#9:てのひらを見つめる
オカルトなんて大嫌いだ。
心霊現象の特集なんて観たこともないし、心霊写真も嘘っぱちだと笑い飛ばしていた。神社にお参り、なんて暇人のすることだと思うし、お守りなんて邪魔なだけだ。
祈りも願いも、自分でなんとかするしかない。都合のいい願い事を聞いてくれる神様なんかいない。仮にいたとしても、そいつは無慈悲なもんだ。おまけに気まぐれだからどうにもできない。なのにそれを信仰して重んじるなんて、もう、馬鹿としか言えない。悪い行いが巡って自分にやってくる? いい行いをしないと死んでから天国に行けない? 腹がよじれてしまう。
でも、それも、つい昨日までの話。今なら、オレはそういうのを全部信じられると思うんだ。
* * *
あまりの寒さで目を覚ました。ちゃんと、アンカを仕込んで、頭まで布団を被って眠りについたはずなのに、この気温はなんだ?
見覚えのある光景だ。左に古ぼけたオレの家、右に親父が暇つぶしにいじっている庭。季節がら、すべて雪を被っている。
庭だと? オレの部屋は二階だ。
まさか、誰かがオレを窓から突き落としたのか。いや、オレの体重は100キロを越えている。自慢じゃないけれど、そんなことをできる人間はこの村にはいない。
とにかく、動こう。ここにいては凍えてしまう。
立ち上がれなかった。
いや、手足は伸びるんだけど、腰が伸びない。
それに、首が苦しい。なんとか家に向かおうと足を出すと、きゅっと締め付けられる。数歩動くのが限界だ。
オレはパニックに陥った。置かれている状況がわからない。家には入れない。雪に触れている部分がだんだん痛くなってきた。
そして、追い討ちが入る。
家から誰か出てきた。目がかすんですぐにはわからなかった。
そいつはオレに向かってのっしのっしと歩いてきた。
そいつはもっちゃりした声で言った。
「おはよう、コジロウ」
そいつはオレだった。
分厚い眼鏡を掛けて、えりの伸びたトレーナーを着て、自分の庭なのに長靴を履いていた。手には薄汚い竹箒が握られている。
それでやっと、オレは事態を把握した。オレとコジロウの中身が、入れ替わったんだ。
オレ、いや、コジロウは竹箒を反対に持って、その辺の雪を叩いた。本能的に痛そうな音が鳴って、体が思わずびくついた。
思い当たる節はいくつもあった。オレは学校でムカつくことがあると、決まってコジロウに当たっていた。
餌に釘を混ぜてみたり、
牛乳に砂を入れてみたり、
竹箒で体や頭を叩いてみたり。
「おいおい、もう17になるんだろ? 子犬みたいに震えてどうするよ?」
コジロウは箒をしっかりと握ったまま、膝を曲げ、オレに視線を合わせた。
* * *
寒いだろ。前まではそれでもなんとかなってたんだぜ。おふくろさんが毛布を置いておいてくれたからな。でもそれも、アンタがこの前燃やしちまったよな。切なかったぜ。
どうしてこうなったかわからない、って顔してるな。いやさ、自分の顔だからわかるんだよ。
オレたちはな、ときどき妙なヤツが生まれてくるんだ。声帯がちょっと変わってたり、頑張り屋だったりなんだが、オレの場合は、遠くの仲間とテレパシーで喋れちゃうんだなあ、これが。
でよお、この村の他のヤツとか、海や国境の向こうのヤツとかと話してて思ったのよ。なんでオレは、こんなに不遇なんだろう、ってな。理不尽だと思ってるだろ? オレは何もしちゃあいない。あんまり吠えないし、餌をねだったりもしなかったはずだ。人間に噛み付いたこともない。
なのに、なんでコイツはこんなに酷く、辛く当たるんだろう。
ずっと思ってたよ。
ま、わからなくもないわ。お前、学校でいじめられてんだろ? きっと、この重たい体が原因だな。あと、理不尽な行動な。
まあ、そういうののはけ口が見つかっただけでも、偉いと思うよ、実際な。何にも、とはいかねえけど、誰にも迷惑かけない方法を見つけたお前は賢いよ。ガキだけどな。
・・・おうおう、わかってない顔だな。
実はな、お前に頼みがあるんだよ。別におふくろさんでもおやじさんでもよかったんだけどよ、今、オレにわざわざ会いに来てくれるの、お前だけだからさ。
なんつーの、愛?
ん、なんか、くすぐったい単語だな。優しさ。うん、こっちの方がいいな。それをさ、欲しいんだよ。なんかさ、よそのヤツらがあんまり自慢げに話すもんだからさ、ちょっと興味が沸いたんだよな。
そういうのってさ、オレらには無いんだよ。子孫を残すためにメスを見つけるし、挿れる。前足で体に引き付ける、ってのも、なんか、うらやましいんだよな。
バアカ、いきなりそんなもん求めちゃあいねえよ。こうやってさ、頭を撫でてくれるだけでもいい。いや、それがいいな。オレも恥ずかしいしさ。
わかってるよ、お前がオレのことを嫌ってないことくらい。お前、体とか手足はバシバシ叩いてたけど、目はおろか顔には一発も入れなかったもんな。
ん、安心したわ。お前の手、こういう動きできるじゃん。
悪ィな、これだけ確かめたかったんだわ。んじゃ、邪魔したな。
* * *
重い布団をどかして、起きる。窓の外はお粗末な銀世界だった。
手のひらを見ると、細くて茶色い毛が付いていた。
下に降り、居間を横切る。新聞をだらだら読んでいるおやじに軽くおはようと言う。
廊下にぽつりと置いてある餌箱からドックフードを掬い、
外へ。
思わず肩を縮めてしまうほど寒かった。間違いなく氷点下だろう。
コジロウは首を動かしてオレを見つけると、さっと起き上がり、落ち着きのない「おすわり」をした。
オレは器に餌を入れ、冷たい廊下に腰を降ろして、餌にがっつくコジロウをぼうっと眺めていた。
何度も、何度も、手を伸ばそうとしては諦めた。
きっともう、二度と言葉は通じない。それはもう、悔やんでもしょうがない。
わかってはいる。わかっちゃあいるんだけどさ。
唇を噛んで、寝巻きのズボンを握り締めて、太ももを叩いた。
とうとうコジロウが餌を食べ終えた。髪の毛を掻きむしるオレを見て、コジロウは口周りを一気に舐めてから、音が鳴るほど首を傾げた。




