにこき使われている。

でも斉藤は僕とは違って学生の頃から態度がデカいというか、憶せず物を言うと言うか。

小心者の僕とは違い人付き合いも良くコミュニケーションを取るのが上手い。

この現場では一番の下っ端はルーキーとか新人と呼ばれ名前で呼ばれる事は無いらしい。

でも斉藤は違う。

「おはよ。斉藤!今日も元気いいな!」

桜さんがタバコに火を点けるより早く自分のライターに火を灯した。

いいよ。といった素振りで苦笑いを浮かべながら桜さんは自分でタバコに火を点けた。

「桜さん。おはようございます!」

斉藤が桜さんの前に座って煙草に火を点ける。

ちなみに斉藤はまだ未成年だ。

斉藤がルーキーとか新人と呼ばれていないのには訳があって、現場配属となってまだ僕と斉藤が二人で現場研修を受けていた時だった。

「先輩!俺の名前は斉藤です!ルーキーとか新人とかって呼ばないで下さい!俺にはちゃんとした名前があります!」

そういって当時教育担当だった向井さん。

そう僕の班の1つ上の先輩に食ってかかったのだった。

その話はたちまち製造部で有名になり斉藤ってどんな奴だ?と他の部課にまで響き渡った。

向井さんは真面目な性格の人でそう言った斉藤に対して

「ここの伝統なんだよ。ルーキーとか新人って呼ぶのはさ。早く名前を覚えてほしいのならさ。早く仕事を覚えるか。一年を早く過ごす事だな」

「先輩!それって負け組じゃないんですか?悔しく無いんですか?俺はくやしいっす!そんなの差別以外のなんでもないって思うッす!!」

斉藤の鬼気迫る顔に周辺の先輩達がパチパチと拍手を送っていた。

向井さんは言い負かされた様になって顔を真っ赤にしてうつむいていた。

嫌な空気だ・・・。

こんな空気は小さい頃から僕は大嫌いだった。

確かその時も桜さんは薄ら笑いを浮べていたような気がする。

「皆さん!僕は斉藤です!早く仕事を覚えますので俺の名前も早く覚えて下さい!改めてよろしくお願いします!!」

大きな声でそう言って深々と頭を下げた斉藤にその日の日勤者は皆感嘆の声を上げた。

そして斉藤はその言葉の通りに僕より早く仕事を覚え、課員の信頼を得ていった。


「あいつ今日も朝から調子いいな・・・。」

向井さんが僕に言った。

向井さんの言葉尻から斉藤の事を毛嫌いしているのは良くわかったが、一年後輩をそんなに目の敵にしなくても良いのになと僕は思っていた。

でも向井さんからしたら、それほど斉藤がしたデモンストレーションが気に食わなかったようで、事ある毎に斉藤に対する嫉妬にも似た愚痴を僕に聞かせる。

「あいつに比べるとお前は普通だよな。人間普通が一番だ」

ほぼ意味が解らない・・・。

それって誉めているのか貶しているのか・・・。

「よう!」

斉藤が僕を見つけると笑顔を見せた。

「おはよ。」

僕にとっても気が許せる数少ない同期だ。

軽く笑って手を挙げた。

そんな僕の肩を強引に引き寄せて斉藤は言った。

「なあ。仲居、今夜のコンパ解ってるよな。」

「ん?ああ。コンパね。」

「今夜七時に集合しようぜ!看護師さんらしいよ~。楽しみだな」

斉藤が笑顔いっぱいに僕を小突く。

「今夜、七時ね。行けたら行くよ。」

「おいおい・・・。なんだよ、誠哉!人数が足りないんだよ。頼むから来てくれよ!」

斉藤はそう言っていたが、僕はあまり気乗りしていなかった。

前に同じようにコンパがあったけどその時も僕は上手く斉藤に利用されたと言うか、なんと言うか。

女の人と話をする事にも慣れていなければ、斉藤の様にコミュニケーションも取れない。

そんな僕がそんな席に出ても斉藤にいいように利用されるだけのような気がしてままならなかった。

「まあ。行くよ。」

僕のそっけない返事なんて斉藤は気にもしていない様子だった。

行くと言った返事に満面の笑みを浮かべて大きく頷いていた。

「そうだよな誠哉!あやうく俺は藤井の事が気になってるのかと思ったぜ」

藤井さん・・・。そう・・・。藤井楓華・・・。

僕と斉藤そして藤井さんは小、中、高と同じで幼い頃はよく一緒に遊んだものだ。

斉藤はその頃から上から目線で僕を見下していたっけ・・。

でも、悪い奴じゃなかった。素直と言えばいいのか斉藤は世界で一番自分の事が好きなんだと言っていた。

だからそんな態度がどうしても前面に出てしまうのだろう。

でも人は悪くない。

だから人が自然と彼の回りには集まるし、上からの目線もそんなに苦痛では無く、むしろ彼一流のジョークのように捉えてしまう自分がいた。

でも・・。藤井さん・・。彼女は少し違う・・・。

一緒に遊んだ記憶は幼い頃だけで小学校高学年の頃には既に口を利く事も無かった。

彼女はいつも一人で中学の頃は暴走族に入っていたらしい・・。

そう・・。筋金入りの不良少女だった。

だったと僕が言ったのには訳があって、どういう事か彼女は高校2年の時に更生した。

中学校の頃から札付きの不良だった彼女は当時仲の良い先輩とつるんでは夜遊びをしていたらしい。

酒とたばこも早くから覚えていたし言葉使いも乱暴だ。

しかも何かと僕に絡んではボディブローをかましてくる。

どちらかと言うと・・・。苦手なタイプではあるが・・・。彼女は父子家庭で育っているらしくって、僕が母子家庭で育っていると言う所から変な共通点と言うか、共感出来る点があると言うか、不思議と昔から彼女と居ると話題に困る事は無かった。

