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新月の訪問者

冒頭少しだけグロいかもしれません。ご注意ください。

 ――燃え崩れる街の中、膝をついた大地に血が染みていく。

 打ちのめすような痛みが体を駆け巡る。しかしそれ以上に、身を苛むのは血と力が抜けていく脱力感だ。

 今の心を満たしているのは恐怖ではなく、悔恨と自身への怒りだ。気づかぬまま大事なものを失い、挙句に自分の体の一部さえ、たった今失ったのだ。

 自らの体を離れて砂にまみれた右腕を、一人の男が拾い上げた。

 男はその右腕を頭上に掲げ、断面から滴る血に舌を伸ばした。一つ、二つ、男ののどが鳴る。

 満足そうに血を飲み干した男は、口からこぼれた血を拭うこともなく、右腕を持ったまま耳元に近づき、囁いた。


「またいつか、会いに行くよ」


 右腕を手土産に、意気揚々と去っていくその後ろ姿を、ただ見ていることしかできなかった――



****



「シュ……っ!! ……っはぁ……! ……はぁ……」


 夢から覚めたネセブは、跳ね上がる自分の心臓を抑えつけた。汗だくになった体をむくりと起こし、時間をかけて呼吸を整える。今の時刻は正確にはわからないが、おそらく床に着いてからさほどは経っていないだろう。

 この夢を見るようになって何年経ったことか。あれからずっと、満足に眠れたことはなかった。この夢を見た後はいつも眠れず、このまま朝が来るのを待つ。褐色の肌に浮かぶ目の隈も、最早こびりついて取れないのではないかと思うほどだ。

ハッと気づいたように見つめたのは、オレアが寝ているはずの部屋の方。彼女が眠っている気配を確認し、大きな安堵のため息をついた。

 眠りの浅さに利点があるとすれば、起きぬけのこんな姿をオレアに見せずに済むということだろうか。

 情けない姿はいくら見せても構わない。だが、苦しむ姿だけは見せたくなかった。しかしオレアも日々成長し、心も大人になっていくはずだ。果たしていつまで誤魔化せるものか……。


「風を……いや、駄目か」


 汗まみれの体に夜風を求めて窓を開けようとして、踏みとどまる。今宵は新月。きっと満天の空に星が瞬いていることだろう。


『月なき夜に外へ出てはならない。戸外に灯りを漏らしてもならない。悲しみの夜に負けず、太陽を待て』


 この地に古くから伝わる言葉である。単なる言い伝えではなく、これを破る者に命の保証はされていない。

 神話において、夜と星は太陽に敗れ、下った。だが、心から太陽に屈服したわけではない。彼らはいつか太陽もその恩恵を受ける生き物たちも殺してやろうと、常に自らを怨みで満たしていた。

 そのために、太陽は夜空に月という監視の目を浮かべた。月は淡い光で夜の世界を照らしつつ、三十日をかけてゆっくりと瞬きをしながら、夜と星の動向に目を光らせているとされていた。

 しかし、その(まぶた)が完全に閉じた時――即ち新月の夜だけは、夜と星たちは太陽の目を盗み再び暴れ出す。月の光がない夜の世界を自らの輝きで満たし、彼らの目に写る生き物を見つけては、その者たちを襲うのだ。

