流星を越えて
星たちの見つめるオアシスで、ネセブと対峙していた流星の獣が一歩、歩みを進める。
ぶわりと、獣を中心に風が巻き起こった。それはたちまちに獣の巨体を包みこむ竜巻となって、すぐそばの泉に大きな波を立てた。
泉に生えたヤシの木たちが、根こそぎ竜巻に巻き込まれて空を舞う。そしてその吹き飛ばされた木のうちの一本が、山なりの軌道を描いてネセブ達の所へ落ちてきた。
「ファアケン!」
ネセブの呼びかけに鋼で出来た梟のファアケンはすぐに翼を広げて飛びあがり、足の爪でネセブを捕らえ回収する。彼らが逃げた直後、その場所には大きな木が叩きつけられ折れる音が響いた。
「チッ!」
背後の衝撃音にネセブは振り返り、苛立ち任せに舌打ちをした。すぐにオレアの下に帰るためにも、こんなケダモノに構っている暇はなかったのだ。
しかしそんなネセブの心情はしっかりと承知した上で、獣が纏った竜巻はファアケンの尾羽に惹かれるように追いかけてくる。周囲の砂を巻き込んだ竜巻はまるで黒い柱のようで、吹き荒れる風が起こす音は獣の咆哮にも聞こえる。その強風にあおられた砂が上や下から雨あられと降る中で、ファアケンの文字通り鋼の肉体が竜巻の音でビリビリと震えるのをネセブは感じていた。
そこへ、もう一本とばかりに木が飛んできた。自分たちの進路を予測して落下してくる巨木を、ファアケンは翼をひねりすんでの所でかわす。落下した衝撃で折れた木の幹の破片が、ネセブの頬をかすめていった。
そこへ更に追い打ちの、竜巻から投擲された木の襲来。先程よりも勢いのついて砲弾と化した木はあやまたずファアケンの脇腹へと向けられ、今さっきの回避で体勢を戻しきれていなかったファアケンは、鋼が火花を散らすほどの衝撃で直撃を受けた。
「ぐあっ!?」
ファアケンが金切り声の悲鳴をあげ、ネセブの体は弾かれるようにファアケンを離れて宙を舞った。そして、そこへ迫る竜巻。きりもみで墜落したファアケンが地に落ちたのとほぼ同時、ネセブの姿は竜巻の中に飲み込まれたのだった。
「ぐううっ……!」
竜巻に飲まれ為すがままになったネセブは、手にしていたペンで咄嗟に大きな円を描いた。すると、円の内側は光で覆われた盾になり、ネセブは光の盾に身を縮めこめることで、吹き荒れる砂や小石から最低限の守りの体勢を取った。竜巻の風速で飛ぶ砂や小石は、例え小さくとも身に浴びればただでは済まないからだ。
とはいえ、こんな即席の盾はその場しのぎにしかならないうえに持続も長くない。絶え間ない砂と石の襲撃によって既に崩れだした光の盾の気配を感じながら、ネセブはいかに事態を打開すべきか必死に思案を巡らせる。
その時、竜巻が激しくうねった。そのうねりによって、ネセブは更に竜巻の内側へと吹き飛ばされる。彼が飛ばされた先は、竜巻の中心だった。
ネセブの知識では、竜巻の中心は最も風が強い場所のはずだった。しかし、これは獣が星の力によって生み出した魔力の竜巻であり、通常の常識は通じない。事実、この竜巻の中心は全くの無風で、自分を浮かせていた風がなくなったネセブは真っ逆さまに落下する。
「……!」
その下で、大きく口を開けている獣と目が合った。それはちょうど、砂に穴を掘って餌が落ちるのを待っていた虫の狩りのようで、ネセブが自分の口の中に落ちるのを今や遅しと待っているのだった。
一直線に獣の口めがけて落ちていきながら、しかしネセブはむしろ無風なのは好都合と考えていた。左手に構えたペンのインクの残量を確認し、獣と接触するまでの時間を計る。
「……そこっ!!」
そしてその鼻先までネセブが迫り、獣が彼を噛み砕こうと口を閉じようとした時、ネセブは獣めがけてペンを二回振り抜いた。
「…………!?」
閉じるはずだった獣の口が途中で止まり、獣が驚愕する。X状に重なり合った光の線が、その口の開閉を邪魔するつっかえになっていたのだ。