「おはようございます!サンプル回収に来ました~!」

唐突に計装室のドアが開いて彼女が入って来た。

そう噂をすれば何とやらだ。

藤井さんが夜勤で採取していたサンプルを回収に計装室に入ってきた。

彼女は学生の頃はもっと静かに話をするほうでそんな大きな声を出す人じゃ無い。

そんな彼女が大きな挨拶で入ってくる。

不良とはいえ成績が良く藤井さんは大学に行っても良い程だった。

でも彼女はここサクラ化学に就職した。担当は検査課だ。

検査課では朝一番に各現場を回ってサンプルを回収する。それが新人の仕事だった。

当然、他の先輩達は彼女が元不良である事なんて知る由もない。

「おはよ。楓華ちゃん。サンプル重いから持っていってあげようか?」

丸田さんが藤井さんに言った。

「いえいえ、先輩の手を煩わせる訳には行きませんよ!」

藤井さんが笑顔を見せる。

ほんとに藤井さんは変わった。

学生の頃は無表情で愛想も無い性格だったのに。

高校2年の頃から少しずつ変わってきている。

きっと大人になっているんだろうなあ~。

僕はそんな事を考えていた。

不意に彼女と目があった。

「よ・・・。よう・・・。夜勤・・・。おつかれ・・・。」

ツインテールにしている腰まである長い髪を顔の前に両手で持ってきて彼女が僕に言った。

なぜか・・・。彼女は僕の顔を見てくれない・・・。

昔はそんな事無かったのに、いつからか視線が合わなくなった。でもその分、彼女との会話が多くなったような気がする。

「おはよう。サンプル持てる?」

「お・・。おう・・・。今日は帰って寝るのか・・・?」

相変わらず顔の前を髪の毛で隠して話している。

時折その髪の隙間から彼女の大きな瞳が見える。

「うん・・・。昨日はトラブルで眠れなかったしね」

欠伸をしながら僕は言った。

「あ・・・。あのさ・・・。」

彼女が前髪を広げて顔を出した大きな瞳をさらに大きくして僕の方に詰め寄った。

学生の頃が化粧が濃くて良く解らなかったが藤井さんは美人だ。

素顔の方が綺麗で瞳もネコ目で大きい。

そして学生の頃は金色だった髪も腰まである黒髪になっていた。

彼女はいつも厳つい顔をして、眉間にシワを寄せては回りの人を敬遠していた。

あの頃とは違う普通の顔を近づけられると幼馴染とは言え、ドキッとしてしまう。

「なあ誠哉!今夜頼むぞ!!コンパ!」

藤井さんと僕が話している事に気づいていない斉藤が計装室のドア前に来て念を押した。

そして・・・。斉藤は藤井さんを見つけた。

一瞬・・・。藤井さんの眉間にあの頃のしわが蘇った・・・。

と・・・。

同時に僕は腹部に衝撃を感じた。

彼女のボディーブローが・・・。多分・・・。入ってはいけない場所に入っていた・・・。

「ッチ!」

彼女の舌打ちが聞こえた。

斉藤はすでに顔面蒼白だ。

「てめえ・・。殺す!」

僕の耳元でキレイな声で語気を強めて言った。

どうも彼女は言葉より早く手が出るようだ・・。

学生の頃から全然変わっていない・

「よ・・。よう!藤井!」

斉藤が大きく手を上げる。当然斉藤も学生の頃は藤井さんと「さん」付けで呼んでいた。

いわゆる社会人デビューと言う奴だと斉藤は言っていた。

「ッチ!」

藤井さんは斉藤を睨んだ後、無言で思いっきりドアを閉めてサンプルを持って計装室を後にした。

彼女の舌打ちここ製造三課では有名だった。

他の課では彼女はほぼ無言らしい。

「誠哉!おい大丈夫か?」

斉藤が僕に言った。

「さ~夫婦喧嘩はその辺でそろそろ仕事しような!斉藤!」

班長の声が聞こえた。

「お疲れ様です!」

斉藤は頭を深々と下げて夜勤明けの僕らを見送った。

桜さんはただうるさい新人僕らにいつものようにニヤニヤした笑顔を浮かべながら顎をさすっていた。


無事に交替した僕らはロッカーで着替えを終えて浴室へと向かっていた。

ここは化学工場なので勤務後は入浴が義務付けられている。

「今日も疲れたなあ~~」

欠伸をしながら班長が湯船に浸かった。

「班長、今日は駅前が出るらしいっすよ!」

丸田さんが班長をパチンコに誘っている。

「ああ。向井、お前、丸と行ってこいよ」

班長は少し離れた所でシャワーを浴びている向井さんに言った。

「いや、僕は賭け事しませんので・・・。」

向井さんは班長の方を見る事も無くそう言った。

「なんなよ、向井、付き合い悪いな~。ルーキー、お前どうよ!」

丸田さんが大きな体を揺さぶって僕に聞いてきた。

「いや・・・。今夜、コンパなんで・・・。」

「コンパ~~~?今時の子はコンパなんて言わんで~~!女より男同士の付き合いや!まあパチろうぜ!」

ヤバい・・・。ヤバい雰囲気だ。

丸田さんは気さくで自分から進んで話しかけてくれるので、僕にとってはこの班では一番会話の多い先輩だ。

ただ茶目っ気が多いと言うかにぎやかな性格と言うか。必要以上に僕に絡みにくる。

「すみません。丸田さん、今日は斉藤と約束があって・・・。」

「おう行ったええやん!夜やろ?俺は朝からパチンコに誘ってるんや!行くやろ?」

昨日は全く寝ていない・・・。

この人達は常識とか無いのか?人間は寝ないと死んでしまうんだよ!

そもそも人間の三大欲求って知ってる?

憤りを感じながらも僕は「はい!」と返事した。その声が小さかったのか丸田さんは片耳に手を当てて

「ああん?」

「はい!一緒に行かせていただきます!!」

風呂の中で僕の大声がこだました。

ふと視線を湯船に移すと班長と桜さんが笑いを噛みしめていた。

先輩の言うことは絶対です。

そういった体育会系のノリは苦手だけど、これも会社に入って身に付けた僕なりのスキルだ。

僕の返事を聞くと丸田さんが早々と湯船を後にした。


「どや?俺の言った通りやろ?」

丸田さんは既にご機嫌だった。

開店直後から大当たりを引いて丸田さんの大きい丸い顔がしわくちゃになっていた。

「はあ~」

と僕は頷く。もう一万円ほど負けている。

一番でるだと?