 故に、この夜はどの家も窓さえ開けず、星に見つからないよう息を殺す。もしも窓から星など見上げてしまったら、同時に星に見下ろされることになるだろうからだ。


「水……」


 喉の渇きを覚え、ネセブは別室のオレアを起こさないよう足音を殺しながら、食卓の水瓶に向かった。



***



 異変が起こったのは、ネセブが柄杓に汲んだ水を飲み干した直後だった。激しく木の戸を叩く音がしたのだ。


「おい頼む! 開けてくれ!」


 玄関の向こうからは切羽詰まった男の声がする。ネセブは一瞬驚いたが、すぐに声のする方へ行き、背中で戸を押さえて叩く音を殺すようにした。


「誰だ」

「起きてたのか!? ありがたい、中に入れてくれ! 化物に襲われたんだ!」


 僥倖(ぎょうこう)と言わんばかりの声が返ってくる。しかし、対するネセブの声は冷やかだ。


「新月の夜に出歩く方が悪いんじゃないのか」

「違う! ちゃんと日が落ちる前にオアシスで野営をしてたんだ! だが寝てたらいきなり天幕を破られて……それで! 頼むよ!! 開けてくれ!! 助けてくれぇ!!」


 戸の向こうから泣き声混じりの大声が響く。しかし戸を叩く衝撃を背中で感じながら、ネセブは戸にかけた(かんぬき)を外そうとはしなかった。男の正体を疑っていた。

 星はただ生き物を殺すだけではない。殺した者の肉体を奪い、なりすまし、油断した者を犠牲にすると言われていた。

 言ってしまえば、この扉一枚隔てた向こうにいるのが化物そのもので、戸を開けた途端に殺されたとしても一つもおかしくないのだ。

 声の正体を確かめようと、ネセブは本人しかわからないだろうことを問いかけた。


「名と、生まれは言えるか?」

「名はザヘル・ボウク! 生まれはシエルナだが今は根無しで磁器や織物の貿易をしてる! これでいいか!? 早くしてくれ!!」


 シエルナという今は存在しない街の名前に、ネセブはピクリと反応した。少し考え、もう一つ質問をする。


「故郷の家族は?」

「街が襲われた時に死んだよ! だから何だってんだ! 俺も死んで家族の所に行けとでも言うのかてめえは!?」


 今の男の声は殆ど自棄(やけ)の混じった怒号だった。それを聞いて、逡巡(しゅんじゅん)の果てに漸くネセブは決心した。


「……今戸を開ける。少し静かに」


 手早く閂を外し、小さく戸を開ける。男は僅かな隙間から滑りこむように入りこみ、床に転げながら大きく息を吐いた。(ひげ)がもみあげまで繋がった、中年の小男だった。


「ああ……ああ……助かったぁ……」

「立てるか?」

「腰が……抜けて……」


 力の抜けた男に、ネセブは左手を差し出した。男は震える手で掴まり立ち上がるが、寄りかかった先のネセブに右腕が欠けていることに気づき、ギョッと目を見張った。


「あんた、隻腕の魔術師とかいう奴か?」

「間違ってはいない。自分で名乗った覚えはないけれどね」


 男が口にした名前に、相変わらずそう呼ばれているのかとネセブはため息をつく。やはり人の噂は早々収まるものではないらしい。


「たまに話は聞くよ。死に損ないの落ちぶれ……あ、いや、今のは聞いた話ってだけで……」

「いいよ。否定するつもりもない。そんなことより」


 男が滑らせた口を気にすることもなく、ネセブは男を腰かけさせて問い詰めた。


「他の仲間や護衛はどうした? 皆殺されたのか?」

「いや、俺が逃げた時は他にも何人かは生きてた……。ただ皆散り散りに逃げちまったから、どうなったかは……」

「そうか……だがこっちの方向以外に、逃げこめる人家なんて存在しないぞ」

「じゃあ今頃は……」

「上手く身を隠していれば、あるいはだが」


 二人がそれぞれの推測を語っていると、暗い部屋の奥から小さな声がした。


「せんせえ? どしたんですか?」


 少し寝ぼけているのか、間延びした声で顔を覗かせたオレアに、ネセブはランプを灯して近づく。


「起きたのかオレア。遅くにすまないが、身支度を手伝ってくれるか」

「みじたく? でも外に出たらだめですよ」

「他にも逃げ伸びている可能性は少ないけれどある。彼だけ助けて知らぬ振りもできないから」


