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#17:セルフ・サービス

 深夜を少し回ったころ、牛丼のチェーン店のカウンターで並盛りとサラダを面倒そうにつついていた。やっぱり卵か、もしくは鶏そぼろ丼にしておけばよかったか、と後悔していたとき、それは始まった。

 オレの目の前で、レジの金を数えていた大学生風の青年に、厨房から出てきた同じくらいの歳の女が小声で話しかけた。

「昨日は遅かったね」

「ん……」男は勘定を邪魔されるのを疎ましがって、適当に返した。

 それがいけなかった。

 ねえ、と女は言葉尻を吐き捨てるように言い、男を無理矢理自分に向き合わせた。

「どこに行ってたの?」

「何がだよ、仕事中だぞ」

 しかし客はオレを含めても三名しかおらず、メニューは出し終えており、誰も食べ終わりそうな気配はない。勤務中であっても業務は終わっている。もっとも、女の方は、だが。

「たっちゃんの家にいたっていうの、嘘なんでしょ?」

「レポート教えてたって言ったろ?」

「だから、それ嘘なんでしょ?」

 女の語気がゆっくりと強くなっていく。目の前でこうも熱くなられては、食事どころではない。しかしそれは思っていたより嫌なものでもなかった。

「なんでそうなるんだよ」

 切り返した男に覇気はない。劣勢で、実際に非もあるのだろう。つまり、彼は昨晩、たっちゃんの家でレポートなどしていないのだ。

「さっき、たっちゃんからメールが来たもん。レポート教えてくれないか、って。昨日リュウ君に教わったんじゃないの、って訊いたら、教わってないって返って来たもん!」

 それは男が悪い。持論だが、嘘はばれた時に罪になるのだ。どうせ嘘をつくのなら、絶対にばれない嘘をつくように努力し、工夫する義務がある。それは大変なことだ。どうせばれないだろう。男の甘い考えがこの修羅場を生み出してしまった。典型的な自業自得。

「だったら何だって言うんだよ?」

 そこで開き直るかね。女なんてのは、意見を聞いてやって、平謝りすればそれなりに許してくれるだろうに。1万円程度のプレゼントでフォローすれば万事解決だったのに。

「どうせ、ユカと会ってたんでしょ? 着信もメールも、ひっきりなしに来るもんね!」

「オマエなあ……」

 バツが悪そうに目を逸らすフリをしながら、オレは監視カメラの位置を確認していた。カウンターのど真ん中で言い争いをしている二人の姿は四方のカメラで完璧に捕らえられている。後日、責任者がこの映像を見たら、即刻解雇に違いない。二人にとって、三年は笑い話にできない、特大の汚点となることだろう。

 ふと、カウンターの最果てで牛丼をもりもり食べていた、二十代後半の、浪人生のような男と目が合った。浪人生はオレに一瞬アイサインを送ると、親指で喧嘩中の恋人を指した。

 何のつもりかわからず、オレは視線を手元のどんぶりに落とした。喧騒に紛れて、水が大量にノドを通る音が聞こえた気がした。

「いやあ、ごめんね、リュークン。こんなことになるなら、やっぱり無理に誘うべきじゃあなかったかなあ」

 思わず米を吹き出した。口を押さえて目をやると、先ほどの浪人生がへたくそな愛想笑いを浮かべて頭を掻いていた。

「……は?」

 女のそれは客に対するそれではなかったが、男は浪人生の助け舟に飛び乗ったようだ。

「ホントですよ、先輩。オレみたいなの連れてっても何にもならないって言ったじゃないですかぁ」

「いやあ、メンツが足りなくってさあ。でもやっぱり、合コンで女の子に不自由させるわけにはいかないからねー」

 大根が2本。

 こんな嘘は大罪だ。昨晩合コンに言ったのなら、浪人生の身なりはもっとらしくなっていなくてはならない。ぼさぼさの髪、汚い無精ひげ、これだけ離れていてもわかる体臭。彼はつく嘘を間違えた。麻雀とかにしておけば、まだ言い訳になったのだ。

 女が笑った。

「あ、そうなんだ、合コンだったんだあ」

 普通の女なら合コンと聞いただけでも激怒するはずなのに、彼女は違った。確かに、先輩から無理矢理誘われたという設定で、且つその先輩が目の前にいるにも関わらず、怒鳴り散らすのは賢いとは言えない。