全く・・・。冗談にも程がある。

「ルーキー、その台はダメだな・・・。こっちの方がいいよ」

桜さんも一緒に付き合ってくれて初心者の僕に親切にパチンコの打ち方を教えてくれた。

丸田さんはそんな間もほぼ、自分の事ばかりだ。

「すみません。桜さん。」

僕は丸田さんの隣から桜さんの隣の台へ移った。

「ルーキー!今代わったらこの台、拾われるぞ!」

丸田さんの大声も僕の睡魔がかきけす。

結局僕は二万円負けた。昨日の夜勤の稼ぎ以上に負けてしまった。それもたかが二時間程度の間に。

「おつかれさまです!」

「なんや、昼飯くらいおごってやるぞ。」

丸田さんがホクホク顔で言った。

どうやらあれからずっと出ていたらしい。

「ルーキーやばいな。お前と俺は愛称がええな。」

どうも僕とパチンコをすると丸田さんは勝つみたいでしっきり無しに僕を誘ってくる。

最初のうちは向井さんのように断っていたがこの事を母親や斉藤に話すと先輩の誘いを断るとはどういう事だ?とばかりに叱られた。

これも社会人に必要なスキルらしい。

ただ早朝から二万円が消えるのは勉強代にしては高すぎる…。

「ルーキーお昼何食べたい?」

桜さんが聞いてきた。

桜さんもどうやら勝ち組のようだ。

「いえ、もう今日は帰ります。夜から斉藤と約束もありますし。」

「ルーキー。まあそう言うなよ。俺はまだ独身で彼女もおらんけどこうして元気に生きてる!お前もコンパなんか行くな!あんなもんエエ事無いわ!」

丸田さんの本音が出た。

「僕もあまり得意じゃないんですけど行かないと斉藤が困るみたいなんで…」

苦笑いしながら僕は言った。

斉藤さんは唇を尖らしながらもうええと淋しそうに手を振った。

その姿があまりに淋しそうに見えたので思わず口から出た。

「丸田さんお昼ご一緒します。」

その言葉に丸田さんの表情は一気に明るくなった。

「よっしゃ!カツ丼食べよら!敵に勝つ!昼からが本番じや!」

後悔より眠気の方が勝って僕は目を閉じたまま笑っていた。


結局その日家に帰ってきたのは、夕方の4時だった。

今から寝ても三時間…。無理だな…。

僕の家は会社から自転車で15分くらいの商店街にある。昔ながらの寂れた商店街だが昔からの知り合いが多くて僕にはこの商店街全体が庭であり働いている人達家族のようなものだった。

商店街の真ん中あたりの小さな路地を曲がるとスナック兼喫茶店「アヴェクトワ」がある。ここが僕の家だ。正確には1階が店舗で2階に母と二人で住んでいる。僕が産まれる前に父親と母親が二人で建てた喫茶店。これからという時に父が他界した。