 ネセブがランプを掲げて、暗がりに男の姿を写す。その男の存在に初めて気づいたのか、オレアは驚いて咄嗟にネセブの陰に隠れていた。



 ***



「……あんた、外に出るつもりなのか?」


 オレアに手伝われながら着替えるネセブに、椅子に座った男は不安げに聞いてきた。


「仲間の安否、気にならないわけじゃないだろう」

「そりゃそうだが……死人が増えるだけじゃないのか。ましてや不具のあんたなんかじゃ」

「ちょっとあなた」


 男の口ぶりが気に入らず、オレアが咎める口調で会話に入る。しかしそれを、ネセブは手で制止した。


「辺りを見回るだけさ。望みがなさそうならすぐに戻ってくる」

「はあ……じゃあ、頼むよ」


 未だ腰が抜けたままの男は、体を投げ出したまま頭を下げる。その様子を見ていたオレアは、ネセブの腰帯に小瓶を括りつけつつ、男に聞こえないように小さな声を漏らした。


「私、あの人あんまり好きじゃありません。助けてもらったのに失礼です」


 ネセブにはそれが聞こえていたのか、小さく息を漏らしながら笑った。


「初対面の人間には無理に心を許さなくていいよ。それよりも、君も着替えた方がいい」

「……わかりました」

「ちゃんと胸飾りもするんだよ」

「胸飾りも?」


 ちらと男の方を確認しながら、ネセブが言う。その言葉にオレアは首をかしげた。

 ネセブが言ったのは、外出する時にオレアがいつも身に着ける青い宝玉のついた胸飾りのことだ。もちろん出かける時であればネセブの言うこともわかるのだが、何故今彼がそう言ったのか、オレアには解せなかった。


「あれはよそ行き用の」

「滅多にない来客だからね。身なりはきちんとしよう」

「は、はい……」


 確かにオレアの記憶にある限り、この家に来客など初めてのはず。とはいえ、果たしてそれしきのことに装身具まで着ける必要があるのか疑問には思ったが、ネセブの言葉にオレアは一応頷いた。彼の声色は優しかったが、言外に強制的なものを感じたのだ。決して気を抜かないよう、言われた気がした。


「なあ、助けられといて悪いが、何でそんなことまでするんだ?」


 オレアが自分の部屋に着替えに行った間、ふと男がネセブに尋ねた。ネセブは自分の持ち物を改めて確認しながら答える。


「シエルナの生まれだってね。私はムナハの生まれだが、シエルナがなくなった日、私もそこにいた」

「ほう、よく生きてたな。俺はあの時いなかったからだが、殆ど死んだか、残りも奴隷なりに落ちたかのどちらかだと思ってた」

「幸か不幸か、ね。だから貴方を助けるのは、罪滅ぼしというか、私の自己満足だ」

「自己満足?」


 男が怪訝な顔をする。理解ができないという様子だった。


「そんなものに命かけるのか、あんた」

「自分を満足させないと死ぬ人生もあるんだよ」

「いかんな、命は大事にしないと。残される奴の気持ちも考えろよ、あの嬢ちゃんとか」


 男がオレアのいる方をあごで指した。ネセブも無言でそちらを見つめる。


「…………」


 知っているとも。

 そうネセブは思ったが、口には出さずに違うことを言う。


「あなたこそ、せっかく拾った命だ。無駄にはしないでほしい」

「覚えておくよ」


 男がそう答えた時、オレアが着替えを済ませてやってきた。言いつけ通り、青い宝玉の胸飾りをきちんと着けていた。


「先生、これでいいですか?」

「うん。それじゃあ、ちょっと出かけてくる」


 彼女の身なりを確認し、ネセブは戸口の前に立った。その背中につき従うオレアに、振り返ってネセブが言う。


「私が出たらすぐに閂をするように。どんな音がしても、誰の声がしても、絶対に戸は開けないように」

「先生が帰ったら?」

「私は自力でどうにもできる。逆にそれができずに君に頼むようなら、戸口にいるのは私ではないということだ」

「わかりました」

「……それと、帰るまで決して気を抜かないように。いいね」

「は、はい」

「良い子だ」


 緊張しながら頷いたオレアの艶のある黒髪を撫でて、ネセブは閂を外した。最低限に戸を開けて外に出ようとした時、外套が引っ張られる気配があってネセブは振り返った。布の端を、オレアが不安げにつまんでいた。


