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星たちの落ちる時

 月のない夜の砂漠を、男を背に乗せた鋼色の(ふくろう)がかすめ飛ぶ。梟が滑空から羽ばたくたびに、砂が鋼の翼に触れ巻き上がり、背中に乗ったネセブにも降ってくる。薄い鉄の羽毛に包まれたネセブは、砂が金属に当たる小雨のような音を聞きながら、遠い景色に目を凝らしていた。


「何か気配、感じますか? ファアケン」


 ネセブは自身よりも何倍も大きな鋼の梟――ファアケンに問いかける。彼の呟くような小声の問いをファアケンは耳聡(みみざと)く聞きとって、梟らしく首をぐるりと回した。太陽の輝きを灯すその目が、否定の返答を表していた。

 何かおかしいと、ネセブは感じていた。

 家に助けを求めてきたザヘルとかいう男の話では、野営をしていた隊商が化物に襲われたということだった。その男が残した足跡をファアケンの夜目の利く視力に辿らせここまで飛んできたのだが、男が言うような化物の姿はおろか、何者の気配も感じられないのだ。

 そして、今の今まで自分たちが順調に目的地に近づけていることも、違和感の原因だ。

 新月の夜に出る化物――それは「流星の獣」とも呼ばれるが、即ち星たちの使いのこと。

 今宵の天に満ちる星たちが、いくら目立たぬよう地面すれすれに飛んでいるとはいえ、ネセブに気づいていないはずがない。それなのに、襲われるどころか進行の妨害の一つさえ起こらない。ネセブにとっては、拍子抜けを通り越して異常にも思えた。


(何だ……? 何かが違う……)


 内心のネセブの焦りに気づいたのか、ファアケンが再び首をこちらに向ける。言葉はおろか鳴き声さえなかったが、その瞳に落ち着くよう諭された気がした。


「……すみません」


 冷静な存在に熱を冷まされ、ネセブは反省の言葉を口にする。その言葉を受けてファアケンはまた前を向き、しばらくして金属が軋むような、小さな鳴き声をあげた。


「見えましたか」


 ファアケンの呼びかけに、ネセブも改めて目を凝らす。星明かりでかすかに煌めく泉の水面が、遠くに見え始めていた。男たちが野営していたというオアシスである。

 大きく羽ばたいた翼がまた砂漠を叩く。ネセブとファアケンの二人は、速度を上げてオアシスへと近づいていった。

 


 ****



 一方で、家に残されたオレアはそわそわとした様子で椅子に座っていた。卓を挟んだその真正面には、助けを求めて転がりこんできた中年の小男がぼうっとした顔で座っていた。


「…………」

「…………」


 ネセブが出ていってからこの方、全く会話が生まれない。男は二人きりになってからずっと放心したようで、まるで糸の切れた人形というか、微動だにさえしない。オレアもオレアで、知らない相手に積極的に話しかけるほど社交的な性格ではなく、ましてや、先程ネセブに礼の無い言葉を吐いた相手にあえて機嫌を取る気にはなれなかった。

 所在なげにオレアが見慣れた家の中をきょろきょろしていると、かまどにふと目が行った。これだ、と思い、オレアは椅子から立ち上がる。


「ええと、お茶……淹れますね」


 男から返事はなかったが、オレアは構わずかまどに向かった。こうすれば、少なくともお湯が沸くまでは、男以外のことに集中できる。少しでも時間を潰せるよう、またネセブが帰ってきたらすぐにお茶を出せるよう、陶器のやかんにはたっぷりの水を入れておいた。

 そして薪を積み、オレアが取り出したのは、数粒の小さな太陽の石。きらきらと自ら輝くそれを薪に放りこみ、オレアはかまどへ耳打ちするように呟いた。


「光は熱へ 熱は灯火へ」


 すると石は一層に光り輝き、オレアにも届くほどの熱を放つ。そして石の輝きが消える頃には、熱に当てられた薪からはパチパチと火があがっていた。


「へえ、お嬢ちゃんも魔術を使うのか?」

「!?」


 不意に声をかけられたオレアは、あげそうになった悲鳴を辛うじて抑えた。すぐさま振り返ると、ついさっきまで生気もない様子だった男が、興味深げにこちらを見ていた。その表情はどこか気味が悪く、オレアは感じた恐怖を気取られぬよう、かまどに向き直す。


「……使えると言えば使えます。でも私にできるのは初歩の初歩だけですから、それほど特別な事じゃないと思います」


 オレアは背中越しにそう答えた。

 その言葉は謙遜(けんそん)ではない。たった今かまどに火を起こしたのも、太陽の光を熱に変換するという、彼女が一番最初に教わったことをやっただけだ。魔術の源である太陽の光を固形化した太陽の石はネセブにしか作れないし、フィーという砂の体を持つ獣を生んだのもそもそもはネセブであり、オレアはフィーを譲り受けたに過ぎない。今の彼女に可能な魔術というのは、火を起こすとか水を呼ぶとか、そんな限定的なものだった。