そして当時まだお腹の中にいた僕を育てながら母は1人でこの店を切り盛りしてきた。

喫茶店だけでは収入が足らず夜にスナックとして経営し何時しかここは夜がメインの店になっていた。

「遅かったね。」

店のドアを開けると母が仕事の準備をしながら横目に僕を見た。

いつもなら2階から家に入るのだが、この時間は店は開いているがほとんど客が入っていない。

うちが繁盛するのは商店街が静まり始める午後5時以降だ。

「今日は斉藤くんと遊ぶんじゃないの?」

「ああ。でも眠くてしかたないんだよね。」

「ほな、起こしてあげるよ。何時に起きるの?」

「7時に駅前の居酒屋だから、6時半ごろかな?」

母さんは了解と右手の親指を上げて僕に見せつけた。

長い1日だ…。

もう24時間近く不眠でいる。

部屋に入ると無意識のまま倒れた。

布団のシーツが太陽に照らされて心地よく僕を眠りへと誘った。


2階の窓から肌寒い風が吹き抜ける。

もう11月も終わりに近づいている。寒いはずだ。

まだ眠い目を擦りながら窓を閉めようと手を伸ばした。

あれ?外はもう真っ暗だ…。

飛び起きた僕は携帯を見た。

何度も着信があったようだがもう8時を回っていた。

ヤバい…。そして斉藤に電話をかけた。

「誠哉!遅いよ!もう始まってるぞ!早く来いよ!」

「ごめん!寝過ごしてさあ。まだ間に合うかな?」

「ああ。とにかく今日はまだ間に合うぜ!可愛い子達でにぎわってるぜ!」

斉藤のご機嫌な声が聞こえる。

僕は慌てて服を着替えた。ほんとはシャワーも浴びたいけれど約束を守れなくなる方が嫌で着るものも片付けずに家を飛び出した。

1階からは賑やかな声が聞こえる。

たぶん母さんは忙しいようだ。

起こしてくれるといつまでも子供のように期待していたのが悪かった。

階段をけたたましく降りたからか自転車に乗った僕に母さんが気付いて店のドアが開いた。

「誠哉!どうしたの?」

2階からけたたましく降りてきた音を聞いて母さんが店を出て来た。

「今日は斉藤と約束があるんだ。」

自転車に飛び乗りながら僕は言った。

「忘れてた・・・。」

母さんはバツの悪そうな顔をして舌を出した。

「気を付けてね。」

母さんの声を後ろに僕は駅前へと商店街を北に自転車を走らせた。


「おっそい!」

居酒屋では斉藤がその場を仕切っていた。

「ごめん!お待たせ!もう一人が来ました~」

斉藤の大きな声が店内に響き渡る。

女の子たちは3人いた。今時の可愛い感じの女の子と少し大人しい感じの女の子。

そして確実に年上であろう女性と。

「こんばんわ~。遅かったね~。」

一番年上の女の人が話しかけてくれた。

「すみません。夜勤明けで・・。」

「寝坊?仕事大変なの?」

「まあ・・・。夜勤に慣れてなくて・・。」

「ふ~ん」

つまらなさそうにその女は言った。

男性陣は斉藤と同期入社で違う課に配属になった岩瀬君がいた。

僕は岩瀬君とは殆ど認識が無い。

会社で会ってもほぼ挨拶するぐらいだ。

「ども・・。」

岩瀬君に軽く会釈して僕はレモンサワーを注文した。