「先輩からの誘いじゃあ、仕方ないよねえ。私いつも、合コンだけには行かないでって言ってるけど、付き合いじゃあ仕方ないよお」

 女の目は笑っていない。浪人生の笑顔も引きつり、男は額に珠のような汗を浮かべている。

「ところで先輩。学校内で観たことないですけど、学部はどこなんですか?」

「ん?」

 文字が斜めになったような声を出す浪人生。

 すかさず男が助け舟を返す。

「オレと一緒ですよね」

「う、うんうん、そうそう」

 こういう、公開コントかドッキリの類だったらどうしよう。そう思わざるを得ないほど、浪人生の慌て方は滑稽で、女の話術は秀逸だった。

「経済学部ですか? 何年生?」

「そうそう、今三年生」

 女の目が一際大きくなった。

「リュウは専門学校生で自動車整備科なのに、おかしいですね」

 王手詰みだ。

 浪人生は静かに俯いて、それきり表情を見せることはなかった。男は男で、痛烈な舌打ちを鳴らした。いい身分だ。

 女は―……ああ、どうやら呆れてしまっている。両手を腰に当て、つまらなそうに怒っている。いよいよ、血の雨でも降るのではないだろうか。

「ユカのところに行ってたんでしょ?」

 もう、女に敵はいない。男は即興の嘘をついてでも、真実を語ることを避けた。それはつまり、それだけ真実を語れない理由があったのだ。流れとしては、くだんのユカという女性と会っていたのだろうが、さて。

 不意に、女の視線が刺さった。何を観ている、というよりは、観察するな、と警告しているように見えた。オレはつんと表情を尖らせて、すっかり冷めてしまった牛肉をひとつ頬張った。

「いや、実は―……」

 男が口を開いた瞬間、窓際のテーブルに独りで座っていた中年サラリーマンが立ち上がった。

「いい加減にしませんか」

 毛には白いものが混じり、目と眉は困ったように垂れている。しかし口元は堅く結ばれ、握り締めた拳とシャツから覗く首は小さく震えている。

「ここは飲食店で、あなた方は店員でしょう。客の目をはばからず喧嘩をできる立場にはないはずです」

 年長者らしい意見だ。そして年長者らしいKYっぷりだ。今、リュウくんはやっと真実を語る決心を固めた。それで丸く収まるはずだった。あれだけ咄嗟に機転の利く女だ。真実さえ話せば、頭ごなしに否定し尽すような真似はしなかっただろう。オレは、推理小説で真犯人が殺されてしまったときの、あのもどかしさを覚えた。

 結局、リュウくんも自分のつま先を見つめてしまった。女はとうとう腕を組んでしまった。浪人生は財布を取り出したまではいいものの、支払うタイミングがつかめずおろおろしているし、サラリーマンは誰も聞いていない説教を続けている。

 麦茶で口を流すと、不意に閃いた。

 どうしてどいつもこいつも、他人に関わりたがるのだろう。浪人生はしゃしゃり出る必要のない場面でいい人を気取った。結果は裏目に出たし、本人がヒロイズムに酔いたかっただけかも知れないが、あれは紛れもなくひとつの親切であり、同情であり、優しさだった。

 サラリーマンはどうだろうか。あまりに自分の常識と離れた連中に業を煮やし、我慢できなくなったと見るのが妥当だ。だが、あの気の弱そうな顔だ。普段から何か、ストレスやらフラストレーションやら溜まっていたのだろう。それが爆発してしまったのが、たまたまここだっただけ。しかし直接ぶつける必要はない。今、彼は説教ではなく愚痴を零している。結局彼も、誰かに話を聞いてほしいだけなのだ。

 女は、恋人のリュウくんを独占したかっただけだ。いや、もっと柔らかい感情かもしれない。理解したかったとか、常に真正面から向き合ってほしかった、とか。彼の中に、手の届かない箇所があることが、寂しいのだろう。

 ではリュウくんは。

「昨日はさ、給料日だったろ」

「それが?」

 彼は、エプロンのポケットから、長方形のお洒落な箱を取り出した。

「ちょっと遅れたけど、誕生日プレゼント。おれ、こういうのわかんないからさ、ユカに意見もらいながら選んだんだ」

 オレは牛丼を掻き込んだ。なんじゃそら。

「……リュウ……」

 なんと二人は抱き合った。それでいいのかお前ら。

 突然、浪人生が拍手を始めた。おめでとう、と連呼しながら、店の規模を考えていない、自己満足の拍手を鳴らし続けた。

 やがて、そこにサラリーマンも加わった。先ほどまでの自分を諌めるかのように、ゆっくりとした、やわらかいものだった。

 リュウとその彼女は、そんな状況にいるのが恥ずかしくなったのか、ぱっと体を離し、照れくさそうにもじもじした。

 オレは麦茶を最後の一滴まで飲むと、急いで財布を取り出した。小銭で足りる分しか注文していないが、面倒だったので千円札を取り出し、伝票の上に置いた。

 男がはっとして、店員の顔に戻った。

「あ、すいません、今おつりを……」

「いらねえよ。ジュースでも買えば」

 睨み付けるでもなく無視して、オレはそそくさと店を後にした。

 夏とは言え、夜はそれなりに涼しい。もし季節が梅雨でなければ、それなりに爽やかな夜道だったのだろう。もしオレが昼間、別れる決意をしていなければ、それはそれは美しい星空だったのだろう。

 携帯を取り出す。サイレントモードにしていたので気付けなかった、何十回という着信。

 駄目だ。

 完全にあてられた。

 煙草に火をつけてから彼女の携帯を鳴らす。コール音を聞きながら吸う煙草の不味いこと不味いこと。

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