「あの、気をつけてください」

「ありがとう」


 オレアに笑顔を向けて、ネセブは外に出ていった。オレアが外套から指を放すと、衣が戸に擦れる微かな音と共に戸はパタリと閉じて、少しして閂をかける音が鳴る。

 戸が開かないことを確認した後、ネセブは周囲を見渡す。月の光がない外はいつもの夜よりも暗く、土地勘がなければどこにいるかも見失いそうになるほどだ。

 ネセブは膝をつき地面に目を凝らした。無風の砂地には、男が残したらしき足跡が確かに残っている。その足跡の続く先をじっと眼を細めて見つめるが、音も気配も感じない。


「オアシスまで歩くには少し遠いか……」


 独りごちて、ネセブは見つめた方とは反対側の、街に沿って流れる川のある方に足を向けた。口元を外套で覆い、川へ向かって走り続ける。今考えていることを実行するには、河川の周辺にあるものが必要な上、家の傍でやるには目立ちすぎるのだ。

 かすかに川の流れる音が聞こえてきた頃、息を切らしたネセブはようやく足を止めた。

 体力が落ちたな。

 そんな風に思考を一瞬横道に逸らしつつ、ネセブは腰に下げた袋から大きな太陽の石を取りだし、地面に放り投げた。石の落ちた場所の砂が不自然に波うち、水面に物を落としたように、砂の波が円をどこまでも広げていく。

 更に、ネセブは腰の小瓶を一つ取り、その中身――触媒となる銀色の金属の粉末を石にかける。小瓶が空になったのを確認すると、ネセブはぼそりと呟いた。


「父なる者 ()が器を子なる我が(あた)う 肉は砂 血は光 身を覆うは(くろがね)


 すると石が明滅し、波紋の広がった一帯の地面から、じわりと黒いものが湧いてきた。

 その正体は、河川の土砂に含まれた砂鉄。

 湧いた砂鉄は餌を見つけた蟻の群れのように太陽の石に殺到し、一瞬で石を包む球状の黒い塊となった。

 更にそこへ周囲の砂が(うごめ)きだし、黒い塊を覆うように山を作っていく。たちまちに、砂はネセブが見上げるほどの巨大な楕円の山となる。それはまるで、砂鉄の塊を卵黄に見立てた、砂で出来た卵のようであった。

 ネセブは砂の卵の前に立つと、今度は道具屋に作ってもらった特注のペンを持ち、頭の中に想像を描く。

 彼の頭にあるのは、一羽の鳥だ。

 大きく広い翼、音を消す櫛歯のような風切羽、夜を見通す盆のような顔。その骨格から、臓腑、筋肉、羽毛まで詳細に、余さず思い浮かべる。

 そのイメージのまま、ネセブがペンで描いた表意の文字は――『(ふくろう)』。

 太陽色のインクでつづられた文字が砂の中に染みていくと、しばらくして砂の卵の中で爆発音が鳴り、凄まじい熱気が漏れた。


「行きましょう、ファアケン」


 その熱気を受けながら、ネセブが何者かの名を呼ぶ。その呼びかけに呼応したのは、砂の卵を突き破って現れた巨大な鋼色の翼だ。

 ボロボロと卵の殻が崩れ去り、翼の持ち主が姿を見せる。

 全身を鉄の羽毛で包んだ、人間を一飲みにできる大きさの一羽の梟――ファアケンがネセブに向けて産声をあげた。

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