レモンサワーが運ばれてくるまでに僕はこの席を観察した。

斉藤が中心になって盛り上げているこの合コンに少し女の子たちは退屈そうに見えた。

一番年上の女の人は露骨にそんな態度を見せ始めていた。

「ねね・・。皆、社会人一年目なんでしょ?どんな夢があるの?」

その女の人は悪戯っぽい口調で言った。

「そうだな、とりあえず俺は今の会社で頑張って上を目指す!」

斉藤が言った。

商店街のクリーニング屋の次男坊にしては良い答えだ。

僕はレモンサワーを一口飲みながら食べ残しのタコわさびに箸を伸ばした。

将来の夢・・・。

聞こえはいいし確かに夢=ビジョンを持っている方が将来を真剣に考えているような感じがする。

それも大人になるにつれて必要なスキルなんだろうと思う。

でも僕はまだそんな確かな物を見つける事が出来ないでいた。

きっとこの女の人から見たら僕はつまらない男なんだろう・・・。

そう思いながら僕はワサビが思いのほかきいている事に鼻をならした。

そんな事を考えながら僕は岩瀬君が何を言うのか考えていた。

僕と同じであまり目立たない彼の事だからあまり主張した意見は言わないだろうと思っていた。

「僕は・・・。実は・・・。服飾系の仕事に就きたくて・・・。でも親の反対で今の職場にいるんだ。斉藤君、仲居君・・。ご、ごめん・・・。別に・・・。入りたくて入った会社じゃない・・・。でも斉藤君はいつも僕に声をかけてくれるし、そんなに居心地も悪くないからずっとこの会社にいるけど・・・。ほんとは別の仕事がしたいんだ・・・。」

意外だった。岩瀬君がそんなに長々に話す事なんて全然想定していなかった。

「え?何?したい仕事していないの?」

一番年上のその女の人は鼻であしらうように言った。

「どうして服飾系の仕事がしたいのにしないの?親の反対って・・・。自分の人生じゃないの?そんな人生で楽しい?」

カチンときた・・。きっと岩瀬君は僕より傷ついただろう・・・。

もっと別の言い方は出来ないのか?

確かここの誰よりも年上であるはずなのに。

「別に専門学校に行くにしてもお金がかかるし。とりあえず働きながら夢をかなえれたらと思って。」

岩瀬君は小さく呟いた。

でも夢を持っているだけすごい。

僕には夢がないし、やりたいこともない。

唯一夢と言っていいのかどうかわからないが普通の家庭を持つ事が夢だ。

父親である僕がいて母親がいて子供達が笑っている。

わからないことがあると子供達は僕に聞きにくる。

「どうして?」

って僕はその問いかけに答えてあげる。

そんな普通の家庭。

僕はそれに憧れていた。

母子家庭で育ってきたから、産まれた時に既に父親が居なかったからそんな事はこの周りにいる人たちには共感を得る理由ではないんだろう。

普通の家庭ってものに僕は憧れていた。

そしてそれは意外にも僕のそばにいる人たちは産まれた時から普通に持っている事が多かった。

斉藤にしても、多分岩瀬君もそうだろう。

今日生きる事に精一杯なのにまだ夢を見ないといけないんだろうか?

