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#3:ブルー・リトル・リビドーズ

 助走を存分に活かして、強く地を蹴って踏み切る。

 両手を振り上げて身を反らして、少しでも遠くへ。

 着地。靴の中に砂が入って、カッコ悪くお尻から転んでしまった。

 記録係のマネージャーがメジャーを引っ張ってくる。それを待たずに砂場を去る。新記録には程遠い。

―ちぇっ、記録は出なくても、カッコよく飛びたかったな・・・。

 誰にもばれないように、校舎に視線を飛ばす。

 空いている窓はないかな。

 人影の映っている窓はないかな。

 あの人に、こんな無様なところを見られていないかな。



 頬杖をつきながら、ぼうっと窓の外を眺める。

 いろんな部活のいろんな部員が額に汗を浮かべて励んでいる。

 古書の匂いに毒されながら、僕の視線は一点に注がれていた。

 走り幅跳びをしている女生徒の記録を計る、背の小さいマネージャー。

 どこのクラスだろう。後輩には間違いないのだけれど、見たことがない。別の科なのだろうか。

 考え出すと止まらない。名前や生い立ち、家族構成や趣味まで想像してしまう。

―恋人はいるのかな

 告白なんかしないけれど、お近付きになりたいとは思う。ああいう子と一緒にデートなんかしたら、とても楽しそうじゃないか。



 向かいに座るのは紛れもない私の彼氏なんだけれど、どうやら先ほどから持病が再発している。ちょっとでも自分の好みの女の子がいると、その子に釘付けになってしまうんだ。

 私は数学の宿題を済ませながら、ううん、それに無理矢理打ち込むことで、彼の表情から目を逸らす。別に、いつも私を見ていて欲しいわけじゃない。可愛いと言われる顔でもないし。最後にちゃんと、私のところに帰ってきてくれれば、それでいいもの。

 それに、こんなことでいちいち目くじらを立てる女だと思われるのが嫌だ。本当はそれ以上に他の女を見るのが嫌なのだけれど、ほら、私にも意地とかプライドがあるから。

 やれることを全部やって、いい女になって、この助兵衛に独占されてやる。



 ぎっちりと詰まった、純文学の総集編を一冊引き抜くと、その隙間から彼女たちが見える。男のほうはいつも通り窓の外の別の女を眺めているのだろう。ちょっと顔がいいからって調子に乗っているんだ。そんなことでは、目の前の彼女がいずれ愛想を尽かしてしまうというのに。

 彼女は真剣にプリントに励みながら、時折その数倍鋭い視線で男を射抜いていた。当たり前だ。好きな男が他の女を見ていて、心中穏やかな女はいない。付き合いたてなら尚更だ。

 悔しい。

 オレなら、もっと彼女を幸せにしてやれるのに。そりゃあ、漫画やアニメが大好きで、3000円以上の服なんか買ったことのないオレだけど、自信があるんだ。彼女だけを、一生見守ってやれる自信があるんだ。

 でも駄目だ。今は動いちゃ駄目だ。彼女はこの“今”を望んでいる。それを壊すなんて、彼女が可愛そうだ。

 そうやって理屈を付けて、動けない日々が続いている。そろそろ半年くらいかな。そして、今日も律儀にその不名誉な記録を更新するわけだ。



 廊下から眺める景色は好き。平和な中庭が控えめな西日に晒されて、昼間とは全く違う一面を見せている。まあ、バンドの歌詞には使えそうにないけれど、こういうことで感性を磨くのは大切なことだと思う。

 無粋な音がして、図書室から友人が出てきた。隣の家、という腐れ縁はもう十数年続いている。好きか嫌いかと聞かれたら間違いなく嫌い。だって格好悪いんだもの。でも彼は面白い。見ていて飽きない。容姿が趣味にそぐわないくらいでサヨナラしてしまうのはもったいないと思う。

 ほら、ごらんよ、彼の姿を。少しうつむいて、震える両肩を抑えるのに精一杯で、顔が真っ赤じゃないか。きっと、今日も意中の女の子に声を掛けられなかったんだろう。顔も良くはないしいくらかぽっちゃりとしているから、自信がないのも仕方が無い。

 お帰り、と言う。しかし彼は反応しない。プライドが高いんだ。落ち度があった自分を、みっともない自分を許せないんだ。

 ホント、可愛い。

 また慰めてやろう。こうなることが判っていたから待っていた。帰りに、彼が好きなジュースでも買ってあげよう。



 彼に会いたい。



 屋上で吸うタバコは美味い。学生の分際で何を粋がっているんだか、と自分でも思う日があるけれど、覚えてしまったものは仕方がない。もう煙無しでは生きていけない体なのだ。

 もちろん、生徒会長がこんなことをしていることがばれたら一大事なのだけれど、理解のある顧問の教師がなんとかしてくれるらしい。つくづく、いい学校である。

 柵に寄りかかる。横目で校庭を見下ろす。

 この学校の生徒は活き活きしている。

 いつかの日の朝、新聞で読んだことがある。最近の10代はすぐに「面倒臭い」「意味がわからない」と言い訳をして、やりたくないことを徹底的に避ける傾向にあるそうだ。そんな連中から、この学校は最も遠い。やりたいことに打ち込み、気が進まないことにも一致団結して取り組む。それが空回りするときもしばしばあるけれど、誰もそれを咎めない。数百人の生徒が揃いも揃って、熱い連中ばかりなのだ。

 そのくせ、誰もそのことに気付いていない。かく言うオレも、このポジションに就いてから気が付いた。そのことを顧問に話したら、

「やはりお前が適任だったな」

 と言われた。

 意味はわからない。そこから、オレの中の熱は冷めてしまったように覚えている。それさえどうだかわからない。はっきりしていることは、今のオレには比較的、全てどうでもいい、ということくらいだ。

 守るべきものはオレより立派だし、放っておいても大丈夫。

 嬉しいやら悲しいやら、だ。

 屋上の扉が開いた。その中から、背の小さなジャージの女生徒が飛び出してきた。部活が終わってから直行か。

 この後の展開を想像して、煙草を上履きで踏み潰す。

 女生徒は泣き出しそうなはにかみ笑いを湛えてオレに抱きつくと、オレの、ヤニ臭い唇に噛み付いた。

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