 しかし男は先程までとは打って変わった様子で、大げさな声を上げる。


「いやいや、まだ子供なのに大したもんだ。お嬢ちゃんは娘……にしては大きいか。あれの妹か?」

「いえ、孤児だったそうなので、先生は育ての……恩人みたいなものです」

「ほう、孤児なのか。…………へえ、それはおかしいな。ああ、大分おかしい」


 オレアの返答に、男は鼻で笑いながらそう言った。その言葉に、オレアはムッとして振り返った。


「どういう意味ですか?」


 苛立ちをぶつけるようにオレアが尋ねる。しかし、振り返った先でオレアはギョッとした。男が不気味な笑顔で、こちらをじっと見つめていたのだ。


「魔術師というのはね、世襲なんだよ。部外の人間がなれるものではない」

「え……?」


 そして男が髭を撫でながら言ったことに、オレアは息を呑んだ。少なからず怯えを抱いた彼女に、男は笑顔のまま語る。


「特別な立場の人間というのは、他者にはない物を持っている。商人なら金、武人なら力、王なら権力……魔術師にとってそれらに値するのは、魔術を行うための専門的な知識と技術の体系だ。そしてね、他者にない物を持つ人間というのは、それらを独占するんだよ。自身が、自身の身内が、特別な人間であるために」

「…………」

「だから、独自に生まれた魔術師の家系は各地にあるけれど、どこも自分の家族以外に魔術は教えない。例え魔術が人間全体に役立つものだとしても、絶対に。ラルウート家なんて特にそうさ。あの家は妻を家族のない奴隷から(めと)り、跡継ぎ以外にきょうだいがいれば、家から出さず結婚もさせず、家の当主に一生仕えさせることで、親族さえ作ろうとしなかった一族だ」

「ラルウートって……先生の」

「ああ、ネセブ・ラルウート。ムナハの街の歴史と共に名を刻む、ムナハの王家と並び立つとも言われた、ラルウート家の当主だね。もっとも、彼で家系は途絶えるだろうけれど」

「…………」


 自分の知らなかった情報が続々と語られ、男の口調がまるで変わったことにも考えが至らないほど、オレアは混乱していた。そんな彼女のことを見ながら、男は気味の悪い笑顔を絶やすことはなかった。



 ****



 オアシスに辿り着いたネセブは、その光景に絶句していた。

 男の言うように、野営の天幕はあった。何者かに襲われた跡はあった。しかし……。


「刀傷じゃないか……」


 泉の傍で倒れていた死体たちの傷を見て、ネセブは眉をしかめた。ある者は立ち向かったのか前面に、ある者は逃げようとしたのか背面に、しかしそれぞれが一刀のもと斬り伏せられていた。

 ネセブは太陽の石を取り出し、灯り代わりにしてオアシスの周囲を走って見回した。誰かが逃げていれば足跡が残っているはずだが、それらしきものは見当たらない。ネセブが辿ってきた、あの男の足跡以外には。

 天幕の中にも、数人の死体があった。そのうちの二人ほどは寝ている間に襲われたのか、争った跡もなく喉元をかき切られていた。その傍には、散々返り血を浴びた服をわざわざ着替えた跡まであった。


「……っ!」


 シエルナという名前にほだされてしまった自分の甘さに、ネセブは歯噛みする。

 あの男め、何が化物だ。

 自分がみんな殺したんじゃないか。

 舌打ちをして、ネセブはすぐさま(きびす)を返して天幕を出た。待機していたファアケンに走りながら叫ぶ。


「ファアケン! すぐに戻りましょう!」


 しかし、ファアケンの意識はネセブに向いていなかった。夜空を見上げていたファアケンは、突然に今まで伏せていた頭のトサカを一気に逆立て、警戒の鳴き声をあげる。その声に、ネセブも夜空を睨んだ。

 その目に写ったのは、一筋の流星。

 しかし、流星に願い事をするという微笑ましい文化などこの地には存在しない。事実、流星を見たネセブの心には、願いよりも焦りが生まれていた。

 一瞬で消えるはずの流星は、消えないどころか軌道を変えてぐるりと夜空を一周する。そして、このオアシスの天幕を目指して瞬く間に落ちてきた。


「くっ!?」


 流星の落ちた衝撃に天幕は吹き飛び、砂が柱となって巻き上がる。ネセブも衝撃波に飛ばされ地面を転がったが、すぐに立ち上がってまとわりついた砂ごと外套を脱ぎ去ると、懐からペンを取り出して流星の落ちた先を睨む。ファアケンもすぐ傍に立ち、全身の羽毛を逆立てて威嚇(いかく)する。