そんな疑問が僕を責める。

「ねえ?あなたは?」

そんな僕に彼女は一撃を喰らわす。

「夢?別に・・・。」

「ふ~ん」

愛想なく言うしかなかった。

それを興味なさそうに彼女は流した。

そんなリアクションしか出来ないなら聞かなければいいのに。

僕はレモンサワーのおかわりを頼んだ。

「ねえ?専門学校に通うつもりなの?」

彼女は僕の愛想無しの返事にうんざりしたのか岩瀬君の方を見て切り出した。

「まあ・・。お金が無いから、仕事してからね・・・。」

「でも、そんなで会社に迷惑かからないの?結局辞めるんだよね?」

岩瀬君は少し僕らを見ながら彼女に言った。

「そうだね・・・。良くは解らないよ。僕も迷っている。今の職場が良いのか?それとも夢を追いかけてみるのがいいのか・・・。」

「煮え切らないのね?」

彼女が言った。

「煮え切る?人生ってそんな簡単なのか?」

我慢の限界だった。

別にレモンサワーの酔いがまわった訳じゃない。

彼女の上から目線が気に入らなかっただけだ。

「ねえ。お姉さんたちは努力して看護師になった。それで夢が叶ったの?岩瀬君はやりたい仕事に就けなかった。それだけだろ?別に煮えきるとかどうとか関係なくない?ってか…煮えきっていたらどうなの?テメエが喜ぶの?テメエの人生じゃ無いだろ?岩瀬君の人生だろ??」

斉藤は顔を押さえて天井を見上げていた。

僕の悪いくせだ・・・。


言わずにはいられない・・・。

昔からこの性格のせいで良く嫌われたもんだ・・・。

「ごめん!誠哉!もう帰れよ!こいつ酒弱いんだ・・・。」

取り繕うように斉藤が言った。

斉藤はいつものように女の子達に顔を隠しながら僕の方を見て口角を上げた。

いつもの合図だ。

「ああ・・。帰るよ・・・。」

僕は店を後にした。


高校を卒業して今の会社に入ってもう半年が過ぎた・・・。

11月の木枯らしが少し寒くて一人で帰る商店街の明かりが所々消えかけていた。

帰り道、僕は下らない人間なんだろうか?夢を持たない人間って下らない人なんだろうか?

そんな事を考えていた。

ふと携帯を見ると斉藤からラインが入っていた。

「相変わらずだな?まあ今夜は早く帰れよ。おつかれ~」

そんな軽い文章に笑いが出た。

僕は商店街の中央にある噴水のそばに腰かけた。

ため息をつきながら近くの自動販売機で温かい缶コーヒーを買った。


僕はこれからどう生きていくのか?

子供だった時代は確実に変化していっている。

大人になるスタートラインに立っているのだ。

これから僕はどんな夢を持ってどんな夢を叶えるのか、そんな事を考えて皆は生きているのだろうか?

僕はアーケードの屋根を見た。

小学生の頃から変わらない景色。

いつまでもこのままでもよかった。

それなりに幸せであると思うからだ。

貧乏でも、この商店街の人達の温かい人柄に支えられて僕たち親子は生きてくる事が出来た。

これからもそんなささやかな幸せを守っていきたいな・・・。

アーケードの屋根からは星空は見えなくて。

そんな願いは神様に届かないような気がした。

でも、僕は明日も生きて行かなくてはいけない。

それが現実だ…。


「よう…合コンの帰りか?」

ふと声が聞こえて僕は今頃になってレモンサワーの酔いがまわってきたのかもしれない。

その声に凄く安心したような気がした。

「うん…また、悪い癖が出て…」

そこまで言ってわかったような顔をした藤井さんが言った。

「まあ、仲居はバカだからな…。そんな奴好きになる奴なんていないだろうからな。」

彼女の精一杯の励ましなんだろう。

「藤井さん…。ありがとう。」

藤井さんはいつも通りに細い眉毛をしかめながら僕を見た。

「藤井さんには夢ってある? 」

「夢?まあ無いことは無いけど…。」

「夢を叶えるためにはどうしたらいいのかな?」

「なんだ?それ?叶えるとか考えないと夢を見ちゃダメなのか?別にどうだっていいだろ?夢は遥か先でも…今を一生懸命生きていたらよ。」

相変わらずの男前の返事に少し安心した。

そのまま僕らは暫くの時間談笑した。

さっきの合コンより普通に肩の力が抜けた何気ない会話だった。

それが凄く楽しくて僕はその時に気付いていればよかった。

きっと僕は藤井さんの事が好きなんだろうと…。

でも…

僕はまだ確かな未来を見据えることも出来ない、子供だったんだと思う…。

























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