「悪いけど、右腕の欠けた私じゃ腹の足しにはならないよ。だから――」
X状の光の中心に立っていたネセブは、懐から太陽の石を取りだした。
「代わりにこれをどうぞ」
無造作に石を獣の口に放りこみ、それがのどの奥に消えて見えなくなると、ネセブはそっとオレアがかまどに火を起こした時と同じ言葉を唱える。
「光は熱へ 熱は灯火へ」
しかし、起こった炎はオレアのものとは桁が違った。燃え立った炎は獣の腹の中を焼き尽くし、のどから竜巻にも劣らないほどの火柱を逆流させる。
ネセブは足元にもう一度円を描くと、それによって出来た盾を足場にしたうえ、その足場を吹きあがった火柱に乗せて獣よりも高い位置に浮遊した。
「ふむ、竜巻を巣にして、竜巻に巻き込んでズタズタにした獲物を食らうんだな。自分の巣だから、ちょっとやそっとじゃ竜巻は消えない……と」
体の内側を焼かれて絶叫する獣の悲鳴は無視して、ネセブは周囲にそびえる竜巻の壁を観察する。獣に傷を負わせれば竜巻も消えるかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「ならば」
ネセブは再びペンで自分の頭上に光で文字を描く。夕方に家の中で描いたよりもずっと大きな『風』の文字を。
「星の虜囚の魂たちよ いざ汝が友の声を聞け その呪縛を解き放とう」
そう唱え、今度は『風』の文字を囲むように竜巻の風向きとは逆方向の螺旋を描く。すると、描かれた螺旋は竜巻へと伸びていき、太陽の力による光の螺旋が星の力による竜巻を相殺していく。
「…………!!」
体内の焼けつく痛みに身をよじっていた獣が気がついた頃には、黒い柱にも見えたはずの竜巻はすっかり威力を弱めていた。最早弱いつむじ風と言ってもいいくらいの風の薄壁の中、光の盾に乗ったネセブは獣を見下ろしていた。
その見下ろされる視線に怒り、獣は未だ口の枷になっていたX状の光を力任せに噛み砕き、焼けたのどを無理矢理鳴らしてネセブへ吠えた。
「ファアケン」
しかしそこへ、ネセブの影を覆いかくすほどの鳥の影が重なる。先程地に落とされたファアケンが再び空を舞ったのだ。ファアケンは獣に劣らぬ怒りをこめて、激しく鳴き声をあげる。
ファアケンは自身の羽毛を激しく逆立てた。特にうろこ状の鎧のようになっている翼の羽根のうち、何十枚かが突如ぐらぐらと抜けそうになる。きっとその翼が大きく羽ばたけば、羽ばたきの勢いに乗って撃ち出されてしまいそうなくらいに。
そしてその通りに、ファアケンは思い切り獣に向けて翼を羽ばたかせた。何十枚もの羽根が、獣めがけて射出される。その羽根は、全て鋼鉄製だ。
「!!?」
ファアケンの羽根という鉄の雨が獣を襲い、一部は貫通するほど全身を撃ち抜かれた獣は思わず膝を着く。もう、悲鳴をあげるのどの余力は残っていなかった。
そこへトドメとばかりに、ファアケンに乗り換えたネセブが急降下で迫る。ペンにインクを継ぎ足し、それを獣に向けてまっすぐ構えた。
「すまんね!」
獣の体の中心まっすぐをファアケンは背で縫うようにかすめ飛び、背中のネセブがペンで獣の体に一気に線を引く。獣を飛びぬけ地上に触れそうになるギリギリをファアケンは器用に飛び、すぐに家のある方向へと体を向けた。
その背に乗ったネセブは、線を引かれた箇所から真っ二つに裂けていく獣を見返ることもせずファアケンに叫ぶ。
「急いで!」
ファアケンの返事はなかったが、速度を上げたことが何よりの返答になっていた。ファアケンもまた、オレアを心配しているのだ。
オレアに悪意に抵抗する手段がないわけではない。しかし、何かがあってからでは遅すぎる。今は一刻も早く彼女の下に帰ることだけをネセブは考えていた。
獣の残骸だけを残し、二人は夜の砂漠を全力で飛ぶ。その二人を、嫌に静かな星空がじっと見つめていた。
一日で書いたのでおかしい所があるかも…その時は改めます。