 睨む先には煙が湧き立ち、その中に人間の影があった。煙が晴れて見えてきたのは、切り裂かれた喉元はそのままの、天幕で事切れていたはずの男。そこへもう一人、また一人と死体が立ち上がり、一か所に集っていく。死体たちは互いに覆いかぶさり一つの肉の塊となると、ボコボコと肥大化していく。それはたちまちネセブもファアケンも見上げるほどの大きさになり、そこから四肢と、角のある頭と、長い尾が生えた。

 外見だけならフィーにも似た姿の、赤と黒に染まる体のそれ――流星の獣は、しかしフィーよりも遥かに巨体だった。その大きさは、この場において最も巨大な存在であるファアケンと比べても、人間と大型の梟の体格差のそれだ。そして、彼らより小さなネセブは、(ねずみ)と言ってもいい存在。しかも、人間という素早さの欠けた鼠には、逃げることさえ許されない。


「足止めのつもりか……!」


 怒りを隠さず、ネセブは遥かに見上げる獣に対峙する。一刻も早くオレアのもとに帰るためにも、こんなけだもの相手に時間をかけるつもりはなかった。



 ****



「彼は……ネセブはね、かわいそうな子なんだ。彼が十八の時、家督を譲られ当主となった日に、父も母も長兄も、自分のいない間に殺されたんだから」

「……!」

「もちろん、彼は激怒した。消えた犯人を血眼で捜すこと一年、その相手がシエルナという街にいることを掴み、息まいて乗りこんでいった。しかし街一つ巻き込んでまで得た結果は……」


 男は左手で手刀を作り、自分の右腕に押し当てた。何を意味するかは、オレアにわからないわけがない。その時のネセブの苦しみと痛みを想像し、オレアは男から目を背けた。しかし、男の口は止まらない。まるで嫌がる相手に汚物でも見せつけるように、執拗に。


「そんな情けない当主様にムナハの王はおかんむりでね。街の名に傷をつけたとして、ムナハにその名ありと言われたラルウート家は、哀れにも市民の格を失い家財も没収。街から離れたこんなボロ家に追放され、自分と同じ哀れな子供を拾って自分を慰めているというわけさ。きっと自分より惨めな誰かを傍に置かないと、自分を保てなかったんだろう。ああ、かわいそうに」


 「かわいそう」という言葉とは全く裏腹の、男のひどく愉快そうな表情。自分たちを見下して笑っている男にオレアは気圧されてかまどに寄りかかり、それでも恐怖に負けないよう必死に男を睨んでいた。かたかたと震える小さな体を押さえながら。


「どうしてあなたが……そんなこと。まさかあなたが!」

「犯人だろうって? いいや、違うよ。これ(・・)とは違う。それに、私じゃなくとも噂好きな街の者なら誰だって知っているさ」


 男は自分の胸を指で叩き、そう言った。オレアの褐色の肌に浮く汗を、幾つもの三つ編みが震えに合わせて小刻みに揺れるのを、男は嫌らしい笑顔で一通り楽しむと、おもむろに立ち上がる。


「君の方こそ、どうして知らない? 当事者とずっと一緒にいながら」

「そ、それは……!」

「聞けなかったんだろう? 絶対に踏みこめないと思って。だって君はただの孤児で、他人なんだから」

「…………!」


 オレアは返答に窮した。そういう気持ちがなかったと言えば、嘘になってしまう。

 しかし、男の口から真相を聞いて、こうも思う。不用意に聞き出そうとしなくて良かったと。

 こんな話、おいそれと聞いていいわけがない。こんな、決して治らない傷口を(えぐ)られるような過去を。


「いけないよ。例え仮にも魔術師が、知ろうとすることに躊躇(ちゅうちょ)しては。知りたくないかい? 家族を殺された時の表情、右腕を奪われた時の感情、自分が家を潰した時の思いを」

「そんなこと……知りたくありません……! そんな、先生が苦しむようなこと!」

「知りたくないか……ふふ……失格。失格だな」


 オレアを嘲笑い、男はゆっくり歩み寄ってくる。オレアは逃げようとしたが、知らないうちに体が委縮していて、思うように体が動かない。そのうちに、男はオレアの眼前まで迫っていた。


「血も知識欲も、魔術師として不適格だ。私はもっと沢山のことが知りたいというのに。そう、例えば」


 男の手が、音もなくオレアに伸びる。


あの時(・・・)と同じ状況で君が殺されたら、彼はどんな顔をするか……私はとても興味があるんだ」


 男の手が触れかけて、オレアは必死に叫ぶ。


(先生っ!!)


 しかし恐怖に乾いた喉が声を生むことはなく、代わりに響いたのは煮えきらないやかんの湯がぶちまけられた音と、水のかかった薪の火が消える激しい音だった。


何かこう、言葉でネチネチ責めていると筆が乗ります。

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