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夕暮れの食卓

 太陽が地平に触れようとする頃、全ての窓を閉じた家では、ランプの灯りの中でささやかな夕食が取られていた。

 小麦のナンに焼いた鶏肉、豆と野菜のスープ、そしてデザートのナツメヤシ。小さな食卓に簡素な食事を並べ、二人は夕食の席に着く。


太陽神(ラズマ)の光に感謝を」


 その言葉を合図に、ネセブは左手を、オレアは両手を胸に添えて、神に食前の祈りを捧げる。太陽はこの地において、主神として(あが)められていた。

 この世の始め、世界には無限の“天”と果てのない“地”、その間に空があったという。空には無数の星が住み、誰の言うことも聞かずに空を惑っていた。暴れる星々に業を煮やした“天”と“地”は、“天”が父になり、“地”が母になり、“夜”を生んで空を治めさせようとした。

 しかし、“夜”は星々に与した。それどころか、“夜”は自分と星々以外の存在を認めず、同じ頃地上に生まれた人を初めとする命たちに、死という名の眠りを強いるようになった。

 その行為に“地”は悲しみの涙を流し、それはやがて地表に満ちて海となった。その涙に怒った“天”は、空の治めるための新たな子を生むことにした。それが“太陽”である。

  “夜”は“太陽”を敵とし、星々を従えて戦いをしかけたが、その勝者は太陽であった。これより後、空は“太陽”の下に秩序が生まれ、命は地上に溢れた。敗れた“夜”と星々もまた “太陽”に劣ることを認めその(しもべ)となり、“太陽”が眠る時間の空を司るようになったのだという。

 故に、太陽は世界の恵みと繁栄の象徴とされ、人々の崇拝の対象となった。ムナハが「太陽の街」と呼ばれるのも、乾燥した気候により雲のない青空に太陽が輝くことが多いからであり、同時に太陽を祭る神殿が置かれているからでもある。


「本当はもっとお料理作るつもりだったんですけど……帰るのが遅くなっちゃって」

「充分だよ。オレアの料理はいつも美味しい」


 ネセブがそう言ってナンを一口食べると、焼き色がついた所がパリッと鳴り、まだ熱の残るナンの湯気と小麦の香りが鼻に触れる。スープの味付けは塩だけだが、玉ねぎの甘みと鶏の骨で取った出汁が充分な味の素地をつけ、豆の弾力ある食感がアクセントになっていた。


「本当に、教えていないのに料理が上手くなったね。オレアに愛される人はきっと幸せになるよ」

「いえ、そんな……あの……そういうの、よくわからないし……」


 用意された食事を美味しそうに食べるネセブに、褒められたオレアは嬉しさと恥ずかしさが混ざった表情を見せた。照れ隠しにナンを一口かじり、噛んでいるうちに何か思い出したのか、オレアは口の中の物を飲み込んでネセブに言う。


「でも、フィーが言うこと聞いてくれればもっと早く帰れたんです。明日フィーのこと叱ってください」

「ああ見えて子供っぽい人だからねえ」


 オレアの言葉に、ネセブはくすくすと笑った。しかし少しだけ真面目な顔になり、木のスプーンを置いてオレアを見据える。


「けれどオレア、今のフィーの相棒は君だ。私を頼るのではなく、君自身でフィーに認められなければ意味がないよ」

「でも、元は先生の物だし」

「フィーを物と言うのはやめなさい。彼もこの世界の命の一つだ」


 不意に声色を落としたネセブに、オレアはびくっと身を震わせた。


「そういう意識しない所も彼は察知するよ。だから認められないんだ。気をつけなさい」

「……はい、すみません」


 オレアがしゅんとすると、ネセブの顔にまたとぼけた笑みが戻った。


「何、フィーと一緒にいればいつか心が通じるさ。だから私は君にいつもお使いを頼んで、フィーといられる機会を作っているんだよ」

「……そうなんですか?」

「そうだよ?」

「……先生が自分で行くのが面倒だからじゃなく?」

「まさかー、そんなわけないじゃないかー、あははー」

「…………」


 全く心の籠っていない返事に、オレアは無言でネセブを見つめた。彼の言うことは時々本気だったり、かと思えばまた適当になったり、一事が万事掴み所がない。長く一緒にいるオレアはまだ付き合えるが、こんな性格だから悪く言われるのではないかとも思ってしまう。

 そんなことを思っていると、オレアにとある疑問が浮かんだ。


「もしかして……街の人が色々言うからですか……?」


 それを尋ねていいのか迷ったが、思い切って口に出したオレアに、ネセブは一瞬きょとんとした顔を見せた。しかしすぐに意味を察したようで、苦笑しながら左手のナンを皿に置いた。


「まだ言う人はいるか。古い話なんて本人がいなければいずれ立ち消えると思っていたけど……ままならないものだね」


 ふと、ネセブは寂しげに眉を下げた。だがそんな顔はほんの一時で、すぐに立ち直って何かを思いついた表情をして、ひょいとナツメヤシを摘まんだ。


「よし、なら今度は私も一緒に街に行こう」

「え?」

「親父さんに引きこもり扱いされるのも(しゃく)だし、直接頼みたいこともあったからね。丁度いい機会だし、たまには街を見るのもいいじゃないか」

「……あの、本当に大丈夫ですか……?」


 不安そうなオレアに対して、今度は鶏肉の皿に手を伸ばしたネセブは、取った鶏肉で彼女を指して尋ねる。


「オレア、こんな(ことわざ)を知っているかな? 『砂を殴っても疲れるだけ』という」

「砂を……すみません、知らなかったです」


 自分の不勉強を恥じたオレアに、ネセブはけろっと一言。


「だろうね、そんな諺ないから。私が今作ったんだ」

「…………」


 オレアが呆れ果てた表情でネセブを()めあげた。それを知ってか知らずか、ネセブは笑って鶏肉にかじりついた。皮のついた鶏肉から、脂と肉汁が染み出る。


「つまりは……お、胡椒が効いて……下衆な悪意なんて一々構っちゃいけないってことだよモグモグ。どんな力も振るわれても……あむ……こちらが受け流す砂であれば……む、軟骨……いずれ向こうが疲れて折れるんだポリポリ。んむ……はあ、美味しい。誹謗なんてつまらないことに気を使う必要なんてないんだよ」


 良いことを言ったつもりなのだろうか。ネセブは骨を皿に置いて得意げな顔をしたが、対するオレアは白けた表情で彼を見つめていた。


「先生……口の周りに脂ついてます……食べカスも」

「ありゃ」


 言われてネセブは左手の甲で口元を拭った。そして、その汚れた手でバツが悪そうに頭をポリポリと掻く。


「やあ、お恥ずかしい限りで。やっぱり片腕じゃ食べるのも一苦労だよ」

「手づかみの鶏肉に腕の数は関係ないと思います! 片手で食べれるお料理考えて作ってるのに!」

「そうなのか! オレアは気がつく良い子だなあ」

「先生が適当すぎるだけです! もうちょっとちゃんとしてください!」

「私にはこれくらいの生き方がちょうどいいんだよー」


 さらりと話を受け流すネセブに、とうとうオレアは愛想を尽かせてそっぽを向いてしまった。その横顔に小さく笑いながら、ネセブはふと目を落とす。


「まともでいたら、生きてなんかいられないんだから」


 苦しそうな笑顔で漏らした泣き言は、幸いにも怒るオレアの耳に届くことはなかった。


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